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第二章

老人と老婆

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 静寂せいじゃくを切り裂くように、コーデリアは屋敷の窓から跳び降りた。

 降りしきる雨が肌を叩きつけ、背後ではイェニーの声が闇に溶けるように余韻よいんを引いている。

 コーデリアは眼前で短刀を構え、魔力を注ぎ込んだ。

 刀身には複雑な幾何学模様が波紋のように浮かび上がり、青い燐光りんこうが眩くほとばしる。

 頭上から降り注ぐ雨は勢いを弱め、小雨へと変わっていた。水の雫は球体になり、彼女の頬をかすめて落ちていく。

 その視界の下、大小さまざまな蔦がを仕留めようと蠢いていた。

 コーデリアは、それらの動きを見極めながら剣を操る。真下から伸び上がる攻撃をかわし、ぎ払い、受け流しながら落下していく。

 風切り音が耳の傍をかすめた。

 斜め横から襲いかかる蔦の一撃をかわした瞬間、束ねていた髪がぜるように散らばる。

 長い髪の房が舞い上がり、落下する彼女とは逆に、空へと流れていった。

 刹那。

 ひと際大きな蔦が鞭のようにしなり、殺意を帯びた一閃を放つ。

「――いでよ、いでよ、我が求む。我が呼ぶ。我が声に応え、天雷よく来たれ」

 パリ、と青い光が静電気のようにコーデリアの指先から瞬き、流星が宵闇よいやみに尾を描くが如く空間を駆け抜けた。

 一瞬の淡い輝きかと思えば、すぐに鋭い雷撃のごとき青い閃光をまとい、ほとばしる。

(逃がさない――!)

 コーデリアは両手で短刀の柄を握り込み、雷鳴のように叫んだ。

「<女神の雷撃アリシュエラ・イグニッション>!!」

 天を裂き、青白い光の剣が降り注ぐ。

 光刃が蔦を切り裂くと、断面から物体が分解するように崩れ、黒紫の粒子となって霧散していく。

 しかし――。

「くっ……!」

 びりびりと痺れるような痛みが両腕を駆け抜けた。

 圧倒的な質量。並の敵とは桁違いの強度。

 幹ごと切り飛ばすつもりで刃を振るったが、穿つことができたのは半ばまでだった。しかも、傷口を目掛けるようにどこからともなく蔦が一気に湧き出し、瞬く間に絡みつき補修されてしまう。

(……硬い)

 大剣を執行人が如く振り下ろしたところで、追撃は止まらない。コーデリアは舌打ちし、風を切る刃のように植物のを足場にして駆けた。

 縦横無尽じゅうおうむじんに動く中で、追いすがっていた蔦同士が絡まってぶつかり速度が緩む。一瞬の隙を狙い、幹に足をかけて跳ぶ。

 直後。

「っ!」

 右足首に細い枝が突き刺さる。わずかに動きを阻害されたが、それでも二度、三度と木々の合間を渡るように駆け抜け、バネのように跳ねる蔦を足場にして、ストン、と地面へと降り立つ。

 痛みを感じ、僅かに顔を顰めるが、幸いなことに軽微のようだ。ありがたい、と独り言ちる。

 着地の余韻も束の間。

 すかさず、頭上から飛来する蔦の一撃が迫る。

「――っ!」

 間髪入れず身を翻し、回避する。何度も受け止めていては、いつか圧殺あっさつされる。

 コーデリアは指を弾いた。

「<フレイムバレット>!!」

 指先から火焔の球が弾け飛ぶ。轟音とともに爆発し、蔦を直撃、したはずだった。

「……効かない?」

 一瞬、表面がメラメラと燃え上がったかに見えたが、それはすぐに消え去った。

 ほどなくして降り続ける雨が、すぐさま鎮火させる。

 だが、雨だけのせいではない。

「無効化……? まさか」

 そんな性質、聞いたことがない。

(何よ、それ。どう見ても植物でしょうが――)

