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夜天の主 編

託されたモノ

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 ハクは初めての戦慄を覚えていた。
 神獣の加護は物理的・魔法的関係なく対象者へのあらゆる害悪を排除効果がある。黒いナニカ程度の攻撃であれば1時間は余裕で耐えられるはずだ。しかし、それは一体だけならの話。ゆうに百を超える数の前には多勢に無勢。幾らコウイチへの愛の力が極限状態であっても、これだけの数の攻撃を受けたら五分と持たない。
 黒いナニカが動き出そうとした瞬間、

「――っ!?」

 ハク達の頭上に黒い影が落ち、

「散れ。戦いを望まぬ我に戦いを挑むことがどういう事か分かっているであろう?」

 低い声が周囲に響き渡った。
 見上げたハクは目を見開き、奥歯を噛みしめた。
 いつの間にか白い龍が頭上に飛んでいて、それが一目であの老人――白龍皇だと理解した。
 ハクは飛び出そうとする足を必死に堪えてコウイチを守るために一歩下がった。
 まだ足りない……見た瞬間にハクは力量差を理解していた。強くなったと思っていたのにまだ足りていない。刺し違えて一矢報いることが出来るかどうかだ。それでも命を刈り取るまでには届かないだろう。
 守りたいモノを守れない事実に、今はただアレの矛先がこちらに向かないことを祈るしか出来なかった。

 ――グルゥゥッ!?

 黒いナニカが抗議するかの如く、凶器の腕を振り上げた。
 白龍皇がハク達に背を向けて雪原に降り立ち翼を大きく広げた。

「これは、今は我の客人だ。失せよ、ゴミ共!?」

 先ほどよりも更に低い、腹の底に響くような咆哮が大気を震撼させる。
 背筋に凍るような嫌な感覚を覚えたハクは、咄嗟にコウイチとメアリの頭を掴んで地面に伏せた。
 刹那。
 空気が悲鳴を上げるような音を上げて鳴き、アスファルトの様に硬い雪に蜘蛛の巣のようなヒビが入り、砕けた雪の破片が宙に舞い上がり、突風が巻き起こる。
 突風は渦を描き、竜巻となって黒いナニカを攫っていく。
 竜巻で飛ばされるのはハク達も例外ではなかった。
 ハクは咄嗟に神獣の加護を鎖状に変化させ、ふわふわもこもこしたコウイチのサボテンボディに自分とメアリの身体を雁字搦めに縛り付け、鎖のもう一方を白龍皇の足に巻き付けた。
 ハク達の身体は風に攫われて浮き上がり、凧揚げの如く宙を漂う。
 想像以上の風の強さに鎖がギシギシと悲鳴を上げる。

「くっ!?」

 今まで加護は無意識の内に発動させていた。今回のような加護の形状を変化させるなんてことは咄嗟の思いつきでやってみたら出来ただけだ。
 即席が故に強度は低い。
 加護の鎖のあちこちには亀裂が入り、いつ砕けても不思議ではない。
 今、強い衝撃が加わったら鎖は砕け散る。コウイチとメアリが白龍皇の咆哮で気を失ったのが不幸中の幸いだ。

 ーーガギャァァッ!?

 黒いナニカの1匹が風に乗ってこちらに向かってくるのが見えた。その矛先は白龍皇ではなく、白龍皇とハク達との間ーー鎖だ。

「やめて!?」

 竜巻の発生源である中心付近でもこれだけの風だ。外側の最も風の強い部分に加護なしでコウイチ達が晒されたら命の保証がない。加護をフィールド型にしようとしたら鎖を解かないといけない。そうなったら全員バラバラになる。
 今のハクが発生させられる加護の効果範囲はせいぜい五メートルが限界だ。それもハクが相手の位置を明確に察知している場合に限る。竜巻に飲み込まれたら位置の把握など出来たものではないから加護が使えなくなってしまう。
 黒いナニカがタバール状の腕を振り上げ、一直線にこちらへ突っ込んでくる。
 保険として雁字搦めの鎖の下ではコウイチとメアリの身体を掴んでいてハクは身動きが取れない。

 ーーギャッ!?

 キィッ!

