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本編'24
2月17日
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タボっとした編み模様の太い深緑のカーディガンと、中には黒のハイネック、細身のスラックスは黒を履いて。
レモンの輪切りが美味しそうなネックレスと、女の子が斜めに掛けてる様な四角くて小さい鞄。メンズでも使えそうなのが有ったんだ。
靴は、黒がメインのハイカットを和己がせっせと紐を通し直して、カーディガンに似た色にした。
「やっぱりクロムにするか、」
んー間違えた。似た色に合わせようとしてまだ迷ってる。
和己によると、俺の言う深緑のカーディガンは、テールグリーン。
それで、今通してる靴紐の色はモスグリーン。
でも、クロムグリーンにしようかってまだ悩んでるらしい。
俺からすれば、深緑と明るい緑と、THE緑。
「ネックレスのレモンの色味を映えるようにしたい」
俺にはわからない世界に夢中になってる背中は、真剣で可愛い。
目覚まし早めに掛けて良かったな。
俺は、帰ってきて和己と昼ご飯食べてから少し仮眠した。
今日は、陸也のバレンタインなんだ。仕事だけど。
「良悟ー」
「なーにー」
「キスしよー?」
玄関から何か聞こえたな。
でも、和己が仕事してない時間はかなり貴重だ。
「忙しいから駄目。」
「えーーっ!?」
別に、ほんとはキスくらいしに行っても良い。
この家で扉が開いてる部屋には、自由に行き来して良い事になってる。
今、リビングから玄関に向かう扉は開けている。
寝室も、仕事に行った陸也の部屋も開けっぱなし。
只、和己の部屋は時々閉まってる。
リモートワークが多いからだし、集中したい時も閉まってる。
それでも。
夜は俺が分かりやすい様に、少しだけ開けていてくれる。
でも、今は駄目だ。
掃除機が先。
そしたら、キスしても良い。
ーーーーー
「気を付けてね良悟。」
俺を上から下まで眺めて満足そうにキスをする。
今日はデートなんだ。
「ん。行ってくる。」
でも、寂しいのはお互い様だ。
ほんとは三人で行きたいけど。
これは、バレンタインの代わりだから。
そっと左手を絡めた。
右手は和己の部屋着の裾を引いて、背伸びしてキスを強請った。
触れた唇は柔く吸って、何度か角度も変えて吸い合った。
「ん...っ、ふ♡」
声が漏れた所で舌先を、飴玉でも撫でるみたいにとろっと擦る。
気持ち良い。
それから、くすぐったくて優しい舌先が声に出さなくても分かる言葉を紡いだ。
ーー好き
「ふっ、俺も。」
「よし。行っておいで良悟、ありがとう。」
「俺もしたかった。行ってくる。」
「楽しんでね。」
なかなか離れられないでいるけど。
これで安心出来る。
俺は今度こそ玄関を出た。
休日出勤を、午後一番で終わらさせる予定の男に会いに。
昔、バスに乗った時はそんな事も分からないのか、と言われた。
確かに、ここが何処のバス停で、何処に停まるのか知らなかったから。
仕方ない、と思った。
お陰で、子供ながらに初めて電車に乗る時は、路線図と値段の見方が分かったし。
自分で切符も買えた。
丁度同じ様な歳の子が、母親に連れられて同じ様に初めての電車に乗る所らしかった。
俺は、例え電車の乗り方が分からなくても。
持たされたケータイを鳴らす事は無かった。
それなら、恥を忍んで駅員さんに聞く様な子供だった。
けど、子供の身分で分からない事を分からないと言う事に、なぜ恥じないといけないのか。
そんな事を考える子供だったから。
俺は、あまり可愛い子供とは言えなかった。
こんな記憶ばかり残ってしまっている。
でも大学に行くとこれは良い経験だったな、と思えた事もある。
千田陸也(19)初めての電車デビューだったんだ。
デカいゴリラみたいな男が、路線図の前で狼狽えたのは可愛かった。
