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第43話 恋する乙女は無敵なのだ

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「ママ。少し話がしたいんだけど、今ちょっといいかな?」


 ある土曜の朝。
 コタツに入っておせんべいを齧るママに、意を決して話しかける。


「あらマリちゃん。早いのね。
 ごめんね、いまちょっと歌番組を見てるから後でいいかしら。
 ほら、このK-POPグループ。すごく素敵でしょう?
 それと今日は隣町のパチンコ屋さんでイベントがあるから、みんなのごはんとかよろしくね」


 プツっ。
 無言でリモコンを操作してテレビを消す。

 驚いて立ち上がるママだけど、怯まずに目を見つめ返したらオロオロと座り込んだ。
 ……別にいいじゃない。どうせ録画でしょ?


「ママ、今日という今日は聞いてもらうよ。
 私、大学に行く。行きたい、じゃなくて、もう行くって決めたの」

「……なによ急に。馬鹿なこと言って。
 そんなお金どこにあるのよ」

「急にじゃないよ。
 ここ何日か話そうとしても、ずっと逃げてたんじゃない。でも今日は逃がさない。

 ……私、お医者さんになりたいの。
 出来ればスポーツ医学を専攻して、私みたいに故障を抱えた子供たちを一人でも助けてあげたいの。

 ……思いっきり自分の力を発揮できないのって、凄く辛いから。
 試合の勝ち負けよりも、自分に負けなかったって言えるところまでやりきれたら、きっとその先も別の何かを頑張れると思う。
 そのために、私は地元の国立大学の医学部に行きます」


 一瞬ポカンと口を開けたママだけど。

 フフンっ。
 口元を嫌らしく歪めて、鼻で笑ってきた。


 ……くじけるな、私。
 今まではこれをされると引きさがっちゃったけど、今日は負けない。


「ーーームリに決まってるじゃない。
 アンタが、お医者さん?アハハハ!馬鹿じゃないの!?
 ああ、くっだらない。本当にくっだらない。
 できるわけないでしょ。身の程を知りなさい。
 またそんなしょうもない夢を見て家族に迷惑をかけるつもり?

 あーあ、がっかり。折角マリちゃんがいい子になってくれたと思ったのに。
 まだそんな事を言うのね。

 これはお仕置きが必要ね。
 今日は夜には帰るつもりだったけど、明日の夜まで遊んでくることにするわ。
 それまで家のこと、責任をもってちゃんとやりなさい。
 それと、外泊代もアナタが出すのよ。当然だけど」


 スっと。私に向かって手を出してくる。
 悲しさと悔しさに身が縮む思いだ。
 今までの私だったら、謝ってお金を出してしまっただろう。

 だって自分のママがこんな卑怯なことを言うなんて、そんな現実まともに受け入れられないよ。
 せめて自分が悪かったことにして、あとは何もなかったことにしたい。そんな風に思っていたんだ。


 ーーーでも、今日の私は大丈夫。
 だって、ウツミんさんが先に教えてくれていたから。
 きっとママはそんな風に言ってくるだろうって。

 だから、私は揺らがない。
 ママの言葉が滅茶苦茶だって。私は間違ってないって。
 ちゃんとわかってるから。


「ーーーママは信じてくれないんだね。
 ウツミんさんは信じてくれたよ。絶対できるって。できない理由が存在しないって。
 できるかできないかを悩むこと自体が無駄な労力だから、できることを前提に具体的な方策を考えることに集中して問題ない立場だって言ってくれたよ」

「ウツミさんが?
 全く困った人ね!ウチのマリちゃんに向かって無責任な事を!」

「そのあと、学校の先生にも相談したよ。
 ちゃんと計画的に努力すれば、十分狙える圏内だってさ。
 経済的に塾とか予備校に通うのが難しいって言ったら、他の教科の先生も巻き込んで、定期的に勉強方法の相談に乗るって言ってくれた。

 ……相談してみないとわかんないもんだね。私の他にもそういう生徒が何人かいるみたい。
 その子達とも集まって勉強会したり、先生が特別補習とか古い参考書の共有とかしてくれることになったよ。
 まだどうなるかわかんないけど……頑張ってみたい」


