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第三部 四季姫革命の巻
第二十五章 冬姫革命 6
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六
体を休めて、ようやく起き上がれるようになった頃には、もう夜になっていた。
ほぼ丸一日、出産のために葛藤していたのだと気付く。あっという間だったと思っていたが、実は途方もない時間が流れていて、驚いた。
「これで、了生はんたちの未来は救われたな。ひと安心や」
心身共に疲れてヘトヘトだったが、柊の気持ちは晴れやかで、満足感に溢れていた。
語や紬姫の件はともかく、了生を助けられたのだから。それだけで、柊にとっては最大の試練を乗り越えたも同じだった。
部屋の隅では、冬姫が寝床の上に体を起こし、生まれたばかりの赤ん坊を優しく抱き上げていた。着物の襟元を開き、乳を与えている。赤ん坊は一心不乱にお乳を飲み続けていた。
子供を見つめる、愛しさと慈しみを帯びた表情。その穏やかな笑顔は、厳格な冬姫とは全く異なる、幸福な母親の雰囲気を存分に醸し出していた。見ているだけで、こちらも幸せな気分になれる。
「名前は、もう決めたんですか?」
尋ねると、冬姫は顔を上げて、少し考える素振りを見せた。
「まだ、決めておらぬ。了念と、しかと話し合わねばのう」
そんな話をしていると、外に出ていた了念が入って来た。囲炉裏の火を絶やさないように、薪を割ってきてくれた。
「遅くなったが、明かりを灯して飯にしようか。子のために、お冬もしっかりと食わねばな」
「せやな。すっかり寝てしもうた。うちが準備しますわ」
立ち上がろうとした柊を、了念は慌てて制止させる。
「いやいや、其方には世話になりっぱなしだ。まだ、休んでいてくれ。今宵はわしが、馳走しよう」
料理には自信があるらしく、了念は豪快ながらも手早く干し肉を切り分け、鍋の中で調理し始めた。
だが、その料理が完成するより前に、小屋の外から嫌な気配が広がった。
二度目の、不穏な気配。前回の妖怪の気配とは、明らかに異なる。
初めてではない気がしたが、あまり感じた記憶のない、奇妙かつ強い気配だった。
冬姫も了念も、その気配に気付いたらしく、出入り口の向こう側に殺気を放ち始めた。冬姫は、満腹になって眠ってしまった子供をしっかりを抱きしめて守る。
柊は薙刀を手に、ゆっくりと出入り口の脇に歩み寄る。小屋の外には、確実に何者かがいる。そいつは奇襲を仕掛けてくるわけでもなく、ただじっと、動かずに立っている様子だった。
気味が悪い。柊は、出入り口を挟んで向かい側で外の気配を伺う了念と示し合わせ、同時に外に飛び出した。
薄暗くなった周囲の景色の中で、黄金色に輝いて異質な存在を放つ者が一人、立っていた。
人、と呼べるものなのかも分からない。金色に光を放つ、東洋風の大仰な鎧を身に纏った、筋骨隆々の逞しい男ではあった。だが、頭からは角が生えている。
「何や、こいつは……?」
「その気配、鬼か。かなり強い力を感じる。何処かに封じられていたものかもしれぬな」
了念は目を細めて、その男を観察する。
――鬼。
古来より、陰陽師と深い関わりを持ってきた、今は忘れられし幻の種族。
言われてみれば、その角(つの)は以前、鬼化を起こして暴走した、榎の頭から生えていたものと似ている。
「そないな奴が、何でこないな場所に……?」
「あの、ふざけた小娘の仕業か、それとも、まったく与り知らぬ経緯で迷い込んだか」
背後から、声がした。
簾を潜(くぐ)って、赤ん坊を抱いた冬姫が顔を出した。
目を細めて、目の前に立つ鬼を睨み付ける。
「お冬、出てきてはいかん!」
「いつまでも隠れてはおれぬ。どうやら、こやつの狙いは、妾であるらしいからな」
