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第三部 四季姫革命の巻
第二十二章 封鬼強奪 3
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三
「でも、平安京の中には、簡単には入れないのですよね。どうやって、紬姫に会えばいいんだろう」
力強い味方ができたものの、紬姫は今もなお、侵入困難な京の中だ。居場所がわかったとしても、易々と近くにはいけない。
途方に暮れていると、夏が目を細めて、榎を見つめてきた。
「其方は、水無月 榎と言ったな。水無月とは、鬼の眷属ではないのか?」
突然の的を射た問い掛けに、榎は驚く。
「娘にしては、やけに大きな背丈だと、気にはなっていた。其方は、鬼の末裔なのか?」
平安時代の人々は、現代と比べると食料事情も良くないし、体も小柄な人が多いという。夏も、並んで立ってみれば、榎と頭一つくらい差がある。
この時代では、長身の榎は尚更、目立つわけだ。榎を鬼だと勘繰っても、おかしくはない。
それに実際、夏の憶測は正しい。
「あたしも、最近知ったんですけれど、うちは代々、鬼の血を受け継ぐ家系らしいです。もうだいぶ、薄れているらしいけれど。まあ、怒ると頭に角が生えたり、暴れ出したりといった変化が家族にもあったり……」
自信はなかったが、父――樫男(かしお)が話していた内容を、しどろもどろに伝えた。
話を聞いて少し考え込んでいた夏は、何か良い案でも思いついたのか、確信めいた表情で強く頷いた。
「――琵琶湖から、京に向かって注ぐ川の支流の側に、小さな洞窟がある。その洞窟の先は、京内の水路に繋がっているのだが、出入り口が〝鬼憑きの岩〟と呼ばれる強固な岩で塞がれて、通れなくなっているのだ。かつて、恐ろしい妖怪が水路を通って京に入り込もうとしたため、それを防ぐために、鬼によって閉じられたとされる岩でな。取り除けるのは、同じ鬼の力を宿す者だけなのだが。もし其方に、鬼の力があるのならば……」
「その水路を通って、京に入れるんですね!? やってみる価値はありますよ、行ってみましょう!」
榎は俄然、やる気を奮い立たせた。
* * *
支度を整えて屋敷を出た榎たちは、琵琶湖沿いの道を人目を避けて歩き続けた。屋敷はとっくに見えなくなり、松林と枯れた雑草が織り成す砂利道を、淡々と進んだ。
日が暮れはじめてきた頃、ようやくその洞窟にたどり着いた。
洞窟の入口はとても大きく、右側には小さな水路が掘られ、琵琶湖の水が中に向かって勢いよく流れていた。
その上と洞窟の穴を覆い尽くして、巨大な岩が立ち塞がっていた。水路は小さすぎて、人が通り抜けるのは無理だ。
「これが、鬼憑きの岩……」
榎は岩を見上げて、呆然とする。
いくら体力馬鹿の榎でも、こんな大岩を動かせるだけの力となると、自信が持てない。
「そう。元は、鬼を従える修験者であった役小角(えんのおづぬ)が、この地を山を越えて行き来するために鬼たちに作らせた、秘密の道だと言われている。他にもいくつもの山越えの地下道があるらしいが、私が知る道はこの場所だけだし、京に通じている道も、ここだけだ。私はこの道を通って、京から逃げてきた」
「夏さんは、逃げる時にどうやってこの岩をどかしたんですか?」
「知人に、鬼を使役する陰陽師がいてね。助けを借りた」
「その人に、もう一度力を借りるなんてことは、できないのでしょうか?」
万が一、榎がこの岩をどかせなかった時には、その人に頼むほうが確実ではないだろうか。
「残念だが、その者は今、この洞窟の奥に籠っておられる。そう心配するな。其方にならできる、自信を持ちなさい」
背を押され、榎は岩の前に足を踏み出した。
榎は岩に圧倒されながらも、岩肌にそっと手を触れてみた。
掌を通じて、不思議な力が流れ込んで来る気がした。
「何だろう、強い力が伝わってくる。どこか懐かしい、温かい感じもする」
「岩に残った鬼の力が、其方と通じ合おうとしているのだろう。どうだ、動かせそうか?」