俺は、今いる場所と目的地の最寄駅を教えて。
発券機は何時の間にかハイテクになってて、それだけで切符が買える様になってた。
お前が居てくれて良かった、って苦笑するおしゃれ坊主は格好よかった。
俺は嫌な気持ちにならなければ良いなと、それだけだったのに。
そう言ってもらえて可哀想な子供がひとり救われた様な気分だった。
何が言いたいかと言うと。
バスは苦手。良い思い出は少ない。
不便だし、知らない人が多いし、俺はよく変な人に絡まれる。
弱々しい見た目なのか、単に若いからなのか。
だから和己はあまり公共交通機関に乗せたがらない。
けど今日は陸也の車で帰る予定だからこうするしか無かったんだよな。
和己はペーパードライバーだし。
タクシー呼ぶかって陸也は言うけど、そんな事しなくても俺だってバスくらい乗れる。
それに、これからデートだから。嫌な事が起きても陸也が居る。
大丈夫。
そう思っていたんだけどなぁ。
やっぱり俺は運が悪かった。
降りる時、後ろに居た人がぶつかって来て俺は段差を踏み外した。
ノンステップバスでも、落ちる時は怖い。
通り過ぎ様に聞こえたおばさんの声がゾッとする程、悪意を乗せていた。
「はぁ。」
やっぱタクシーにするべきだったな。
今度はそうしよう。
とりあえず、陸也に言わないと。
「はぁー…っ。早く会いたい。」
でも、気を付けて行く。
こう言う時程早足になる。
それは駄目だ。和己が心配する。
ここはバス停だから、立ち止まっても変じゃない。大丈夫。
俯いてる視界に緑色が見えた。
これはモスグリーン。
上着はテールグリーン。ネックレスはレモンの輪切りで、タートルネックは黒。
あっと、そうだ。靴はハイカット。カッコイイんだ。
それで、俺は可愛い。
感性はピカイチだしやれば出来るし、賢い。
「よし、よし。大丈夫。行こう。」
あ、鞄は黒だった。
ショルダーを握る手が汗で滑って冷たい。
だから気を付けて、行こう。
待ち合わせ場所は、会社の陸也の駐車場。
警備員さんが居て、千田の身内ですと名乗ると何時も通してくれる。
ちょっとだけ顔見知りの人だ。
車はスペアキーを預かってる。
というか、わざわざ作ったんだ。
高かったけど、結局ああいう事が起こるから、これが今の所一番安全な待ち合わせ場所とも言える。
カフェもちょっと怖い。
車のキーを開けて、さっき寄ったコンビニで仕入れたおやつとオレンジジュースをセットする。
買うものは大体何時も同じで決まってるけど。
今日は多分、ちょっとだけ挙動不審だったに違いない。
でもこれ。
このオレンジジュース美味しいんだよな。
あとクッキーも。ピスタチオ美味い。
それにこの待ち合わせ場所は安心出来る。
いかにもなゴツイ車のせいか、今の所変な人が来た事は無い。
まぁ、タバコ臭いんだけど。
これもひとつの安心材料としておくことにする。
13時20分。
向こうからやたらガタイの良い男が歩いてる。
仏頂面が急に緩むのが見えた。
「良悟っ。すまん、遅くなった。」
「おやつ食べてた。」
運転席に乗り込み、真っ先に腕を回して来た男の口に、キスより早く一欠片のクッキーを突っ込んだ。
「むっ。」
「引っ掛かったっ。」
「美味いな。」
サクサクとクッキーを噛んだ。それから、キスを。
「ぁ、ま...♡」
「舌も吸いたい。」
「んっ、ぅっ、む...っ、ぅうううーーっ、!」
失敗したっ、
ベロは苦かったっ。
甘いのなんて最初の一瞬だけだっ、
「ははっ、お返しだ。」
今度は頬にもキスをして、気が済んだ頃に車は緩やかに職場を出た。
とりあえず食いしん坊用に買っておいたおにぎりとお茶とコーヒーを横から差し入れて目的地へ向かう。
「楽しみだな?」
目的地は二つ。
一つは、ティラノサウルスレース。
ずっと見たかったんだ。
動画で見てからもうずっとかなり虜なんだ。
夜中とか、昼ご飯あととか、つい繰り返し見てしまう。
やっと目の前で本物が見れる!