 苦虫を潰したような顔をされた。

 ……ウツミんさんの言ったとおりだ。
 ママは嫌なんだね。私が何かに成功するのが。
 その現実を見せつけられても信じたくないと思ってしまう。

 女の敵は女。ウツミんさんはそう言っていた。
 ママにとって私は、マウントの取り合いの競争相手なんだ。きっとモミジやカエデも。
 だから、下に置いておきたい。上に行かれるのが気に食わない。だから押さえつけようとする。


 ……冗談じゃない。
 そんなのに付き合って、夢を諦めてたまるもんか。


「受験だけじゃないよ。
 私、バスケ部にも復帰するから。
 もう顧問やキャプテンにも話を付けてるし、今日から練習にも参加する。
 膝も、行きつけの整骨院の先生に診てもらって、太鼓判を貰った。
 私、また全国に行って、今度こそみんなと一緒に戦いたい」


「な……なにを言ってるの!?
 バカを言うのもいい加減にしなさい!また家族をバラバラにしたいの!?
 ぼ、冒険者のお仕事はどうするの!部活と両立なんて、できるわけないでしょう!」

「冒険者は辞めないよ。これも私にとって大切な仕事だから。
 でも、回数は減らす。週二回か、テスト前や大会前は週一回くらいかな。ウツミんさんも賛成してくれた。
 バスケ部の顧問やキャプテンにも相談したよ。練習に参加できない日があるって。
 無理かなって思ってたけど、ちゃんと事情を話したら応援してくれたよ。……やっぱり、ちゃんと相談しないとダメだね。なんでも」

「減らすって……お金はどうするのよ!?
 家のローンはまだまだあるのよ!?ヒロ君やタッくんの学費だって必要なのに!
 マリちゃんが頑張らなくて、どうやって家族が生きていくのよ!!!」

「……これを見て」


 心痛をこらえながら、一冊の通帳を差し出す。
 ……イチイチ余計な文言に突っ込んでいたらキリがないから。


「なにこれ……凄い金額じゃない!
 どうしたのこのお金!」

「パパに連絡したの。学費と養育費、援助してほしいって。
 そしたらすぐに振り込んでくれたよ。
 ずっと渡そうとして毎月積み立てていたけど、ママの拒絶で渡せなかったって言ってた」

「……当たり前じゃない!家族からお金を取ろうなんて、そんな恥知らずじゃないわ!
 どうしてそんな勝手なことしたの!そんな事をしたら、ますますパパが帰ってこられなくなるでしょう!
 ……あの人は今、一時の気の迷いでおかしなことをしてるだけなの!いつか目を覚まして、戻ってきてくれるの!この家はあの人の港なのよ!」

「ねえ、ママ」


 潰れそうな胸を掌で支えながら。
 深呼吸を一つ挟んで、言葉を絞り出す。


パパはもう・・・・・家族じゃないよ・・・・・・・
 あっちの家で、赤ちゃんが生まれたんだって。そうでなくても、戻ることはないって言ってたけど。

 パパは、もう、帰ってなんか来ない。その現実を認めなきゃ、私たちは前に進めないの。

 それでも、これからは毎月養育費を振り込んでくれるってさ。
 5人分だから満額は難しいけど、それでもできるだけ」

「……!
 そんな……なんで……。
 ひどいわ、マリちゃん。どうしてママを苛めるの?パパから、家族からお金を巻き上げるなんて。
 そんな守銭奴に育てた覚えはないわよ!?」


 ……会話の一言一言がやたらに疲れる。
 頭も痛いし、肩も凝ってきてしまった。

 ウツミんさん曰く、ママは”認知的不協和”を無意識に利用して話しを有利に進める癖があるらしい。
 つまり、「いくら何でもこんなに卑怯なことを言っているわけがない、だからきっと自分にどこか悪いところがあったんだろう」と心理的なバイアスをかけて罪悪感を誘発し、都合のいいように要望を通す。

 でも、今日の私は一歩も引く気はない。


「……自分の分の学費は自分で稼ぐよ。
 受験勉強やバスケにかかる費用も、冒険者の仕事で用意する。家計もこれからも助けるよ。

 でも、ママもちゃんと頑張って。
 お仕事もちゃんとやって、家にお金を入れて。
 ヒロ君たちの学費だったりは、ママの仕事とその養育費でなんとか用意してよ。
 私もある程度は助けるけど、自分の稼いだお金は基本的に自分のために使いたい。その権利はあるよね。

