【完結】死に戻り8度目の伯爵令嬢は今度こそ破談を成功させたい!

雲井咲穂(くもいさほ)

文字の大きさ
4 / 18

chapter.3 / 黒薔薇姫

しおりを挟む
 翌日アンテリーゼはエヴァンゼリンと侍女のユイゼルゼ、エヴァンゼリンの侍女のミレーユと共に「黒薔薇館」に訪れていた。

 黒薔薇の館とは言われているが、明るい空気とみずみずしい見事な庭園に黒薔薇の気配はない。赤や黄色、淡い桃色やふんわりとした上品な紫色の薔薇が今が我が季節とばかりに蕾を開かせているが、濃い緋色や黒に近い薔薇の花などこの庭園は元より邸宅のどこにも存在しない。

 ではなぜ黒薔薇と存在しえない不名誉とさえ感じられる呼び名がつけられたのかというと。

「エヴァンゼリン。本当に、本当にこちらにお伺いしてもよかったのかしら」
「え?」

 手に持つ日傘の端がエヴァンゼリンに突き刺さらないように用心しながら、彼女が杖で歩く歩調の妨げにならないように気を付けつつ、アンテリーゼはやや上ずった声色で重ねて尋ねた。

「ば、場違いなのではないかしら」
「何を言っているの、リーゼ。昨日の相談の後、すぐに殿下にお手紙をお送りしたら、夜の間にお返事をいただいたのよ。殿下はとても心明るい方だから、きっと親身になって相談に乗ってくださるわ」

 ふわふわと春の陽だまりのように笑みをこぼして、エヴァンゼリンは戸惑うアンテリーゼを安心させるようににこりと笑って先を促す。カツン、カツンと規則正しくエヴァンゼリンの杖が、整然と敷き詰められた庭園の中の石畳の上で音を鳴らし反響する。

 彼女の繊細なレースで作られた白い手袋が太陽の光を反射してまばゆくアンテリーゼの目に刺さった。

 大抵のことには動じない貴族の令嬢らしい心持ちや振る舞いを身に着けてきた自負はあるが、自分が実は七回も死んでその度になぜか蘇っているというお伽噺のような事実よりも増して、今ここに訪問をしているという現実が夢のように不確かなことのように思えてくる。

 なぜならここは黒薔薇の館―。

 館の主の名を、デルフィーネ・ココルトス・エル・ティエンシュといい、隣国ハーディエの皇室に深く所縁のある高位貴族の令嬢が住まう邸宅なのである。国内においては王族に次ぐ地位と権力を誇る一族が所持する館の一つ。

 隣国ハーディエの現皇帝の姉君の嫁ぎ先がティエンシュ侯爵家であり、その娘の名がデルフィーネであった。

 社交界の黒薔薇と言われる姫君が住む館だから「黒薔薇館」といい、その姫君は翌年の秋、友好関係にある南の国エストニアの王太子に嫁ぐことが決まっており、すでに婚約式を経ているため、「妃殿下」の称号と身分を与えられている畏れ多くもいと気高き高貴な身分の人物なのである。

 アンテリーゼは伯爵家ではあるが、家格では名門のロックフェルト家には及ばず、家名としても中の下ほどの位置づけであるので、そもそもの接点など皆無だ。その上、父は政治的野心など皆無の穏健派であるため、権力の座からは程遠い。

 慣れ親しんだ道でも歩く様にティエンシュ家の執事の後ろを上機嫌に歩む傍らのエヴァンゼリンの表情を横目に、アンテリーゼは顔の筋肉が盛大に引きつり始めるのを何とか押しとどめるのが精いっぱいだ。おそらくは自分の後方をミレーヌと一緒に歩んでいるユイゼルゼも同じ気持ちだろう。

「エヴァンゼリン様、アンテリーゼ様、邸内ではなく殿下のご意向でこちらまでご足労をいただきまして、申し訳ございません。殿下はご昼食の後は、軽く運動をなさるのが習慣でして」

 丁寧に手入れをされた真っ白な口ひげを蓄えた老紳士が、真っ白な手袋で庭園の先を指さした。

「いえ、そんな。殿下がご多忙であるにもかかわらず、私事でお騒がせを致しまして、申し訳ない限りでございます。殿下のご厚意に甘えまして、こちらにお招きいただき、恐悦至極に存じます」

