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第一話
春はうららの吉凶の行方
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妙な時期に新人が入ってくるというからどんなものかと思えば、とんでもなかった。
武見和基はポケットに歩きしな削ったばかりのスクラッチカードの束をねじ込んで、先日新人の後輩に「チンピラ」呼ばわりされた歩き方のまま、埃が積もり切った廊下をタラタラと歩いていた。
やる気がない。
もう少し背筋を伸ばしてしゃんと歩け。
同僚から口酸っぱく言われているものの、勤勉さはとうの昔に使い果たしてしまっているせいで、「ちゃんと」がわからなくなって何年も経っている。
首元を締め付けていた脳紺色のネクタイを片手で取り払い、襟元を寛げれば、いつものいでたちだ。
片手で立て付けの悪い扉を押し開け、部屋に入れば、瀬津と目が合った。
読み終わったばかりなのだろう。分厚い紙片の束を机の上に置くや否や、呆れたような視線を送ってくる。とんとん、とグローブを嵌めたままの指先でやや苛立ったように書類を示す。
「武見」
「言わんとしていることはわかるが、課長に呼ばれてる」
公休振替となった諏佐のいない間に、という指示があったのは当人以外全員が知るところだ。
「係長も待ってるよん」
パソコン画面の隙間から、三ノ海の頭だけがひょこっと見えた。
三ノ海は原則として課外に出られない。彼女にしか処理できない、煩雑な処理に忙殺されるためだ。その為、共有すべき情報を最も最初に知ることになるのはこの半獣型のあやかしなのだ。
瀬津が肩を竦め、課長室へ向かって歩き出したのを尻目に、武見は机の上に置かれたままの書類に視線を落とした。
一枚目の表紙には顔写真と、赤い印字で「極秘」と記されている。
――諏佐天音。
身辺調査書であることは言うまでもない。
だが問題は、その中身だった。
本人に秘匿されている内容までも、わかることはすべて記載されている。
生年月日や出身地はもとより、両親、兄弟、親戚の詳細。
どの種類の異能力を有しているのか。
どの程度の能力があり、――どのように扱うべきか。
血筋の根源たるあやかし、あるいは神と呼ばれる存在との関係の有無。
呪術師や陰陽師の家系であれば、それらは必ず明記される。
天音の場合、術師の家系ではない。
だが「見鬼の才以外、特筆すべき能力はない」と一言で片付けるには、いささか厄介すぎる血を引いていた。
今現在、最も警戒すべき異能は、父方の血筋はさておいて、母方の「座敷童」の血を引いている点にある。
この世に存在する特殊な才の中でも、稀有中の稀有とされる、幸運を手繰り寄せる能力。
厄介なのは、本人の自覚なく、帰属する範囲において自然発生的かつランダムに作用する、力場のような性質を持つ点だ。
「面倒な……」
武見は眉間に深く皺を寄せた。
この「帰属の範囲」という概念がまた難しい。
術者のように意識的かつ具体的に決定できるものではなく、発生範囲の条件も、能力保持者本人の「無意識」に大きく左右される。
極めて不明瞭で、不安定な能力だ。
――本人には操作不可能な、遺伝系異能。
外部の人間がこの事実を知れば、手練手管を駆使して取り込もうと画策するのは想像に難くない。
それゆえ「両親」は、これら特異性を長く秘匿したまま、彼女を田舎で育てた。
家族の反対を押し切って入局してからは、上層部が特秘事項として「彼女を取り扱う」こととなった。
初期訓練終了後、当初の予定では地域怪異対策課で預かるはずだった。
だが天音の特異性を嗅ぎつけた刑事部が山戸の主張をねじ伏せ、刑事部への配属が決まった。
結果として、それは悪い方向にしか転がらなかった。
武見たちが数年をかけて追っていた捜査は、どこで情報を嗅ぎつけたのか、天音が独自に踏み込んだことで混乱を来し、彼女自身も独断専行の末、命の危険に晒されることになった。
事件は解決したものの、あらゆる方面に傷を残す事態となった。
責任を取って当時の部長は左遷。