 だから、ママはもっと家にいる時間を増やして、家事も参加してよ。
 私やヒロ君は、自分のことはできるだけ自分でやるよ。

 でも、モミジやカエデはまだ無理だよ。だからあの子たちが家事をやるときは、一緒に助けてあげてほしい。
 あの子たちが頑張っていたら、もっとちゃんと褒めてあげて。あの子たちの前で、だらしのないところを見せないで。大好きだって言ってあげて。

 タッくんも、たまに気まぐれで可愛い可愛いって言うだけじゃなくて、ちゃんと面倒なところもお世話してあげてよ。
 夜中に、ママ、ママ、って泣いて寂しがってるのに、スマホをいじって無視しないで。
 いつも私が宥めてるけど、毎回可哀そうで仕方ないんだよ?」

「……親に向かってなんなのその言い草は!?
 酷すぎるわ!アナタには人の心がないの!?
 私がどれだけ苦労してきたと思っているの!
 アナタたちを命懸けで産んで!おっぱいをあげて!必死で育てて!
 少しくらい息抜きしてもいいじゃないの!

 ……親を馬鹿にして!
 ちょっと冒険者でお金を稼いだら、もう一人前になったつもり!?
 世の中、お金じゃないのよ!情愛のない人間なんか、なんの価値もないわ!

 あんな底辺しかやらない肉体労働でいい気になってんじゃないわよ!ヒロ君たちには絶対あんな仕事やらせませんからね!
 まったく、マリちゃんは本当に卑怯者ね!いつになったらその性根が直るのかしら!」


 ……フゥー。
 感情にとらわれるな。表面的な言葉に反応するな。
 ここで泣いたらいつもと同じだ。結局グダグダになるだけだ。

 辛いときは、あの人の顔を思い出せ。
 暖かい眼を。低く響く声を。
 そうすれば、いくらでも勇気が湧いてくるから。


「それと、私にもお休みの日を作りたいの。
 週に一回、仕事も家事もしない、フリーの一日。
 私だって、友達と出かけたり、ファッションを楽しんだりしたいよ」


 ……好きな人の前では、キレイでいたいもんね。


「な……なに無責任なこと言ってるの!
 家族に責任を押し付ける気!?」

「そうしないと私の身体が持たないよ。
 ヒロ君もモミジもカエデもそうするように言ってくれた。
 ……無理しすぎるとダメになるって、そんな実例も見ちゃったし。

 お金のことも、私一人をアテにしないで。
 今あるお金で生活する方法を考えてほしいよ。
 週末のたびに一人で飲みに行ったり旅行に行ったりしないでよ。私のお金で。
 私のお金で煙草を吸ったりパチンコに行くのも凄く嫌。

 これからは私が稼いだお金は自分で管理するからね。
 それで、必要な支払いは毎月出すって風にしよう。

 勿論私も家族の一員として、できるだけの協力をするよ。
 今後も週二回、試験前や大会前は週一回以上は迷宮ダンジョンに潜るしね。
 でもあくまでもウチのリーダーはママだから、ちゃんと責任をもって家のことを仕切ってね。
 そのうえで誰が、何を、どこまでやるのか。
 具体的な話をみんなでしていこう」


 ママの顔が見る見る赤くなっていく。
 ……仕方ないじゃん。こっちだって長年溜まっていたものがあるんだもん。
 言い方がキツ過ぎたかもしれないけど、そこまで期待されても困る。
 高校生で家計を支えているだけでも、もうちょっと優しくしてほしいよ。


「ーーーウツミさんね!?余計なことを吹き込んだのは!」


 しかし、出てきた言葉は意外なものだった。


「ウツミが!あの男が私のマリちゃんをそそのかしたんだ!
 あの野郎!胡散臭い奴だとと思ってたんだ!
 畜生!返せ!私のマリちゃんを返せ!」

「ち、違うよママ!
 ウツミんさんは、何も言ってないよ……。
 何も言わずに、ただ……私の話を来てくれただけ」


 そう、ウツミさんは何も言わなかった。
 ただ、何度も私の話を聞いてくれた。

 粘り強く、繰り返し、色んな質問をして。
 ちょっと「いい事」を言って受け流そうとすると、「本当にそうか?こういう場合はどうだ?」と角度を変えてきて。
 私の答え自体には絶対に口出しはしなかったけど。
 私が自分の気持ちを自分の言葉で表現できるまで逃がさなかった。