 エヴァンゼリンが柔らかく謝辞を述べて、アンテリーゼも併せて会釈をする。

「さて、こちらの先の訓練所に殿下がいらっしゃいます」
「訓練所?」

 聞き間違いだろうかと思い、小首を傾げていると、執事はにっこりと双眸を深めて「訓練所でございます」と繰り返した。

 軽い運動だと聞いていたが、訓練所とはいったい。

 貴族の令嬢の軽い運動というからには、広大な敷地の中でオークの木でできた槌で球を打って穴に入れて遊ぶ競技とばかり思っていたが、庭園の庭の隅でもできる程度の遊びだ。広大な庭を所持しているデルフィーネ殿下が、どのようなお考えで訓練所をお作りになったのかはアンテリーゼには到底計り知れないが、敷地の中に別の場所を設けて練習をする必要がある競技をたしなまれている可能性もある。

 アンテリーゼはエヴァンゼリンの方に視線を注ぐが、彼女は気にも留めていない様子で先に歩を進める。

 いったいどのような競技だろうと、ざわざわする気持ちを抑えつつ、丁寧に芝が刈り取られ整備された一角に向かうと、微かに金属が金鳴りあうような耳慣れない音が届き始めた。同時に女性と、男性の口論に似た声音が聞こえ始め、アンテリーゼは足早にエヴァンゼリンの後を追う。

 歩を進めるほどに金属がぶつかり合う音と、怒号のような苛烈な女性の声が強く聞こえ、音のする方向につられて歩を進めているうちに先に到着したエヴァンゼリンの背中につんのめって突進しそうになる。

 そしてアンテリーゼは信じられないものを目にして、驚きのあまりあんぐりと口を開閉させた。

「ほらほらほらほら!!そんな生ぬるい剣捌きではいつまで経っても意中の女性を口説けませんわ…よ!!」

 鋭い剣戟を立て続けに打ち出す女性の刃を、片手で持つ剣で難なくいなしながら笑みを深くする長身の男性が一人。

「君に心配をされる筋合いはないので」

 言いながら今度は男性が鋭い剣を縦に振り下ろす。

「あらあらあら、負け惜しみかしら?負け惜しみはみっともなくてよクラウス。一向に進展しないのを、まさか彼女が鈍いからだとでも言いたいような口ぶりだことっ」

 漆黒の髪の美女は後方に後ずさって態勢を調えると、一気に踏み込んで横一線剣を薙いだ、が、それを青年の剣が受け止めてはじき返す。金属がぶつかる大きな音に、ミレーネとユイゼルゼが小さく悲鳴を上げる。

「お転婆ぶりが目立ちすぎてこれまで三回も婚約破棄をされた君には言われたくないね!」

 男性が下方からしゃくりあげるように剣を払い上げれば、絹のような漆黒の黒髪が空気をはらみ、軽業のようにしなやかなその体が十字を切るように空に舞う。と、男性から四人分の距離をとって着地し、緋色の気の強そうな双眸を不敵に歪めて形の良い唇の端をにやりと上げる。

「せめてわたくしより強くなっていただかないと、これ以上の進展は許しませんことよ!」
「君に許可をもらう必要なないと記憶しているんだが」
「何をおっしゃっているのかしら。大切な友人の一人を根性なしに譲る気はさらさらありませんわ」
「彼女は君の所有物じゃないと思うんだが」
「何を勘違いされてますの?私は、大切な友人の未来の夫の立候補者が軟弱では困ると考えているだけですわ。いくら筋トレで筋肉を育ててもバランスの悪い筋肉は見栄えが悪いですわ。使える筋肉でなければ、大切な女性を守れないのではなくて?」
「だからと言って君に判断していただく必要はないと思うのだけど」
「判断?でしたらノーですわ!あなたったら外見だけは人並み以上ですけれど、中身は超絶腹黒の鬼畜野郎じゃありませんか。そんな乙女ゲームの大外れキャラを容認するほどわたくし、心の広い人間ではありませんの!」
「妃殿下」

