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第12話
しおりを挟む……気がつくと、僕は自室の布団の上に横たえられていた。
白く薄ぼんやりとした時間感覚の掴みづらい視界の中に、数人の奉公人の姿が見え、僕が目を覚ましたのを見て取ると、何事か言葉を交わしたあとで奉公人の一人が部屋を出ていき、程なくして母が入ってきた。
姉と面差しの良く似た――言い換えれば、僕たち姉弟は二人とも母親によく似て生まれたことになるが――しかし姉よりずっと冷たく端正な顔が、正気の戻った僕の様子を見て微かに柔らかく微笑んだ。
似通った顔に同じ笑みの字を描いても、ここまで印象が変わるものかと思うほど、それは姉とは似ても似つかぬ笑顔。それでも、滅多に見せることのない母の優しい表情だった。
「勝太郎。良かった、気がつきましたか」
先刻の崖下と似たような状況なのに、散々泣き喚いて動かない僕を揺り起こし、目を覚ますとまたわんわん泣きながら狂喜した姉の様子を思い浮かべるにつけ、姉との夢のような顛末が、本当に夢なのではないのかとさえ思える。
「お母さま……痛つっ!」
起き上がろうとした途端、全身に言葉にできぬ程の重い痛みがのしかかった。よく平気な顔して姉とあれだけ色々な取り組みが出来たものだと思う。
「ああ、動いては駄目。おまえは昨日の夕方、三吉沢の山の上で一人で遊んでいて崖から落ちたのですよ? 覚えていないの?」
昨日の夕方? 一体今が何時頃なのかわからないが、少なくとも半日以上は気を失っていたことになるか。
(……え。一人で?)
痛みをこらえながら、身体を横たえかけた僕は思わず動きを止めた。
「たまたま通いの律が通りかかったから良かったけど、もし骨でも折ってあのまま誰にも気づかれなかったらどうなっていたか――」
「お母さま、僕一人って……」
母の言葉を遮り、尋ねた。
「……お姉さまは?」
その場の全員の顔色が変わった。
母の顔に僅かに浮かべられていた微笑が、その一瞬ですぅっと消えた。
後ろに控えた女中たちが、何やら穏やかならぬ様子でヒソヒソと囁き交わす。
「――刀子?」
氷のように冷たく、無感情な声だった。いや、激しい感情を無理やり押し殺してようやく紡いだ声音なのかもしれない。
「お母……さま?」
「刀子……刀子といたのですか? おまえは?」
それは決して詰問するような強い口調ではなく、むしろまるで独り言を呟くように静かな言葉の紡ぎだった。
「刀子は今、どこにいるの?」
振り向きもせずに、女中に問う。
「へえ、もうお帰りになっているかとは存じますが、あの」
「後で私の部屋に来るように言って頂戴」
そう言って、母が立ち上がる。
「勝太郎」
母が僕を見下ろして言った。
能面の様な顔が薄い逆光に陰る。能の面は陰影次第で見る者の印象がまるで変わる。固唾を飲んで母を見上げる。
「――もう、今後一切、姉の名を口にしてはいけません」
「……え、」
「姉と会うことも、許しません。お前に姉は……最初から、いないものだと思いなさい。良いですね?」
「お母さま……?」
「理由は……後で話します。今は何も考えず、ゆっくり養生なさい」
言葉を失う僕に背を向けると、母は背を向け、女中たちを連れて部屋を出て行こうとする。
(――なぜ?)
様々な混乱、疑問が、次々と頭の中に溢れる。
(なぜ? なぜ急にそんなことを言うの? お母さま?)
まさか昨日姉とした事が露見したのか、と一瞬心底血の気が引いたが、母の口振りからして、そういうわけではないらしい。
では何故、母は自分の子供たちに、そんな残酷な宣告を下すのか。
鈍痛に軋む身体を引き摺ってでも母に取り縋り、問い詰めたかったが。
無表情で僕に告げていた母の唇が、何か耐え難いものを必死に耐えるように、時折辛そうに唇を噛む仕草に思い至って。
結局僕は何の疑問も口に出来ぬまま、母の背中を見送った。
「勝太郎」
去り際に、ふと振り返り、
「おまえは昨日の夕方、一人で遊んでいたのですよ? 一人で、一人でずっと、あの山で遊んでいたのです。――良いですね?」
そう無表情で念を押す能面の無表情が一瞬、悲しげに歪んだように見えた。
その日を最後に、姉は僕の前から姿を消した。
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