 私の言葉から嘘がなくなるまで。私が気持ちを誤魔化すのをやめるまで。
 私が、自分は本当は何を望んでいるのか、はっきり言葉にできるようになるまで。
 徹底的に、私の話を聞いてくれたんだ。


「それじゃ、私はバスケ部の練習に行ってくるね。お昼も食べて、夕方までみんなで映画見て来るから。
 ヒロ君は友達と図書館で勉強会だし、カエデはミニバスの見学、モミジは午前中の家事を片してからサークルの皆と新作?の会議だってさ。
 夜までタッくんのお世話、頼んだからね。

 ーーー具体的な話をする準備が出来たら教えてね。みんなで頑張っていこう。
 大好きだよ、ママ」


 炬燵にうずくまって泣き叫ぶママを背に、私は部活に向かった。
 ……今日の話で解決するとは全く思わない。
 でも、私は絶対に譲らない。何回でも何十回でも、ママとぶつかって見せる。


 恋する乙女は無敵なのだ。


 ーーー


 ダムダム!ダム!
 キュっ!キュっキュっ!


 広々とした市民体育館で、少女たちが駆け回る。
 コート上の10人の中でも、一際輝きを放つその少女。
 俺の相棒バディが、対戦相手をごぼう抜きにしてゴールを決める。


「おおー。また決めた。
 すげーなマリの奴。相手は全国常連のT高校だってのに」

「……あんなモンじゃねえだろ。
 マリが本気だしたら、もっと速ええよ」

「いや、そりゃ迷宮ダンジョンの中での話だろ。
 地上でもあのスピード感覚は活きてるもんなんだなあ。トレーニング方法として活用できんじゃないか?」


 県内の一部の高校が集まって催す準公式戦。
 インハイ予選の前哨戦的な大会でマリがデビューするってんで、見に来てしまった。


 観戦席で、もう一人の相棒に突っ込みを入れる。
 ケンジーーーサワタリ ケンジ。
 マリの活動時間が減った事を受け、最近ではよく二人で冒険活動をしている相手だ。

 元々ガタイがいい上に、意外と素直に助言に従う性格もあって、このところメキメキ実力を伸ばしている。
 素質があるし、装備品的にも稼ぎの効率がよく、いい感じの相棒バディとして活動出来てるね。


 まあ、マリほどじゃないけどねー。マリに比べたらゴミみたいなもんだわ。
 そりゃ比べる相手が悪いよね。


「しかし、いい動きしてるなー。
 おっ。またボール取った。

 身体能力でゴリ押しするならわかるけど、それプラス戦局全体を俯瞰的に見てる感じするな。
 すごく効率的にチームの優位を確保している。
 おっ、いいとこにボール回したな。そんで厄介なディフェンスの動きを止めに行って。

 意外だな。あんなことまでできるとは思わなかった。
 いつの間に覚えたんだあんなプレー」

「……どう考えてもテメエの影響だろ」

「ん?今なんか言ったか?」

「テメエの加齢臭が気持ちわりいって言ったんだよ!
 このボケオヤジが!殺すぞ!!!」

「酷すぎねえか!?
 なんなんだよ急に!」


 本当、ガラわりぃなぁこいつ。超北関東感ある。
 きっと親もチンピラなんだろうな。(偏見)


「ほっほ。仲の良いことじゃの。結構結構」


 後ろの席から、ケンジの後見人のモキチさんが笑ってくる。
 いやこれのどこが仲いいのよ。


「しかし迷宮ダンジョン内でのトレーニングというアイデアは捨てがたいの。
 儂のリハビリも迷宮ダンジョンでやらせてもらえば復帰も早まるじゃろうて」

「いや無茶しないでくださいよ。
 何度も言いますけど、片腕で戦うとか危険すぎますって」

「なぁに。片腕での身体操作術を道場で工夫しとるが、ボチボチ目途が立ってきたぞい。
 儂が復帰したら、またケンジと相棒バディを組んで戦うわい。
 それまでケンジのことを頼んだぞい、ウツミ君」

