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新たな暮らしと、皇太子の帰還
新たな暮らしと、皇太子の帰還①
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大学が夏季休暇に入り早一か月半が経とうとする頃、ついにジルとマルゴットの引っ越しの日が訪れた。
物件は色々と迷ったものの、ゲントナー氏に勧められた物件の中では、没落した子爵が保有していた屋敷が一番利便性が良く、そこに決めた。
ジルは新居となる屋敷の外観を眺め、嬉しくなる。やっとこの国に定住するという実感を持てているのだ。
三階建ての建物は、各階に整然と縦長の窓ガラスがはめられ、テラコッタ色の外壁と蔦の緑の組み合わせが爽やかだ。
家を所持出来た事の満足感が、引っ越しの疲れを吹き飛ばす。
引っ越しとは言っても、二人ともハーターシュタイン公国から最低限の衣服や日用品等しか持って来ていなかったし、本日まで持ち物をあまり増やしていなかったため、運搬自体はかなり楽だった。
荷物が少ないのは最初から分かっていた事だが、厄介だったのは、四年程誰も住んでいなかった屋敷の中の痛みを補修する事で、一週間前から離宮の使用人やゲントナー氏の派遣してきた者に、快適に住めるようにリフォームしてもらっていた。そして、寝具やカーテン、絨毯等は新しい物に取り換えた。
引っ越し前にジワジワと屋敷の中を整えていたという事もあり、午後には少し庭に出る時間が出来た。
離宮からは庭師のモリッツも応援に駆けつけ、庭木の剪定をしてくれている。彼に頼み事があるジルは、驚かせない様に少し離れた所から彼を呼ぶ。
「モリッツ! お願いしたい事があるのだけど、今いいかしら?」
「構いませんよ! どうしたんです?」
彼は手を止め振り返えり、ニカッと笑った。
「フェンスの傍にあるナナカマドを引き抜きたいの。お願い出来るかしら?」
見学に来た時に、マルゴットがナナカマドを嫌がっていたので、彼女との約束通り、他の植物に植え替える事にした。
自分でやろうかと思ったが、一度根本にスコップを差し込んでみて、無理な事に気付いた。人間二人分程の高さもあるナナカマドは根もやはりそれなりの大きさなので、手に余ったのだ。
「ええ、喜んで! スコップを貸してもらえますかね?」
「有難う!」
手に持っていたスコップを彼に渡し、二人でナナカマドの元まで歩いて行く。
「この家は温室は無いですけど、物足り無くねーですかい?」
「不動産屋のゲントナーさんが、業者を紹介してくれるから、年内にはテニスコート半面分くらいの温室をこの辺に建ててもらうわ」
ジルは建物の傍で両腕を広げて見せる。
「へぇ! そりゃぁいいですな!」
二人で談笑しながらフェンスに近寄ると、母屋から背の高い青年が姿を現した。イグナーツだ。
彼はどこで情報を仕入れたのか、引っ越しのこの日に手伝いに来てくれていた。マルゴットは嫌そうにしていたのだが、善意で手伝いに来てくれたのに、追い返す事は難しい。
「何か手伝う事はありますか?」
「イグナーツ、悪いけどモリッツを手伝ってくれないかしら? ナナカマドを根ごと抜いてもらおうとしているのよ」
「ああ、これを抜くんですね。了解いたしました!」
「宜しくな、兄ちゃん!」
「宜しくお願いします。お嬢様、申し訳ありませんが、少し下がっていてもらえますか?」
「そうよね! ごめんなさいっ」
作業の邪魔になっては悪いので、後方でボンヤリと立つマルゴットに近寄り、並んで見守る事にした。いつにも増して不健康そうな彼女は、ジルをチラリと見て、口を開く、
