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第二部 四季姫進化の巻
第十五章 夏姫鬼化 5
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五
了封寺から帰った日の夜。
榎は机にかじりついて、糸を通した細い針を手に、裁縫作業に勤しんでいた。
一生懸命塗っているものは、茶色い四本足の動物――犬だ。榎は綴に犬のぬいぐるみをプレゼントしようと思い立ち、必死で夜なべしていた。
明日は金曜日。
綴の誕生日である月末までには、まだまだ日があるものの、いても立ってもいられずに体が勝手に動いて止まらなかった。
完成したら、明日にでも渡そう。榎は気持ちを高ぶらせた。
だが、裁縫なんて今まで、ほとんどやった経験がない。家庭科の授業で何かを作っても、いつも布と綿が混ざり合った謎の塊が完成するだけだった。
今回も自信はないが、今までで一番の完成度と自負していた。
背中を縫い合わせ終えて、一息つく。枕元の目覚まし時計に目をやると、既に日付が変わっていた。
いい加減寝ないと、明日の朝が辛そうだ。でも、あとは手足と首元を縫い合わせるだけだった。なんとか、完成させたい。
時計と作りかけのぬいぐるみを交互に見て考える。最後は寝ながら仕上げようと、ぬいぐるみと針と糸を持ち込んで、布団に潜り込んだ。
俯せになって、黙々と針を動かしていく。
始めた頃に比べれば、随分と手際が良くなった。布と一緒に指を突き刺す回数も、かなり減った。
勢いよく作業を進めていたが、徐々に瞼が重くなり、手の動きも鈍くなる。
いつの間にか、意識がなくなり、榎は眠りの世界に落ちていった。
***
次に意識が戻ったとき、耳元で椿が声を張り上げていた。
「えのちゃん、どうしたの!? 具合でも悪いの?」
鬼気迫る椿の様子に驚き、慌てて飛び起きた。時計を見ると、七時を回っていた。目覚ましも、かけ忘れていたらしい。いつもはアラームが鳴る五時きっかりに目を覚ます榎としては、大寝坊だ。
椿も、なかなか起きてこない榎を心配して、部屋まできてくれたのだと察した。
やっぱり、夜更かしが効いていた。上体を起こしてもまだ、頭がボーッとする。
「大丈夫? まさか、昨日飲んだ薬のせい……!?」
ぼんやりしている榎の顔を、椿が悲痛な顔で覗き込んでくる。明らかにいつもと違う榎の様子に、不安を抱いたのだろう。
「いや、何でもないよ。ちょっと寝不足で……」
慌てて我に返り、フォローする。決して、昨日飲んだ薬が原因ではない事実だけは、はっきりさせておいた。
榎が弁明しても、椿の表情は変わらなかった。
「明後日は、大事な剣道の試合なのに。そんな調子で平気なの?」
突然の指摘を受け、榎の頭が一気に覚醒した。
「本当だ! 寝坊している場合じゃなかった! 練習に行かなくちゃ」
すっかり忘れていたが、明後日の日曜日は、待ちに待った剣道の対抗試合の日だ。
今日の放課後は練習に行けないから、朝練でみっちり訓練しておかなければならなかったのに。
今から全速力で学校に行って、少しでも練習しよう。
榎は布団から飛び出し、登校の準備を整えた。
押し入れからセーラー服を引っ張り出すと同時に、側に立て掛けてあった、布に包まれた夏姫の剣が倒れてきた。
その剣を視界に入れた途端、榎は不吉な気持ちに襲われた。
「でも、最悪だよな。こんな呪われた状態で、大事な試合に挑まなくちゃいけないなんて……」
最近、ついていない出来事が多い。悪い状況が続くときは、目立った行動はせず、大人しくしておきたいところだ。
明後日の試合も、思った通りに戦えないかもしれない気がする。嫌な予感が、ひしひしと脳裏を支配していった。
「夏姫が受けた呪いと、えのちゃんの試合は関係ないわよ。対戦相手なんてパーッとやっつけて、皆で優勝のお祝いをしましょう!」
俯く榎に、椿が元気よく喝をいれた。
弱気になっていた榎は、椿の励ましの言葉に元気付けられた。
「いいねえ、優勝祝い! 試合のために、今まで頑張ってきたんだもんな。よーし、頑張るか!」