了念の制止もきかず、冬姫はさらに、前へ歩みを進める。
冬姫の姿を視界に捉えた途端、鬼の放つ無に近かった気配が、急激に高揚しはじめた。
「強き、気高き魂を持つものよ、ようやく見つけた! 我が名は、四鬼が一人、金鬼なり。我と戦え、強き者!」
鬼の言葉を受け止め、冬姫は表情を歪める。挑発に乗っているのではないかと冷や冷やしたが、柊が感じた以上に、冬姫の態度は冷静だった。
「了念。やや子を頼むぞ」
冬姫は了念に子供を預け、入り口の傍に立てかけてあった薙刀を手に取った。
「何をする気だ、お冬!」
「身が軽うなって、動きやすくなった。どこから湧いて出た鬼畜生か知らぬが、この冬姫に盾突いて、生きて帰れると思うなよ」
冬姫は、止めようと声を掛け続ける了念を引き離し、金鬼の前に立った。
薙刀を構え、軽々と振り回す。薙刀の刃先が風を切り、周囲に激しい突風を引き起こした。
風は鋭利な真空波となり、金鬼めがけて突っ込んでいく。その風は冷気を帯びているらしく、通り過ぎた地面は凍り付き、土が白く霜を帯びた。
真空波が直撃すると同時に、金鬼の足が地面から離れて、吹き飛んだ。すさまじい風圧だ。
「お産の後やいうのに、めっちゃ強いやんか……」
体力が落ちていて、この威力なのか。万全の状態で戦えば、どれほどの攻撃力を誇っていただろう。
「今は、冬であるからな。夏よりは、戦いやすい」
以前、月麿も言っていた。四季姫は、各々が司る季節に、より強い力を発揮できると。つまり、冬である今は、冬姫の力が最大限に高まっている時でもあるわけだ。
体に大きな負担をかけずに、この鬼を倒せるかもしれない。
当の金鬼は、後ろに飛ばされて倒れていたが、すぐにゆっくりと起き上がった。
身に着けていた鎧には、斜めにまっすぐ、鋭利な切り傷が刻まれていた。冬姫の攻撃の強力さがよく分かる。
「確かに、見事な冷気の操り。だがしかし、我が最強の盾の前に於いて、女の刃の一振りなど、無意味!」
冬姫の攻撃を次々と見に受けていたにもかかわらず、金鬼が大きなダメージを受けているとは思えなかった。鎧には多少の摩耗が見られたが、肉体のほうはピンピンしている。
「あかん、やっぱり筋力が足りてへん」
金鬼の防御力に、冬姫の攻撃力が劣っているせいだ。金鬼の強さもさながら、長らく身重で体を動かしてこなかった冬姫の実力の低下も、容易に想像できる。
「どうした、強き者。もう限界か。それほど気高き魂を持ちながらも、我に示してはくれぬのか。それとも、後ろの者共を庇うのに夢中で、戦いに集中できぬか。ならばお主の守りたいものを消し去り、煩悩を取り払ってしんぜようか」
金鬼の視線が、冬姫の背後にいる了念と、腕に抱く赤ん坊に突き刺さった。
ただの挑発とは思えない。冬姫を怒らせて、さらに力を引き出そうとしているらしい。
金鬼は了念たちに向かって腕を振り上げた。冬姫は驚く程の速さで、その腕を薙刀で弾き落とした。
「妾の愛する者に手を出すことは、許さぬ!」
怒りを噴出しながら、冬姫は体中にさらなる神通力を纏わせる。金鬼は楽しそうに笑っていた。
だが、無理をして絞り出している力だということは、一目瞭然だ。冬姫の腕が酷使されて、震えている。
「無理したらあかん。確か、鬼閻を封印する時に、朝月夜に力を仰山、分け与えたんやろう?」
柊は冬姫の隣に立ち、腕を掴んで制止させた。冬姫の腕は、凍り付きそうなくらいに冷たい。
現代で白神石の封印を解いた時、朝は前世の四季姫たちに与えられたものだと、凄まじい力を返してくれた。あの力が四季姫たちの根底に眠る陰陽師の力であるとするならば、それを失った今の冬姫の中には、戦う力なんてほとんど残っていないはずだ。
「もう充分や。後ろに下がっとき、あとは、うちが何とかする」
「戯言(ざれごと)を抜かすな。力も満足に使えぬ小娘が、力押しで鬼に勝てると思うておるのか」
