猫と珈琲〜喫茶いっこく・25gの後悔〜

相葉すずか

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逃亡者

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 ――そして、授賞式当日。

 拍手の波、フラッシュの白い雨の中で、私は違和感を覚えた。
 理由は、すぐにわかった。
 それらの祝福は私を素通りして、隣の俊哉に向けられていたのだ。
 学生時代と変わらない屈託のなさで『僕はずっと、彼女の絵のファンなんです』と話す俊哉の姿に、周囲は彼を〝愛妻家〟だと賞賛して、その後でおまけのように『さすが、ありしま先生の奥様ですね』と、私の絵を褒めた。
 その瞬間、私の輪郭がぼやけていくのを感じた。
 視界がぐらりと揺れ、上りに戻ったはずの階段が、またぐらりと下りに傾く。
 賞の関係者は、俊哉のおかげでこれまでにない注目を集めたと喜び、金賞を逃した人は、陰で私をずるいと囁いた。
 ぐらりと傾く視界の中で、改めて自分の絵を見つめる私の心に、ふとした疑念が湧く。

 ――この賞は、本当に私の実力で得たのだろうか……

 私はまた、暗闇の中にひとり取り残されたような気分だった。

 だからその夜、帰宅した私は、俊哉に聞かずにはいられなかった。

「俊哉は、私の絵をどう思う?」

 慣れない祝杯に酔った俊哉は、半分眠りの中にいた。
 私に揺すられて、重い瞼をわずかに開く。視線は焦点を結ばず、どこか遠い。

「……どうって?」

 寝言のような声でつぶやく。
 そのまま目を閉じそうになるのを、私はもう一度呼び戻した。
 彼に『大丈夫』と言ってもらわなければ、自分の存在が薄れていくようで怖かった。
 輪郭のない自分が、彼の影に完全に溶けてしまいそうで。

「俊哉は、私の絵をどう思う? 今も、私の絵に才能を感じている?」

 声が震えるのを止められない。
 しつこく問い掛ける私に根負けしたのか、俊哉は無理やり瞼を持ち上げ、私の顔を見た。
 そして、とろんとした目で私を見上げ、指先で頬を撫でて言った。

「君はちゃんと……自分の才能のピークが、どこにあるか見極めてる?」

「――っ!」

 その言葉に、心臓を素手で握られたような痛みを覚えた。
 酔っ払いの俊哉は、私の動揺に気づくこともなくへらりと笑って、聞き取れないいくつかの言葉を呟いて、そのまま眠りに落ちた。
 けれど、最後のひとことだけははっきりと聞こえた。

「……今度は僕が支えるから、もう無理して頑張らなくていいんだよ」

 その声が、まるで弔辞のように優しく冷たく響いて、私の温度を奪っていった。
 彼はとっくに私の才能がつきていることに気付いていたのだ。
 あの絵が描けたのは、私がスランプを脱したからではなく、きっと借り物の才能の残り火をかき集めただけだったのだ。
 いうなれば、燃え尽きる寸前のロウソクが放つ最後のきらめき。

 本物の天才の俊哉にはそれがわかっていて、同情と感謝、そして――哀れみから、私の最後の花道として盛大に祝ってくれたのだろう。

 そう思うと、彼を揺り起こしてまで、言葉の意図を確かめる勇気は出なかった。

 ああ……今夜、画家としての私は死んだんだ。
 そう思いながら、私は俊哉の隣で横になる。
 彼の寝息は穏やかで、私の不安をなにひとつ知らない。
 その無防備さが羨ましくて、借り物ではない本物の才能を持っている彼が憎らしくて、私の心を壊していった。
 同情されるのが嫌で、いつも不機嫌で、ひどい言葉をたくさん投げかけて、そんな自分を彼に見せるのが嫌で、二人の関係を壊そうとしたのだ。
 それなのに俊哉は、私の不機嫌を気にする様子もなく離婚を拒んでいた。

  ***

 そういった日々を思い出して、私は、私の中に散らばった感情の中から、彼に伝えるべき言葉を探していく。
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