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蒼の皇国 編

アオ、愚痴る

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 それは翌朝の事だった。

「緊急事態です!」

 コウイチは酒瓶とゴミが散乱したリビングに全員を集めて切り出した。
 部外者達は既に帰宅しているのでリビングに集まっているのは、
 眉間に皺を寄せたコウイチ、
 夢見心地のハク、
 首に縄をつけられ半泣き状態のアイリス、
 黒革の手帖片手に縄を握るシムルグ、
 未だ酒を飲んでいるレナーテ、
 朝プリン中のアオ、
 アオの仕事で出張中のメアリを除いた6人だ。
 因みにシムルグはアオの護衛及び秘書として暫くの間、滞在する事になっている。

「何かあった?」

 アオが不思議そうな顔で首を傾げる。

「この状況でそのセリフが出てくる辺り、ヤベー奴ですよ! マジで!?」

 コウイチは部屋の惨状を指差してアオに抗議した。
 散らかしたら散らかしっぱなしの片付ける者メアリ不在の恐怖に戦慄せざる得ない。
 今いるメンバーは全員“使う”専門の者たちばかりだ。

「メアリにやらせればいい」
「そのメアリを長期不在にしたのはアオさんっすよね?」
「……じゃあ、捨てる?」
「それを誰がするんだ!?」
「コウイチ」
「…………」

 家ではアオは何もしないし、何もしてくれない。
 何か一つあるとすればアイリスの教育いじめ係だ。それもシムルグの登場によって解放されているような感じになっている。
 つまり、今のアオの役割はプリンを食べて人に命令するだけの係だ。
 百歩譲って掃除はゴミ捨て場に持って行けば全て解決する話だ。このアヴァロンのゴミ処理能力は素晴らしく、燃えるゴミも燃えないゴミも粗大ごみも分別することなくゴミ捨て場に持って行けば処理してくれる。この素晴らしいせかいn……やめて置こう。
 それを差し引いても無視できない問題がある。
 最大の問題にして今すぐに解決しないといけない問題だ。

「掃除はさておき……朝食がありません。昼食も夕食も作る人がいません」

 この家で料理が出来るのはメアリだけである。
 アオも鍋くらいの料理は出来るが、彼女は断固として料理をしない。
 理由は単純で面倒くさいからだ。

「プリンを食べればいい」
「糖尿病まっしぐらだよ!?」
「じゃあ、食べなければいい」
「……いや、死ぬから」
「私たちは大丈夫」
「お前らはな!」

 コウイチを除く住人は基本的に食事を必要としない。
 アオ、アイリスは精霊なので食べても食べなくても問題ない。
 ハクも食べなくてもある程度は問題ない。
 レナーテとシムルグはよく分からないが人外魔境の存在なので同じだろう。
 彼女らにとって食事は生きる為でなく、道楽や趣味のようなものだ。

「メアリはいつ帰ってくる予定で?」
「不明。長くて数年は帰らない」
「マジか」

 数年単位で食事は外食に頼ることになるのは色々と辛いものがある。
 この世界にもコンビニのようなお店は当然のように存在しているし、カフェやレストラン、飲み屋といったものも元の世界よりも高水準なクオリティで立ち並んでいる。
 お金に関しても給与として意味不明な額をアヴァロンから貰っているので、生きていく分には不足はない。
 ただ、凡人の性分なのか外食ばかりというのは気が引けてしまうのだ。
 家でご飯が食べたい。

「因みにメアリに頼んだ仕事って?」
「国作り」
「は?」
「建国」
「いや、それは分かった。じゃなくて……えっと、何て聞けばいいんだ。あー、その、誰の国?」
「私の国」

 国かぁ。
 壮大過ぎてどう反応していいのか分からない。

「……なるほど」

 この時、コウイチは今後何があったとしてもアオの言う事ややる事をありのまま受け入れることにした。
 どうやらアオは先の一件の裏で”自分の目的”の為にコソコソと動き回っていたみたいだ。
 国家建国の為の事務処理担当としてメアリ、技術者としてヴァドス&ミリア、当面の情報処理及び宿代わりとして移動工房艦アメノマとアイちゃんがヒュレイン大樹海にある”例の泉”に行っているそうだ。
 ありのまま受け入れるのも大変なので理由だとかは聴かないことにしたコウイチであった。
 そういう状況なら話は簡単だ。
 コウイチは掌を拳で打ってから云う。

「よし! 引っ越ししよう!」

 ぞくり、と背筋を凍るような感覚が襲う。
 くいくいと袖が引かれて、その方向を見ると怯えた目をしたハクが顎で別の方向を指していた。
 ハクが示した方向に視線を移すとアオが銀のスプーンを握り潰してコウイチを睨みつけている姿があった。

「あのう、アオさーん? 如何されたでしょうか?」

 しばしば、アオは無言で睨んだ後、

「……貴方にとってアヴァロンは必要なもの?」

 と腹の底から捻り出したかの様な低い声を出した。
 その瞬間、レナーテが酒瓶を持って立ち上がり、

「おっと、用事を思い出した。少し出てくる」

 と言って窓から飛び出していった。
 更にシムルグが縄を引いてアイリスを連行して行く。

「我が主、そろそろ雑務に戻りましょう」
「えぇぇぇぇ、もおっ!? もう少し休憩させてぇ!!」
「私は別に構いませんが……アレに巻き込まれたいですか?」

 アイリスは目に一杯の涙を浮かべてシムルグ、コウイチ、アオの順に顔を見比べーー、

「……雑務に励みます!」

 背筋を伸ばし、敬礼をしてシムルグの後に付いて上階へと消えていった。
 なんだ?
 コウイチが不思議そうに首を傾げているとハクが顔をこれでもかと言うくらいに歪ませて首を大きく左右に振りながら袖を引く。

