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第二部 四季姫進化の巻

第十四章 春姫進化 9

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 九
 帰宅して部屋に篭った椿は、早速、梓と一緒に悪鬼を倒しに行く段取りを相談した。
 梓が持参した地図を頼りに、悪鬼たちの居場所を確認する。
「じゃあ、悪鬼たちの住処は、この山の奥なのね」
 椿は地図上の、四季ヶ丘町の北東部に聳える山を指した。鬱蒼と杉の木が茂る、標高は低いが広い面積を占める山林地帯だ。外周は林業のために人の手が加わっているが、奥のほうに行くと原生林になっていて、よほどの都合がない限り、人の出入りがない場所だった。
 悪鬼が隠れ潜むには、恰好の場所といえた。
「この、麓から続く脇道を通るんだ。途中で行き止まりになってるけど、妖怪だけが知っている隠し通路がある」
 梓の説明を受けながら、少し戸惑いも感じた。
 まともな道さえない大自然の中を、果たして椿は進んで行けるだろうか。体力の限界を考えてみると、自信が持てなかった。
 でも、誰にも頼れないのだから、弱音なんて吐いていられない。椿は不安を吹き飛ばし、腹を括った。
「山登りは苦手だけれど、行くしかないわね! 椿しかいないんだもの」
「椿ちゃん、一人で来てくれるのか? 他の四季姫さんたちは?」
 気合いを入れ直す椿を見て、梓が不思議そうに尋ねてきた。
「もう、いいのよ。誰も助けてなんて、くれないんだもの。でも、ウジウジ考えているヒマはないわ。梓ちゃんのパパの命が懸かっているのよ。頼りないかもしれないけれど、椿だけでも行くわ」
「仲間と喧嘩したのか、椿ちゃん。泣かされたのか? 目が腫れてる」
 心配そうな表情で、椿の顔を覗き込んでくる。さっき鏡を見て確認したが、涙を流したせいで目尻に痕が残り、酷い顔だ。時間が惜しいからそのまま放っていたが、梓に余計な気遣いをさせてしまった。
「違うよ。みんなとは、喧嘩したわけじゃないから。心配しないで」
 喧嘩、ではないと思う。椿が一方的に見限って、距離を置いた過ぎない。
 でも、椿にみんなを説得するなんて、不可能だった。
 結果が早まっただけ。どうあがいても、椿は居場所を失う羽目になっていただろう。
「父ちゃんのために、仲間を説得してくれたんだな」
 はぐらかしてみたが、現状の様子を見れば、小さな子供でも事情が把握できる。
 梓は、特に頭のいい子だ。椿の置かれている状況を確実に察していた。
「けど、四季姫さんたちの判断は、正しいと思う。いきなり押しかけてきた妖怪の話なんて、誰でも怪しいって疑うに決まってるよ。なのに、どうして椿ちゃんは、あたいを信じてくれるんだ?」
 助けてもらいたい立場である梓でさえ、榎たちの考えが正しいと判断していた。
 やっぱり、椿の考えは普通ではないのかもしれない。でも、椿は椿が良いと思った道を選んできただけだ。この考え方に誇りを持っているし、間違っていたとしても、後悔はない。
「梓ちゃんが日常を守ろうと、一人で頑張っているからよ」
 椿は素直に、心の中を満たしている想いを打ち明けた。梓は、よく分かっていない様子で、首を傾けていた。
「梓ちゃんの目的は、パパの救出でしょう? でも、悪鬼の言いなりになって仲間の妖怪たちに辛い戦いを強いたり、人間を巻き込みたくないって考えたから、四季姫に助けを求めてきた。だけど、梓ちゃんの考えに、他の里の妖怪たちは賛成してくれた?」
 椿の問い掛けに、梓は首を横に振った。
「……反対されただ。陰陽師なんて、当てにならないって。近づいたら、逆にやられるって」
 思ったとおりだ。妖怪の世界でも、数の多さにものを言わせて、少数派を否定する風習があるらしい。
「でも、梓ちゃんは反対を押し切って、たった一人で椿のところにきてくれたわ。とっても、勇気のある行動だと思う。椿も、一人っきりで苦しかったときに、誰かに助けてもらえたら、絶対に嬉しかったはずだわ。だから少しでも、梓ちゃんの力になりたいの」
 言葉にして吐き出す度に、椿の心の中も整理されて行った。
