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第五章
78.善悪の彼岸3
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「っ!」
びくりと、体が跳ねたのをうっとりと目を眇めて見つめて、オースティンは思い出すように口を開く。
「君があの夜会に来ていたのには驚いたよ。話だけしかこれまで聞いて来なかったが、毒草園の管理人として社交界では随分な噂を立てられていた、田舎出身の子爵令嬢。それが、あのセリウスと一緒に出席すると聞いた時は、本当に耳を疑ったよ」
「私のことを、知っていたのですか?」
「名前と、吹聴されている噂くらいはね。仕事柄、そういう話は嫌というほど耳に入る。―――あれほど社交界嫌いで遠ざかっていた毒草園の主が、タイミングよく、ラスフォード邸に訪れた。……ヴァーレントゥーガは仕事仲間でね。ヴィクターの副官として働いていた彼の下についていたのが、僕というわけだったんだが、ちょっとしたことを知られてしまってね。それで殺すことに決めたんだ」
「ちょっとしたことで?命を奪う?なにを言っているのかわからないわ」
「温室で大切に育てられたお嬢様には、僕のような平民の気持ちはわからないだろうね。けれど、理解して欲しいとは欠片も思っていないから安心して。……ああ、やっぱり、あの時君もちゃんと死んでくれていたらよかったのに」
オースティンは腰かけていた噴水から立ち上がると、太陽を背にしながらこちらに身をかがめて覗き込むように瞳を歪めた。
「君が庭園に行かなければ、セリウスやエヴァンスを道連れにできたかもしれないのに、本当に残念だ。残念ついでに悲しかったのは、レヴィーナ子爵のことかな。彼がこの屋敷の設計に関わっているなんてことを知っていたら、もう少し注意深く検討してから爆弾を配置させたのに」
それが彼の誤算だったのだろう。
(煙の被害や、爆発の音に対して鎮火が早かったのはレヴィーナ子爵の言うとおりね。そのおかげで被害は最小限に食い止められた。けれどそれは、オースティンにとっては大きな誤算。彼は本当に会場ごと潰す気だったのね)
オースティンはアルヴィスのことを「泥かぶりの子爵令嬢」だと知っていた。ナイトシェードの毒物を作り出したのは、毒草園を領地で経営するアルヴィスだという話をヴァネッサに吹き込んだのも彼なのかもしれない。社交界での噂の出処を丁寧に攫っていけば、自分からヴァネッサを導き出すことは比較的容易い。彼女が社交界で自分のことをどう思い、何と言っているかなどは合えて想像する必要もない程、わかりやすかった。
(この人は私を隠れ蓑に何をしようとしていたのかしら)
彼はやけに「ナイトシェード」にこだわっているような気がした。
わざわざ「まがい物」というほど、本物を強く意識している。
ナイトシェードが単なる毒物なのではなく、特別な意味を持つ存在なのだとしたら、彼は何故他の毒物ではなく「ナイトシェード」に似せることを選んだのだろう。
単に目的を遂げるのであれば、どのような毒物でもよかったはずだ。
気づけば疑問が口からついて出ていた。
「なぜ、ナイトシェードなのですか?」
「おや、説明が不十分だったかな?結構手の内を明かしてあげたと思ったのだけど」
わざとらしく驚いて見せてオースティンは一歩アルヴィスの方へ足を進めた。
距離を詰められたくなくて、じり、と後退する。
「ナイトシェードはね、希望なんだよ」
「希望?」
歌うように紡がれた言葉の意味を捉えかねて、アルヴィスは眉間にしわを追加しながら聞き返した。
「君は貴族社会が時代遅れで、評価するに値しない腐敗し切った社会システムだとは思わない?」
「なに―――」
「君だってそうだろう?社交界では爪はじきにされ、上位の爵位を持つちっぽけな小娘にさえ歯向かうことができない―――。悪評を覆すだけの力もなく、能力はあるのに誰からも認められない。それを不満に思ったことはない?」
ない、と言えば嘘になる。
マナースクールに通っていた時、教師たちから内々でどんなに評価されていたとしても、社交界という貴族の主戦場ではまるで役に立たなかった。頭の良さよりもむしろ、どれだけ人に取り入り、どれだけ気に入られるかで勝ち負けが決まってしまう。信じて頼りにしていた友人ですらも、あっさりと手のひらを返し、自分の周囲から一人、また一人と離れて行ってしまう。
その孤独を、歯がゆいと思わなかったことはない。
沈黙を落としたアルヴィスに、オースティンはさらに一歩、獲物をゆっくり追い詰める獣のような目を向けながら近づいた。
サク、と芝生を踏み潰す靴の音がやけに耳に届く。
「ナイトシェードはね、希望なんだよ。……生まれついての身分に一生涯を縛られ、貴族でない人間は人権すら認められず、殺されても黙殺される。権力を持っていなければ、相手を裁くことも、声を上げることすらできない。どんなに残酷なことをしても、無実の力の弱い者より、有罪の力があるものが正しいとされる社会。猜疑心と欺瞞が下支えするこの社会構造に対して、唯一無二の力を示すことができる奇跡の薬、それがナイトシェードなんだ」
「ナイトシェードのレシピの中には、たった一滴で数百の人間を殺すほどの威力を持つ毒薬もある。あるいは、たったひと瓶川面に落とし入れれば、ひとつの国にすら壊滅的な打撃を与えることができるものも存在する。その力さえあれば、金や身分に縋りつく連中を残らず引きずり落とすことができると思わないかい?」
君も毒を使うだろう、とオースティンは緑色の相貌をさらに深め、アルヴィスに近寄った。目の前に迫る姿に体がピクリとも動かない。