「やってみます」
そもそも、見るからに人の力で動かせそうな代物ではない。
それでも、やるしかない。この道しか、平安京に入り込める道がないのだから。
榎は両腕を広げて、岩の側面に手を懸けた。指先に力を込めて押し、足腰にも力を入れる。
もちろん、びくともしない。
かといって、止めるなんて選択肢はない。榎は全力を込めて、岩を押し続けた。
「開け、このヤロー!!」
血管が切れるのではないかと思うくらい押した結果、榎の体のほうに変化が起こった。
体が熱くなり、額に妙な違和感を覚える。
「角を持つか。やはり、其方は鬼の眷属なのだな!」
夏が興奮した口ぶりで、驚きの声をあげる。
自覚はなかったが、以前、鬼化したときと同じく、頭から角が生えてきたらしい。
鬼の力が表に現れたせいか、さっきよりも力が漲ってくる。
さらに力を込めると、微かに岩が擦れる音がした。
「少し、動いたぞ!」
夏の歓喜の声が飛ぶ。その後も徐々に徐々に、榎の力で岩は動き続けた。
「あと少しだ!」
もう少しで、人が一人通れるくらいの隙間が開く。
夏が試しに隙間に滑り込み、難無く入れることを確認して、榎に合図を送ってきた。
「やった、開いた!」
「よくやったな。見事な力だった」
榎は岩から手を離して、地面に倒れ込む。夏が榎に駆け寄り、体を起こしてくれた。
安心して、肩の力を抜いたのも束の間。
洞窟の奥から、黒い影が飛び出してきた。
数は十体以上はいる。影は素早い動きで榎たちを包囲した。
黒い体を持つ、人手みたいな形をした謎の生命体だった。実態を持たない悪鬼たちにも似た雰囲気だが、邪気は感じない。
「何だ、こいつらは!?」
「式神だよ。陰陽師が使役する、生命の形を変える術によって動かされている存在だ。この入り口を守り、京に行こうとするものを防げるために置かれたのだろう」
式神。
紬姫も使役して、身の回りの世話をさせていた。以前、榎もこてんぱんにされた経験から、かなりの強さを有しているだろうとは想像できた。
「榎、式神崩しの術は使えるか」
夏に訪ねられるが、よく分からず、榎は否定した。
「いいえ、式神と真っ向に戦った経験は、ありません」
でも、変身すればそれなりに戦えるはずだ。榎は髪飾りを手に、変身を試みた。
だが、夏によって制止される。
「むやみに戦って勝てる相手ではない。岩を動かして、疲れているだろう。力を温存しておきなさい」
気を使ってくれるのは有り難いが、この式神たちを、夏は倒せるのだろうか。
今になって気付いたが、夏の使っていた剣は榎が受け取り、変身を解いたときに十二単の衣装と一緒に消えてしまった。今の夏には、力を駆使するための武器がない。
なのに、夏の表情にはそれほど焦りはない。いつもの飄々とした笑顔が浮かんでいる。
「夏さんは、式紙を倒す方法を、知っているのですか?」
「式神を退治する術は、妖怪を倒すものとは異なる。同じ方法で挑んだとしても、力で負けていれば決して勝てぬ。其方も、この式神と、こやつを使役する陰陽師の強さ、感じ取れるであろう?」
榎は頷いた。
「……分かります。とても、強い力だ」
それこそ、紬姫の使役していた式神なんて、足元にも及ばないほどの。
連中は先手を打って攻撃して来る様子はないが、もし、榎たちが怪しい動きをすれば、たちまち攻撃に転じるだろう。それだけの殺気を、常に放っている。
「残念だが、この式神を生み出した陰陽師は、私たちよりもはるかに強いのだ。よって、力のぶつけ合いでは、とうてい敵わぬ」
表情とは裏腹に、夏の言葉には諦めと絶望しかなかった。
「じゃあ、どうするんですか? このままでは、先に進めませんよ!」
まさか、この後に及んで諦めるつもりなのか。
榎は焦る。最悪、敵うか分からないにしても、榎が変身して戦わなければ。
だが、夏も引く気はないらしい。
「理を、利用するしかない。いくら強かろうとも、決して陰陽師が敵わぬ力を用いて、陰陽師の力を打ち負かせばよい」
夏は式神たちの中心で直立し、全身の力を抜いた。
気配を消し、無となる。無防備な姿にも取れるが、近寄りがたい空気を纏っていた。
