上 下
5 / 6

5話

しおりを挟む
「彼女の本名や出身はわかりませんでしたが、彼女の外見などの身体的な特徴と、おおよその年齢や家族構成、いくつかの趣味やよく行く店、気に入って収集している本、休暇の過ごし方はおおよそ調査済みです」

 うわぁ、こいつマジでやばい貴族だ。

 絶対に関わりたくない部類の、変態に片足以上突っ込んでる、かなりやばいやつだ。

 背中から脂汗が出るような気持ちで、エリーゼは顔を盛大に引きつらせた。

「そ、そこまでわかっているのなら、直接会いに行って話をつければいいじゃないか。平民の娘に貴族の青年が話をつけるのは、王族に謁見を望むよりも簡単だろう」

 身分の差はあれど、人を使って探し出し、実際に対面することくらいはできるだろうという意味でエリーゼはやや上ずった声で尋ねた。

「え?国王の方が簡単ですよ」

 さらっと衝撃のひと言を口にした青年に、エリーゼは目を剥いた。

 このフランツ・ウェルディークとかいう人物、身分を伯爵家の三男坊とか女公爵が紹介してきて疑いもしなかったが、もしかしたら全く違うのではないか。

 人が外見や身分を偽ることはよくあることだ。エリーゼのこれまでの客にもいたし、エリーゼ自身もまたそうである。

 全身がこの目の前の人物と関わるな、と危険信号を発しだしたのと同時に、フランツは机の上の水晶玉を横に押しのけて、紙の束をどさっと置いた。そしてそのまま、エリーゼのしわがれた右手を軽く片手で抑え、にこりと笑ったまま口を開く。

「あなたは直接会いに行って話をすればいいと簡単におっしゃいますが、彼女は調べたところによると、想像以上に忙しい女性でした。平日の日中は朝から夕方まで働き、夕方になると孤児院へ炊き出しや買い付けた食料を山のように荷車に積んで運んだり。宮廷魔術師にも劣らない魔術の才能を生かして、魔獣が寄り付かない結界を平民区全体に張り、定期的に管理する日々。また別の日は、新しく市中に建設予定の平民向けの教育所や医療所の下見に行って、指示を出したり工事作業者や役人と打ち合わせや話し合い、資金の支払いや調達をしたり。豊富な資金を投入して新しい薬草を開発し、伝染病の蔓延を防ぎ、たくさんの人々の命を救いました」

 エリーゼはしっかりと動かないように固定されている自分の手が、少しずつみずみずしく明るい肌色に変じているのを見つめながら、凍り付いた笑顔を顔に張り付けた。

「身寄りのない子供たちに清潔で暖かな食事と衣服品、十分な衣料品と教育を施すために時には金に汚いと罵られようとも、盗賊に襲撃され金品の強奪の危険にさらされようとも、愚かな貴族に謗られようとも、ありとあらゆる手を尽くし、時には貴族を利用し、その伝手を有効活用し昼夜問わず身を粉にして働いている女性でした」

 エリーゼの頬の輪郭が明るく引き締まったものに変じ、髪の毛が先から少しずつ色つやを取り戻し始め、まるで魔法がかかったように美しい夕陽のような銅色に染まっていく。

 老婆の手のようだったエリーゼの手は一回り小さなものになり、年若い女性の肌質に変容する。

「エリーゼ、あなたです」
「ひょえっ」

 銅色の髪の下で、薄い金色の瞳が動揺するように大きく跳ねた。
しおりを挟む

処理中です...