【完結】ずっと遠くの暗闇に見つけた、

にのまえ

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問題(3)

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 かわいい子だ。素直で、純粋な、いい子だ。明良は無意識にその髪をなでていた。もう日常化したスキンシップだが、純也は気持ちよさそうに笑う。

「俺は明良さんと出会えて幸せだよ。さみしいことは多いけど明良さんがいるから全然平気。そういうことじゃないかな。他の何かがものすごくつらくても、ひとつ頼れるものが残っていれば――みたいな感じだと、俺は希望があるなって思う」

「…………」

 ピンとこない。

 明良は曖昧に首をかしげた。内心がわかるのか、純也は困ったように続ける。

「えーと、そうだな、この間の新刊で言えばさ、最後恋人は諦めて駅から帰っちゃうけど、再会のシーンがなくてもずっと待っててくれたら『希望がある』感じだよ。……いや、あそこで帰るからカナエはカナエなんだけど」

 そうだろう。明良の作る登場人物たちはみんなそうだ。

 例外なく自分本位で身勝手で、主人公を助けようとする人も、本人の都合によるものだから問題が起きれば保身に走る。誰かに縋ろうと行動した主人公ははしごを外され、余計絶望に落ちるのがお約束だ。

 エンディングをいじればキャラ人格が破綻する。キャラの人格を整えようと思えばそれまでのエピソードも変わってくる。純也はうーんとうなった。

「明良さんの本の登場人物で希望を作るのは難しそうだ……話作りって大変なんだね」

「そうかもね。他には?」

「他に……えっと、幸せの伏線だけを張っておくっていうのはどうかな。主人公は春に良いな思い出があって、つらいエンディングだけど、でももう桜が咲いている、みたいな」

「幸せ」

「……明良さんは、どういうときが幸せ?」

 問われ、明良は目を瞬かせた。

「どういうとき、って」

「……思いつかない?」

 思いつかない。

 明良はちょうど先程の純也のように考え込んだ。

 固形栄養食で生きてる通り食に対する関心は薄いし、眠りも机下で不満ない。特別求めていないから満足することも不満足に陥ることもない。

 幸せ。快適であること。心地いいこと。

「…………」

 思いつかない。何もない気がする。けれど「普通」の人間は、幸せなときなどない、なんて言わないだろう。

「あっ、あれかな。小説を一本書き上げたときは幸せかな」

 幸福感というより満足感、やりきった感のほうが強いけれど、唯一それがあげられた。

 明良の回答に純也は困ったように眉を下げる。

 悲しげな表情に見えたけれど、悲しまれるいわれはない。一体どういう気持ちなのだと表情を探って、明良はハッと気がついた。

「あ、もちろん、きみといるときが一番だよ、純くん」

「…………」

 純也は微笑もうとして微笑み損ない、力なく薄い唇を噛んだ。それでもなお笑おうとする不自然な顔が、己の膝を見下ろしながら呟いた。

「明良さんっていつも笑ってるけど……笑顔って、ふたつあるでしょう。見せるための顔と意識しないで出るもの。俺は明良さんといると顔緩みっぱなしだよ。情けない顔で恥ずかしいけど、でも、そういうのが幸せなんだなって思う」

「…………」

「明良さんはどうなのかな。いつも優しい顔をしてるけど、……そう、いつも優しく笑ってるけど、明良さんの顔は……」

 純也の言葉はだんだん独白のように小さくなる。

 風向きがおかしい。そう思い何かを言う前に、前かがみになった彼の真剣な顔が振り返った。

「ねえ、明良さん。俺たちって付き合ってるの?」

「…………」

 眠りに落ちる寸前尋ねたことを、彼は覚えているのだろうか。答えがなかったことを覚えているから、再び聞いたのだろうか。

「へ、変な質問でごめんね。でも……今、何て言うのかな、あれってなって。明良さん、俺たちって」

「……きみはまだ、高校生だから」

 明良は嘘を付くのが得意だ。息をするようになめらかに、とても自然に人を騙せる。

「付き合ってるって、言葉にはしないほうがいいと思ってるよ。だから今まで一回も言葉で約束したことはなかった。愛情の紐は解けやすくしておいて、会うも別れるも自由なのがいい――聞いたことない? エウリピデス」

「けど、じゃあ」

 純也は引き下がらない。

「……俺のこと、俺の半分でも、その半分でも、その半分でも、……好き?」

「…………」

 頷けばいい。わかっている。

 けれどどうしてだろう。不意に、これは騙せないな、と思ったのだ。良心ではない。急に誠実になったわけではないのだ。

 相手は騙されないだろう、これは不可能だろうと感じた。

 何を言っても騙せない。そう直感したから、口からは何も出なかった。

「ヘ、変なことを聞いたね」

 硬直した明良に、純也はそう苦笑した。けれど落ち着かなさそうに髪を引っ張る手が震えている。まるでアルコール中毒者のようだ。尋常ではない様子だった。

 けれど明良は何も言えない。

 好きとか嫌いではないのだ。だって明良にあるのは好悪じゃない。共にいるのはそんな理由からじゃない。

「聞かなくてもいいことだった。わかってたから今まで聞かなかったのに。ごめん、ちょっとどうかしたみたいだ」

「純くん」

「気にしないで……あれ、どうしてかな」

 純也はようやく気づいたというように自分の震える手を握る。

「寒いのかな。どうしてかな……」

「…………」

 彼の瞳は本当に不思議そうで、自分が傷ついたことに気づいてなさそうで、明良は何も言えなかった。

 申し訳ないと思っていないから謝罪もできなかった。
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