「ジル様、イグナーツを同居させるんですか?」
「ちょっと悩んでいるのよね。離宮の使用人の中に、ウチに転職したいと言ってきた人が二人いたし、モリッツやシェフも週三回通ってくれるって言うの。そうなると彼等を束ねる人が必要になるし……私がやってもいいのだけど」
「イグナーツにやらせるくらいなら、私がやります……。管理スキルは皆無ですが、野ばらの会の活動をサボれば何とかなると思うんです」
「うーん……。どうしよう……」
(マルゴットの私生活を出来るだけ尊重したいのよね……。イグナーツはウチの執事になりたいと言っているけど、彼も会社の経営を任せてしまってるし……。私が常駐の使用人や臨時の労働に対しての管理をした方がいいような……)
イグナーツはジルの実家で家令の補佐的な仕事もやっていたから、使用人の管理については熟知しているだろう。だけど、イグナーツに貰った『山羊の角物産』の資料を見て、彼が背負うと言っていた経営の責任の重さを感じ、色々頼みづらい。
『山羊の角物産』はとんでもなく取引高が大きい会社だった。東方の国や、他の大陸との貿易で仕入れた香辛料や奢侈品、グレート・ウーズ王国内にある父の会社の反射炉で作られる錬鉄等を帝国内で売っていていたのだ。年間の利益はジルの実家シュタウフェンベルク公爵家の領地から得られる年間の税収の三分の一を超えている。
こんなに稼ぎのいい会社のオーナーを引き受けてもいいのだろうかと、イグナーツを介して父とやり取りしてみると、問題無いと返事を貰ってしまった。
イグナーツは父について経営を学んだのかもしれないが、幾らなんでも最近密入国してきた彼一人に全てを任せるというのも気の毒で、ジルは空き時間が出来たら会社に顔を出す様にしていた。
そんな状況なのに、彼は執事になりたいとしつこく言う。そこまでしてもらわなくてもいいと思うのだが、幼馴染という事もあり、完全な拒絶もしづらい。
「もう一日だけ悩んでもいいかしら? 答えが出ないのよ」
「分かりました。ジル様が決める事は受け入れます。イグナーツが『寝取られ』を好んでいる以上、ジル様に危険はないのかもしれないですけど、過去の事もあるので、単純に気持ち悪いんです……」
「そこなのよね……」
ナナカマドの木を支える美青年の姿を残念な気持ちで眺め、溜息を吐く。
ここでずっと見ているよりは、他にやるべき事を探そうと踵を返すと、庭に面する道の向うからかなり早く走る馬のヒズメの音が聞こえてきた。
(急ぎの用でもあるのかしら? 大変そうだわ……)
その音が妙に気になり、道の方を向いたジルは驚いた。フェンスの傍で馬から下りたのは知人だったからだ。
「オイゲンさん!」
「ジル様! 勝ちましたよ!!」
「え? どういう……?」
らしくない慌てようで庭に入って来たオイゲンは、ジルの前で立ち止まった。
その表情は初めて見るくらい喜色に溢れているので、何があったのだろうかと戸惑う。
「ハーターシュタイン公国が北部地域の譲渡を条件に終戦の要求を……つまり降伏したんです! 我が国の、ハイネ様の勝利ですよ!」
「本当に……?」
「ええ!! 本当ですとも!」
まだ停戦を解いて二か月半程しか経ってないのに降伏というのは、随分早く、オイゲンの言葉が信じられない。
宗教的に自殺する事が出来ないハーターシュタイン公国では、困難な状況下での戦争を長引かせ、肉体的に、精神的に追い込まれるという事を良しとしない。そのため、すっぱりと降伏するという選択を取る事は歴史上何度かあったらしい。それを考えてもかなりの短期間で決着が着いている。ブラウベルク帝国が圧倒的だっという事なのだろうか?