男女の言い合いの中に、咳払い一つで老紳士が介入すると、青年は肩をすくめて剣を納めた。

「あら?もうそんな時間かしら」

 再び攻勢に出ようと剣を構えなおしていた美女は、アンテリーゼたちの姿を視界に認め、ゆっくりと剣を下した。

「妃殿下、いつもながら素晴らしい腕前ですわ」

 ふんわりとエヴァンゼリンは微笑み、杖を持つ片手を持ち上げて拍手を送る。

「エヴァンゼリン、忙しいのに呼び立てて迷惑をかけるわね。その子が、アンテリーゼ・フォン・マトヴァイユね。あなたがわたくしによく話してくれる通り、亜麻色の髪と琥珀の瞳がとても美しい人だわ」

「妃殿下、ご機嫌麗しゅうございます。本日はお招きいただきまして、恐悦至極に存じます」

 アンテリーゼは貴族の礼に則って、上品な令嬢らしく最高位の礼を以てデルフィーネにお辞儀をした。

 デルフィーネはにこやかに受けて、剣を腰に佩いている鞘に手慣れた様子でおさめると、背後を振り返り片手を上げた。それを合図に、先ほどまで訓練所でデルフィーネと剣を交えていた青年はアンテリーゼたちに軽く会釈をし、ろくすっぽ挨拶もせずさっさと背を向けて反対の方向に姿を消してしまった。

「ごめんなさいね。彼がここにいることは内密、ということになっているの。挨拶もできない無礼者だと思ってもらって結構だけど、このことは他言無用ですわよ」

 悪戯がばれた少女のようにデルフィーネは赤い舌をちろりと見せて肩をすくめた。

「殿下」
「シャムロー、ありがとう。手筈通り、奥の間にお茶席を用意してくれるかしら。二人は後から来るでしょうから、その時は直接お通しして」

 執事から真っ白なタオルを受け取り、額の汗を軽く拭きとると、緋色の瞳の美しい女性はひとくくりにした髪の毛を束ねていたリボンをほどき、アンテリーゼに笑いかけた。

「本当によく来てくださったわ。マトヴァイユ伯爵令嬢。あなたのことはエヴァからよく聞いていてよ。本当にフランス人形のように美しい肌と瞳ね。社交界の百合と言われていたのをご存じだったかしら?このままここで立ち話をするわけにはいかないでしょうから、執事に屋敷のサロンを案内させるから、そちらで話を聞かせていただけるかしら?わたくしのことはフィーと呼んでくださったら嬉しいわ」

「え?ふら・・・人形?」

 矢継ぎ早に話しかけられた言葉の中に、アンテリーゼの聞きなれない不思議な単語があり、理解しようとして繰り返すと、デルフィーネはしまったとばつが悪そうな表情をして凍り付いた。

「妃殿下」

 シャムローが大きく咳払いをして無作法で相手が当惑しているのでやめるように、無言で圧力を加える。デルフィーネはオホホと笑顔でごまかそうとした挙句、失敗してやや上ずった声で視線を彷徨わせながら付け加えた。

「も、もも、もちろん、殿下でも、妃殿下でもあなたが呼びやすいようにしてくれたらでよくってよ」

 殿下、唇の端が痙攣しておいでです、とはさすがのアンテリーゼも指摘できないまま、執事に促されて黒薔薇の館に足を踏み入れたのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

一途に愛した1周目は殺されて終わったので、2周目は王子様を嫌いたいのに、なぜか婚約者がヤンデレ化して離してくれません!

夢咲 アメ
恋愛
「君の愛が煩わしいんだ」 婚約者である王太子の冷たい言葉に、私の心は砕け散った。 それから間もなく、私は謎の襲撃者に命を奪われ死んだ――はずだった。 死の間際に見えたのは、絶望に顔を歪ませ、私の名を叫びながら駆け寄る彼の姿。 ​……けれど、次に目を覚ました時、私は18歳の自分に戻っていた。 ​「今世こそ、彼を愛するのを辞めよう」 そう決意して距離を置く私。しかし、1周目であれほど冷酷だった彼は、なぜか焦ったように私を追いかけ、甘い言葉で縛り付けようとしてきて……? ​「どこへ行くつもり? 君が愛してくれるまで、僕は君を離さないよ」 ​不器用すぎて愛を間違えたヤンデレ王子×今世こそ静かに暮らしたい令嬢。 死から始まる、執着愛の二周目が幕を開ける!

