おとぎの国のお一人さま

Ayabusa

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【第二章】Vorspeise ―前菜―

44歳の初就職

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美葉は、これまで就職というものをしたことがない。音楽大学を卒業してからは、自宅で子どもたちにピアノや声楽を教えながら、オペラスタジオの研修生として、レッスンに通う生活をしてきた。
その間に、コンクールも受け、大きなコンクールでは2次まで、小さなコンクールでは、2度入賞を果たした。
音楽以外の仕事をしたことがあるのは、2年間の研修を終えた後、ドイツに留学するためのお金を溜めるために、週3日ケーキ屋でアルバイトをしていた程度のことだ。 
歌う事以外の生活は考えられなかったし、自分は歌うために生まれてきたのだ、と、頑なに信じていた。その頃は。


ドイツで1番暗く、寒い2月のダイデスハイムの駅に降り立った時、暗く広がる雲の下、たった1軒だけ見える小さなスーパー、駅前に広がる枯れ枝(これが全て葡萄の木だった、と知るのは、後の話。)を眺めて、美葉は、

神様、見放しすぎなんですけど…

と、心で呟いた。

44歳。尽くしてきた夫に捨てられ、音楽への夢も意欲も失くなり、一文無しで追い出され、せめて父や母に経済的な心配だけはかけたくないと探した就職、そして行き着いた先が…、この、暗くて小さな村か…。

美葉は、先ほどの心の呟きをため息で吐き出して、空を見上げた。
小雨のまた小雨のような、ほのかな雨粒が美葉のまぶたにあたって、うまく目が開けられない。

またひとつ、ため息をつき、美葉は前を向いた。

いや、まだ行き着いたとも言えない。
今日、美葉は面接に来ただけなのだ。採用されるかどうかも、まだわからない。
場所を選んでいる場合ではない。そう、そんな身分なんかではない!とにもかくにも、収入の宛を得なければ、それこそ美葉は生きてはいけないのだ。

目指すワイナリーレストランは、駅から程近いと聞いていた。
駅を出て、見渡してみると、左方向に煉瓦でできた、大きなワイナリーらしき建物が見えた。

あれかな…?

近寄ってみる。

煉瓦でできた門柱にはめ込まれた表札に、

Weingut Andreas Dick
Restaurant  A.Dick

と、書かれてある。

ここだ。




















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