呪いの件は、ひとまず置いて。今、榎にできる努力をしよう。気持ちを切り替えて、身支度を整えた。
布団を片付けていると、作っていた犬のぬいぐるみが足元に落ちた。作業途中で眠ってしまったから、残念ながら完成しなかったはずだ。
綴には、また後日渡そう。
諦めていたが、ぬいぐるみを持ち上げると、足も頭も予想に反して、しっかり縫い付けられていた。
寝ぼけながらも、榎はぬいぐるみを完成できていた。
どうやら少し、ツキが戻ってきたのかもしれない。
榎の口が、綻んだ。
***
放課後。
榎は緊張と期待を込めながら、四季が丘病院にやってきた。
「こんにちは、綴さん。お邪魔します……」
個室の扉を開き、挨拶して中に入ろうとした矢先。
透明な何かにぶつかって、廊下に弾き返された。
「何だ!? 中に、入れない!」
よろめきつつも体勢を整え直し、再び入口に挑む。
だが、結果は同じだった。まるで、目に見えない壁に阻まれているみたいだ。
入口の前の空間と押し合いへしあいしている榎を、病室の中にいた綴は訝しく見つめていた。
「結界が、作動している……? どうして」
綴には何か心当たりがあるらしく、必死で原因を考えてくれていた。
「榎ちゃん、その背中に背負っているものは何だい?」
不意に、綴は榎に尋ねてきた。
「夏姫として戦う時に使っている剣です。悪鬼の呪いにかかっているらしくて、変身を解いても消えなくなったから、持ち歩いているんです」
榎の説明に、綴は納得した表情を見せた。
「その剣を、外に置いて。手元から離せば、中に入れるから」
いわれるままに、榎は剣を、包んだ布ごと体から外して、廊下に立て掛けた。剣から手を離し、恐る恐る病室に足を踏み入れる。
今度は何の妨害も入らず、すんなりと部屋に入れた。
榎としては綴は、同時に安堵の息を吐く。
「この病室は、妖怪や悪鬼の類が入り込めないように、強い結界で守られているんだ。だから、悪鬼の力が作用しているその剣は、室内には持ち込めないんだよ」
綴の説明を受けて、納得がいった。悪鬼の呪いまみれの剣なんて、持って入れるはずがない。
「ところで、その剣はどうして呪いなんかに……?」
「どうやら、悪鬼に止めを刺した時に受けたらしくて」
奇妙な視線を病室の外に向ける綴に、榎は扉を閉めて、簡潔に説明した。
綴も了生と同じく、そんな危ない剣を使っていて大丈夫なのかと心配してくれた。榎は軽い調子で、平気である旨を強調しておいた。
体に問題はないとは言え、内面的な部分は、呪いの存在によって、また不安に襲われつつあった。
「やっぱり、不吉だなぁ。明後日の試合、本当に大丈夫かな」
「試合?」
榎の無意識の呟きに、綴が興味を示した。
榎は身振り手振りで、明後日の試合について説明した。綴は楽しそうに聴き入っていた。
「へえ、剣道の対抗試合の決勝かぁ。榎ちゃんの通っている学校で、やるのかい?」
「はい。去年完成したばかりの武道館があるんです。室内スポーツの試合には、よく使われているみたいですよ」
「いいな。……僕も、榎ちゃんが戦うところを見てみたいな」
遠い目をして、綴は羨ましそうに微笑んだ。
「いえいえ、大したもんじゃないんで。勝てるか分からないし、見ても、つまらないですよ!」
「大丈夫だよ。君は強い、どんな戦いにも臆したりはしない。もちろん、呪いにだってね」
控えめに自嘲した榎に、綴は力強い眼差しを向けてきた。綴にいわれると、本当に怖いものなど何もない気がしてくるから不思議だ。
榎も自信を取り戻し、大きく頷いた。
「直接は無理だけれど、病室から祈っているよ。榎ちゃんの勝利を」
「……ありがとう、ございます」
「また、結果は教えてね」
「はい、必ず優勝の報告をします!」
榎と綴は、微笑み合った。
帰り際。榎は頃合いを見計らって、ラッピングしたプレゼントを取り出した。
「綴さん、もうすぐ、誕生日なんですよね。おめでとうございます」
お祝いの言葉を述べて、榎はプレゼントを綴に差し出した。
「誕生日には会えないと聞いたので、少し早いけれど、プレゼントを……」