遠目に見ただけでも分かった。
会場にはカラフルな大小のティラノサウルスが、わらわら集まってる。
しかもぜっけんまで着けて、先ずはラジオ体操が始まった。
爆笑。
お腹痛いっ、ひーひー言って腹を抱えて、肩が大袈裟に揺れるのが止められない。
「手がっ、短い...っ、爪先立ちしてるっ、!?」
「深呼吸してるぞ、」
「深呼吸...っ、ティラノサウルスがどっから息吸ってるんだよっ、!?」
「あの37番良い動きだぞ。」
「どれ、?」
「向こうの赤い奴だ。」
ラジオ体操が終わったら、次はティラノサウルス達の全力疾走が始まった。これがかなり白熱して、思わず転んでしまった選手を見た時は声が出る程心配した。
「がんばれっ、!」
「おぉー今のは根性見せたなぁー。」
転んだ中の人は凄い笑顔だった。楽しそうだ。
俺もかなり楽しい。
「はぁーーっ、やばい、筋肉痛かもっ。」
「ティラノサウルスのせいだな」
「だって、あいつら手が短過ぎる...っ、はぁーお腹痛いっ。」
「痛い腹でも飯食えるか?」
「食べる。応援し過ぎてお腹空いた。」
次に来たのは居酒屋のチェーン店だ。
これが二つ目の目的地。
同じ店がもう少し近くにもある。
そっちは二人がバイトしてた店だけど、こっちは。
陸也が俺が欲しいって言った場所だ。
因みに、あざが出来るくらい腹を殴られてた。
殴ったのは勿論、和己だ。それも三発も。
殴った方の手も痣になってて、当時二人で住んでたアパートで俺は何とも言えない気分になった。
あの頃はまだ筋力有ったもんな。
「オムソバ、唐揚げ、やきとり、梅酒ロックとウーロン茶で。」
お願いします、と言ってから気付いた。
あ。ポテト頼むの忘れた。
いっか。今夜は長い夕飯になる。
「和己は大丈夫だったか?」
「ん。ちゃんと慰めて来た。」
「そうか。やきとり美味いぞ。」
「もう一個頼む?」
「ほら、口開けろ。」
男二人いちゃいちゃして居酒屋の個室で、串を分け合ってる。
素面のくせに恥ずかしくないのか。
俺は梅酒がある。ちょっとスモークが効いた良い香りがする。
「来る時、何か有ったのか?」
「ん。」
「怪我したか?」
「してないよ。」
思いの外、無理をしていますと言う様な声が出た。
俺が気付くくらいだ。陸也にもすぐバレた。
「触るか?」
触らないでください。
此処は外食居酒屋チェーン店デス。
お触りはやってない。
「ノンステップバスから一段踏み外したけど、怪我は無いデス」
「それだけか?」
俺は。
白状する事にした。
押される前に言われた言葉を、そっくりそのまま。
そして、ゴリラが額に青筋を立てるのが分かった。
おぉ。大変だ。
「ふっ、」
「笑う所か?俺はかなり頭にきてる、と...怖がらせてすまん。」
「良いから、飲めよ。ウーロン茶だけど。」
「だな。」
「よくある事だよ。それに今日は電話せずに会社まで来れた。」
「そうか。それならマシだな。警備員は何時もの人だったろ?」
「ん。あれ恥ずかしい。言わないと駄目なのか。」
「一応な。俺の身内だと名乗っているんだろ?」
「パートナーの養父で同居人だからっ、身内だ。」
「警備員は弟だと思ってる。」
「随分、仲の良い弟だな。」
「つい甘やかしてしまう、と言ってある。」
そんな事を話しながら夜は流れて行く。
和己はご飯食べたかな。
梅酒のあとは日本酒を飲んで、みかんのお酒も飲んで。
ほんのり酔いが回って来た所で、目の前の男に目が止まる。
ガタイの良い、ワイシャツにネクタイ姿で俺の男が座ってる。
正直、あの時は焦ってた。
俺には和己が居たし愛してるのに。
どうしても陸也が欲しかった。
我慢して我慢して、気のせいだって言い聞かせてたのに。
和己に言われて向かったこの店で、腹にあざを作った男が俺が欲しいって言ってくれた。
嬉しいし、恥ずかしいし、倫理観がぶっ壊れてる気がしないでも無かった。
けど、大事なんだ。
こいつが居ないと俺達は成り立たない。
「陸也。」
「何だ。」
「愛してる...陸也。」
