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夜天の主 編

ちぐはぐの記憶とReスタート

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 夜。引っ越し作業の途中とあって寝室の用意など済んでおらず、各々が毛布に包まり部屋のあちこちで眠る中、コウイチは新居の5階にあるテラスで大の字になって寝転がり、考え事をしながら綺麗な満月を眺めていた。
 考えているのは当然、アイリスのことだ。
 帰って来たアイリスは殆どの記憶を失い心身ともに幼くなってしまっていた。
 その原因は全て黒剣:夜天。
 責任はアイリスに押し付けた全員にあるが、自分で制御出来もしないものを後先考えずに作ってしまったコウイチが一番重いとアオは言った。
 コウイチは扱う事が出来ないものを作り出す恐ろしさを痛感し、力を使う事に戸惑いを覚えてしまった。
 アオが言いたい事、メギド・レナーテがアヴァロンを破壊しようとした理由が今になって理解する。
 過ぎた力は己を滅ぼすだけじゃなく、その周囲やもっと大きなものまで壊してしまう。
 アイリスは無意識に世界を壊そうとした自分の行為に責任を感じて自らの記憶を封印してしまった可能性があると紫色の髪の美女――メギド・レナーテは言う。

「あのデカい怪物があんな美女ってのは詐欺だよなぁ。……まあ、いっか…………どうしたらいいだろうな」

 謝って済む問題じゃない。
 それ以前に謝る対象であるアイリスがあんな状態なのだ。
 責任の取り方が分からない。
 いや、責任を取れるようなレベルの問題ではない。
 それこそ一生面倒を見るとか言っても足りないし、アイリスは精霊化していて永遠にも等しい時間を生き続けなくてはならなくなっている。
 やはり、責任を取るとかそういう話ではない。

「くそっ!? どうすりゃいんだよ!」

 コウイチはやり場のない怒りをテラスの床にぶつけた。床に叩きつけた拳に激痛が走る。
 アイリスは命の恩人とも言うべき大切な存在だ。彼女と会っていなければ、今頃は野垂れ人でいたり、悪い大人達に囲われて生涯ブラック労働を強いられていたかもしれない。比較的、自由気ままに過ごせているのは彼女が居てくれたからだ。こんなことになっていなくともアイリスには一生頭が上がらない。
 拳を振り上げ、もう一度床を叩こうとしたコウイチの腕を小さな人影が覆いかぶさるようにして止めた。

「やめ、て」

 月灯りに照らされた長い金色の髪がキラキラと輝き、透き通った碧を宿した瞳から大粒の涙をぼろぼろと零すアイリスが腕に抱き付いていた。

「アイ……リス?」

 なぜ、こんなところに?
 アイリスは最低限の私生活を送るのに必要な記憶を除いて記憶は全て失っている。昔からの親友であるメアリのことさえもだ。
 コウイチ達への認識は”知っている人”くらいはず。
 そんな程度の相手なのに、コウイチの自傷行為に涙を流している。

「コウイチ、やめなさい」

 アイリスが涙で歪ませた瞳を優しく細めて、子供らしくない大人びた口調でコウイチを諭す。
 その姿にコウイチの知るアイリスの姿が重なった。

「っ!? もしかして記憶戻ったのか?」
「っ……ふるふる」

 アイリスは我に返ったかのように首を横に振る。自分でも不思議そうに目を丸くして驚いていた。

「分かんない。でも、嫌だったの……」

 そして気づいたら止めていた。
 コウイチは上体を起こして床に座る。すると、アイリスがちょこんと隣に座り、コウイチの肩に頭を預けた。

「レナーテママとアオお姉ちゃんから色々教えてもらった。本当の私のこと。……たまに知らない夢を見るの。その中で私の知らない私が居て、コウイチさんやメアリさん、ハクさんがいるの。他にも色々な夢を沢山みるの。でも、私全部知らない! 私は何なの? 私は誰なの?」

 コウイチはとんでもない勘違いをしていたことに気づかされた。
 今、隣で泣いている小さなアイリスは自分が知っているアイリスとは別人なのだということを。
 記憶を失う前のアイリスへの償いばかり考えて、記憶を失ったアイリスのことを何一つ考えていなかった。
 アイリスの記憶を取り戻す方法を考えるは重要だが、今すべきは目の前にいる泣いている子を助けることだ。

「ごめん、アイリス」

 コウイチはアイリスの小さな身体を抱きしめた。
 壊さないように大切に。
 長い髪を引っ張らないように優しく頭を撫でる。
 女の子を慰めるなんてことをしたことのない男の精一杯の行為だった。

「―――っ」

 アイリスはコウイチの胸の中で長い間すすり泣いた。
 月が雲海の向こうに沈もうとした頃、アイリスは真っ赤に腫れ上がった目で精一杯の笑顔を作って見せた。
 そんな健気なアイリスがとても愛おしく思え、コウイチは小さな身体を引き寄せるようにして抱き寄せて耳元で言う。

「アイリス、俺たちと一緒に暮らさないか?」

 予定ではこのままアオたちと一緒にアイリスは帰ることになっている。記憶もままならず、力の制御も不安定でいつ暴走してしまうかも分からないからだ。
 一緒に暮らすことが償いとは思わない。
 でも、ここで彼女の手を放したら一生後悔する気がした。
 だから、手を伸ばす。
 この子だけは絶対に手を離したくない。
 アイリスは俯いて少し迷うような素振りをしてから、

「……いいの?」

 おずおずといった感じに首を傾げた。

「俺がアイリスと一緒に居たいんだ」
「私は……ここに居たい。コウイチさんたちと一緒にがいいっ!」

 ぱっ、と花が咲いたように笑顔になったアイリスがコウイチの首に両腕を回して抱き付いて来た。

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 次の日。

「という訳で、今日から一緒に住む事になったアイリスとアオとレナーテだ」
「どうしてわたしも……」
「アオお姉ちゃんも一緒!」
「お姉ちゃんじゃない」
「ふん。たまには俗世で暮らしてみるのも面白かろう」

 年相応の子供のように喜々とはしゃぐアイリス。
 不服そうに半目で溜息を吐くアオ。
 何だから偉そうなレナーテ。
 対してコウイチ陣営はというと――、
 鬼の形相でコウイチを睨むメアリ。
 この世の終わりに直面しているかのようなハク。

「さて、人数を増えたし今日中に荷解き終わらせるぞ! オー!」
「おー!」

 景気よく掛け声に賛同してくれたのはアイリスだけだった。
 各人が荷解きに取り掛かっていく中、

「詳しくは後で聞かせて頂きますね、このロリコン」

 とメアリに耳打ちされるのであった。

「ねぇねぇ、コウイチさん。これどこに運んだらいいの?」

 メアリと入れ替わりにアイリスが重そうな木箱を持って駆け寄ってくる。中身は工具などで数十キロはあるはずなんだけど。

「ア、アイリス、重くない?」
「? ぜんぜん、重くないよ?」
「…………」
「その子は見た目はそんなだけど、概念領域に到達している精霊だってことを忘れちゃダメ。昨日、その子の感情がもう少し昂っていたら貴方の首は飛んでた」

 近くで作業をしていたアオは恐ろしい事を独り言のように呟いた。
 というか、見ていたんですね……。
 やはり、この家での一番のひ弱はコウイチのようだ。
 こうして引っ越しと同時に家族が3人増え、楽しくも恐ろしい6人での同居生活が始まるのであった。


                                          第一章 END
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