勢いよく押し付けたまではいいが、急に緊張が襲ってくる。
「いらない」と、突き返されたらどうしよう。こんなつまらないものをもらっても、迷惑だと思われたら。
また、いろんな不安に押し潰されそうになった。
だが、嫌な妄想に反して、綴は頬を赤らめて、榎に驚いた視線を飛ばしてきた。
「榎ちゃんが、僕に……? 開けても、いい?」
プレゼントを受け取ってくれた。興味深そうに、中身を気にしてくれている。
榎が頷くと、綴は包みを開いて、中の犬のぬいぐるみを取り出した。無言で、瞬きもせず眺めていた。
いったい、どんな感想を持って見つめているのだろう。榎の緊張は最高潮に達した。
「初めて作ったんで、不恰好なんですけれど。迷惑だったらごめんなさい、いらなかったら、捨ててもらって構わないんで!」
「手作りなの? わざわざ、僕のために」
榎とぬいぐるみを交互に見て、綴は深く息を吐いた。
不意に、綴の瞳に、涙が滲んだ。榎は衝撃を受けた。
「……泣くほど不愉快でしたか!? ごめんなさい、ごめんなさいー!」
必死で謝る。
綴は慌てて、目を擦った。
「いや、違うんだ。僕こそ、ごめん。嬉しくて、色んな気持ちが込み上げてきて。……人から手作りのプレゼントを貰うなんて、初めてだから。本当にありがとう、榎ちゃん」
綴の顔に、嬉しそうな表情が浮かぶ。とても喜んでもらえたらしい。榎の心中にも安堵が広がり、顔が綻んだ。作ってきて良かったと、本気で思えた。
「大切にするよ。このチュパカブラ」
だが、綴の謎の一言によって、榎の頬が緩んだまま硬直した。
「チュパ……?」
「アメリカでよく目撃される、吸血エイリアンだろう? 歪な形といい、おぞましい牙といい、本当によくできているね。細部まで、よく凝って作ってある」
ぬいぐるみの手足を軽くいじりながら、綴は感心した声をあげる。
よく分からないが、綴は大きな勘違いをしている。榎は頭が真っ白になって、無意識に口を開いた。
「すいません、犬なんです……。綴さん、犬が好きだって奏さんから聞いたから……」
綴の笑顔が凍り付いた。同じ表情のまま、ぬいぐるみを二度も三度も四度も見直していた。
やがて、冷や汗を吹き出しながら、半泣きの榎を見た。
「……ごめんね! 本当にごめんね! うん、凄く可愛い犬だね、どこからどう見ても犬だよ!」
「いいんです、チュパなんとかで、いいんです! いいですから!」
所詮、榎が作った動物なんて、綴の目には訳の分からない珍奇な化け物にしか写らなかったのだろう。
ショックを受けると同時に、犬にさえ見えない謎の物体を綴に渡してしまった恥ずかしさと後悔から、榎は勢いよく病室から駆け出した。
綴に呼び止められた気もしたが、いまさら合わせる顔もない。後ろは振り返れなかった。
廊下に出て、立て掛けておいた剣を掴んで、そそくさと逃げる。
道中、向こうから歩いてきた誰かとぶつかった。
「ごめんなさい! 前を見ていなくて」
慌てて、謝る。
ぶつかった相手は、黒いスーツを見に纏った、気品の漂う中年の男の人だった。背がすらりと高く、どこかの会社の社長みたいな、貫禄のある雰囲気を醸し出している。
「いいえ、こちらこそ、失礼いたしました」
男の人は榎に軽く会釈し、脇をすり抜けていった。
悠然と歩く後ろ姿を、榎は立ち止まって見入る。
足音も立てずに、男の人が入っていった場所は、綴の病室だった。
「榎さん。御機嫌よう。今日もお兄様に会いに来てくださったのね。ありがとうございます」
呆然と立ち尽くしていた榎は、背後から声をかけられた。振り返ると、奏が穏やかに微笑んでいた。
「奏さん、こんにちは。今、病室に入っていった人は……?」
「わたくしたちの、父ですの。伝師 護。現在の伝師が経営している、東京の会社の社長ですわ」
「皆さんの、お父さん……」
見た目通り、本当に社長さんだった。
同時に、伝師兄弟の父親でもある。
榎は、既に見えない譲の顔を思い出していた。
凛々しく、貫禄のある雰囲気は、奏や語にも面影を感じる。
でも、弱々しくて、穏やかな表情の綴とは、あまり共通点がないなと思った。
了封寺から帰った日の夜。
