49 / 57
六章 珍道中
六章⑤
しおりを挟む
香洛の石屋の主人は春菊が持っている奇石を見て、旧王朝時代の支配一族である柳家の末裔が売ったのだと断言した。
雨桐が落とした陶器の欠片に柳家の紋があったことから、その一族に対する興味を抱いていた春菊は、石を売った人物について知りたくなる。
「ねぇねぇ、それってさー、どんな人だった? 僕でも会えるのかな?」
「いや、ええとだな。まぁ……会うのは無理だろうな」
石屋の主人の目が泳ぐ。
何かを隠したいかのような素振りに、春菊の好奇心は煽られてしまう。
理由を教えてもらうために、石屋に居た先客の方を向いてみる。
彼は困ったように笑いながら、この街の事情を話しだす。
「香洛の人間は柳家に対して特別の感情を持っているんだよな。崇拝のような、恐れのような……、俺には言い表しようが分からねぇ。ただ、なんとなく裏切っちゃいけねーような気がするのよ」
「んー、そうなのかぁ。それなら、無理に話してくれなくてもいいよ! それとさ、この画も見てほしいんだけども。この紙に描かれた場所って、近くにあるのかな?」
春菊は軸箱の中から、父の画を模写したものを取り出し、二人に見せる。
すると、二人の目が大きく見開かれた。
「こりゃぁ……。見事な山水画だなぁ。俺は学はねぇが、この画がとんでもねぇ作品なのくらいは分かるっ」
「ああ。現実を超越した美しさだ。これほどの作品は……、いや、この画を一度見たことがある! 白都の画家、菜青梗が描いたんじゃないかね?」
「良くわかったね! 驚いたなぁ。菜青梗は僕の父親なんだ。この画は父の作品を僕が模写したものなの。おじさんは、どこでこの画を見たの?」
「あれは確か……、十年くらい前になるか。白都からいけすかない官吏共がやって来たんだ。その中に菜青梗がいた。白都の野蛮人とは違い、静謐な雰囲気の持ち主だったな。空いた時間にそこの楼閣の台座に座って、香洛周辺の風景などを描いていたもんだった」
「ふむふむ」
「私は好奇心に勝てず、よく彼に山水画を見せてもらったのだよ。お前さんが模写したものは、その時の画の一つだったように思う。それにしても……、あの人にこんなに小さな子供がいたとはね」
「画に没頭しすぎて、婚姻を結ぶのが遅くなったみたいだよ」
「良くあることさ」
問屋の主人は感慨深気に顎髭を撫で、もう一度水景の画を見る。
「そうさね。この場所はそこに流れる川の対岸から、香洛を見たのだと思う。私の記憶では、東方向に一刻ほど歩いた先だったように思うよ。今から見に行くつもりか?」
「うんっ!! この画を一目見た瞬間に気に入っちゃったんだよね。だから、この風景を実際に見たみたいなーってずっと思ってたの」
「なるほどなぁ。この辺は何度も水害に見舞われた所為で、倒木が多く、巨石もあちらこちらに転がっている。危険な場所もあるから、気をつけるんだぞ」
「うん、気をつけてみる!」
春菊は問屋の主人に馬を預けてから、街の外に出る。
城門を通る時になんとなく視線を感じたので、ざっと周囲を見回すが、春菊に視線を向けている者は見当たらない。
人の多い都市を歩くのは久々なので、もしかすると、春菊の感覚が少し過敏になっているのかもしれない……。
元々お気楽な春菊は、不審な視線をただの勘違いと決めつけてしまう。
ちょっとした違和感などはすぐに忘れ去ってしまい、石屋の主人に聞いた通りに、川沿いの小道をのこのこと歩く。
聞いていた通り、足元は悪い。
泥でぬかるんでいたり、石がごろごろと転がっていたりするのだ。
しかし、頑張れば歩ける程度ではあるので、慎重に歩を進める。
「ふあぁ……。思ったよりも、進むのが大変だなぁ。二刻以上は歩いたような気がする」
やがて低木がまばらな場所に差し掛かると、既視感があるような気がしてくる。
「ここがもしかすると?」
期待を込めて歩いて来た方向を振り返ってみて、息を飲む。
そこには父が描いた水景が広がっていた。
当然墨一色の景色ではない。
空の薄浅葱色。雲の白。
川の孔雀青色。岸の灰茶や伽羅色。低木の新緑色など、現実の世界は色に溢れている。
石屋の主人は、父の画を現実を超えていると称してくれたけれど、現実の景色もまた素晴らしいように思われる。
もう一度自分が模写した画を取り出して確認してみても、これ以上ないくらいに似た風景だ。
「すごいなぁ。こんなに景色の良い場所が香洛にはあったんだ」
感動し、ついつい風景を見入ってしまう。
父が描いた頃とは少し異なっている風景を、自分も描かずにはいられなくなり、荷物の中から文房四宝と静水を入れた竹筒を取り出す。
そうしてのんびりと作画に励むが、川の流れを描きながら気になっていたことを一つ思い出した。
元左丞相は、この画に関して何か気になることを言っていたように思う。
確か、父の画には大切な要素が隠されているとかなんとか……。
結局彼からはそれが何なのかは教えてもらえなかったけれど、一度思い出してしまうと気になってしょうがなくなる。
自分が模写した画を改めて見てみる。
何かの印を隠すとしたら、画のどの辺だろうか?