庇おうとする柊を、冬姫は嘲る。変身ができない柊の力も、今の冬姫とどっこいどっこい、それよりも低いかもしれない。
「そんなもん、やってみんと、分からんやろう」
だからといって、この場を冬姫に任せて見物しているなんて、できるわけがない。
冬姫にもしものことがあれば、生まれたばかりの子供はどうなる。
「もう、うち目の前で、母親と共に過ごせんくなる子供を、作りとうないんや」
冬姫は驚いた表情で、柊を横顔を凝視していた。
大きく開かれた瞳はやがて伏せ、静かに閉じられた。
しばしの沈黙ののち、冬姫は呟いた。
「妾の命、使え」
今度は、柊が驚く番だ。
「何を言うとるねん!?」
「お主が冬姫の力を操りきれぬのは、妾が生きておるからであろう。妾の魂をお主が宿せば、化け物共とも、対等以上に戦えるはず」
冬姫の言葉にカチンときた柊は、なりふり構わず大声を張り上げた。
「アホか! 母親がおらんようになったら、子供はどないして生きていくんや! こんな、何もない世界で、何を支えに生きていくんや!」
自分自身の声が、頭の中に響く、同時に、脳内に過去の記憶がフラッシュバックされて蘇る。
柊を置いて、家を出て行った母親の背中。別れを告げられた。二度と会えない。あの苦しい記憶。
了生が、母親の墓前に佇み、死に別れた人々との寂しさに打ちひしがれる背中。
もう、あんな思いをするのは、あんな姿を見るのは、誰であっても耐えられない。
「うちが力を得るために、あの子の母親を奪う羽目になるんやったら、うちは冬姫の力なんぞ要らん! 歴史が変わろうが、知ったこっちゃないわ! 咎も皺寄せも、全部、うちが引き受けたる!」
「ならば、妾の力も引き受けよ。この子のために、何も遺せず果てるなど、妾の母としての心が許さぬ。母として、共に過ごせなかったこの子との時間、お主が埋めておくれ。この子を守るための力、妾と、この子のために受け取るのじゃ」
「嫌や! うちは、今のままで充分や。あんたは、赤ん坊の側におってやらなあかんのや、母親やろう!? 親の役割から逃げるな! 最後まで戦え!」
「驕(おご)るな! お前こそ、お前自身の使命から逃げているだけであろう!」
柊の言い分に腹を立てた様子で、冬姫が怒鳴り声を上げた。その凄まじい剣幕に、柊は思わず、怯む。
「お主は本来なら、この場にいるはずのない存在だ。なぜ、妾の前に現れた? 力を得るためではないのか。大切なものを守るためではないのか!?」
冬姫は柊の腕を振り払い、薙刀を構え直し、柊に突き出した。
「お主はまだ、戦わねばならぬはずだ。妾の力を、受け継いで――」
「そうやとしても、そんなやり方は……」
「言うても分からぬなら、無理矢理にでも受け取ってもらう」
まだ、覚悟の定まらない柊の目の前で、冬姫は薙刀を半回転させ、刃先を己の体に向け、突き付けた。
止める暇もなかった。冬姫の腹部には刃が深々と刺さり、違滲み出る。
口からも、泡となった血が、滴り落ちてきた。
「お冬!!」
地面に膝を突く冬姫を見て、了念が悲痛の声を上げる。
「何でや、何で、そこまでして……」
柊は立ちすくんだまま、動けなかった。体が震えて、うまく動かせない。膝も折れない。
「お主も、いつか愛しい男と結ばれ、子を生せば分かる。我が子との、生まれながらの絆、たとえ離れようと、未来永劫、再会が叶わずとも、決して切れはしない。――同じ血が、流れておるのだから」
弱々しい呼吸をしながら、冬姫は柊を見上げてくる。その表情は、穏やかに微笑んでいた。
全てを成し遂げた、満足した表情。その中には、悔いも苦しみも、垣間見えなかった。
「妾とやや子との絆、冬姫の力と共に、お主が受け継いでおくれ。母との縁は、死に別れても決して切れぬのだと、我が子に教えてやっておくれ」
笑いかける冬姫の姿が、滲む。柊の瞳を、涙の膜が覆う。