天音の首を絞めた男は、すでに収監されている。
ただし、これ以上天音の存在を放置するわけにはいかない。
この機を逃すまいと、山戸をはじめとした上層部が動き、表向きはあの事件をもみ消すため、天音が地域怪異対策課――と表向きに呼ばれている場所へ飛ばされた、という体裁が取られた。
だが実情は異なる。
もっとも秘匿すべき厄介事を扱う課。
それが、この特別怪異犯罪捜査課の役割だ。
彼女の当初通りの配属先であり、存在を秘匿するにはうってつけだった。
もっとも、局内はもとより対外的にも、その存在を知る者は一握りに過ぎない。
一般的には、解決が困難、あるいは公に出すことが許されない秘匿案件を扱う部署である以上、集められる人員は一癖二癖――三癖も四癖もある者ばかりだ。
必然的に、問題児の寄せ集めという認識が定着している。
対外的には、よくわからない部署へ左遷されたと思わせておいた方が、こちらにとっても、彼女にとっても都合がいい。
――春はうららの如く投下された新人。
細く、小さく、吹けば飛ばされそうな女だった。
彼女がここへ配属されると決まった時。
瀬津を含め、出張中の同僚とともにこの身辺調査書に目を通したが、やたらと文字数ばかりが多く、本人の「能力」とはほとんど関係のない雑事が連ねられている、という印象しか残らなかった。
目を瞠るほどの才覚も才能も見当たらない、どこにでもいそうな人間だと思った。
あの時でさえ、ただ屠られるだけの、そこいらにいる「守られる側の人間」だと。
けれど、違った。
死にかけていながら、決して揺るがないあの瞳。
芯の強さ。
こちらを挑むように見返してくる、あの目は――嫌いではない。
「まったく。手が焼ける」
「おい。武見。課長が待ってるぞ」
課長を待たせるのは賢くない判断だ。
今行くと片手を上げて、武見は今一度、報告書の顔写真に目を止める。
惰眠を貪れるのも今のうちだけだと、武見和基は久々にいい気分で口の端を上げた。
***
ゆるりと歩き出した武見のポケットから、一枚、カードが零れ落ちた。
ふわりと宙を舞い、誰の目に留まることもなく、机の下へ滑り込む。
削り跡の荒いマス目に、斜めに午の印が三つ並んでいた。
武見和基はポケットに歩きしな削ったばかりのスクラッチカードの束をねじ込んで、先日新人の後輩に「チンピラ」呼ばわりされた歩き方のまま、埃が積もり切った廊下をタラタラと歩いていた。
やる気がない。
もう少し背筋を伸ばしてしゃんと歩け。
同僚から口酸っぱく言われているものの、勤勉さはとうの昔に使い果たしてしまっているせいで、「ちゃんと」がわからなくなって何年も経っている。
首元を締め付けていた脳紺色のネクタイを片手で取り払い、襟元を寛げれば、いつものいでたちだ。
片手で立て付けの悪い扉を押し開け、部屋に入れば、瀬津と目が合った。
読み終わったばかりなのだろう。分厚い紙片の束を机の上に置くや否や、呆れたような視線を送ってくる。とんとん、とグローブを嵌めたままの指先でやや苛立ったように書類を示す。
「武見」
「言わんとしていることはわかるが、課長に呼ばれてる」
公休振替となった諏佐のいない間に、という指示があったのは当人以外全員が知るところだ。
「係長も待ってるよん」
パソコン画面の隙間から、三ノ海の頭だけがひょこっと見えた。
三ノ海は原則として課外に出られない。彼女にしか処理できない、煩雑な処理に忙殺されるためだ。その為、共有すべき情報を最も最初に知ることになるのはこの半獣型のあやかしなのだ。
瀬津が肩を竦め、課長室へ向かって歩き出したのを尻目に、武見は机の上に置かれたままの書類に視線を落とした。
一枚目の表紙には顔写真と、赤い印字で「極秘」と記されている。
――諏佐天音。
身辺調査書であることは言うまでもない。
だが問題は、その中身だった。
本人に秘匿されている内容までも、わかることはすべて記載されている。
生年月日や出身地はもとより、両親、兄弟、親戚の詳細。
どの種類の異能力を有しているのか。
どの程度の能力があり、――どのように扱うべきか。