 ハクの願いは虚しく、タバール状の腕が鎖を両断した。
 黒いナニカが不適に笑い湾曲した剣状の腕を振り上げる。この状況になっても黒いナニカは戦う気でいるようだった。
 支えを失ったハク達は勢いよく黒いナニカと共に舞い上がる。
 黒いナニカは器用に身体をくねらせて空中で体勢を整えると剣の腕振り下ろしてくる。
 狙う先はハクの首だ。
 ハクが牙を剥き出しにし、噛み付いて受け止めようとした瞬間ーー黒いナニカが白い光に飲み込まれて消失し、支えをを失ったはずのハク達は空中で静止した。
 鎖が引っ張られている方向を見ると白龍皇が千切れた鎖の先端を咥えている姿があった。

「……なんで」
「言ったはずだ。今の其方らは我の客人であると」

 勝てない。
 守れない。
 そして、この短時間に2度も命を救われた。
 ハクは奥歯を強く噛み締めて目の奥から滲む熱いものを堪えた。




 目を覚ますと洞窟のような場所だった。
 コウイチは腹部に重圧を感じ視線を落とすとハクが頭を預けてすやすやと眠っていた。起き上がる為にハクの頭を持ち上げてどけようとすると眠っていたハクが目を覚まして、凄い勢いで睨まれた。彼女の目の周りがほんのりと赤い。

「ハク、何かあったのか?」
「えっ? ーーっ」

 一瞬、不思議そうな顔をした後、ハクは跳ね起きるように身体を伸ばして袖で目をゴシゴシと擦る。

「ううん、何でもないよ。ちょっと、目にゴミが入っちゃっただけ」

 擦ったことで更に赤みを増した目でハクが取り繕うにようにして笑った。何かがあったのは女心の分からないコウイチにも手に取るように分かる。でも、ハクが言わないのなら、それ以上は踏み入らないのが良いだろう。

「……それならいいんだけど。それじゃあ……ここ何処?」

 コウイチは上手い言葉を見つけられず、下手くそに話題を変えるとハクは目を伏せるように俯いた。
 ハクが掠れるような声で「ごめんなさい」と呟いた後、顔を上げ、いつもの天真爛漫な笑顔で口を開く。

「ここはね、白龍皇の住処だよ」

 コウイチは一瞬、ギョッとしつつも改めて周囲を見渡した。クロがいた大穴とは異なり、人間が丁度通れるくらいの坑道の広さだ。壁の至る所に人工的な窪みがあり、その一つ一つには炎とは異なる白い光が灯っていた。
 淡くも力強い白い光が岩で覆われた空間を照らし出す。

「漸く目が覚めたか」

 不意に背後から聞こえた声にコウイチが振り返るとそこでは見覚えのあるタキシード姿の老人とメアリが平たい岩のテーブルにティーカップを並べてお茶をしている姿があった。

「つまり、あなた方は殲滅派の中でも異端視されているということなんですね?」
「端的に言えばそうだな。ん? おや、眠り姫が起きたようだな」

 老人がこちらに気づいて視線を向けて来るとメアリも釣られるようにして振り向いた。

「姫ではなく未来のハーレム王が的確かと」
「……ハーレム。そんなものを目標とするなど相も変わらず人間はくだらん生き物だ」
「わたしもそれには同感です」

 寝起き一番に酷い言われようだ。



 起き抜けに現在の状況を説明されたコウイチは何となく状況を理解し、両手を広げハグを求めるハクの頭をわしゃわしゃと撫でてあげた。初めは少し不満気に頬を膨らませていたハクだったが、暫くすると満足したように頬を緩ませて笑顔になった。
 さて今現在はメアリが白龍皇との話し合い中だ。内容は世界の勢力図に関して。

「勢力って、平和主義と破壊主義と放任主義だっけか」
「一つもあってない……共存派、殲滅派、傍観派よ」

 ニュアンス的には合ってる気がするのでセーフ。

「それって重要なこと?」
「バカ……その勢力の一つである殲滅派がアヴァロンを落とそうとしてるワケ。タマモ様たちは共存派で殲滅派の詳しいところはご存じないのだから、当人から話を聞けるなら聞くべきでしょ? もしかしたらアヴァロンを落とすことを回避できる別の道が見えるかもしれませんしね」
「なるほど。で、結果としては?」

 メアリが柳眉を吊り上げてコウイチを睨んだ。誰の目にも見て取れるレベルでメアリがイライラとしている。何でだろう? とコウイチは頭を捻るのだった。

「まだ話の途中です。これまでの内容をまとめて説明しながら話していきますから……当分、お口にチャック!」
「……はい」

 共存派。タマモを筆頭とした全生物の共存の道を模索する派閥。
 殲滅派。三皇を筆頭とした自然環境を害する存在を滅ぼそうとする派閥。
 傍観派。クロが率いていた互いに不干渉で天命に委ねる考え方の派閥。
 これらがタマモから説明を受けていた凡その派閥の状況だ。白龍皇曰く概ねは間違っていないが、幾つかの訂正があるそうだ。
 まず、殲滅派を指揮するものは存在しておらず個々が勝手に行動を起こしているに過ぎない。三皇が目立つ活動していることで周囲に勘違いされているだけだそうだ。
 そして最も重要なことは、傍観派の象徴であったクロが死んだことで傍観派は事実上の消滅してしまい世界のパワーバランスが崩壊してしまっているということだ。
 今のままでは近い将来に世界戦争が勃発する。