侯爵令嬢の置き土産

ひろたひかる
恋愛
侯爵令嬢マリエは婚約者であるドナルドから婚約を解消すると告げられた。マリエは動揺しつつも了承し、「私は忘れません」と言い置いて去っていった。***婚約破棄ネタですが、悪役令嬢とか転生、乙女ゲーとかの要素は皆無です。***今のところ本編を一話、別視点で一話の二話の投稿を予定しています。さくっと終わります。 「小説家になろう」でも同一の内容で投稿しております。

光の王太子殿下は愛したい

葵川真衣
恋愛
王太子アドレーには、婚約者がいる。公爵令嬢のクリスティンだ。 わがままな婚約者に、アドレーは元々関心をもっていなかった。 だが、彼女はあるときを境に変わる。 アドレーはそんなクリスティンに惹かれていくのだった。しかし彼女は変わりはじめたときから、よそよそしい。 どうやら、他の少女にアドレーが惹かれると思い込んでいるようである。 目移りなどしないのに。 果たしてアドレーは、乙女ゲームの悪役令嬢に転生している婚約者を、振り向かせることができるのか……!? ラブラブを望む王太子と、未来を恐れる悪役令嬢の攻防のラブ(?)コメディ。 ☆完結しました。ありがとうございました。番外編等、不定期更新です。

P.S. 推し活に夢中ですので、返信は不要ですわ

汐瀬うに
恋愛
アルカナ学院に通う伯爵令嬢クラリスは、幼い頃から婚約者である第一王子アルベルトと共に過ごしてきた。しかし彼は言葉を尽くさず、想いはすれ違っていく。噂、距離、役割に心を閉ざしながらも、クラリスは自分の居場所を見つけて前へ進む。迎えたプロムの夜、ようやく言葉を選び、追いかけてきたアルベルトが告げたのは――遅すぎる本心だった。 ※こちらの作品はカクヨム・アルファポリス・小説家になろうに並行掲載しています。

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

悪役令嬢として断罪された聖女様は復讐する

青の雀
恋愛
公爵令嬢のマリアベルーナは、厳しい母の躾により、完ぺきな淑女として生まれ育つ。 両親は政略結婚で、父は母以外の女性を囲っていた。 母の死後1年も経たないうちに、その愛人を公爵家に入れ、同い年のリリアーヌが異母妹となった。 リリアーヌは、自分こそが公爵家の一人娘だと言わんばかりにわが物顔で振る舞いマリアベルーナに迷惑をかける。 マリアベルーナには、5歳の頃より婚約者がいて、第1王子のレオンハルト殿下も、次第にリリアーヌに魅了されてしまい、ついには婚約破棄されてしまう。 すべてを失ったマリアベルーナは悲しみのあまり、修道院へ自ら行く。 修道院で聖女様に覚醒して…… 大慌てになるレオンハルトと公爵家の人々は、なんとかマリアベルーナに戻ってきてもらおうとあの手この手を画策するが マリアベルーナを巡って、各国で戦争が起こるかもしれない 完ぺきな淑女の上に、完ぺきなボディライン、完ぺきなお妃教育を持った聖女様は、自由に羽ばたいていく 今回も短編です 誰と結ばれるかは、ご想像にお任せします♡

悪役令嬢は殿下の素顔がお好き

香澄京耶
恋愛
王太子の婚約者アメリアは、 公衆の場で婚約破棄される夢を見たことをきっかけに、自ら婚約解消を申し出る。 だが追い詰められた王太子、ギルバートは弱さと本心を曝け出してしまい――。 悪役令嬢と、素直になれない王太子の“逆転”ラブコメディ。

不機嫌な侯爵様に、その献身は届かない

翠月 瑠々奈
恋愛
サルコベリア侯爵夫人は、夫の言動に違和感を覚え始める。 始めは夜会での振る舞いからだった。 それがさらに明らかになっていく。 機嫌が悪ければ、それを周りに隠さず察して動いてもらおうとし、愚痴を言ったら同調してもらおうとするのは、まるで子どものよう。 おまけに自分より格下だと思えば強気に出る。 そんな夫から、とある仕事を押し付けられたところ──?

処理中です...