「夏さん、何を……?」
「少し、下がっておいで。力を抑制できる自信がない」
そう言い放った直後。夏の体の中から、悍ましい気配が一気に膨れ上がった。
夏の体を、どす黒い邪気が包み込む。肌の色も黒く変色し、爪や歯が伸びて、鋭く尖った。
その悍ましい姿に、榎の全身を悪寒が走る。
「この気配は、悪鬼の力!?」
「私の体には、人間と、悪鬼の血が流れている。伝師は、そうやって二つの血を混ぜ続けることで、強さを得て地位を築いてきた一族だから」
姿は変わっても、意識はしっかりと保っている。邪気に体を支配されたというよりは、自在に操っているのだろうか。
「この世の理において、陰陽師は悪鬼に対して何らかの干渉を得る術を、一つも持たない。だからこそ、己よりも強い陰陽師の一族を潰し、服従させるために、伝師は悪鬼の血にこだわったのだ」
夏は両腕に邪気を密集させ、周囲にむけて振りかざした。放たれた邪気は凄まじい力の塊となって式神を襲い、一瞬にして消滅させた。
榎は呆然と、そのありえない戦いを見つめることしかできなかった。
「今の私は、鬼閻の封印によって夏姫としての力はほとんどなくしてしまった。自在に使える力と言えば、この悪鬼の力くらいだ」
式神を全滅させた夏は、悪鬼の力を押さえ込み、内側に収縮させた。
衰弱しているのか、体をよろめかせ、疲れきった表情を浮かべている。
「でも、その歪んだ力は、使いすぎると……」
「よくないね。悪鬼の血を受け入れ続けられる頑丈な器でもない限りは、いずれは悪鬼の力に体が浸食されてしまう」
まさに、両刃の力。使えば絶大な破壊の力を発揮するが、その度に夏の命の灯は、小さく短くなる。
「だが、この先も、我らの敵と対峙することになれば、私は迷わずこの力を用いて戦おう。だが願わくば、私は人のままで死んでいきたい。だからもし、私の器が保たなくなったら、その時は、私に止めを刺してくれるか」
力なく、夏は榎に微笑みかけてきた。
榎の心が、痛む。
榎の使命は、夏の命を蝕んでいる。己の命が尽きるとわかっていても、その力を、榎たちの未来のために、使ってくれようとしている。
この人の生き様を見ていると、不思議に思える。
夏が京を逃げ出して琵琶湖までやって来たのは、命を狙う連中から逃れて、生き延びるためではなかったのだろうか。
今の夏の姿を見ていると、だんだん、違う気がしてきた。
夏は、死を恐れていない。
ただ、生きていられる短い間に、何かを成そうとしている。そんな強い意志が伝わってきた。
その本来の目的は榎には分からない。
それでも、夏の中にある使命感を、潰してしまいたくなかった。
榎は髪飾りに力を込め、夏姫に変身した。
夏は無言で、その様子を見ていた。
「止めなんて、刺しません。この先は、あたしが、陰陽師として戦う。あなたが暴走しても、悪鬼の力を、必ず止めて見せます。だから、絶対に無理をしないで」
夏姫に変身した榎に、夏は穏やかに笑いかけた。
「頼もしいな。できれば私も、ことの成り行きを最後まで見届けたい」
榎は、手に持った白銀の剣の柄を、夏に向かって差し出す。
「剣を、お返ししておきます。あなたが戦うために、必要なものだ」
だが、夏はその剣を拒み、榎に押し返した。
「そなたに託す。その剣は、夏姫のものだから。其方が使ってこそ、相応しい力を発揮するであろう」
「でも、夏さんに、あんな危ない戦いをさせるわけにはいかない」
榎が引かないと分かると、夏は少し考えて、周囲を見渡した。
洞窟の脇に、落石や落ち葉に隠れて、人間のなきがらが横たわっていた。放置されて、かなりの月日が経っているのだろう、既に白骨化していた。
鎧を身に纏っている。京を守っていた兵士だろうか。
榎が驚いていると、夏は亡骸に近付いて、側に落ちていた剣を拾い上げた。
錆びて、刃も所々欠けていたが良い剣らしく、夏は軽く振り回して満足そうに見つめていた。
「研げば充分、使えるな。私は、この鈍(なまく)らで充分だよ。案ずるな、己の身は、己で守れる」
夏の強気な眼光を浴びると、榎もそれ以上は強く言えなかった。