榎は机にかじりついて、糸を通した細い針を手に、裁縫作業に勤しんでいた。
一生懸命塗っているものは、茶色い四本足の動物――犬だ。榎は綴に犬のぬいぐるみをプレゼントしようと思い立ち、必死で夜なべしていた。
明日は金曜日。
綴の誕生日である月末までには、まだまだ日があるものの、いても立ってもいられずに体が勝手に動いて止まらなかった。
完成したら、明日にでも渡そう。榎は気持ちを高ぶらせた。
だが、裁縫なんて今まで、ほとんどやった経験がない。家庭科の授業で何かを作っても、いつも布と綿が混ざり合った謎の塊が完成するだけだった。
今回も自信はないが、今までで一番の完成度と自負していた。
背中を縫い合わせ終えて、一息つく。枕元の目覚まし時計に目をやると、既に日付が変わっていた。
いい加減寝ないと、明日の朝が辛そうだ。でも、あとは手足と首元を縫い合わせるだけだった。なんとか、完成させたい。
時計と作りかけのぬいぐるみを交互に見て考える。最後は寝ながら仕上げようと、ぬいぐるみと針と糸を持ち込んで、布団に潜り込んだ。
俯せになって、黙々と針を動かしていく。
始めた頃に比べれば、随分と手際が良くなった。布と一緒に指を突き刺す回数も、かなり減った。
勢いよく作業を進めていたが、徐々に瞼が重くなり、手の動きも鈍くなる。
いつの間にか、意識がなくなり、榎は眠りの世界に落ちていった。
***
次に意識が戻ったとき、耳元で椿が声を張り上げていた。
「えのちゃん、どうしたの!? 具合でも悪いの?」
鬼気迫る椿の様子に驚き、慌てて飛び起きた。時計を見ると、七時を回っていた。目覚ましも、かけ忘れていたらしい。いつもはアラームが鳴る五時きっかりに目を覚ます榎としては、大寝坊だ。
椿も、なかなか起きてこない榎を心配して、部屋まできてくれたのだと察した。
やっぱり、夜更かしが効いていた。上体を起こしてもまだ、頭がボーッとする。
「大丈夫? まさか、昨日飲んだ薬のせい……!?」
ぼんやりしている榎の顔を、椿が悲痛な顔で覗き込んでくる。明らかにいつもと違う榎の様子に、不安を抱いたのだろう。
「いや、何でもないよ。ちょっと寝不足で……」
慌てて我に返り、フォローする。決して、昨日飲んだ薬が原因ではない事実だけは、はっきりさせておいた。
榎が弁明しても、椿の表情は変わらなかった。
「明後日は、大事な剣道の試合なのに。そんな調子で平気なの?」
突然の指摘を受け、榎の頭が一気に覚醒した。
「本当だ! 寝坊している場合じゃなかった! 練習に行かなくちゃ」
すっかり忘れていたが、明後日の日曜日は、待ちに待った剣道の対抗試合の日だ。
今日の放課後は練習に行けないから、朝練でみっちり訓練しておかなければならなかったのに。
今から全速力で学校に行って、少しでも練習しよう。
榎は布団から飛び出し、登校の準備を整えた。
押し入れからセーラー服を引っ張り出すと同時に、側に立て掛けてあった、布に包まれた夏姫の剣が倒れてきた。
その剣を視界に入れた途端、榎は不吉な気持ちに襲われた。
「でも、最悪だよな。こんな呪われた状態で、大事な試合に挑まなくちゃいけないなんて……」
最近、ついていない出来事が多い。悪い状況が続くときは、目立った行動はせず、大人しくしておきたいところだ。
明後日の試合も、思った通りに戦えないかもしれない気がする。嫌な予感が、ひしひしと脳裏を支配していった。
「夏姫が受けた呪いと、えのちゃんの試合は関係ないわよ。対戦相手なんてパーッとやっつけて、皆で優勝のお祝いをしましょう!」
俯く榎に、椿が元気よく喝をいれた。
弱気になっていた榎は、椿の励ましの言葉に元気付けられた。
「いいねえ、優勝祝い! 試合のために、今まで頑張ってきたんだもんな。よーし、頑張るか!」
呪いの件は、ひとまず置いて。今、榎にできる努力をしよう。気持ちを切り替えて、身支度を整えた。
布団を片付けていると、作っていた犬のぬいぐるみが足元に落ちた。作業途中で眠ってしまったから、残念ながら完成しなかったはずだ。
綴には、また後日渡そう。
