猫と珈琲〜喫茶いっこく・25gの後悔〜

相葉すずか

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臨書の人

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『あなたは、自分を誇れますか?』

 勤務先のコンビニで雑誌コーナーを片付けていた私・鈴木すずき明日香あすかは、視界に飛び込んできた文字に、ふと動きを止めた。
 ラックに裏返しで突っ込まれていた雑誌に、そんな見出しの広告が掲載されていた。
 続く文章や写真からすると、この会社で販売しているお財布を購入すれば、その『誇れる人生』というものが手に入るらしい。
 もしそんな便利グッズがあるなら、喜んで買う。
 そう思えるくらい、今年で二十八歳になる私には、誇れるものがなにもない。

「店員、邪魔ッ」

 小さな舌打ちと共に、肩を押された。
 押されるままに体を横に移動させると、大柄な男性がスポーツ新聞を手に取る。

「すみません」

 彼の買い物の邪魔をしていたと気付いて、私はすぐに謝った。
 だけど男の人は、その声には気付かない様子でそのままレジへと向かう。
 チラリと見た耳に、イヤホンが装着されている。
 自分の言いたいことだけ言って、相手の声を聞く気のない姿勢に、胸に小さな苛立ちが湧く。

「店員さん、すみません」

 レジへと向かう男性の背中を眺めていると、背後から声をかけられた。
 その声に条件反射のように「すみません」と振り返ると、このコンビニをよく利用してくれている年配の男性が立っていた。

「悪いけど、コピー機の使い方教えてもらえる? 職場のが調子悪くて、業者が来るの待っていられなくて」

 そう話す男性の手には、A4サイズのクリアファイルがある。
 チラリと見えた内容によると、来年度の美術館の展示スケジュールのようなものが書かれているらしい。
 地方都市にあるこのコンビニは、周辺に寺社仏閣やホテル、お城のある公園などの他、少し歩けば美術館もある。年配の男性は、その美術館の職員らしい。
 なるほど、よく見かけるはずだ。

「こちらへどうぞ……」

「すみません」

 コピー機へと誘導する私に、男性がペコリと頭を下げた。
 そんな彼にコピーの使い方を説明しながら、頭の片隅で『すみません』って、便利な言葉だなと改めて思った。
 謝罪のためだけでなく、最初に声をかけるときの挨拶や、相手へのねぎらいにも使える言葉なんて、そうそうない。
 そのせいか、私はよく知り合いに『明日香って、すみませんが口癖だよね』と指摘されることがある。

「書画展?」

 コピー機から出てきた紙の文字を、無意識に口にしていた。それから慌てて「すみません」と付け足す。
 この場合の『すみません』は、『勝手に書類を見てすみません』の、謝罪の意味だ。
 だけど年配の男性は、気を悪くした様子もなく笑う。

「そう。来年度の春に予定しているんだ。若い人は興味ないかもしれないけど、有名な書道家の作品展を予定しているんだ」

 そう言って年配男性は、今も現役で活躍している書道家の名前を挙げる。

「ダイナミックな字を書く人で、私のようなリンショタイプの人間は憧れるよ」

 続いて出た男性の言葉が、私の心に引っかかる。

「リンショ?」

 どこかで耳にしたことのある言葉を、私が反復すると男性が意味を教えてくれた。

「臨時ニュースの〝臨〟に書くの〝書〟で〝臨書〟……もとはお手本を見て書くことや、お手本どおりに真似て書いた字のことだよ」

 年配の男性の口調は穏やかで、なんとなく学校の先生を思い出させる。
 その説明で、私の頭の中で得体の知れない言葉のように感じていた〝リンショ〟という文字が〝臨書〟へと変わっていく。
 それと同時に、私自身、子供の頃に習字の先生から『鈴木さんは、臨書はうまいけど字に個性がない』と、言われたのだと思い出す。
 だから『私もです』と、言おうとした。
 でもそれより早く、いらだった声が私の名前を呼ぶ。

「ちょっと鈴木さん、暇ならゴミ出し頼める?」

 シフトがよく重なる井田いださんの声だ。
 井田さんの言葉は疑問形でも、命令にしか聞こえない。

「すみません。やります」

 レジ前に立っている井田さんに返事をした私は、年配の男性にも「すみません」と謝って、その場を離れた。
 年配の男性は、もうコピー機の使い方を理解したみたいだから、私がいなくても大丈夫だろう。
 それなのに謝ってしまうのは、なぜなのだろう。
 レジカウンターの中に入り、バックヤードからビニール手袋と、交換用のゴミ袋を取って戻ってくる頃には、年配の男性の姿は消えていた。
 無事にコピーできたのだろう。

「無駄話してる暇あるなら、働いてよね」

「すみません」

「ついでにトイレ掃除もお願い」

 特に何の作業もしていない井田さんに「はい」と返して、私はゴミ箱の袋を交換し、回収したゴミ袋を外に運んだ。
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