「俺もだよ。もう酔ったのか?」
「ちょっとだけね。帰る?」
「あと1品頼んだら帰ろう。揚げ出し豆腐食うか?」
「いる。梅酒もう一杯頼んで。」
「はいはい。」
ーーーーー
突然目が覚めた。
部屋は真っ暗で、隣には大きい体が眠ってた。
陸也だ。
スリスリ胸元に乗り上げると、心臓の音がした。
あと、良い匂いがする。
すぅーーはぁーー。
はぁ、良い匂いする。
胸と、首の匂いを吸ったら、ウズウズして。
我慢出来なくて口の端にキスをした。
それから、自分の毛布を集めて寝室を出た。
目的の部屋は灯りが漏れてる。
ドアも開いてるから...入って良い事になってる。
「和己」
「あぁ、起きた?」
眩しいくらいのモニターの光にちょっとだけ目が眩む。
手を広げて待ってるから、遠慮なく抱きしめられる事にした。
毛布はソファに投げた。
「クソババアのせいで起きてくるんじゃ無いかって思ってたんだよね。」
「もう顔も覚えてない。」
「良いよ。声も言葉も忘れな。」
「ん。分かった。」
「恐竜の話でも良いよ?」
「んふっ、それはだめだ、寝れなくなるっ、ふふっ」
「面白かった?」
「手が短かった...っ、」
「そんなに?」
陸也と帰ってきた時も同じ話をしたのに。
まだ話しても面白い。
「もう少しこのまましたい...」
「良いよ?」
「そしたら、そこのソファで寝てみる。」
「そう。起きても俺居るからね。」
「ん。」
夜中の3時半。
大体何時もこの時間に目が覚める。
嫌なことがあれば尚更。
でも、今夜はもう少しすれば良く眠れそうだ。
レモンの輪切りが美味しそうなネックレスと、女の子が斜めに掛けてる様な四角くて小さい鞄。メンズでも使えそうなのが有ったんだ。
靴は、黒がメインのハイカットを和己がせっせと紐を通し直して、カーディガンに似た色にした。
「やっぱりクロムにするか、」
んー間違えた。似た色に合わせようとしてまだ迷ってる。
和己によると、俺の言う深緑のカーディガンは、テールグリーン。
それで、今通してる靴紐の色はモスグリーン。
でも、クロムグリーンにしようかってまだ悩んでるらしい。
俺からすれば、深緑と明るい緑と、THE緑。
「ネックレスのレモンの色味を映えるようにしたい」
俺にはわからない世界に夢中になってる背中は、真剣で可愛い。
目覚まし早めに掛けて良かったな。
俺は、帰ってきて和己と昼ご飯食べてから少し仮眠した。
今日は、陸也のバレンタインなんだ。仕事だけど。
「良悟ー」
「なーにー」
「キスしよー?」
玄関から何か聞こえたな。
でも、和己が仕事してない時間はかなり貴重だ。
「忙しいから駄目。」
「えーーっ!?」
別に、ほんとはキスくらいしに行っても良い。
この家で扉が開いてる部屋には、自由に行き来して良い事になってる。
今、リビングから玄関に向かう扉は開けている。
寝室も、仕事に行った陸也の部屋も開けっぱなし。
只、和己の部屋は時々閉まってる。
リモートワークが多いからだし、集中したい時も閉まってる。
それでも。
夜は俺が分かりやすい様に、少しだけ開けていてくれる。
でも、今は駄目だ。
掃除機が先。
そしたら、キスしても良い。
ーーーーー
「気を付けてね良悟。」
俺を上から下まで眺めて満足そうにキスをする。
今日はデートなんだ。
「ん。行ってくる。」
でも、寂しいのはお互い様だ。
ほんとは三人で行きたいけど。
これは、バレンタインの代わりだから。
そっと左手を絡めた。
右手は和己の部屋着の裾を引いて、背伸びしてキスを強請った。
触れた唇は柔く吸って、何度か角度も変えて吸い合った。
「ん...っ、ふ♡」
声が漏れた所で舌先を、飴玉でも撫でるみたいにとろっと擦る。
気持ち良い。
それから、くすぐったくて優しい舌先が声に出さなくても分かる言葉を紡いだ。
ーー好き
「ふっ、俺も。」
「よし。行っておいで良悟、ありがとう。」
「俺もしたかった。行ってくる。」
「楽しんでね。」
なかなか離れられないでいるけど。