帝国に勝利をもたらしたハイネを思うと、嬉しさが溢れてくるのに、やはり祖国に対して心配する気持ちもあり、すんなりと感情を表せない。発する言葉も選べずに、口を開けては閉じてを繰り返す。
「ハイネ様は四日後に帝都に凱旋されます! どうか、ジル様迎えに行ってください!」
「私が行ってもいいのですか?」
「勿論です! ジル様はこの国の人間なのですから! それにハイネ様はずっとジル様に会いたかったはずです! 殿下にお顔を見せ、安心させてあげてください!」
心臓がドキドキと高鳴る。本当の所、ジルはハイネに会いたくてたまらなかった。前回ハイネが戦地に行っていた時よりも待つ時間はずっと長く感じられ、彼の無事を祈り、眠れぬ夜もあった。だから帰って来る事がとても嬉しく感じられる。
だけど久しぶりに彼と話したら、貰った手紙から読み取れなかった何かを知っちゃうなんて事は無いだろうか? それが怖いとも思う。
つまるところ、あまりにも急なハイネの帰還の連絡に頭がパニック状態なのである。
◇
物件は色々と迷ったものの、ゲントナー氏に勧められた物件の中では、没落した子爵が保有していた屋敷が一番利便性が良く、そこに決めた。
ジルは新居となる屋敷の外観を眺め、嬉しくなる。やっとこの国に定住するという実感を持てているのだ。
三階建ての建物は、各階に整然と縦長の窓ガラスがはめられ、テラコッタ色の外壁と蔦の緑の組み合わせが爽やかだ。
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引っ越しとは言っても、二人ともハーターシュタイン公国から最低限の衣服や日用品等しか持って来ていなかったし、本日まで持ち物をあまり増やしていなかったため、運搬自体はかなり楽だった。
荷物が少ないのは最初から分かっていた事だが、厄介だったのは、四年程誰も住んでいなかった屋敷の中の痛みを補修する事で、一週間前から離宮の使用人やゲントナー氏の派遣してきた者に、快適に住めるようにリフォームしてもらっていた。そして、寝具やカーテン、絨毯等は新しい物に取り換えた。
引っ越し前にジワジワと屋敷の中を整えていたという事もあり、午後には少し庭に出る時間が出来た。
離宮からは庭師のモリッツも応援に駆けつけ、庭木の剪定をしてくれている。彼に頼み事があるジルは、驚かせない様に少し離れた所から彼を呼ぶ。
「モリッツ! お願いしたい事があるのだけど、今いいかしら?」
「構いませんよ! どうしたんです?」
彼は手を止め振り返えり、ニカッと笑った。
「フェンスの傍にあるナナカマドを引き抜きたいの。お願い出来るかしら?」
見学に来た時に、マルゴットがナナカマドを嫌がっていたので、彼女との約束通り、他の植物に植え替える事にした。
自分でやろうかと思ったが、一度根本にスコップを差し込んでみて、無理な事に気付いた。人間二人分程の高さもあるナナカマドは根もやはりそれなりの大きさなので、手に余ったのだ。
「ええ、喜んで! スコップを貸してもらえますかね?」
「有難う!」
手に持っていたスコップを彼に渡し、二人でナナカマドの元まで歩いて行く。
「この家は温室は無いですけど、物足り無くねーですかい?」
「不動産屋のゲントナーさんが、業者を紹介してくれるから、年内にはテニスコート半面分くらいの温室をこの辺に建ててもらうわ」
ジルは建物の傍で両腕を広げて見せる。
「へぇ! そりゃぁいいですな!」
二人で談笑しながらフェンスに近寄ると、母屋から背の高い青年が姿を現した。イグナーツだ。
彼はどこで情報を仕入れたのか、引っ越しのこの日に手伝いに来てくれていた。マルゴットは嫌そうにしていたのだが、善意で手伝いに来てくれたのに、追い返す事は難しい。
「何か手伝う事はありますか?」
「イグナーツ、悪いけどモリッツを手伝ってくれないかしら? ナナカマドを根ごと抜いてもらおうとしているのよ」
「ああ、これを抜くんですね。了解いたしました!」
「宜しくな、兄ちゃん!」
「宜しくお願いします。お嬢様、申し訳ありませんが、少し下がっていてもらえますか?」
「そうよね! ごめんなさいっ」
作業の邪魔になっては悪いので、後方でボンヤリと立つマルゴットに近寄り、並んで見守る事にした。いつにも増して不健康そうな彼女は、ジルをチラリと見て、口を開く、
「ジル様、イグナーツを同居させるんですか?」
「ちょっと悩んでいるのよね。離宮の使用人の中に、ウチに転職したいと言ってきた人が二人いたし、モリッツやシェフも週三回通ってくれるって言うの。そうなると彼等を束ねる人が必要になるし……私がやってもいいのだけど」