「でも、平安京の中には、簡単には入れないのですよね。どうやって、紬姫に会えばいいんだろう」
力強い味方ができたものの、紬姫は今もなお、侵入困難な京の中だ。居場所がわかったとしても、易々と近くにはいけない。
途方に暮れていると、夏が目を細めて、榎を見つめてきた。
「其方は、水無月 榎と言ったな。水無月とは、鬼の眷属ではないのか?」
突然の的を射た問い掛けに、榎は驚く。
「娘にしては、やけに大きな背丈だと、気にはなっていた。其方は、鬼の末裔なのか?」
平安時代の人々は、現代と比べると食料事情も良くないし、体も小柄な人が多いという。夏も、並んで立ってみれば、榎と頭一つくらい差がある。
この時代では、長身の榎は尚更、目立つわけだ。榎を鬼だと勘繰っても、おかしくはない。
それに実際、夏の憶測は正しい。
「あたしも、最近知ったんですけれど、うちは代々、鬼の血を受け継ぐ家系らしいです。もうだいぶ、薄れているらしいけれど。まあ、怒ると頭に角が生えたり、暴れ出したりといった変化が家族にもあったり……」
自信はなかったが、父――樫男(かしお)が話していた内容を、しどろもどろに伝えた。
話を聞いて少し考え込んでいた夏は、何か良い案でも思いついたのか、確信めいた表情で強く頷いた。
「――琵琶湖から、京に向かって注ぐ川の支流の側に、小さな洞窟がある。その洞窟の先は、京内の水路に繋がっているのだが、出入り口が〝鬼憑きの岩〟と呼ばれる強固な岩で塞がれて、通れなくなっているのだ。かつて、恐ろしい妖怪が水路を通って京に入り込もうとしたため、それを防ぐために、鬼によって閉じられたとされる岩でな。取り除けるのは、同じ鬼の力を宿す者だけなのだが。もし其方に、鬼の力があるのならば……」
「その水路を通って、京に入れるんですね!? やってみる価値はありますよ、行ってみましょう!」
榎は俄然、やる気を奮い立たせた。
* * *
支度を整えて屋敷を出た榎たちは、琵琶湖沿いの道を人目を避けて歩き続けた。屋敷はとっくに見えなくなり、松林と枯れた雑草が織り成す砂利道を、淡々と進んだ。
日が暮れはじめてきた頃、ようやくその洞窟にたどり着いた。
洞窟の入口はとても大きく、右側には小さな水路が掘られ、琵琶湖の水が中に向かって勢いよく流れていた。
その上と洞窟の穴を覆い尽くして、巨大な岩が立ち塞がっていた。水路は小さすぎて、人が通り抜けるのは無理だ。
「これが、鬼憑きの岩……」
榎は岩を見上げて、呆然とする。
いくら体力馬鹿の榎でも、こんな大岩を動かせるだけの力となると、自信が持てない。
「そう。元は、鬼を従える修験者であった役小角(えんのおづぬ)が、この地を山を越えて行き来するために鬼たちに作らせた、秘密の道だと言われている。他にもいくつもの山越えの地下道があるらしいが、私が知る道はこの場所だけだし、京に通じている道も、ここだけだ。私はこの道を通って、京から逃げてきた」
「夏さんは、逃げる時にどうやってこの岩をどかしたんですか?」
「知人に、鬼を使役する陰陽師がいてね。助けを借りた」
「その人に、もう一度力を借りるなんてことは、できないのでしょうか?」
万が一、榎がこの岩をどかせなかった時には、その人に頼むほうが確実ではないだろうか。
「残念だが、その者は今、この洞窟の奥に籠っておられる。そう心配するな。其方にならできる、自信を持ちなさい」
背を押され、榎は岩の前に足を踏み出した。
榎は岩に圧倒されながらも、岩肌にそっと手を触れてみた。
掌を通じて、不思議な力が流れ込んで来る気がした。
「何だろう、強い力が伝わってくる。どこか懐かしい、温かい感じもする」
「岩に残った鬼の力が、其方と通じ合おうとしているのだろう。どうだ、動かせそうか?」
「やってみます」
そもそも、見るからに人の力で動かせそうな代物ではない。
それでも、やるしかない。この道しか、平安京に入り込める道がないのだから。
榎は両腕を広げて、岩の側面に手を懸けた。指先に力を込めて押し、足腰にも力を入れる。
もちろん、びくともしない。