心の奥底で見ないように、聞こえないように、気づかないように蓋をしていた、もう一人の自分の声が聞こえた気がした。
けれど。
びくりと、体が跳ねたのをうっとりと目を眇めて見つめて、オースティンは思い出すように口を開く。
「君があの夜会に来ていたのには驚いたよ。話だけしかこれまで聞いて来なかったが、毒草園の管理人として社交界では随分な噂を立てられていた、田舎出身の子爵令嬢。それが、あのセリウスと一緒に出席すると聞いた時は、本当に耳を疑ったよ」
「私のことを、知っていたのですか?」
「名前と、吹聴されている噂くらいはね。仕事柄、そういう話は嫌というほど耳に入る。―――あれほど社交界嫌いで遠ざかっていた毒草園の主が、タイミングよく、ラスフォード邸に訪れた。……ヴァーレントゥーガは仕事仲間でね。ヴィクターの副官として働いていた彼の下についていたのが、僕というわけだったんだが、ちょっとしたことを知られてしまってね。それで殺すことに決めたんだ」
「ちょっとしたことで?命を奪う?なにを言っているのかわからないわ」
「温室で大切に育てられたお嬢様には、僕のような平民の気持ちはわからないだろうね。けれど、理解して欲しいとは欠片も思っていないから安心して。……ああ、やっぱり、あの時君もちゃんと死んでくれていたらよかったのに」
オースティンは腰かけていた噴水から立ち上がると、太陽を背にしながらこちらに身をかがめて覗き込むように瞳を歪めた。
「君が庭園に行かなければ、セリウスやエヴァンスを道連れにできたかもしれないのに、本当に残念だ。残念ついでに悲しかったのは、レヴィーナ子爵のことかな。彼がこの屋敷の設計に関わっているなんてことを知っていたら、もう少し注意深く検討してから爆弾を配置させたのに」
それが彼の誤算だったのだろう。
(煙の被害や、爆発の音に対して鎮火が早かったのはレヴィーナ子爵の言うとおりね。そのおかげで被害は最小限に食い止められた。けれどそれは、オースティンにとっては大きな誤算。彼は本当に会場ごと潰す気だったのね)
オースティンはアルヴィスのことを「泥かぶりの子爵令嬢」だと知っていた。ナイトシェードの毒物を作り出したのは、毒草園を領地で経営するアルヴィスだという話をヴァネッサに吹き込んだのも彼なのかもしれない。社交界での噂の出処を丁寧に攫っていけば、自分からヴァネッサを導き出すことは比較的容易い。彼女が社交界で自分のことをどう思い、何と言っているかなどは合えて想像する必要もない程、わかりやすかった。
(この人は私を隠れ蓑に何をしようとしていたのかしら)
彼はやけに「ナイトシェード」にこだわっているような気がした。
わざわざ「まがい物」というほど、本物を強く意識している。
ナイトシェードが単なる毒物なのではなく、特別な意味を持つ存在なのだとしたら、彼は何故他の毒物ではなく「ナイトシェード」に似せることを選んだのだろう。
単に目的を遂げるのであれば、どのような毒物でもよかったはずだ。
気づけば疑問が口からついて出ていた。
「なぜ、ナイトシェードなのですか?」
「おや、説明が不十分だったかな?結構手の内を明かしてあげたと思ったのだけど」
わざとらしく驚いて見せてオースティンは一歩アルヴィスの方へ足を進めた。
距離を詰められたくなくて、じり、と後退する。
「ナイトシェードはね、希望なんだよ」
「希望?」
歌うように紡がれた言葉の意味を捉えかねて、アルヴィスは眉間にしわを追加しながら聞き返した。
「君は貴族社会が時代遅れで、評価するに値しない腐敗し切った社会システムだとは思わない?」
「なに―――」
「君だってそうだろう?社交界では爪はじきにされ、上位の爵位を持つちっぽけな小娘にさえ歯向かうことができない―――。悪評を覆すだけの力もなく、能力はあるのに誰からも認められない。それを不満に思ったことはない?」
ない、と言えば嘘になる。
マナースクールに通っていた時、教師たちから内々でどんなに評価されていたとしても、社交界という貴族の主戦場ではまるで役に立たなかった。頭の良さよりもむしろ、どれだけ人に取り入り、どれだけ気に入られるかで勝ち負けが決まってしまう。信じて頼りにしていた友人ですらも、あっさりと手のひらを返し、自分の周囲から一人、また一人と離れて行ってしまう。
その孤独を、歯がゆいと思わなかったことはない。
沈黙を落としたアルヴィスに、オースティンはさらに一歩、獲物をゆっくり追い詰める獣のような目を向けながら近づいた。
サク、と芝生を踏み潰す靴の音がやけに耳に届く。
「ナイトシェードはね、希望なんだよ。……生まれついての身分に一生涯を縛られ、貴族でない人間は人権すら認められず、殺されても黙殺される。権力を持っていなければ、相手を裁くことも、声を上げることすらできない。どんなに残酷なことをしても、無実の力の弱い者より、有罪の力があるものが正しいとされる社会。猜疑心と欺瞞が下支えするこの社会構造に対して、唯一無二の力を示すことができる奇跡の薬、それがナイトシェードなんだ」
「ナイトシェードのレシピの中には、たった一滴で数百の人間を殺すほどの威力を持つ毒薬もある。あるいは、たったひと瓶川面に落とし入れれば、ひとつの国にすら壊滅的な打撃を与えることができるものも存在する。その力さえあれば、金や身分に縋りつく連中を残らず引きずり落とすことができると思わないかい?」
君も毒を使うだろう、とオースティンは緑色の相貌をさらに深め、アルヴィスに近寄った。目の前に迫る姿に体がピクリとも動かない。
心の奥底で見ないように、聞こえないように、気づかないように蓋をしていた、もう一人の自分の声が聞こえた気がした。
けれど。
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