「イグナーツにやらせるくらいなら、私がやります……。管理スキルは皆無ですが、野ばらの会の活動をサボれば何とかなると思うんです」
「うーん……。どうしよう……」
(マルゴットの私生活を出来るだけ尊重したいのよね……。イグナーツはウチの執事になりたいと言っているけど、彼も会社の経営を任せてしまってるし……。私が常駐の使用人や臨時の労働に対しての管理をした方がいいような……)
イグナーツはジルの実家で家令の補佐的な仕事もやっていたから、使用人の管理については熟知しているだろう。だけど、イグナーツに貰った『山羊の角物産』の資料を見て、彼が背負うと言っていた経営の責任の重さを感じ、色々頼みづらい。
『山羊の角物産』はとんでもなく取引高が大きい会社だった。東方の国や、他の大陸との貿易で仕入れた香辛料や奢侈品、グレート・ウーズ王国内にある父の会社の反射炉で作られる錬鉄等を帝国内で売っていていたのだ。年間の利益はジルの実家シュタウフェンベルク公爵家の領地から得られる年間の税収の三分の一を超えている。
こんなに稼ぎのいい会社のオーナーを引き受けてもいいのだろうかと、イグナーツを介して父とやり取りしてみると、問題無いと返事を貰ってしまった。
イグナーツは父について経営を学んだのかもしれないが、幾らなんでも最近密入国してきた彼一人に全てを任せるというのも気の毒で、ジルは空き時間が出来たら会社に顔を出す様にしていた。
そんな状況なのに、彼は執事になりたいとしつこく言う。そこまでしてもらわなくてもいいと思うのだが、幼馴染という事もあり、完全な拒絶もしづらい。
「もう一日だけ悩んでもいいかしら? 答えが出ないのよ」
「分かりました。ジル様が決める事は受け入れます。イグナーツが『寝取られ』を好んでいる以上、ジル様に危険はないのかもしれないですけど、過去の事もあるので、単純に気持ち悪いんです……」
「そこなのよね……」
ナナカマドの木を支える美青年の姿を残念な気持ちで眺め、溜息を吐く。
ここでずっと見ているよりは、他にやるべき事を探そうと踵を返すと、庭に面する道の向うからかなり早く走る馬のヒズメの音が聞こえてきた。
(急ぎの用でもあるのかしら? 大変そうだわ……)
その音が妙に気になり、道の方を向いたジルは驚いた。フェンスの傍で馬から下りたのは知人だったからだ。
「オイゲンさん!」
「ジル様! 勝ちましたよ!!」
「え? どういう……?」
らしくない慌てようで庭に入って来たオイゲンは、ジルの前で立ち止まった。
その表情は初めて見るくらい喜色に溢れているので、何があったのだろうかと戸惑う。
「ハーターシュタイン公国が北部地域の譲渡を条件に終戦の要求を……つまり降伏したんです! 我が国の、ハイネ様の勝利ですよ!」
「本当に……?」
「ええ!! 本当ですとも!」
まだ停戦を解いて二か月半程しか経ってないのに降伏というのは、随分早く、オイゲンの言葉が信じられない。
宗教的に自殺する事が出来ないハーターシュタイン公国では、困難な状況下での戦争を長引かせ、肉体的に、精神的に追い込まれるという事を良しとしない。そのため、すっぱりと降伏するという選択を取る事は歴史上何度かあったらしい。それを考えてもかなりの短期間で決着が着いている。ブラウベルク帝国が圧倒的だっという事なのだろうか?
帝国に勝利をもたらしたハイネを思うと、嬉しさが溢れてくるのに、やはり祖国に対して心配する気持ちもあり、すんなりと感情を表せない。発する言葉も選べずに、口を開けては閉じてを繰り返す。
「ハイネ様は四日後に帝都に凱旋されます! どうか、ジル様迎えに行ってください!」
「私が行ってもいいのですか?」
「勿論です! ジル様はこの国の人間なのですから! それにハイネ様はずっとジル様に会いたかったはずです! 殿下にお顔を見せ、安心させてあげてください!」
心臓がドキドキと高鳴る。本当の所、ジルはハイネに会いたくてたまらなかった。前回ハイネが戦地に行っていた時よりも待つ時間はずっと長く感じられ、彼の無事を祈り、眠れぬ夜もあった。だから帰って来る事がとても嬉しく感じられる。
だけど久しぶりに彼と話したら、貰った手紙から読み取れなかった何かを知っちゃうなんて事は無いだろうか? それが怖いとも思う。
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