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問題(4)
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仕事部屋のプリンターの前で、明良はずいぶん長いこと出てくる紙を眺めていた。
ふたりの空気は最悪だ。緊張感で破裂しそうになっている。
険悪、というわけではない。純也は真っ青だが必死に笑って、明良もバカバカしいくらい作り笑いを振舞っている。
けれど明良が笑うたび先程の会話が蘇るようだった。目に見えない再生機が再度彼を傷つける。傷ついたことを隠そうと純也が更に必死になって、空気はどんどん重く、不自然になっていく。
何をしても雰囲気は晴れない。ついには「没になった完成原稿を読ませてあげる」とはじめての提案をしたのだが、純也は想像より喜ばず、ただ「嬉しい」と上滑りした答えが返っただけだった。
「…………」
彼を好きだと言えなかったこと。そもそも「好きか」と問うほど不安がらせたこと。それが悪かったとはわかる。けれど、と思ってしまうのだ。
純也は明良がいて幸せだろう。幸せだと本人が言った。それだけでいいんじゃないだろうか。彼は満足している。それなのになぜ明良の気持ちなど問うのか。
明良がどういうつもりかわからない今までだって幸せだったのだ。答えがない今だって同様に幸せでいいはずだ。
わからない。こういうことは明良の領分じゃない。
「……とにかく、空気を変えたらいいんだ」
雰囲気を上手く切り替えられないだけかもしれない。反応はいまいちだったけれど純也はファンだ、読ませれば変わるはずだ。
そう思い、明良はようやく印刷できた紙を掴んで部屋を出る。
居間のソファーは仕事部屋に背を向けていた。だからそこに座った彼が、小さくなるように膝を立てて、一生懸命スマホを操作しているのには動く肩ですぐに気づいた。
彼はメッセージを入力するとき、両手でせっせと画面を打つ。
頬を緩ませ、明良は仕事部屋に戻りながら自分の端末を取り出した。
純也は現代っ子だから様々な本心を端末にのせる。ありがとう、ごめんなさい、大好きです。ふたりの連絡アプリには彼からの言葉が……一瞬で消える口頭よりももっと深く正直な言葉が山ほど溜まっている。
変に拗ねてごめんなさい、か。聞かずもがなのことを聞いてごめんなさい、か。
なんにせよ謝罪の言葉があると思った。謝って欲しいんじゃない、謝りたいだろうと思ったのだ。だって純也は満足しているはずだ。こんな空気は何かの間違いなのだ。
手を止めた純也は文面を確認するように見て、やがて一度タップする。
震えると思った。自分の携帯が、彼からの連絡を受信すると疑いもしなかった。
「…………」
けれど一分、二分経ってもスマホはしんとしたままだ。
電波に距離は関係ないが、このタイミングでアプリが遅れるなんて偶然はないだろう。それでも一応アプリを更新しよう……そう操作した瞬間、沈黙の部屋では大きく響くバイブレーションの音が聞こえた。手の中の端末ではない。純也のスマホだ。
「早いな、あの人」
小さく呟いて純也はスマホを操作する。早い、ということは返信だろう。では先程の連絡は明良以外に送ったのだ。
「…………」
そんなこと、ないと思っていた。だって実際に見せられたのだ。
ドラマで浮気からの痴情のもつれが出てきたとき、冗談半分でスマホを渡された。「友達もいないし、家族も家族だから」と笑う彼の連絡アプリは、日に数度やりとりするだけ明良以外、数週間前に同級生と話したのが最新という有様だったのだ。
――なんでか俺、友達ってできなくて。いじめられたりするわけじゃないからいいんだけど。
付き合いはじめた頃の言葉を思い出す。彼には誰もいないと思っていた。自分以外の誰かなど、いるはずがないと思っていた。
明良は無意識に居間へ入り、無駄に微笑んで純也の肩を叩いていた。
「……誰と連絡?」
「うわっ、あ、明良さん」
驚いた純也はスマホを取り落としそうになる。どうにかキャッチし、彼は顔を背けたまま答えた。
「な、内緒」
「そんなこと言わないで」
甘い、シーツの中を思わせる声音で言って、明良は原稿を彼の膝に投げ出すようにして肩をさする。愛撫の手つきで鎖骨のあたりを撫で、背もたれ越しに肩を抱いて囁いた。
「教えてよ、純くん、いいだろ?」
「……だ、だめ。内緒」
赤面し、突然のことに戸惑いながらも、純也は答える。意地になっているのではない。居心地の悪そうな顔は、本当に言いたくないのだと語っていた。
拭うように自分から表情が消えるのを、明良は他人事のように感じる。
「そう」
「あ、明良さん」
冷たい、というより感情のない声に、純也が慌てた顔で振り返る。けれど躊躇のあとその唇は引き結ばれた。焦っているのはわかるし、更に追求すれば違ったのかもしれないが、明良はもうその気を失っていた。
「そう。わかった」