かといって、止めるなんて選択肢はない。榎は全力を込めて、岩を押し続けた。
「開け、このヤロー!!」
血管が切れるのではないかと思うくらい押した結果、榎の体のほうに変化が起こった。
体が熱くなり、額に妙な違和感を覚える。
「角を持つか。やはり、其方は鬼の眷属なのだな!」
夏が興奮した口ぶりで、驚きの声をあげる。
自覚はなかったが、以前、鬼化したときと同じく、頭から角が生えてきたらしい。
鬼の力が表に現れたせいか、さっきよりも力が漲ってくる。
さらに力を込めると、微かに岩が擦れる音がした。
「少し、動いたぞ!」
夏の歓喜の声が飛ぶ。その後も徐々に徐々に、榎の力で岩は動き続けた。
「あと少しだ!」
もう少しで、人が一人通れるくらいの隙間が開く。
夏が試しに隙間に滑り込み、難無く入れることを確認して、榎に合図を送ってきた。
「やった、開いた!」
「よくやったな。見事な力だった」
榎は岩から手を離して、地面に倒れ込む。夏が榎に駆け寄り、体を起こしてくれた。
安心して、肩の力を抜いたのも束の間。
洞窟の奥から、黒い影が飛び出してきた。
数は十体以上はいる。影は素早い動きで榎たちを包囲した。
黒い体を持つ、人手みたいな形をした謎の生命体だった。実態を持たない悪鬼たちにも似た雰囲気だが、邪気は感じない。
「何だ、こいつらは!?」
「式神だよ。陰陽師が使役する、生命の形を変える術によって動かされている存在だ。この入り口を守り、京に行こうとするものを防げるために置かれたのだろう」
式神。
紬姫も使役して、身の回りの世話をさせていた。以前、榎もこてんぱんにされた経験から、かなりの強さを有しているだろうとは想像できた。
「榎、式神崩しの術は使えるか」
夏に訪ねられるが、よく分からず、榎は否定した。
「いいえ、式神と真っ向に戦った経験は、ありません」
でも、変身すればそれなりに戦えるはずだ。榎は髪飾りを手に、変身を試みた。
だが、夏によって制止される。
「むやみに戦って勝てる相手ではない。岩を動かして、疲れているだろう。力を温存しておきなさい」
気を使ってくれるのは有り難いが、この式神たちを、夏は倒せるのだろうか。
今になって気付いたが、夏の使っていた剣は榎が受け取り、変身を解いたときに十二単の衣装と一緒に消えてしまった。今の夏には、力を駆使するための武器がない。
なのに、夏の表情にはそれほど焦りはない。いつもの飄々とした笑顔が浮かんでいる。
「夏さんは、式紙を倒す方法を、知っているのですか?」
「式神を退治する術は、妖怪を倒すものとは異なる。同じ方法で挑んだとしても、力で負けていれば決して勝てぬ。其方も、この式神と、こやつを使役する陰陽師の強さ、感じ取れるであろう?」
榎は頷いた。
「……分かります。とても、強い力だ」
それこそ、紬姫の使役していた式神なんて、足元にも及ばないほどの。
連中は先手を打って攻撃して来る様子はないが、もし、榎たちが怪しい動きをすれば、たちまち攻撃に転じるだろう。それだけの殺気を、常に放っている。
「残念だが、この式神を生み出した陰陽師は、私たちよりもはるかに強いのだ。よって、力のぶつけ合いでは、とうてい敵わぬ」
表情とは裏腹に、夏の言葉には諦めと絶望しかなかった。
「じゃあ、どうするんですか? このままでは、先に進めませんよ!」
まさか、この後に及んで諦めるつもりなのか。
榎は焦る。最悪、敵うか分からないにしても、榎が変身して戦わなければ。
だが、夏も引く気はないらしい。
「理を、利用するしかない。いくら強かろうとも、決して陰陽師が敵わぬ力を用いて、陰陽師の力を打ち負かせばよい」
夏は式神たちの中心で直立し、全身の力を抜いた。
気配を消し、無となる。無防備な姿にも取れるが、近寄りがたい空気を纏っていた。
「夏さん、何を……?」
「少し、下がっておいで。力を抑制できる自信がない」
そう言い放った直後。夏の体の中から、悍ましい気配が一気に膨れ上がった。
夏の体を、どす黒い邪気が包み込む。肌の色も黒く変色し、爪や歯が伸びて、鋭く尖った。
その悍ましい姿に、榎の全身を悪寒が走る。