これで安心出来る。
俺は今度こそ玄関を出た。
休日出勤を、午後一番で終わらさせる予定の男に会いに。
昔、バスに乗った時はそんな事も分からないのか、と言われた。
確かに、ここが何処のバス停で、何処に停まるのか知らなかったから。
仕方ない、と思った。
お陰で、子供ながらに初めて電車に乗る時は、路線図と値段の見方が分かったし。
自分で切符も買えた。
丁度同じ様な歳の子が、母親に連れられて同じ様に初めての電車に乗る所らしかった。
俺は、例え電車の乗り方が分からなくても。
持たされたケータイを鳴らす事は無かった。
それなら、恥を忍んで駅員さんに聞く様な子供だった。
けど、子供の身分で分からない事を分からないと言う事に、なぜ恥じないといけないのか。
そんな事を考える子供だったから。
俺は、あまり可愛い子供とは言えなかった。
こんな記憶ばかり残ってしまっている。
でも大学に行くとこれは良い経験だったな、と思えた事もある。
千田陸也(19)初めての電車デビューだったんだ。
デカいゴリラみたいな男が、路線図の前で狼狽えたのは可愛かった。
俺は、今いる場所と目的地の最寄駅を教えて。
発券機は何時の間にかハイテクになってて、それだけで切符が買える様になってた。
お前が居てくれて良かった、って苦笑するおしゃれ坊主は格好よかった。
俺は嫌な気持ちにならなければ良いなと、それだけだったのに。
そう言ってもらえて可哀想な子供がひとり救われた様な気分だった。
何が言いたいかと言うと。
バスは苦手。良い思い出は少ない。
不便だし、知らない人が多いし、俺はよく変な人に絡まれる。
弱々しい見た目なのか、単に若いからなのか。
だから和己はあまり公共交通機関に乗せたがらない。
けど今日は陸也の車で帰る予定だからこうするしか無かったんだよな。
和己はペーパードライバーだし。
タクシー呼ぶかって陸也は言うけど、そんな事しなくても俺だってバスくらい乗れる。
それに、これからデートだから。嫌な事が起きても陸也が居る。
大丈夫。
そう思っていたんだけどなぁ。
やっぱり俺は運が悪かった。
降りる時、後ろに居た人がぶつかって来て俺は段差を踏み外した。
ノンステップバスでも、落ちる時は怖い。
通り過ぎ様に聞こえたおばさんの声がゾッとする程、悪意を乗せていた。
「はぁ。」
やっぱタクシーにするべきだったな。
今度はそうしよう。
とりあえず、陸也に言わないと。
「はぁー…っ。早く会いたい。」
でも、気を付けて行く。
こう言う時程早足になる。
それは駄目だ。和己が心配する。
ここはバス停だから、立ち止まっても変じゃない。大丈夫。
俯いてる視界に緑色が見えた。
これはモスグリーン。
上着はテールグリーン。ネックレスはレモンの輪切りで、タートルネックは黒。
あっと、そうだ。靴はハイカット。カッコイイんだ。
それで、俺は可愛い。
感性はピカイチだしやれば出来るし、賢い。
「よし、よし。大丈夫。行こう。」
あ、鞄は黒だった。
ショルダーを握る手が汗で滑って冷たい。
だから気を付けて、行こう。
待ち合わせ場所は、会社の陸也の駐車場。
警備員さんが居て、千田の身内ですと名乗ると何時も通してくれる。
ちょっとだけ顔見知りの人だ。
車はスペアキーを預かってる。
というか、わざわざ作ったんだ。
高かったけど、結局ああいう事が起こるから、これが今の所一番安全な待ち合わせ場所とも言える。
カフェもちょっと怖い。
車のキーを開けて、さっき寄ったコンビニで仕入れたおやつとオレンジジュースをセットする。
買うものは大体何時も同じで決まってるけど。
今日は多分、ちょっとだけ挙動不審だったに違いない。
でもこれ。
このオレンジジュース美味しいんだよな。
あとクッキーも。ピスタチオ美味い。
それにこの待ち合わせ場所は安心出来る。
いかにもなゴツイ車のせいか、今の所変な人が来た事は無い。
まぁ、タバコ臭いんだけど。
これもひとつの安心材料としておくことにする。
13時20分。