語るべき話を語り終えると、冬姫は最後の力を振り絞って、了念と子供に視線を向けた。
「了念。妾の魂は消えぬ。常にお主たちと共にあり続けよう。わが子を、冬姫の魂を守るに相応しい立派な男に、育ててくれ……」
最期の言葉を残して、冬姫の体は横向けに倒れた。
「お冬、目を開けろ、冬姫!!」
薙刀の柄が地面を打ち付ける音で我に返り、了念は取り乱しながら冬姫に駆け寄った。
片手に子供を抱き、もう片腕で冬姫の体を抱き起す。その体はもう、微動だにしない。
嗚咽を噛み殺し、どうすればいいのか分からない様子で、肩を震わせている。
その姿を見た瞬間、柊の心の中で、何かが吹っ切れた。
冬姫が守ろうとした者たち。この人たちだけでも、守らなくては。
柊の体の中に、力が湧き上がってくる。
冷たくも温かい。誰よりも愛するものを愛し続けた、強い母親の魂。
その魂が、柊に力を与えてくれた。
降り頻る雪が、吹雪き始めた。柊の体を、青白い光が包み込む。
「何だ、この光は? 冷たくも暖かい……」
風が治まり、目を開くと、側で了念が呆然と、こちらを見ていた。
「風乱れ 降り頻る雪 地に積もる 君と包めや 白き壁かな」
懐かしく感じる和歌を口ずさむと共に、柊は青を基調とした十二単を身に纏っていた。
「――冬姫、見参や!」
「冬……姫?」
まだ、訳が分からず柊を見ている了念を脇目に、側に転がった薙刀を拾い上げ、鬼めがけて振るった。刃からは冷気が吹き出し、目の前の地面をあっという間に氷漬けにした。
力が溢れてくる。もう、止まらないのではと思えるほどに。
「冬姫はんが亡うなって、魂が転生の輪に入った。巡り巡って、うちのところに届きましたわ。了念はんは、二人を連れて下がって下さい」
柊は目の前の鬼に視線を突き刺し続けながら、背後の了念にそう告げた。
「――冬姫はんの力、うちが貰い受けます。必ず最後まで、あんたたちを守ってみせる!」
体を休めて、ようやく起き上がれるようになった頃には、もう夜になっていた。
ほぼ丸一日、出産のために葛藤していたのだと気付く。あっという間だったと思っていたが、実は途方もない時間が流れていて、驚いた。
「これで、了生はんたちの未来は救われたな。ひと安心や」
心身共に疲れてヘトヘトだったが、柊の気持ちは晴れやかで、満足感に溢れていた。
語や紬姫の件はともかく、了生を助けられたのだから。それだけで、柊にとっては最大の試練を乗り越えたも同じだった。
部屋の隅では、冬姫が寝床の上に体を起こし、生まれたばかりの赤ん坊を優しく抱き上げていた。着物の襟元を開き、乳を与えている。赤ん坊は一心不乱にお乳を飲み続けていた。
子供を見つめる、愛しさと慈しみを帯びた表情。その穏やかな笑顔は、厳格な冬姫とは全く異なる、幸福な母親の雰囲気を存分に醸し出していた。見ているだけで、こちらも幸せな気分になれる。
「名前は、もう決めたんですか?」
尋ねると、冬姫は顔を上げて、少し考える素振りを見せた。
「まだ、決めておらぬ。了念と、しかと話し合わねばのう」
そんな話をしていると、外に出ていた了念が入って来た。囲炉裏の火を絶やさないように、薪を割ってきてくれた。
「遅くなったが、明かりを灯して飯にしようか。子のために、お冬もしっかりと食わねばな」
「せやな。すっかり寝てしもうた。うちが準備しますわ」
立ち上がろうとした柊を、了念は慌てて制止させる。
「いやいや、其方には世話になりっぱなしだ。まだ、休んでいてくれ。今宵はわしが、馳走しよう」
料理には自信があるらしく、了念は豪快ながらも手早く干し肉を切り分け、鍋の中で調理し始めた。
だが、その料理が完成するより前に、小屋の外から嫌な気配が広がった。
二度目の、不穏な気配。前回の妖怪の気配とは、明らかに異なる。
初めてではない気がしたが、あまり感じた記憶のない、奇妙かつ強い気配だった。