 本当にやりかねないのがこの爺さんの恐ろしいところだよな。


 そんな話をしているうちに試合が終了した。
 惜しくもマリのC高校の負け。マリ以外のチームメイトのレベルが不足してたかな。

 でも、マリの表情はすっきりしている。
 インハイ予選に向けて、課題を見つけたって感じだろうか。
 チームメイトと円滑にコミュニケーションしている姿を見ると胸が熱くなるな。


「さて、そろそろ行こうぜ。
 今日もガンガン稼いでやるぜ!」

 満足顔のケンジが移動を促す。
 今日は二人で迷宮ダンジョン探索の予定だ。
 駐車場に向かおうとしたところで、モキチさんから肩をたたかれる。
 ……ん?話でもあるのか?


「ケンジ、先車に行って空調かけといてくれ」

 車のカギを渡すと、なんとなく察したのかケンジは無言で歩き去る。


「どうしましたモキチさん。荷物だったら運ぶの手伝いますけど」

 ケンジの姿が見えなくなってから、モキチさんに向き直る。


「いやいや、ちょいと話があってのーーーー。
 のうウツミ君。君、冒険者を続けとって、よいのかの?」

 やや遠慮がちにモキチさんが問い掛けてきた。

「いや、変な意味じゃないんじゃ。
 じゃが、君くらいの男なら、迷宮ダンジョンの外でも社会人としてやっていけるじゃろう?
 ーーーというか、そういう話が来とると聞いとる。

 すまんの、詮索するような事を聞いて。
 ただもし就職なり引っ越しなりするなら、ケンジらの生活にも関わってくるから聞いておきたくての。
 ……ケンジやマリちゃんに遠慮して進路を制限しているとしたら、それはそれで健全ではないとも思うし……」

「……実は最近、新しい仕事を始めましてね」


 ん、とモキチさんがうなづき返してくる。


「というのも、ギルドと話がつきまして。
 新人冒険者達のトレーナー兼ガイド役として、一緒に冒険したりレベルアップの指導をして、地区全体冒険者を底上げする活動をしています。事故の大半はド新人から発生するので、そこの安全性向上の意味でも。

 ほら、マリやケンジと相棒バディ組むにしても、学校の時間とかは一緒に戦えないですからね。そこをそういう仕事の時間にあてています」


 実際のところ、ギルドの所長に強めに要請されて始めた感じだけどね。
 新人冒険者からそれほど金をとれるわけじゃないが、ギルドから補助金を上乗せしてもらえてるし、これでギルドへの借りを返せるんなら悪くはない。
 安全で楽ちんな仕事の割には実入りも悪くないし、俺の”眼”を活かして人の役に立つんなら悪い話じゃないや。


「そうか、そうか」

 モキチさんが満足げに目を細める。


「……黒狼との戦いで放ったわが流派の奥義、”桜花”というんじゃがの……」

 滔々とモキチさんが語りだす。

「敵の攻撃を身に受けつつ、相手の急所に必殺の一撃を叩き込む。
 攻撃をモロに受ければ死んでしまうが、躱し過ぎれば反撃機会を失う。
 ぎりぎりの呼吸で急所を外しつつ被弾し、怯むことなく前に出なければならない。

 命を差し出す覚悟と何を持っても生き抜く覚悟。
 相反する理念を統合せねば辿り着けん境地で、実際天才と呼ばれた親父やじい様も到達できんかった。
 出来損ないの儂が修めることなど諦めとったが……」


 遠い眼をしながら、ポツリ、ポツリと話す。


「ケンジらを守るためなら、命を捨てても惜しくないと思った。
 ケンジらを守るためなら、何があっても生きなくてはと思った。
 そうして当然のように矛盾を内包できた。それで奥義にたどり着いた。

 盲点じゃったよ。
 自分一人のための戦いではダメなんじゃな。
 この年で成長させられるとは、思ってもみんかったわい。

 ケンジらのこと、守っているつもりで、育てているつもりで、逆だったんじゃな。
 守られているのも育てられているのもこちらの方じゃった。
 ーーーこれだから、教育はやめられんの」


 今ならば、その言葉もわかる気がする。


 リハビリに向かうモキチさんを見送り、ケンジの元へと向かいながら。
 俺は、先日ヤマちゃんらに託した一通の手紙のことを思い出していた。
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