「この気配は、悪鬼の力!?」
「私の体には、人間と、悪鬼の血が流れている。伝師は、そうやって二つの血を混ぜ続けることで、強さを得て地位を築いてきた一族だから」
姿は変わっても、意識はしっかりと保っている。邪気に体を支配されたというよりは、自在に操っているのだろうか。
「この世の理において、陰陽師は悪鬼に対して何らかの干渉を得る術を、一つも持たない。だからこそ、己よりも強い陰陽師の一族を潰し、服従させるために、伝師は悪鬼の血にこだわったのだ」
夏は両腕に邪気を密集させ、周囲にむけて振りかざした。放たれた邪気は凄まじい力の塊となって式神を襲い、一瞬にして消滅させた。
榎は呆然と、そのありえない戦いを見つめることしかできなかった。
「今の私は、鬼閻の封印によって夏姫としての力はほとんどなくしてしまった。自在に使える力と言えば、この悪鬼の力くらいだ」
式神を全滅させた夏は、悪鬼の力を押さえ込み、内側に収縮させた。
衰弱しているのか、体をよろめかせ、疲れきった表情を浮かべている。
「でも、その歪んだ力は、使いすぎると……」
「よくないね。悪鬼の血を受け入れ続けられる頑丈な器でもない限りは、いずれは悪鬼の力に体が浸食されてしまう」
まさに、両刃の力。使えば絶大な破壊の力を発揮するが、その度に夏の命の灯は、小さく短くなる。
「だが、この先も、我らの敵と対峙することになれば、私は迷わずこの力を用いて戦おう。だが願わくば、私は人のままで死んでいきたい。だからもし、私の器が保たなくなったら、その時は、私に止めを刺してくれるか」
力なく、夏は榎に微笑みかけてきた。
榎の心が、痛む。
榎の使命は、夏の命を蝕んでいる。己の命が尽きるとわかっていても、その力を、榎たちの未来のために、使ってくれようとしている。
この人の生き様を見ていると、不思議に思える。
夏が京を逃げ出して琵琶湖までやって来たのは、命を狙う連中から逃れて、生き延びるためではなかったのだろうか。
今の夏の姿を見ていると、だんだん、違う気がしてきた。
夏は、死を恐れていない。
ただ、生きていられる短い間に、何かを成そうとしている。そんな強い意志が伝わってきた。
その本来の目的は榎には分からない。
それでも、夏の中にある使命感を、潰してしまいたくなかった。
榎は髪飾りに力を込め、夏姫に変身した。
夏は無言で、その様子を見ていた。
「止めなんて、刺しません。この先は、あたしが、陰陽師として戦う。あなたが暴走しても、悪鬼の力を、必ず止めて見せます。だから、絶対に無理をしないで」
夏姫に変身した榎に、夏は穏やかに笑いかけた。
「頼もしいな。できれば私も、ことの成り行きを最後まで見届けたい」
榎は、手に持った白銀の剣の柄を、夏に向かって差し出す。
「剣を、お返ししておきます。あなたが戦うために、必要なものだ」
だが、夏はその剣を拒み、榎に押し返した。
「そなたに託す。その剣は、夏姫のものだから。其方が使ってこそ、相応しい力を発揮するであろう」
「でも、夏さんに、あんな危ない戦いをさせるわけにはいかない」
榎が引かないと分かると、夏は少し考えて、周囲を見渡した。
洞窟の脇に、落石や落ち葉に隠れて、人間のなきがらが横たわっていた。放置されて、かなりの月日が経っているのだろう、既に白骨化していた。
鎧を身に纏っている。京を守っていた兵士だろうか。
榎が驚いていると、夏は亡骸に近付いて、側に落ちていた剣を拾い上げた。
錆びて、刃も所々欠けていたが良い剣らしく、夏は軽く振り回して満足そうに見つめていた。
「研げば充分、使えるな。私は、この鈍(なまく)らで充分だよ。案ずるな、己の身は、己で守れる」
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なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
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