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第二部 四季姫進化の巻

十五章 Interval ~幻覚症状?~

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 榎に逃げ帰られた翌日。
 いつもと変わらず、病室のベッドの上に体を起こした伝師 綴は、真剣に考え込んでいた。
 目の前の簡易机の上には、誕生日プレゼントとして榎がくれた、手作りのぬいぐるみが置かれている。どこからどう見ても、不器用な人間が作ったと分かる、粗の目立つ作品だった。
 縫い目はところどころ解れ、白い綿が飛び出している。針で指を刺したのか、血痕らしき染みまで見て取れた。
 しかも、どこからどう見てもチュパカブラにしか見えないのに、榎は「犬だ」と断言した。
 綴はあまりの衝撃に、榎に何も言い返せなかった。謝る暇もなく、ショックを受けた榎は去って行ってしまった。
 まじまじと、綴はぬいぐるみを凝視する。このUMAの雰囲気全開の謎の生き物が、ネコ目イヌ科イヌ属に分類される哺乳類だというのか。綴が好きな、可愛く愛らしいペット動物だというのだろうか。
 榎の視界には、犬はこんな形相で映っているのかと想像するだけで、今まで培ってきた一般常識の全てが崩壊しそうだった。
 だが、榎が犬だと断言しているのだから、否定するわけにはいかない。
「こいつは犬だ。誰がなんと言おうが、絶対に犬なんだ。犬、犬、犬……」
 綴は一生懸命、ぬいぐるみを見ながら自己暗示をかけた。

 * * *

 さらに翌日。
 妹の奏が見舞いにやってきた。
 奏は恭しく頭を下げ、綴に祝いの言葉を述べてきた。
「お兄様、少し早いのですが、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとう、奏」
「お兄様に、プレゼントを。可愛い犬の写真が手に入りましたのよ。存分に愛でてあげてくださいね」
 ベッドの脇のチェストの上に、奏は写真立てを置いた。はがき大のガラス面の中には、舌をペロリと出した、ふわふわの毛皮に包まれた小柄な生き物の写真が収められていた。
 綴はその写真を見るや否や、訝しさに包まれた。
「……何を言っているんだ? そんな毛玉のどこが、犬なんだ?」
 意味が分からない。なぜ奏は、こんな意味不明な生き物の写真を持ってきたのか。
 綴の反応に、奏も不思議そうにしていた。
「どうなさいましたの。お兄様が大好きな、柴犬ですわよ?」
 妹の言葉に、綴は強く反論した。
「違う。そんなもの、犬ではない! お前は何を血迷っているんだ? 犬とは、こんな生き物だろう!?」
 綴は奏の目の前に、ででん、と犬のぬいぐるみを突き出した。
 直後、ぬいぐるみを目の当たりにした奏は、悲鳴ともとれる奇声をあげた。
「なんですか、その妖怪は!? というか、チュパカブラ……?」
「榎ちゃんが作ってくれた犬に向かって、失礼だろう!? お前は変な商売を続けるうちに、犬と化け物の区別もつかなくなってしまったのか!」
 奏のあまりに無礼な反応に、綴は怒っていきり立った。だが、奏も引こうとしない。
「その台詞は、そっくりそのまま、お兄様にお返ししますわ! どうなさったのです? 犬の姿をお忘れになったのですか!?」
「お前こそ、犬の姿を忘れたのか!? こんなに愛らしくて可愛い犬を」
 綴は愛情をこめて、可愛い可愛い犬のぬいぐるみの頭を、慈しみを込めた撫でた。ぬいぐるみの大きく開かれた赤い口が、喜んで笑っている気がした。鋭くびっしり並んだ牙が、何とも形容しがたく魅力的に感じた。
 その様子を見ていた奏の顔から、次第に血の気が引いていった。
「誰か、誰か来てください! お兄様に幻覚症状が……」
 奏は甲高い奇声を上げながら、病室の外に飛び出していった。
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