 椿は、梓の姿に幼かった頃の椿自身を重ねていたのだと、再確認した。
 昔の椿にも、梓くらい現状を変えたいと思える気持ちと、誰かに助けを求める勇気があれば、未来は変えられたのだろうか。
 いや、縋れる相手なんて、いなかったかもしれない。椿が頼れる、四季姫に値する人間なんて、存在しなかった。
 だから、梓には椿と同じ思いをしてほしくない。
 梓の未来のためにも、椿の昔の願いを叶えるためにも、椿が頑張らなくては。
 話し終えると、目の前で耳を傾けていた梓の瞳から、涙が溢れていた。
「梓ちゃん、どうしたの?」
 何か、気に障る発言でもしただろうか。椿は慌てて、梓の背中をさすって宥めた。梓は涙を拭い、首を振って否定した。
「村の外側で暮らしてる人間は、冷酷で薄情な奴ばかりだと思っていた。そんな、心ない人達と接触すれば、きっと不幸になる。だから争いを嫌う妖怪たちは、隠れた村でひっそりと暮らしてきたんだ。けど、椿ちゃんみたいに優しい人も、いるんだな……」
 涙を拭き終え、顔を上げた梓は、穏やかな笑みを浮かべていた。
 ずっと、一緒にいながらも、梓は少し頑なで、椿とも一線隔てた雰囲気が残っていた。でも、今のこの瞬間に、梓の肩の力が抜けて、距離が縮まった気がした。
「梓ちゃんが暮らしていた村って、どんなところ?」
 心優しい少女が、周囲からはみ出してまで救おうとする村。興味が湧いた。
「静かで、ゆっくりと時間が流れる村だよ。みんな、畑を耕して、野菜や米を作って暮らしているんだ。鶏や牛を飼って、卵や肉と一緒に食べるんだよ。時々、川に魚を釣りに行ったり、山に山菜や薬草を採りに行くんだ。たくさんとっても食べられないし、採りすぎると次が生えて来なくなるから、必要な分だけ採って、持って帰るんだ」
「自給自足の生活なのね。昔と、何も変わらない生活を送っているなんて、素敵!」
 椿は、昔懐かしい四季ヶ丘の姿を思い出していた。梓の暮らす村は、きっと椿がずっといたかった、守りたかった風景がそのまま、広がっているのかもしれない。
「父ちゃんを助けたら、椿ちゃんも、あたいの村に来てくれ!歓迎するよ!」
「梓ちゃんの村に……?」
 椿の表情から、村に向けられた羨望を感じ取ったのだろう。梓の誘いに、椿の心は躍った。
「行っても、いいの?」
「他の妖怪のみんなだって、村長の命の恩人なら歓迎してくれるだ。みんなきっと、椿ちゃんを好きになってくれるよ」
 妖怪の村――。幾度も、居心地のいい場所を失ってきた椿にとっては、見知らぬ場所は魅惑の土地に思えた。
 同時に、襲ってきた妖怪たちの攻撃的な敵意を思い出すと、躊躇もあった。
「梓ちゃんの村は、妖怪たちが暮らしているんでしょう? 昨日襲ってきた、河童やトカゲみたいな姿の人達ばかりじゃないの?」
「ほとんどは動物とか、異形の姿をした妖怪が多いけれど、あたいや父ちゃんみたいに、人間と見た目が変わらない村人もいるよ。見た目は怖いかもしれないけど、みんな普段は温暖でいい奴だよ」
「妖怪の村で歓迎してもらって、かっこいい妖怪さんと運命の出会いをして、とか。……いいかも」
 別に椿には、受け入れてもらえさえすれば、人間だの妖怪だのと、偏見はない。もし、優しくて素敵な妖怪と出会えたら、一瞬で恋に落ちてしまうかもしれない。
 なんて妄想が広がりはじめると、妖怪の世界にロマンスを求めるのも悪くない気がしてきた。
 うっとりと、新たな出会いに胸を躍らせる。
 なのに、脳裏に浮かんできた人影は、まだ見ぬ素敵な妖怪さんではなく、真っ白い髪の少年だった。
「どうして、朝ちゃんの顔が出てくるのよ! もう、椿には関係ないんだから」
 椿は頭を振り、記憶の中の残像を掻き消そうとした。だが、なかなかうまくいかない。
 記憶の朝は、いつもみたいに笑いかけてはくれなかった。軽蔑した目で、椿を冷たく見つめていた。
 辛かった。椿自身が蒔いた種だが、罪悪の芽が育つ度に、苦しさが増していった。
 いくら考えたって、後悔したって、椿が失ったものは、捨てた時間は戻らない。朝は二度と、椿の側には戻ってこない。榎たちも、もう椿なんて見捨ててしまっただろう。
 戻れる場所なんて、ない。前に進むしかない。椿は覚悟を決めた。