とても目立つものかもしれないし、逆に小さな点のような、目立たないものかもしれない。
水景の画は現実の構図にある程度忠実だが、人や小舟、小さく描かれている楼閣、などは今現在とは異なる。
この辺が重要になってきそうだ。
自分だったら、どこに隠すだろうか?
(……うーーん。どこかなぁ。それにしてもこの霧がかかっているところと、かかっていないところの範囲の比率が絶妙だなぁ。父上は、約二対三程度の比率で描くと格好がつくと言っていたような気がするけれど、この画がまさにその比率って感じだー)
霧がかかっているところと、晴れているところの境には、ちょうど漁師が垂らす釣り糸があり、魚が引っかかっていそうだ。
春菊にはそれが怪しいように思われた。
「ここが印になっているんじゃないかなぁ……。ただの勘だけど」
川の流れは今は穏やかだ。
天候が荒れそうでもなく、泳ぐのには問題ないように思える。
春菊は勢いよく自分の頬を両手で挟み、気合を入れる。
「よし! 泳いで確かめてみよう!」
春菊は河岸をうろつき、降りやすそうな場所を探す。
川を泳いだことは少ないけれど、運動神経が悪いわけではないので、なんとかなるだろう。
雨桐が落とした陶器の欠片に柳家の紋があったことから、その一族に対する興味を抱いていた春菊は、石を売った人物について知りたくなる。
「ねぇねぇ、それってさー、どんな人だった? 僕でも会えるのかな?」
「いや、ええとだな。まぁ……会うのは無理だろうな」
石屋の主人の目が泳ぐ。
何かを隠したいかのような素振りに、春菊の好奇心は煽られてしまう。
理由を教えてもらうために、石屋に居た先客の方を向いてみる。
彼は困ったように笑いながら、この街の事情を話しだす。
「香洛の人間は柳家に対して特別の感情を持っているんだよな。崇拝のような、恐れのような……、俺には言い表しようが分からねぇ。ただ、なんとなく裏切っちゃいけねーような気がするのよ」
「んー、そうなのかぁ。それなら、無理に話してくれなくてもいいよ! それとさ、この画も見てほしいんだけども。この紙に描かれた場所って、近くにあるのかな?」
春菊は軸箱の中から、父の画を模写したものを取り出し、二人に見せる。
すると、二人の目が大きく見開かれた。
「こりゃぁ……。見事な山水画だなぁ。俺は学はねぇが、この画がとんでもねぇ作品なのくらいは分かるっ」
「ああ。現実を超越した美しさだ。これほどの作品は……、いや、この画を一度見たことがある! 白都の画家、菜青梗が描いたんじゃないかね?」
「良くわかったね! 驚いたなぁ。菜青梗は僕の父親なんだ。この画は父の作品を僕が模写したものなの。おじさんは、どこでこの画を見たの?」
「あれは確か……、十年くらい前になるか。白都からいけすかない官吏共がやって来たんだ。その中に菜青梗がいた。白都の野蛮人とは違い、静謐な雰囲気の持ち主だったな。空いた時間にそこの楼閣の台座に座って、香洛周辺の風景などを描いていたもんだった」
「ふむふむ」
「私は好奇心に勝てず、よく彼に山水画を見せてもらったのだよ。お前さんが模写したものは、その時の画の一つだったように思う。それにしても……、あの人にこんなに小さな子供がいたとはね」
「画に没頭しすぎて、婚姻を結ぶのが遅くなったみたいだよ」
「良くあることさ」
問屋の主人は感慨深気に顎髭を撫で、もう一度水景の画を見る。
「そうさね。この場所はそこに流れる川の対岸から、香洛を見たのだと思う。私の記憶では、東方向に一刻ほど歩いた先だったように思うよ。今から見に行くつもりか?」
「うんっ!! この画を一目見た瞬間に気に入っちゃったんだよね。だから、この風景を実際に見たみたいなーってずっと思ってたの」