冬姫も了念も、その気配に気付いたらしく、出入り口の向こう側に殺気を放ち始めた。冬姫は、満腹になって眠ってしまった子供をしっかりを抱きしめて守る。
柊は薙刀を手に、ゆっくりと出入り口の脇に歩み寄る。小屋の外には、確実に何者かがいる。そいつは奇襲を仕掛けてくるわけでもなく、ただじっと、動かずに立っている様子だった。
気味が悪い。柊は、出入り口を挟んで向かい側で外の気配を伺う了念と示し合わせ、同時に外に飛び出した。
薄暗くなった周囲の景色の中で、黄金色に輝いて異質な存在を放つ者が一人、立っていた。
人、と呼べるものなのかも分からない。金色に光を放つ、東洋風の大仰な鎧を身に纏った、筋骨隆々の逞しい男ではあった。だが、頭からは角が生えている。
「何や、こいつは……?」
「その気配、鬼か。かなり強い力を感じる。何処かに封じられていたものかもしれぬな」
了念は目を細めて、その男を観察する。
――鬼。
古来より、陰陽師と深い関わりを持ってきた、今は忘れられし幻の種族。
言われてみれば、その角(つの)は以前、鬼化を起こして暴走した、榎の頭から生えていたものと似ている。
「そないな奴が、何でこないな場所に……?」
「あの、ふざけた小娘の仕業か、それとも、まったく与り知らぬ経緯で迷い込んだか」
背後から、声がした。
簾を潜(くぐ)って、赤ん坊を抱いた冬姫が顔を出した。
目を細めて、目の前に立つ鬼を睨み付ける。
「お冬、出てきてはいかん!」
「いつまでも隠れてはおれぬ。どうやら、こやつの狙いは、妾であるらしいからな」
了念の制止もきかず、冬姫はさらに、前へ歩みを進める。
冬姫の姿を視界に捉えた途端、鬼の放つ無に近かった気配が、急激に高揚しはじめた。
「強き、気高き魂を持つものよ、ようやく見つけた! 我が名は、四鬼が一人、金鬼なり。我と戦え、強き者!」
鬼の言葉を受け止め、冬姫は表情を歪める。挑発に乗っているのではないかと冷や冷やしたが、柊が感じた以上に、冬姫の態度は冷静だった。
「了念。やや子を頼むぞ」
冬姫は了念に子供を預け、入り口の傍に立てかけてあった薙刀を手に取った。
「何をする気だ、お冬!」
「身が軽うなって、動きやすくなった。どこから湧いて出た鬼畜生か知らぬが、この冬姫に盾突いて、生きて帰れると思うなよ」
冬姫は、止めようと声を掛け続ける了念を引き離し、金鬼の前に立った。
薙刀を構え、軽々と振り回す。薙刀の刃先が風を切り、周囲に激しい突風を引き起こした。
風は鋭利な真空波となり、金鬼めがけて突っ込んでいく。その風は冷気を帯びているらしく、通り過ぎた地面は凍り付き、土が白く霜を帯びた。
真空波が直撃すると同時に、金鬼の足が地面から離れて、吹き飛んだ。すさまじい風圧だ。
「お産の後やいうのに、めっちゃ強いやんか……」
体力が落ちていて、この威力なのか。万全の状態で戦えば、どれほどの攻撃力を誇っていただろう。
「今は、冬であるからな。夏よりは、戦いやすい」
以前、月麿も言っていた。四季姫は、各々が司る季節に、より強い力を発揮できると。つまり、冬である今は、冬姫の力が最大限に高まっている時でもあるわけだ。
体に大きな負担をかけずに、この鬼を倒せるかもしれない。
当の金鬼は、後ろに飛ばされて倒れていたが、すぐにゆっくりと起き上がった。
身に着けていた鎧には、斜めにまっすぐ、鋭利な切り傷が刻まれていた。冬姫の攻撃の強力さがよく分かる。
「確かに、見事な冷気の操り。だがしかし、我が最強の盾の前に於いて、女の刃の一振りなど、無意味!」
冬姫の攻撃を次々と見に受けていたにもかかわらず、金鬼が大きなダメージを受けているとは思えなかった。鎧には多少の摩耗が見られたが、肉体のほうはピンピンしている。
「あかん、やっぱり筋力が足りてへん」
金鬼の防御力に、冬姫の攻撃力が劣っているせいだ。金鬼の強さもさながら、長らく身重で体を動かしてこなかった冬姫の実力の低下も、容易に想像できる。