向こうからやたらガタイの良い男が歩いてる。
仏頂面が急に緩むのが見えた。
「良悟っ。すまん、遅くなった。」
「おやつ食べてた。」
運転席に乗り込み、真っ先に腕を回して来た男の口に、キスより早く一欠片のクッキーを突っ込んだ。
「むっ。」
「引っ掛かったっ。」
「美味いな。」
サクサクとクッキーを噛んだ。それから、キスを。
「ぁ、ま...♡」
「舌も吸いたい。」
「んっ、ぅっ、む...っ、ぅうううーーっ、!」
失敗したっ、
ベロは苦かったっ。
甘いのなんて最初の一瞬だけだっ、
「ははっ、お返しだ。」
今度は頬にもキスをして、気が済んだ頃に車は緩やかに職場を出た。
とりあえず食いしん坊用に買っておいたおにぎりとお茶とコーヒーを横から差し入れて目的地へ向かう。
「楽しみだな?」
目的地は二つ。
一つは、ティラノサウルスレース。
ずっと見たかったんだ。
動画で見てからもうずっとかなり虜なんだ。
夜中とか、昼ご飯あととか、つい繰り返し見てしまう。
やっと目の前で本物が見れる!
遠目に見ただけでも分かった。
会場にはカラフルな大小のティラノサウルスが、わらわら集まってる。
しかもぜっけんまで着けて、先ずはラジオ体操が始まった。
爆笑。
お腹痛いっ、ひーひー言って腹を抱えて、肩が大袈裟に揺れるのが止められない。
「手がっ、短い...っ、爪先立ちしてるっ、!?」
「深呼吸してるぞ、」
「深呼吸...っ、ティラノサウルスがどっから息吸ってるんだよっ、!?」
「あの37番良い動きだぞ。」
「どれ、?」
「向こうの赤い奴だ。」
ラジオ体操が終わったら、次はティラノサウルス達の全力疾走が始まった。これがかなり白熱して、思わず転んでしまった選手を見た時は声が出る程心配した。
「がんばれっ、!」
「おぉー今のは根性見せたなぁー。」
転んだ中の人は凄い笑顔だった。楽しそうだ。
俺もかなり楽しい。
「はぁーーっ、やばい、筋肉痛かもっ。」
「ティラノサウルスのせいだな」
「だって、あいつら手が短過ぎる...っ、はぁーお腹痛いっ。」
「痛い腹でも飯食えるか?」
「食べる。応援し過ぎてお腹空いた。」
次に来たのは居酒屋のチェーン店だ。
これが二つ目の目的地。
同じ店がもう少し近くにもある。
そっちは二人がバイトしてた店だけど、こっちは。
陸也が俺が欲しいって言った場所だ。
因みに、あざが出来るくらい腹を殴られてた。
殴ったのは勿論、和己だ。それも三発も。
殴った方の手も痣になってて、当時二人で住んでたアパートで俺は何とも言えない気分になった。
あの頃はまだ筋力有ったもんな。
「オムソバ、唐揚げ、やきとり、梅酒ロックとウーロン茶で。」
お願いします、と言ってから気付いた。
あ。ポテト頼むの忘れた。
いっか。今夜は長い夕飯になる。
「和己は大丈夫だったか?」
「ん。ちゃんと慰めて来た。」
「そうか。やきとり美味いぞ。」
「もう一個頼む?」
「ほら、口開けろ。」
男二人いちゃいちゃして居酒屋の個室で、串を分け合ってる。
素面のくせに恥ずかしくないのか。
俺は梅酒がある。ちょっとスモークが効いた良い香りがする。
「来る時、何か有ったのか?」
「ん。」
「怪我したか?」
「してないよ。」
思いの外、無理をしていますと言う様な声が出た。
俺が気付くくらいだ。陸也にもすぐバレた。
「触るか?」
触らないでください。
此処は外食居酒屋チェーン店デス。
お触りはやってない。
「ノンステップバスから一段踏み外したけど、怪我は無いデス」
「それだけか?」
俺は。
白状する事にした。
押される前に言われた言葉を、そっくりそのまま。
そして、ゴリラが額に青筋を立てるのが分かった。
おぉ。大変だ。
「ふっ、」
「笑う所か?俺はかなり頭にきてる、と...怖がらせてすまん。」
「良いから、飲めよ。ウーロン茶だけど。」
「だな。」
「よくある事だよ。それに今日は電話せずに会社まで来れた。」
「そうか。それならマシだな。警備員は何時もの人だったろ?」