明良はそう言って純也から離れる。「明良さん」と呼ばれたけれどもう答えもしなかった。キッチンへ入り固形栄養食を適当に掴む。
これを食べさせて、今日は早く帰ってもらう。
それ以外の感情はなかった。好きでもないし嫌いでもない。だから怒ってもいない。ただ、何かをしてやる気がすっかり失せていた。
ふたりの空気は最悪だ。緊張感で破裂しそうになっている。
険悪、というわけではない。純也は真っ青だが必死に笑って、明良もバカバカしいくらい作り笑いを振舞っている。
けれど明良が笑うたび先程の会話が蘇るようだった。目に見えない再生機が再度彼を傷つける。傷ついたことを隠そうと純也が更に必死になって、空気はどんどん重く、不自然になっていく。
何をしても雰囲気は晴れない。ついには「没になった完成原稿を読ませてあげる」とはじめての提案をしたのだが、純也は想像より喜ばず、ただ「嬉しい」と上滑りした答えが返っただけだった。
「…………」
彼を好きだと言えなかったこと。そもそも「好きか」と問うほど不安がらせたこと。それが悪かったとはわかる。けれど、と思ってしまうのだ。
純也は明良がいて幸せだろう。幸せだと本人が言った。それだけでいいんじゃないだろうか。彼は満足している。それなのになぜ明良の気持ちなど問うのか。
明良がどういうつもりかわからない今までだって幸せだったのだ。答えがない今だって同様に幸せでいいはずだ。
わからない。こういうことは明良の領分じゃない。
「……とにかく、空気を変えたらいいんだ」
雰囲気を上手く切り替えられないだけかもしれない。反応はいまいちだったけれど純也はファンだ、読ませれば変わるはずだ。
そう思い、明良はようやく印刷できた紙を掴んで部屋を出る。
居間のソファーは仕事部屋に背を向けていた。だからそこに座った彼が、小さくなるように膝を立てて、一生懸命スマホを操作しているのには動く肩ですぐに気づいた。
彼はメッセージを入力するとき、両手でせっせと画面を打つ。
頬を緩ませ、明良は仕事部屋に戻りながら自分の端末を取り出した。
純也は現代っ子だから様々な本心を端末にのせる。ありがとう、ごめんなさい、大好きです。ふたりの連絡アプリには彼からの言葉が……一瞬で消える口頭よりももっと深く正直な言葉が山ほど溜まっている。
変に拗ねてごめんなさい、か。聞かずもがなのことを聞いてごめんなさい、か。
なんにせよ謝罪の言葉があると思った。謝って欲しいんじゃない、謝りたいだろうと思ったのだ。だって純也は満足しているはずだ。こんな空気は何かの間違いなのだ。
手を止めた純也は文面を確認するように見て、やがて一度タップする。
震えると思った。自分の携帯が、彼からの連絡を受信すると疑いもしなかった。
「…………」
けれど一分、二分経ってもスマホはしんとしたままだ。
電波に距離は関係ないが、このタイミングでアプリが遅れるなんて偶然はないだろう。それでも一応アプリを更新しよう……そう操作した瞬間、沈黙の部屋では大きく響くバイブレーションの音が聞こえた。手の中の端末ではない。純也のスマホだ。
「早いな、あの人」
小さく呟いて純也はスマホを操作する。早い、ということは返信だろう。では先程の連絡は明良以外に送ったのだ。
「…………」
そんなこと、ないと思っていた。だって実際に見せられたのだ。
ドラマで浮気からの痴情のもつれが出てきたとき、冗談半分でスマホを渡された。「友達もいないし、家族も家族だから」と笑う彼の連絡アプリは、日に数度やりとりするだけ明良以外、数週間前に同級生と話したのが最新という有様だったのだ。
――なんでか俺、友達ってできなくて。いじめられたりするわけじゃないからいいんだけど。
付き合いはじめた頃の言葉を思い出す。彼には誰もいないと思っていた。自分以外の誰かなど、いるはずがないと思っていた。
明良は無意識に居間へ入り、無駄に微笑んで純也の肩を叩いていた。
「……誰と連絡?」
「うわっ、あ、明良さん」
驚いた純也はスマホを取り落としそうになる。どうにかキャッチし、彼は顔を背けたまま答えた。
「な、内緒」
「そんなこと言わないで」
甘い、シーツの中を思わせる声音で言って、明良は原稿を彼の膝に投げ出すようにして肩をさする。愛撫の手つきで鎖骨のあたりを撫で、背もたれ越しに肩を抱いて囁いた。
「教えてよ、純くん、いいだろ?」
「……だ、だめ。内緒」
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「そう」
「あ、明良さん」
冷たい、というより感情のない声に、純也が慌てた顔で振り返る。けれど躊躇のあとその唇は引き結ばれた。焦っているのはわかるし、更に追求すれば違ったのかもしれないが、明良はもうその気を失っていた。
「そう。わかった」
明良はそう言って純也から離れる。「明良さん」と呼ばれたけれどもう答えもしなかった。キッチンへ入り固形栄養食を適当に掴む。
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