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前世その② 畠山義成

邂逅

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不意討ちだった。実に不意討ちだった。
あぁもう、どんなに優しくて清純そうに見えても、相手は太夫なのだ。信じちゃいけない。最悪だ。帰りたい。完全に嵌められた。
「旦那様?お加減悪うございますか?」
心底可愛らしく見つめてくる少女。生き地獄とはこのことだろう。憎たらしい微笑を浮かべる太夫の顔が目に浮かぶ。
「何かご機嫌損ねはられました?」
最悪だ。穴があったら入りたい。波乱万丈な人生を送ってきた僕でも今が人生最低最悪な一日だってことは分かる。
「答うてくれはらないさかいに、わかりしまへん」
泣きそうになる娘。泣きたいのはこちらの方だ。
「あなたの名前は?」
はぁ、僕は何を聞いているのだろう。答えで落ち込むのは分かっている。この娘の名前は知らないが、間違いなく僕の心を抉ってくるはずだ。
「うちは志信言います」
絶句。やっぱりだ。聞かなきゃ良かった。よりにもよってその名前とは、嫌がらせとしか思えない。
「帰ってもよろしいかな」
娘が悪いわけではないのだが、正直いたたまれない。一刻も早くこの場から立ち去りたい。
「そないな。旦那様、しのは…」
顔から涙が溢れてくる娘。あぁもう、こうなったら帰るに帰れない。
「僕はアメリカに住んでいたのでね、こんな遊郭には興味がないのだよ」
「あめりかどすか?」
グスリと鼻を啜りながら涙声で聞いてくる娘。まずいぞ、これはまずい。
「知らないのか。果てしなく広い日本の海を越えた先にある広大な大陸の名前だ。僕はそこにいたのだよ」
先程まで化粧が崩れるほど号泣していたのに、ぴたりと泣き止んで好奇心旺盛な目で僕を見つめてくる娘。やってしまった。
「知りまへん。異国の地ぃどすか?続きを聞かせておくれやし、旦那様」
参った。つい僕の悪い癖が出てしまった。留学してからというもの、一度も感じなかった緊張感を感じている。あぁまずい。僕は、自分の娘に恋心を抱きはじめている。
「この話はまた今度だ。今日はゆっくり寝かせてくれ」
卑猥なことはなにもせずに、布団に仰向けになると目を瞑ろうとしたのだが、そっと懐に入ってくる娘。ああ、僕が大好きだったこの子の母親に何から何までそっくりなのだ。正気でいられるはずがない。
だから僕は彼女に会いたくなかったんだ。
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