 唖然とするコーデリアを嘲笑うように、蔦がそよぐ。

 温室に収まりきらぬほど膨れ上がり、ミチミチと音を立てながら建物を圧迫する異形。

 まるで意志を持った老獪ろうかいな巨人のように、その存在感を誇示こじしていた。

「コーデリア!!」

 鋭い声が、空間を貫いた。

 ハッと振り返る。

 視界の端――右目の先に。

 束となった蔦の影が、音を立てて襲いかかってきていた。



 *****

  
 カイルはコーデリアを探し、位置すら定かでないまま駆け出ていた。

(くそっ。――コーデリアはどこだ)

 視線をどこに投げても、邪魔な植物が視界を遮る。

 忌々しい、と歯噛みしながらカイルは前方に視線を伸べた。

 瞬間、視界の片隅で白い閃光が一瞬煌めく。

「っ」

 激しさはないが、暗闇に慣れた目には強すぎる光に、カイルはとっさに顔を背けた。

 すぐにその光は消えたが、右側の大穴が開いた壁からその余韻よいんが入り込む。

 同時に、まるで痛みに怯んだかのように、暴れ狂っていた蔦が一瞬だけ動きを止めた。

 雷でも近くで光ったのだろうかと考えつつ、カイルは頭上に絡む縄打つ植物を避けながら身を低くし、先へと進む。

 ひゅっと、鞭がしなるような音が届くと同時に、右手から迫る蔦を片手で掴み、まるで握り潰すように力を込めてその動きを封じる。

 屋敷は蔦に蹂躙じゅうりんされ、足元には紫がかった靄が漂っていた。

「カイル様!」

 背後からフェンネルが追い縋ってくる。逆手に持ったナイフで蔦の細枝を打ち払いながら、必死に足を動かしていた。

「置いていかないでくださいよ!」

 そう言いながら、フェンネルは白い飴玉のような球をカイルの足向こうに放った。瞬時に光が炸裂し、紫の霧を四散させる。蔦の動きが鈍り、カイルが手に握っていた触手も霧散むさんした。

 ととと、と軽快な足取りでフェンネルが到着すると、カイルはまっすぐに見下ろし、ゆるりと片手を差し出した。

獲物ナイフを寄越せ」

 明らかな不機嫌顔で武器を要求するカイルに、フェンネルは顔を青ざめさせる。

「ちょっと待ってくださいよ! これがないと、お守りできませんよ!?」
「……」

 カイルは鼻で笑い、さらに指先を動かして無言の圧を加えた。

「――旦那様」

 不意に声がした。

 はっとして顔を上げると、マートルがすぐ近くの扉の隙間から顔を覗かせていた。暗闇の中、三角眼鏡を光らせる老婆の顔だけがくっきりと浮かび上がる。

「ぎゃぁあああああああああああああ!! でたぁあああああああああ!!! 化け物おおおおおおおおおおおお!!!」

 フェンネルの悲鳴に合わせるように、動きを止めていた蔦が猛然もうぜんと襲いかかる。

 カイルはフェンネルの手からナイフを奪い、一閃。

 さらにフェンネルの襟首を掴み、マートルが開けたドアの中へと投げ込むと、自らも続いて部屋へ滑り込んだ。

 ほぼ同じタイミングで、マートルがカイルの顔の横から拳大の白い球を背後へ投げた。

 閃光が爆裂ばくれつし、熱を伴わぬ衝撃波が廊下を駆け抜ける。その余韻で扉が閉まり、カイルはとりあえずは、とマートルに向き直った。

「マートル、無事だったか」
「――おかげさまで。……時間がありません、旦那様、こちらを」

 ヒビの入った三角眼鏡越しに鋭くカイルを見据え、マートルは両手で黒い塊を差し出した。

 ずしりとした手に馴染む重みに、カイルはニヤリと破顔する。

 革布を取り払うと、柄に滑り止めの布が巻かれた愛剣が収まっていた。
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