「どうした、強き者。もう限界か。それほど気高き魂を持ちながらも、我に示してはくれぬのか。それとも、後ろの者共を庇うのに夢中で、戦いに集中できぬか。ならばお主の守りたいものを消し去り、煩悩を取り払ってしんぜようか」
金鬼の視線が、冬姫の背後にいる了念と、腕に抱く赤ん坊に突き刺さった。
ただの挑発とは思えない。冬姫を怒らせて、さらに力を引き出そうとしているらしい。
金鬼は了念たちに向かって腕を振り上げた。冬姫は驚く程の速さで、その腕を薙刀で弾き落とした。
「妾の愛する者に手を出すことは、許さぬ!」
怒りを噴出しながら、冬姫は体中にさらなる神通力を纏わせる。金鬼は楽しそうに笑っていた。
だが、無理をして絞り出している力だということは、一目瞭然だ。冬姫の腕が酷使されて、震えている。
「無理したらあかん。確か、鬼閻を封印する時に、朝月夜に力を仰山、分け与えたんやろう?」
柊は冬姫の隣に立ち、腕を掴んで制止させた。冬姫の腕は、凍り付きそうなくらいに冷たい。
現代で白神石の封印を解いた時、朝は前世の四季姫たちに与えられたものだと、凄まじい力を返してくれた。あの力が四季姫たちの根底に眠る陰陽師の力であるとするならば、それを失った今の冬姫の中には、戦う力なんてほとんど残っていないはずだ。
「もう充分や。後ろに下がっとき、あとは、うちが何とかする」
「戯言(ざれごと)を抜かすな。力も満足に使えぬ小娘が、力押しで鬼に勝てると思うておるのか」
庇おうとする柊を、冬姫は嘲る。変身ができない柊の力も、今の冬姫とどっこいどっこい、それよりも低いかもしれない。
「そんなもん、やってみんと、分からんやろう」
だからといって、この場を冬姫に任せて見物しているなんて、できるわけがない。
冬姫にもしものことがあれば、生まれたばかりの子供はどうなる。
「もう、うち目の前で、母親と共に過ごせんくなる子供を、作りとうないんや」
冬姫は驚いた表情で、柊を横顔を凝視していた。
大きく開かれた瞳はやがて伏せ、静かに閉じられた。
しばしの沈黙ののち、冬姫は呟いた。
「妾の命、使え」
今度は、柊が驚く番だ。
「何を言うとるねん!?」
「お主が冬姫の力を操りきれぬのは、妾が生きておるからであろう。妾の魂をお主が宿せば、化け物共とも、対等以上に戦えるはず」
冬姫の言葉にカチンときた柊は、なりふり構わず大声を張り上げた。
「アホか! 母親がおらんようになったら、子供はどないして生きていくんや! こんな、何もない世界で、何を支えに生きていくんや!」
自分自身の声が、頭の中に響く、同時に、脳内に過去の記憶がフラッシュバックされて蘇る。
柊を置いて、家を出て行った母親の背中。別れを告げられた。二度と会えない。あの苦しい記憶。
了生が、母親の墓前に佇み、死に別れた人々との寂しさに打ちひしがれる背中。
もう、あんな思いをするのは、あんな姿を見るのは、誰であっても耐えられない。
「うちが力を得るために、あの子の母親を奪う羽目になるんやったら、うちは冬姫の力なんぞ要らん! 歴史が変わろうが、知ったこっちゃないわ! 咎も皺寄せも、全部、うちが引き受けたる!」
「ならば、妾の力も引き受けよ。この子のために、何も遺せず果てるなど、妾の母としての心が許さぬ。母として、共に過ごせなかったこの子との時間、お主が埋めておくれ。この子を守るための力、妾と、この子のために受け取るのじゃ」
「嫌や! うちは、今のままで充分や。あんたは、赤ん坊の側におってやらなあかんのや、母親やろう!? 親の役割から逃げるな! 最後まで戦え!」
「驕(おご)るな! お前こそ、お前自身の使命から逃げているだけであろう!」
柊の言い分に腹を立てた様子で、冬姫が怒鳴り声を上げた。その凄まじい剣幕に、柊は思わず、怯む。