「なるほどなぁ。この辺は何度も水害に見舞われた所為で、倒木が多く、巨石もあちらこちらに転がっている。危険な場所もあるから、気をつけるんだぞ」
「うん、気をつけてみる!」
春菊は問屋の主人に馬を預けてから、街の外に出る。
城門を通る時になんとなく視線を感じたので、ざっと周囲を見回すが、春菊に視線を向けている者は見当たらない。
人の多い都市を歩くのは久々なので、もしかすると、春菊の感覚が少し過敏になっているのかもしれない……。
元々お気楽な春菊は、不審な視線をただの勘違いと決めつけてしまう。
ちょっとした違和感などはすぐに忘れ去ってしまい、石屋の主人に聞いた通りに、川沿いの小道をのこのこと歩く。
聞いていた通り、足元は悪い。
泥でぬかるんでいたり、石がごろごろと転がっていたりするのだ。
しかし、頑張れば歩ける程度ではあるので、慎重に歩を進める。
「ふあぁ……。思ったよりも、進むのが大変だなぁ。二刻以上は歩いたような気がする」
やがて低木がまばらな場所に差し掛かると、既視感があるような気がしてくる。
「ここがもしかすると?」
期待を込めて歩いて来た方向を振り返ってみて、息を飲む。
そこには父が描いた水景が広がっていた。
当然墨一色の景色ではない。
空の薄浅葱色。雲の白。
川の孔雀青色。岸の灰茶や伽羅色。低木の新緑色など、現実の世界は色に溢れている。
石屋の主人は、父の画を現実を超えていると称してくれたけれど、現実の景色もまた素晴らしいように思われる。
もう一度自分が模写した画を取り出して確認してみても、これ以上ないくらいに似た風景だ。
「すごいなぁ。こんなに景色の良い場所が香洛にはあったんだ」
感動し、ついつい風景を見入ってしまう。
父が描いた頃とは少し異なっている風景を、自分も描かずにはいられなくなり、荷物の中から文房四宝と静水を入れた竹筒を取り出す。
そうしてのんびりと作画に励むが、川の流れを描きながら気になっていたことを一つ思い出した。
元左丞相は、この画に関して何か気になることを言っていたように思う。
確か、父の画には大切な要素が隠されているとかなんとか……。
結局彼からはそれが何なのかは教えてもらえなかったけれど、一度思い出してしまうと気になってしょうがなくなる。
自分が模写した画を改めて見てみる。
何かの印を隠すとしたら、画のどの辺だろうか?
とても目立つものかもしれないし、逆に小さな点のような、目立たないものかもしれない。
水景の画は現実の構図にある程度忠実だが、人や小舟、小さく描かれている楼閣、などは今現在とは異なる。
この辺が重要になってきそうだ。
自分だったら、どこに隠すだろうか?
(……うーーん。どこかなぁ。それにしてもこの霧がかかっているところと、かかっていないところの範囲の比率が絶妙だなぁ。父上は、約二対三程度の比率で描くと格好がつくと言っていたような気がするけれど、この画がまさにその比率って感じだー)
霧がかかっているところと、晴れているところの境には、ちょうど漁師が垂らす釣り糸があり、魚が引っかかっていそうだ。
春菊にはそれが怪しいように思われた。
「ここが印になっているんじゃないかなぁ……。ただの勘だけど」
川の流れは今は穏やかだ。
天候が荒れそうでもなく、泳ぐのには問題ないように思える。
春菊は勢いよく自分の頬を両手で挟み、気合を入れる。
「よし! 泳いで確かめてみよう!」
春菊は河岸をうろつき、降りやすそうな場所を探す。
川を泳いだことは少ないけれど、運動神経が悪いわけではないので、なんとかなるだろう。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
61
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる