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第四章 青海の檻

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 厨房で爆発が起きた直後、隼の心臓が一度どくんっ、と大きく跳ねたと同時に、頭の芯から爪先まで全身ヒビが入ったような激痛が駆け抜けた。
 そして今度は心臓がギリギリと締め付けられるような痛みに襲われ、呼吸するのも辛くなる。
 
 余りに突然、だがしかしこの一年で何度も味わったこの痛み。
 一年前にザラバジャナ戦役で、窮地を脱する一手として打たれたあの薬。あの薬の後遺症がまさかここで再発するとは隼も予想だにしなかった。確かにここ二か月は全く発作も出ず、医者も太鼓判を押していたのだが。
(…ちっ。何が『もう大丈夫です。完治しましたよ』だっ。…あのヤブ医者め…)
不規則かつ激しく脈打つ心臓を掌で強引に抑え込むように、隼。余りの苦しさに思わず扉にもたれ、そのまま蹲る。

「ちょ、ちょっと本当に大丈夫?!」
美優がたまらず顔を覗き込もうとするが、その動きを察して隼は鋭く手で制する。
「…大丈夫だ。十秒だけ待ってくれ…」
 息も絶え絶えでそう言うと隼は膝に手をつきゆっくりと立ち上がり、くるりと美優に背を向けると両手を広げ、無理矢理に数度深呼吸をする。心臓は相変わらずギリギリと締め付けられ悲鳴を上げているが、その苦しみを少しでも和らげようと大きく息を吸い、身体の隅々にまで酸素を行き渡らせる。

 痛みで思考の鈍った脳に酸素が届けられ、少しずつ膜の掛かった視界が晴れていく。
 心臓はまだ軋むが、乱れていた脈も徐々に落ち着いてきた。両手を数度握ったり開いたりする。まだ痺れは残っているが辛うじて動けそうだ。何よりここに何時までも居座る訳にはいかない。あと少し、なんとか逃げ回ることが出来れば…

(……よし)
意を決して美優に向き直り、口を開く。
「今からここを出る。さっき言った通り、俺より前には出るな」
「う、うん。あの、本当に大丈夫?体…」
「俺の事よりまず自分が逃げ延びる事だけを考えろ」
「わ、わかったわよっ。もう…」
本気で隼の体を心配したのに、ぞんざいな物言いで返してきた事に苛立ちを隠せない美優。
さっきから隼に対してはコロコロと抱く感情が変わっていく。信頼、恐れ、不安、怒り。
こんな短時間で人に対する感情が変わることなんて、今までに無かった。
 今彼に抱いてる気持ちは何だろう?隼の横顔を見ながら考えるが、答えは出て来ない。

(続く)
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