「場所も分かったし、のんびりしている場合じゃないわね! 村に行くためにも、ちゃっちゃと敵のアジトに乗り込みましょう!」
 気持ちを切り替えて、椿は拳を握り締めた。
「あなたが行く必要は、ありません」
 気合いを入れた直後。聞き慣れた声が部屋に響き、椿と梓は身体を震わせた。
 声は、窓のほうから聞こえた。視線を向けると、換気のために開け放っていた窓の桟に足をかけた、少年の姿が。
 真っ白な、長い髪。背中から生えた、白鳥みたいに美しい、純白の翼。
 朝月夜の姿を取り戻した、朝だった。
「朝……ちゃん? どうして、椿の部屋に」
 椿が震える声を掛けると、朝は目を細めて、椿から目を反らした。
「そこの妖怪に、用事があるからです。僕と一緒に、来てもらおうか」
 朝はまっすぐ、梓を睨みつけていた。梓は怯えて椿の背に隠れた。椿は梓を庇いながら、朝と向かい合った。
「梓ちゃんを、どこに連れて行くつもり!?」
「もちろん、悪鬼のところです。妖怪も悪鬼も、すべて根絶やしにするために」
 朝は部屋の中に、ふわりと降り立った。周囲の何にも目もくれず、まっすぐに梓めがけて近付いてくる。
「来ないで! 梓ちゃんには指一本、触れさせないわ!」
 椿は朝と梓の間に立ち塞がり、両手を広げた。真正面で張り合えば、朝の本気の心境が、嫌でも伝わってくる。腕も自然と、威圧感を受けて震えた。
「邪魔するなら、容赦しません」
 椿が振り絞った勇気も虚しく、朝は椿の顔に手を翳し、力を込めてきた。妖気を飛ばしての、威嚇だ。
 椿の身体が竦む。直後、首の後ろに痛みが走り、膝が折れた。
 油断した一瞬を突かれた。朝に首刀を食らわされたのだと気付いたが、もう遅い。
 椿の身体は、床に倒れた。だんだん、意識も遠退いていく。
「――さようなら、椿さん」
 記憶が途切れる寸前、朝の囁く声を聞いた気がした。

 * * *

 意識を取り戻し、椿は起き上がった。
 窓から涼しい風が入り込み、カーテンを揺らしている。椿の呆然とした頭も、冷風が覚ましてくれた。
「あれ? 夢だったのかしら……?」
 記憶が、おぼろげだ。確か、梓と一緒に悪鬼を倒しに行く段取りをしているうちに、突然、朝が現れて――。
 一気に、倒れる直前の出来事が蘇ってきた。容赦なく椿に叩き込まれた手刀。食らった痛みは、まだ首筋に残っている。
 冷たい瞳。無表情の、朝の顔。
 椿の顔から、血の気が引いた。
「夢じゃなかった。朝ちゃんが、椿を攻撃した」
 手加減はしてくれたのかもしれないが、椿には衝撃が大きかった。
 梓を連れ去るために、邪魔な椿に手を掛けるなんて。今までの朝の様子からは、想像できなかった。
 ショックを何とか受け止めて、気持ちを鎮めると共に、椿は部屋の中を見渡した。
 朝と一緒に、梓の姿もなくなっていた。連れていかれた。悪鬼と共に、朝は梓たちも葬り去ろうとしている。
 椿は時計を見た。気を失ってから、まだ三十分くらいしか経過していない。追いかければ、間に合うかもしれない。
 絨毯の上に放り出されたままの地図を掴み、椿は立ち上がった。
 ふと、地図の上に載っていたらしい別の紙が、足元に落ちた。
 真っ白な封筒だった。
 手に取り、宛名を見ると、椿の名前が書かれていた。
 達者な筆跡に、見覚えがある。朝の字だ。
「お手紙。椿に、朝ちゃんから?」
 全身に緊張が走った。いまさら手紙なんて、何が書かれているのだろう。
 悪い想像しか浮かばない。椿は震える手で封筒を開き、中の手紙を広げた。
 中は相変わらずの達筆だった。しかも、現代の文法ではない。
「……読めないんだけど。どうして、わざわざ古文で書くのよ! 現代の読み書きのお勉強も、しているのに」
 古文なんて中学校で習い始めたばかりだし、椿に翻訳しろなんて、辞書を使っても一日では無理だ。
 内容が気になったが、確認している余裕はない。
「もう、手紙は後回しよ! 早く、梓ちゃんたちを助けなくちゃ!」
 椿は手紙を折りたたんでスカートのポケットにしまい、急いで家を飛び出した。
 目指すは、悪鬼の住む山の奥だ。
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