諦めていたが、ぬいぐるみを持ち上げると、足も頭も予想に反して、しっかり縫い付けられていた。
寝ぼけながらも、榎はぬいぐるみを完成できていた。
どうやら少し、ツキが戻ってきたのかもしれない。
榎の口が、綻んだ。
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放課後。
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「こんにちは、綴さん。お邪魔します……」
個室の扉を開き、挨拶して中に入ろうとした矢先。
透明な何かにぶつかって、廊下に弾き返された。
「何だ!? 中に、入れない!」
よろめきつつも体勢を整え直し、再び入口に挑む。
だが、結果は同じだった。まるで、目に見えない壁に阻まれているみたいだ。
入口の前の空間と押し合いへしあいしている榎を、病室の中にいた綴は訝しく見つめていた。
「結界が、作動している……? どうして」
綴には何か心当たりがあるらしく、必死で原因を考えてくれていた。
「榎ちゃん、その背中に背負っているものは何だい?」
不意に、綴は榎に尋ねてきた。
「夏姫として戦う時に使っている剣です。悪鬼の呪いにかかっているらしくて、変身を解いても消えなくなったから、持ち歩いているんです」
榎の説明に、綴は納得した表情を見せた。
「その剣を、外に置いて。手元から離せば、中に入れるから」
いわれるままに、榎は剣を、包んだ布ごと体から外して、廊下に立て掛けた。剣から手を離し、恐る恐る病室に足を踏み入れる。
今度は何の妨害も入らず、すんなりと部屋に入れた。
榎としては綴は、同時に安堵の息を吐く。
「この病室は、妖怪や悪鬼の類が入り込めないように、強い結界で守られているんだ。だから、悪鬼の力が作用しているその剣は、室内には持ち込めないんだよ」
綴の説明を受けて、納得がいった。悪鬼の呪いまみれの剣なんて、持って入れるはずがない。
「ところで、その剣はどうして呪いなんかに……?」
「どうやら、悪鬼に止めを刺した時に受けたらしくて」
奇妙な視線を病室の外に向ける綴に、榎は扉を閉めて、簡潔に説明した。
綴も了生と同じく、そんな危ない剣を使っていて大丈夫なのかと心配してくれた。榎は軽い調子で、平気である旨を強調しておいた。
体に問題はないとは言え、内面的な部分は、呪いの存在によって、また不安に襲われつつあった。
「やっぱり、不吉だなぁ。明後日の試合、本当に大丈夫かな」
「試合?」
榎の無意識の呟きに、綴が興味を示した。
榎は身振り手振りで、明後日の試合について説明した。綴は楽しそうに聴き入っていた。
「へえ、剣道の対抗試合の決勝かぁ。榎ちゃんの通っている学校で、やるのかい?」
「はい。去年完成したばかりの武道館があるんです。室内スポーツの試合には、よく使われているみたいですよ」
「いいな。……僕も、榎ちゃんが戦うところを見てみたいな」
遠い目をして、綴は羨ましそうに微笑んだ。
「いえいえ、大したもんじゃないんで。勝てるか分からないし、見ても、つまらないですよ!」
「大丈夫だよ。君は強い、どんな戦いにも臆したりはしない。もちろん、呪いにだってね」
控えめに自嘲した榎に、綴は力強い眼差しを向けてきた。綴にいわれると、本当に怖いものなど何もない気がしてくるから不思議だ。
榎も自信を取り戻し、大きく頷いた。
「直接は無理だけれど、病室から祈っているよ。榎ちゃんの勝利を」
「……ありがとう、ございます」
「また、結果は教えてね」
「はい、必ず優勝の報告をします!」
榎と綴は、微笑み合った。
帰り際。榎は頃合いを見計らって、ラッピングしたプレゼントを取り出した。
「綴さん、もうすぐ、誕生日なんですよね。おめでとうございます」
お祝いの言葉を述べて、榎はプレゼントを綴に差し出した。
「誕生日には会えないと聞いたので、少し早いけれど、プレゼントを……」
勢いよく押し付けたまではいいが、急に緊張が襲ってくる。
「いらない」と、突き返されたらどうしよう。こんなつまらないものをもらっても、迷惑だと思われたら。