「ん。あれ恥ずかしい。言わないと駄目なのか。」
「一応な。俺の身内だと名乗っているんだろ?」
「パートナーの養父で同居人だからっ、身内だ。」
「警備員は弟だと思ってる。」
「随分、仲の良い弟だな。」
「つい甘やかしてしまう、と言ってある。」
そんな事を話しながら夜は流れて行く。
和己はご飯食べたかな。
梅酒のあとは日本酒を飲んで、みかんのお酒も飲んで。
ほんのり酔いが回って来た所で、目の前の男に目が止まる。
ガタイの良い、ワイシャツにネクタイ姿で俺の男が座ってる。
正直、あの時は焦ってた。
俺には和己が居たし愛してるのに。
どうしても陸也が欲しかった。
我慢して我慢して、気のせいだって言い聞かせてたのに。
和己に言われて向かったこの店で、腹にあざを作った男が俺が欲しいって言ってくれた。
嬉しいし、恥ずかしいし、倫理観がぶっ壊れてる気がしないでも無かった。
けど、大事なんだ。
こいつが居ないと俺達は成り立たない。
「陸也。」
「何だ。」
「愛してる...陸也。」
「俺もだよ。もう酔ったのか?」
「ちょっとだけね。帰る?」
「あと1品頼んだら帰ろう。揚げ出し豆腐食うか?」
「いる。梅酒もう一杯頼んで。」
「はいはい。」
ーーーーー
突然目が覚めた。
部屋は真っ暗で、隣には大きい体が眠ってた。
陸也だ。
スリスリ胸元に乗り上げると、心臓の音がした。
あと、良い匂いがする。
すぅーーはぁーー。
はぁ、良い匂いする。
胸と、首の匂いを吸ったら、ウズウズして。
我慢出来なくて口の端にキスをした。
それから、自分の毛布を集めて寝室を出た。
目的の部屋は灯りが漏れてる。
ドアも開いてるから...入って良い事になってる。
「和己」
「あぁ、起きた?」
眩しいくらいのモニターの光にちょっとだけ目が眩む。
手を広げて待ってるから、遠慮なく抱きしめられる事にした。
毛布はソファに投げた。
「クソババアのせいで起きてくるんじゃ無いかって思ってたんだよね。」
「もう顔も覚えてない。」
「良いよ。声も言葉も忘れな。」
「ん。分かった。」
「恐竜の話でも良いよ?」
「んふっ、それはだめだ、寝れなくなるっ、ふふっ」
「面白かった?」
「手が短かった...っ、」
「そんなに?」
陸也と帰ってきた時も同じ話をしたのに。
まだ話しても面白い。
「もう少しこのまましたい...」
「良いよ?」
「そしたら、そこのソファで寝てみる。」
「そう。起きても俺居るからね。」
「ん。」
夜中の3時半。
大体何時もこの時間に目が覚める。
嫌なことがあれば尚更。
でも、今夜はもう少しすれば良く眠れそうだ。
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自己肯定感低めの不幸な義弟が完璧な義兄と大揉めに揉める話
あと
BL
「こんな僕をお兄ちゃんは嫌ってるだろうな」
トップ俳優な完璧超人の義理の兄×不幸な自己肯定感低めのネガティブ義理の弟です。
お金ない受けが追い詰められて変なアルバイトしようとしたら、攻めと再会して……?みたいな話です。
攻めがヤンデレ気味で、受けがマジで卑屈なので苦手な人はブラウザバックで。
兄弟は親が離婚してるため、苗字が違います。
攻め:水瀬真広
受け:神崎彼方
⚠️作者は芸能界にもお葬式ににもエアプなので、気にしないでください。
途中でモブおじが出てきます。
義理とはいえ兄弟なので、地雷の人はブラウザバックで。
初投稿です。
初投稿がちょっと人を選ぶ作品なので不安です。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
内容も時々サイレント修正するかもです。
定期的にタグ整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
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