血筋の根源たるあやかし、あるいは神と呼ばれる存在との関係の有無。
呪術師や陰陽師の家系であれば、それらは必ず明記される。
天音の場合、術師の家系ではない。
だが「見鬼の才以外、特筆すべき能力はない」と一言で片付けるには、いささか厄介すぎる血を引いていた。
今現在、最も警戒すべき異能は、父方の血筋はさておいて、母方の「座敷童」の血を引いている点にある。
この世に存在する特殊な才の中でも、稀有中の稀有とされる、幸運を手繰り寄せる能力。
厄介なのは、本人の自覚なく、帰属する範囲において自然発生的かつランダムに作用する、力場のような性質を持つ点だ。
「面倒な……」
武見は眉間に深く皺を寄せた。
この「帰属の範囲」という概念がまた難しい。
術者のように意識的かつ具体的に決定できるものではなく、発生範囲の条件も、能力保持者本人の「無意識」に大きく左右される。
極めて不明瞭で、不安定な能力だ。
――本人には操作不可能な、遺伝系異能。
外部の人間がこの事実を知れば、手練手管を駆使して取り込もうと画策するのは想像に難くない。
それゆえ「両親」は、これら特異性を長く秘匿したまま、彼女を田舎で育てた。
家族の反対を押し切って入局してからは、上層部が特秘事項として「彼女を取り扱う」こととなった。
初期訓練終了後、当初の予定では地域怪異対策課で預かるはずだった。
だが天音の特異性を嗅ぎつけた刑事部が山戸の主張をねじ伏せ、刑事部への配属が決まった。
結果として、それは悪い方向にしか転がらなかった。
武見たちが数年をかけて追っていた捜査は、どこで情報を嗅ぎつけたのか、天音が独自に踏み込んだことで混乱を来し、彼女自身も独断専行の末、命の危険に晒されることになった。
事件は解決したものの、あらゆる方面に傷を残す事態となった。
責任を取って当時の部長は左遷。
天音の首を絞めた男は、すでに収監されている。
ただし、これ以上天音の存在を放置するわけにはいかない。
この機を逃すまいと、山戸をはじめとした上層部が動き、表向きはあの事件をもみ消すため、天音が地域怪異対策課――と表向きに呼ばれている場所へ飛ばされた、という体裁が取られた。
だが実情は異なる。
もっとも秘匿すべき厄介事を扱う課。
それが、この特別怪異犯罪捜査課の役割だ。
彼女の当初通りの配属先であり、存在を秘匿するにはうってつけだった。
もっとも、局内はもとより対外的にも、その存在を知る者は一握りに過ぎない。
一般的には、解決が困難、あるいは公に出すことが許されない秘匿案件を扱う部署である以上、集められる人員は一癖二癖――三癖も四癖もある者ばかりだ。
必然的に、問題児の寄せ集めという認識が定着している。
対外的には、よくわからない部署へ左遷されたと思わせておいた方が、こちらにとっても、彼女にとっても都合がいい。
――春はうららの如く投下された新人。
細く、小さく、吹けば飛ばされそうな女だった。
彼女がここへ配属されると決まった時。
瀬津を含め、出張中の同僚とともにこの身辺調査書に目を通したが、やたらと文字数ばかりが多く、本人の「能力」とはほとんど関係のない雑事が連ねられている、という印象しか残らなかった。
目を瞠るほどの才覚も才能も見当たらない、どこにでもいそうな人間だと思った。
あの時でさえ、ただ屠られるだけの、そこいらにいる「守られる側の人間」だと。
けれど、違った。
死にかけていながら、決して揺るがないあの瞳。
芯の強さ。
こちらを挑むように見返してくる、あの目は――嫌いではない。
「まったく。手が焼ける」
「おい。武見。課長が待ってるぞ」
課長を待たせるのは賢くない判断だ。
今行くと片手を上げて、武見は今一度、報告書の顔写真に目を止める。
惰眠を貪れるのも今のうちだけだと、武見和基は久々にいい気分で口の端を上げた。
***
ゆるりと歩き出した武見のポケットから、一枚、カードが零れ落ちた。
ふわりと宙を舞い、誰の目に留まることもなく、机の下へ滑り込む。
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