「お主は本来なら、この場にいるはずのない存在だ。なぜ、妾の前に現れた? 力を得るためではないのか。大切なものを守るためではないのか!?」
冬姫は柊の腕を振り払い、薙刀を構え直し、柊に突き出した。
「お主はまだ、戦わねばならぬはずだ。妾の力を、受け継いで――」
「そうやとしても、そんなやり方は……」
「言うても分からぬなら、無理矢理にでも受け取ってもらう」
まだ、覚悟の定まらない柊の目の前で、冬姫は薙刀を半回転させ、刃先を己の体に向け、突き付けた。
止める暇もなかった。冬姫の腹部には刃が深々と刺さり、違滲み出る。
口からも、泡となった血が、滴り落ちてきた。
「お冬!!」
地面に膝を突く冬姫を見て、了念が悲痛の声を上げる。
「何でや、何で、そこまでして……」
柊は立ちすくんだまま、動けなかった。体が震えて、うまく動かせない。膝も折れない。
「お主も、いつか愛しい男と結ばれ、子を生せば分かる。我が子との、生まれながらの絆、たとえ離れようと、未来永劫、再会が叶わずとも、決して切れはしない。――同じ血が、流れておるのだから」
弱々しい呼吸をしながら、冬姫は柊を見上げてくる。その表情は、穏やかに微笑んでいた。
全てを成し遂げた、満足した表情。その中には、悔いも苦しみも、垣間見えなかった。
「妾とやや子との絆、冬姫の力と共に、お主が受け継いでおくれ。母との縁は、死に別れても決して切れぬのだと、我が子に教えてやっておくれ」
笑いかける冬姫の姿が、滲む。柊の瞳を、涙の膜が覆う。
語るべき話を語り終えると、冬姫は最後の力を振り絞って、了念と子供に視線を向けた。
「了念。妾の魂は消えぬ。常にお主たちと共にあり続けよう。わが子を、冬姫の魂を守るに相応しい立派な男に、育ててくれ……」
最期の言葉を残して、冬姫の体は横向けに倒れた。
「お冬、目を開けろ、冬姫!!」
薙刀の柄が地面を打ち付ける音で我に返り、了念は取り乱しながら冬姫に駆け寄った。
片手に子供を抱き、もう片腕で冬姫の体を抱き起す。その体はもう、微動だにしない。
嗚咽を噛み殺し、どうすればいいのか分からない様子で、肩を震わせている。
その姿を見た瞬間、柊の心の中で、何かが吹っ切れた。
冬姫が守ろうとした者たち。この人たちだけでも、守らなくては。
柊の体の中に、力が湧き上がってくる。
冷たくも温かい。誰よりも愛するものを愛し続けた、強い母親の魂。
その魂が、柊に力を与えてくれた。
降り頻る雪が、吹雪き始めた。柊の体を、青白い光が包み込む。
「何だ、この光は? 冷たくも暖かい……」
風が治まり、目を開くと、側で了念が呆然と、こちらを見ていた。
「風乱れ 降り頻る雪 地に積もる 君と包めや 白き壁かな」
懐かしく感じる和歌を口ずさむと共に、柊は青を基調とした十二単を身に纏っていた。
「――冬姫、見参や!」
「冬……姫?」
まだ、訳が分からず柊を見ている了念を脇目に、側に転がった薙刀を拾い上げ、鬼めがけて振るった。刃からは冷気が吹き出し、目の前の地面をあっという間に氷漬けにした。
力が溢れてくる。もう、止まらないのではと思えるほどに。
「冬姫はんが亡うなって、魂が転生の輪に入った。巡り巡って、うちのところに届きましたわ。了念はんは、二人を連れて下がって下さい」
柊は目の前の鬼に視線を突き刺し続けながら、背後の了念にそう告げた。
「――冬姫はんの力、うちが貰い受けます。必ず最後まで、あんたたちを守ってみせる!」
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しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
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