また、いろんな不安に押し潰されそうになった。
だが、嫌な妄想に反して、綴は頬を赤らめて、榎に驚いた視線を飛ばしてきた。
「榎ちゃんが、僕に……? 開けても、いい?」
プレゼントを受け取ってくれた。興味深そうに、中身を気にしてくれている。
榎が頷くと、綴は包みを開いて、中の犬のぬいぐるみを取り出した。無言で、瞬きもせず眺めていた。
いったい、どんな感想を持って見つめているのだろう。榎の緊張は最高潮に達した。
「初めて作ったんで、不恰好なんですけれど。迷惑だったらごめんなさい、いらなかったら、捨ててもらって構わないんで!」
「手作りなの? わざわざ、僕のために」
榎とぬいぐるみを交互に見て、綴は深く息を吐いた。
不意に、綴の瞳に、涙が滲んだ。榎は衝撃を受けた。
「……泣くほど不愉快でしたか!? ごめんなさい、ごめんなさいー!」
必死で謝る。
綴は慌てて、目を擦った。
「いや、違うんだ。僕こそ、ごめん。嬉しくて、色んな気持ちが込み上げてきて。……人から手作りのプレゼントを貰うなんて、初めてだから。本当にありがとう、榎ちゃん」
綴の顔に、嬉しそうな表情が浮かぶ。とても喜んでもらえたらしい。榎の心中にも安堵が広がり、顔が綻んだ。作ってきて良かったと、本気で思えた。
「大切にするよ。このチュパカブラ」
だが、綴の謎の一言によって、榎の頬が緩んだまま硬直した。
「チュパ……?」
「アメリカでよく目撃される、吸血エイリアンだろう? 歪な形といい、おぞましい牙といい、本当によくできているね。細部まで、よく凝って作ってある」
ぬいぐるみの手足を軽くいじりながら、綴は感心した声をあげる。
よく分からないが、綴は大きな勘違いをしている。榎は頭が真っ白になって、無意識に口を開いた。
「すいません、犬なんです……。綴さん、犬が好きだって奏さんから聞いたから……」
綴の笑顔が凍り付いた。同じ表情のまま、ぬいぐるみを二度も三度も四度も見直していた。
やがて、冷や汗を吹き出しながら、半泣きの榎を見た。
「……ごめんね! 本当にごめんね! うん、凄く可愛い犬だね、どこからどう見ても犬だよ!」
「いいんです、チュパなんとかで、いいんです! いいですから!」
所詮、榎が作った動物なんて、綴の目には訳の分からない珍奇な化け物にしか写らなかったのだろう。
ショックを受けると同時に、犬にさえ見えない謎の物体を綴に渡してしまった恥ずかしさと後悔から、榎は勢いよく病室から駆け出した。
綴に呼び止められた気もしたが、いまさら合わせる顔もない。後ろは振り返れなかった。
廊下に出て、立て掛けておいた剣を掴んで、そそくさと逃げる。
道中、向こうから歩いてきた誰かとぶつかった。
「ごめんなさい! 前を見ていなくて」
慌てて、謝る。
ぶつかった相手は、黒いスーツを見に纏った、気品の漂う中年の男の人だった。背がすらりと高く、どこかの会社の社長みたいな、貫禄のある雰囲気を醸し出している。
「いいえ、こちらこそ、失礼いたしました」
男の人は榎に軽く会釈し、脇をすり抜けていった。
悠然と歩く後ろ姿を、榎は立ち止まって見入る。
足音も立てずに、男の人が入っていった場所は、綴の病室だった。
「榎さん。御機嫌よう。今日もお兄様に会いに来てくださったのね。ありがとうございます」
呆然と立ち尽くしていた榎は、背後から声をかけられた。振り返ると、奏が穏やかに微笑んでいた。
「奏さん、こんにちは。今、病室に入っていった人は……?」
「わたくしたちの、父ですの。伝師 護。現在の伝師が経営している、東京の会社の社長ですわ」
「皆さんの、お父さん……」
見た目通り、本当に社長さんだった。
同時に、伝師兄弟の父親でもある。
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【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
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