「コウイチ!? ごめんなさいっ!!」

 それだけ言うとハクは脱兎の如く、レナーテが出て行って空いたままになっていた窓から飛び出していった。

「え?」

 ぽかーん、とコウイチは状況を理解出来ず取り残されてしまった。
 不意にコウイチの手首を氷のように冷たい何かが掴んだ。
 それはアオの小さな手だった。
 あまりの冷たさに手を引っ込めようとしたコウイチだったが万力に挟まれたようにビクともしない。
 アオは肉体を持たない精霊であるが、今までにアオの身体が冷たいと思った印象はない。

「アオさん、冷たいんですが……」
「何のこと?」
「いや、あの、手が冷たい、です」
「そう」
「…………」
「…………」

 のしかかるような無言の静寂。
 流石のコウイチも”逃げ遅れた”ことに気づいた。
 否。”逃げ遅れた”のではなく”地雷を踏んだ”のだ。
 故に標的は自分で在る為、逃げ切ることは不可能。
 ……あいつら、逃げたんだな。
 だが、コウイチは何が悪かったのか思い当たらないでいる。
 虚ろのような冷酷なアオの双眸がコウイチを覗き込む。
 そこで初めてコウイチは恐怖を感じた。
 これ、死ぬやつだ。
 バキバキバキ、と音を立てて床にギザギザと波打つ氷が発生した。

「コウイチ」
「……はい」
「石抱って知ってる?」
「イシダ……」

 イシダイといつもの調子で返そうになったのをギリギリのところで飲み込んだ。
 ここでふざけたらガチで殺される!
 石抱。
 それは青少年なら一度は調べた事がある世界の拷問シリーズの一つ。その中にある日本の江戸時代で流行していた”拷問”だ。
 やり方は簡単だ。
 ギザギザの石の上に正座させ、そして太ももの上に石板を置いていくものだ。
 何処の誰だよ。そんな拷問を異世界に伝えた奴は!

「はい、知ってます」
「じゃあ、そこに座る」
「…………」

 コウイチは無言で視線を逸らす。
 石じゃなくって氷っすよ?
 石でもヤバイのに氷とかランク上がってるんですけど……。
 あんなのに座ったら壊死必死!

「座る」
「……はい」

 アオに手を引かれ、コウイチはギザギザ氷の上に正座させられる。
 冷たい。
 既に地味痛い。

「ねえ、貴方にとってアヴァロンは必要なもの?」

 アオが氷の板を片手に首を傾げる。
 考えろ!
 返答を間違えたら殺されかねない。
 コウイチは思考を張り巡らせ正解を導こうとしたが、アオの雰囲気的に考える猶予はなさそうだ。
 なので、

「必要です」

 取りあえず、肯定してみた。

「どれくらい?」
「え? ……どれくらいでしょう? あ、しまったぁぁぁっ!!」

 太ももの上に氷板が乗せられる。
 思い掛けない質問にいつものノリで答えてしまった。
 氷が脛骨に食い込み始める。

「アオさん、ごめんなさい!? 俺、何かしましたか?」

 ズドン。
 一枚追加された。

「ああああああああっっ!?」
「何も分かってない」
「ごめんなさい、ホントにごめんなさい!?」
「何に謝ってるの?」
「分からないから取りあえずっ!? えっ、ちょっ、いやぁぁ、待って待ってまってぇぇぇ!!」

 更に一枚。

「大変だった」
「な、何がでしょう!」
「貴方にとってアヴァロンは替えの利かないものだと思っていたから」
「え? いや、そりゃ替えが利くものではないと思いますけど?」
「ここじゃないと嫌だと思った」
「嫌って?」
「作業はこの工房じゃないとダメだと思っていた」
「材料さえあれば作業何て何処でも出来ますが? あっ!」

 その瞬間、コウイチは言葉を口にしたことを後悔した。
 案の定、一枚追加された。
 コウイチの足は重さと冷たさで限界を迎え始めました。

「このアヴァロンを守るのがどれだけ大変だったと思う?」

 消滅させるのは造作もないが、守るのは一苦労。
 アオが更に一枚の氷板を掲げる。
 口を開けば墓穴を掘る。
 ぶんぶん、とコウイチが首を横に振って懇願した。
 しかし、無情にも氷板が積み上げられている氷板の上に乗せられようとする。
 コウイチは”終わった”と痛みに耐える為にぎゅっと目を瞑った。

「とても大変だった」
「っ!?」

 太ももの上に乗っていた重圧が消え、そしてすぐに少し重く柔らかいモノが太ももの上に乗せられた。
 コウイチが恐る恐る目を開くと太ももの上にアオが座っていた。
 氷板よりは重くない。
 口に出したら殺されるのでチャック。

「骨折り損のくたびれ儲け。必要ないならないって言って」

 聞かれませんでしたし……チャック。

「作業は何処でも出来るけどさ。ここが大切な場所であることは確かなんだ。無くなるのは困る。だから……守ってくれてありがとう」
「……そう。それなら良かった」

 アオは少し嬉しそうに口元を緩めて微笑んだ。
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