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第1話
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僕が幼少の頃から、刀子――姉は、ひどく周囲の大人たちの目を惹く存在だった。
僕の生家では、娘が生まれると雛という。男児が生まれると太郎といい、最初の子が雛であれば、周囲から特に喜ばれた。
しかし、姉が雛さま、雛さまと周りの大人たちから特に可愛がられていたのは、そんな習わしからだけではあるまい。
――あれだけ並外れていては、必ず早死にする。
口の悪い女たちが、そう嫉妬を込めて陰で囁くほどに、姉の容姿は美しかった。
姉は僕と四つ違いだから、年上の姉がひどく大人びて見えたとしても、それは当然だろう。しかし、十にもならない小娘が、村中の成熟した女たちが束になっても太刀打ちできぬほどの艶を、あの無邪気な笑顔の中に自然に開き、その芳香を放っていたとしたら、傍目にも異様なものであったかもしれない。
某山脈の縦横に連なる峰々を、巨人の踵で穿ったような僻地に寄り集まった僕たちの集落は、村の外に出る機会は出稼ぎか兵隊に取られるか。いわば当時どこにでも見られる一寒村だった。
御一新を経て、明治大正と時の移ろいだ今となっても、一日三便の乗合バスが村の山沿いの道を通過するようになったほどで、文久元治の時代から集落を一新させるものなど何もない。
村で生まれた娘は物心付けばモンペ姿に豆絞りの頬被りを巻き、肥桶を天秤棒に担いで野良に明け暮れる。男は長子を除けば兵隊に取られ、帰ってくれば早々に村の中から肥桶担いだ頬被りの娘を適当に見繕われ所帯を充てがわれ。たまに兵隊で悪さを覚えたものがあれば、それにうつつを抜かして身代を崩し、茶飲み話に末代まで語られる。
村境で熊でも仕留めるか、旅順奉天の戦で露助を懲らしめる土産話を持ち帰るかで男振りが決まるとすれば、夜這いの臥所を共にした男衆の数で女振りが決まるのが定石のような集落では、たとえ花の盛りを迎える前の小娘であっても、美しい姉の存在は村の女の中で一目置かれる存在であったに違いない。
徳川時代に本百姓の身でありながら苗字帯刀を許され、明治大正の御代においても「村代官」と近隣指折りの豪農の一人娘であるだけでも、男衆には端から届かぬ高嶺の花であることは言うまでもなく。
天秤棒に肥散らしの野良方は勿論、箸の重みさえも知らぬ気な小さな掌と、生まれて一度も白日に晒されたこともないような真っ白く可憐な手足は、物心付けばたちまち所帯臭さを仕込まれる村の娘たちには決して夢にも見られぬものだった。
また、行水となれば人目憚らず諸肌脱ぎ出すような、髪に櫛の当て方も碌に知らぬ村の娘たちと異なり、腰に届くほどの艶やかな長い髪は闇色の滝を流した様、眉際で切り揃えられた眼差しに浮かべた無垢の爛漫さは、男はおろか多少手管を心得た女相手でさえたじろがせるほどだった。
姉がこの村に生まれ出て、七とせ八とせと齢を重ね、やがて漠としていた幼い表象が確固とした女を形作るにつれ、雛さま、雛さまと、上辺では猫撫で声で可愛がる男たちや女たちそれぞれの、固唾を飲むのに似た焦燥のような何かが、姉の周囲を纏うのだった。
そんな男たちの涎を垂らさんばかりの欲気や、女たちの薄ら恐ろしい嫉妬の沙汰から姉を守っていたのは、無論、僕たちの先祖が故郷でも指折りの名士であり、村の田畑の全てが僕たちの祖父のものだということが功していたのだろう。しかし、姉が成長し、その人外の美しさを更に極めるにつれ、徐々に周囲の者たちが、姉に纏わる尋常ならざる何ものかの息吹に気づき始めたこともあったのかもしれない。
僕の生家では、娘が生まれると雛という。男児が生まれると太郎といい、最初の子が雛であれば、周囲から特に喜ばれた。
しかし、姉が雛さま、雛さまと周りの大人たちから特に可愛がられていたのは、そんな習わしからだけではあるまい。
――あれだけ並外れていては、必ず早死にする。
口の悪い女たちが、そう嫉妬を込めて陰で囁くほどに、姉の容姿は美しかった。
姉は僕と四つ違いだから、年上の姉がひどく大人びて見えたとしても、それは当然だろう。しかし、十にもならない小娘が、村中の成熟した女たちが束になっても太刀打ちできぬほどの艶を、あの無邪気な笑顔の中に自然に開き、その芳香を放っていたとしたら、傍目にも異様なものであったかもしれない。
某山脈の縦横に連なる峰々を、巨人の踵で穿ったような僻地に寄り集まった僕たちの集落は、村の外に出る機会は出稼ぎか兵隊に取られるか。いわば当時どこにでも見られる一寒村だった。
御一新を経て、明治大正と時の移ろいだ今となっても、一日三便の乗合バスが村の山沿いの道を通過するようになったほどで、文久元治の時代から集落を一新させるものなど何もない。
村で生まれた娘は物心付けばモンペ姿に豆絞りの頬被りを巻き、肥桶を天秤棒に担いで野良に明け暮れる。男は長子を除けば兵隊に取られ、帰ってくれば早々に村の中から肥桶担いだ頬被りの娘を適当に見繕われ所帯を充てがわれ。たまに兵隊で悪さを覚えたものがあれば、それにうつつを抜かして身代を崩し、茶飲み話に末代まで語られる。
村境で熊でも仕留めるか、旅順奉天の戦で露助を懲らしめる土産話を持ち帰るかで男振りが決まるとすれば、夜這いの臥所を共にした男衆の数で女振りが決まるのが定石のような集落では、たとえ花の盛りを迎える前の小娘であっても、美しい姉の存在は村の女の中で一目置かれる存在であったに違いない。
徳川時代に本百姓の身でありながら苗字帯刀を許され、明治大正の御代においても「村代官」と近隣指折りの豪農の一人娘であるだけでも、男衆には端から届かぬ高嶺の花であることは言うまでもなく。
天秤棒に肥散らしの野良方は勿論、箸の重みさえも知らぬ気な小さな掌と、生まれて一度も白日に晒されたこともないような真っ白く可憐な手足は、物心付けばたちまち所帯臭さを仕込まれる村の娘たちには決して夢にも見られぬものだった。
また、行水となれば人目憚らず諸肌脱ぎ出すような、髪に櫛の当て方も碌に知らぬ村の娘たちと異なり、腰に届くほどの艶やかな長い髪は闇色の滝を流した様、眉際で切り揃えられた眼差しに浮かべた無垢の爛漫さは、男はおろか多少手管を心得た女相手でさえたじろがせるほどだった。
姉がこの村に生まれ出て、七とせ八とせと齢を重ね、やがて漠としていた幼い表象が確固とした女を形作るにつれ、雛さま、雛さまと、上辺では猫撫で声で可愛がる男たちや女たちそれぞれの、固唾を飲むのに似た焦燥のような何かが、姉の周囲を纏うのだった。
そんな男たちの涎を垂らさんばかりの欲気や、女たちの薄ら恐ろしい嫉妬の沙汰から姉を守っていたのは、無論、僕たちの先祖が故郷でも指折りの名士であり、村の田畑の全てが僕たちの祖父のものだということが功していたのだろう。しかし、姉が成長し、その人外の美しさを更に極めるにつれ、徐々に周囲の者たちが、姉に纏わる尋常ならざる何ものかの息吹に気づき始めたこともあったのかもしれない。
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