「それをあんた達がやろうとしてるんだろ?」
「それも説明するからお口にチャック」
「…………」

 コウイチは口にチャックをして黙る事にした。
 コホン、と白龍皇が咳払いをしてから口を開く。

「殲滅派は最終目標が同じではあるが、その過程はバラバラなのだ。我らの目的は不必要な汚染物の排除であるが、他の多くは高度な文明を作った人類種の殲滅を掲げている」

 白龍皇の言う不必要な汚染物とは生きていく上で必要のないモノ。三皇が破壊しようとしている空中都市アヴァロンは存在していなくとも何ら問題はない。そもそも空中都市である必要がないのだ。あれ自体は定点で浮遊しており、移動しないのだから地上に建造しても一緒だ。
 わざわざ空中に浮かせる必要はないのだ。
 アヴァロンは、ただ空中を浮いているどころか、不完全な動力源をしていることで常に汚染物をまき散らし、あまつさえ耐久年数が近づいているにも関わらず動力の一つも止められない為にメンテナンスを行えない状態にある。
 だから、三皇は破壊しようとしているのだった。

「この機に乗じて戦争を企てているのば別の奴らだ。故に我が提示した条件をクリアしたとしても近い将来に戦争は起きるだろうな」
「止められないのかよ!?」
「無理だな。其方たちは他国の戦争を止めることが出来るか? そもそも自ら戦争に関わろうと思わないだろう? 厳しいことを言うかもしれんが、其方が我に戦争を止めろ言うのは、死にに行けと言っているようなものだ」
「……悪い」
「気にするな。遠い昔から戦うことが好きなように見られているからな」
「そう言えば、俺たちを助けに来てくれた時に"戦いを望まない"って言ってたのは……」
「うむ。我と蒼いのは戦いを好まん。紅いのは好きなようだが」

 必要のない戦いはしたくない。
 ある意味では平和主義者なのかもしれないとコウイチは思った。

「しかし、蒼いのから連絡が来たのは驚いた。アレが他者を認めるとは思いもせんかった」
「そんなんじゃないと思うけど」
「まあ、どう転がるかは見ものだ。さて、蒼いのからコレを其方に渡すように頼まれている」

 白龍皇が上着の内ポケットから黒い正方形の物体を取り出して岩のテーブルの上に置いた。
 コウイチは黒い正方形の物体を手に取りくるくると手の中で回して色々な方向で観察をしてみる。大きさは10センチ四方ほどで想像よりも軽い。紙粘土か何かで出来ているのではと錯覚しそうになるが、触り心地的には鉱物特有の硬さがある。

「それは太古の昔からこの世に存在している遺物だ。いつの時代から、何の目的で存在しているかさえ分からない。重要なのは"我々"ですら傷一つ付けられないということだ。触れた感じでは鉱物で出来ていると思われる。其方の力ならば有効利用できるのではないかというのが蒼いのの見立てだ」



 太古の遺物を初め、彼らに自分たちが持てる可能性の全てを託した。
 これでコウイチには異界の力と知識以外にこの世界における共存派、殲滅派、傍観派の全ての力や知識が介在することになる。世界の勢力図が崩壊した今、過去にも未来にもこういった状況は二度と来ないだろう。

「全てを託すぞ少年」

 白いのはコウイチ達が去り静かになった住処で一人佇む。
 そこへ暗がりの中から紅い髪の女が退屈そうな顔で現れた。

「戻ったか、紅いの。暴れたりはしてないだろうな?」
「はいはい、約束通り暴れてませんよ。ちゃーんとコソコソと敵情視察してきました」

 人々に三皇と呼ばれる三匹の龍の最後の一匹だ。
 短気で喧嘩っ早く、雪原の悪魔と同じくらいに戦闘狂である。根は真面目で曲がったことが嫌いであり、暴力的な一方で憎めないヤツでもある。

「奴らは?」
「……あまり良くないね。もしかしたらあたし達よりも早く動き出すかもしれない」
「そうか」

 白いのは顎に手を当て重く頷くと紅いのがギラギラとした鋭い眼光で口元を曲げる。

「言っとくけど、幾ら契約があるからってあたしの得物に手が出されるような事があったら……あたしは契約なんて守らないからね」
「分かっている。そうなった時は好きにしろ」

 と言うと紅いのは満足そうに笑い闇に溶けて消えた。
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