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第二部 四季姫進化の巻
第十七章 悪鬼復活 4
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四
「「神無月 萩……!」」
突然現れた萩を目にして、榎たちは声を揃えてその名を呼んだ。
榎は、萩の今の姿を知っている。だからすぐに平常を取り戻したが、他の三人は身を竦ませて、萩を凝視していた。
「何でこいつが、出てくるんや?」
「それより、あの姿は……?」
状況が読み込めずに、みんなが唖然としていると、空から何者かが飛び降りてきた。
榎の側に突如として降り立った者は、一人の男―?傘崎響だった。
肩上まで伸びた長髪を振り乱し、汗の滴をこぼしている。かなり全速力で突っ走ってきたのか、息もかなり荒い。
「やっと、追いついた。あの弱りきった体のどこに、あんな体力が残っているんだ……」
呼吸を整えながら、焦った様子で萩の姿を見ていた。
「響さん、どうしてこんな場所に?」
「突然、萩が何かに反応して飛び出していったのですよ。私は、追いかけるだけで精一杯だった」
榎の問いに素早く応えながらも、響は萩から目を離さない。
「だが、事情は何となく分かりました。今の萩にとって、綴くんは命を繋ぐための唯一の拠り所だ。綴くんが死ねば、萩は永久に、人間になる道が閉ざされると思ったのでしょう。だから、命懸けで助けに来たんだ」
綴の中に潜む悪鬼の血が作り出した存在だから、萩には綴と何らかの繋がりが―?綴の現状を感じ取る術があったのだろう。
とっても弱っていたのに。
限界まで力を振り絞って駆け付けてきたのだと分かる。とても辛そうな表情だ。かなり無理をしている気がした。
「健気なのか、追い詰められた結果なのか……。哀れでならない」
やりきれない表情で、響は力なく肩を落とした。
綴を助けたところで、萩に救いなどない。
それでも萩は、希望を捨てきれずに、縋り付いている。
「何にしても、チャンスどす。今のうちに、陣から離れるどす!」
状況はまだ呑み込めていないが、護の動きが止まっている今なら、体勢を整え直せる。
楸の掛け声で、榎たちは陣の外に駆け出した。
「せやけど、この状況、どないしたらええんや? いったい、誰が敵やねん?」
「誰と戦って、何を守ればいいのか、分からないわ……」
命懸けの儀式の継続は免れたが、あらゆる人や悪鬼が入り混じったこの場で、どこに武器を向ければいいのか、誰にも分からない。
立ち位置も定まらず、みんな混乱を極めていた。
困惑しながらも、榎の目線はずっと、萩と綴の元に向かっていた。
綴は、地面に叩きつけられた護の姿を睨み付けていた。
武器を破壊され、丸腰になった護は形勢を完全に崩していた。焦った表情で起き上がろうと、必死で足掻いている。
その護の様子を眺めて、綴は口の端を吊り上げた。
「丁度いい。神無月萩、お前に、最後の使命を与える」
その言葉に反応した、萩の瞳に光が宿る。
綴はまっすぐ腕を伸ばし、護を指さした。
「この男を殺せ。その折れた鎌で八つ裂きにして、原形もとどめない肉塊にしろ。こいつをこの世から消滅させられたら、お前を人間にしてやる」
残酷な命令に、護の顔から血の気が引いた。
反して、萩の表情には、みるみる生気が戻っていった。榎が初めて萩に出会い、妖怪に対して攻撃を繰り広げて虐殺を繰り返していた頃の、活き活きとした表情に近かった。
生きる目的を、再び見出した顔だ。進むべき道に迷いがなくなり、自信に満ち溢れていた。
きっと、あの邪悪な笑顔が、萩の本来の姿なのだろうと確信した。
「やっと、やっと人間になれる……!」
萩はまっすぐに、護に向き直った。折れた鎌を構え、側に歩み寄る。
「来るな、化け物!」
「化け物がお前の言葉に耳を傾けるわけがない。自惚れるな」
怯えて萩に怒鳴りつける護に、綴が冷酷に吐き捨てる。
萩は両手で鎌の柄を握り、頭上に振りかざした。
「止めろ、萩!」
榎は声を上げて、萩を制止させようとした。
だがもちろん、榎の声なんかで萩が止まるわけもない。
それでも、止めなければいけなかった。
榎は、体力を振り絞って萩に駆け寄った。魂を抜かれかかった衝動で、まっすぐ走れない。
よたよたと近付く榎に向かい、萩は鎌を振って弧を描いた。
折れた武器でも、まだ充分な破壊力を生み出せる。鎌の切っ先の先端に沿って風が巻き起こり、鋭い刃物みたいな形状に代わって、榎めがけて飛んできた。
辛うじて避けるとともに、榎は足をもつれさせて地面に倒れる。
「邪魔をするな。どんな手を使ってでも、何に縋りついてでも、アタシは人間になる!」
榎に怒鳴りつけると、萩は再び、護に向かって鎌を向けた。さっきと同じ攻撃を、食らわせるつもりか。
あんな殺傷能力の高い攻撃、戦いの経験もない、身動きの取れない人間が躱せるわけがない。食らえば確実に、護は死ぬ。
萩を何の意思もなく、人殺しになんてしたくない。護に何の償いもせずに、死んでほしくない。
榎は制止の声を張り上げた。
悲鳴にも近いその声は、萩には届かなかったが、萩の体は動きを止めた。
響が萩の腕を掴み、止めさせた。
「これ以上、私利私欲のために、この娘を利用するのは、やめてもらおうか。この娘を人間にする方法なんて、本当は知らないんだろう?」
響は萩を抑えつけながら、綴に鋭い眼光を飛ばした。
綴は相変わらず、何の反応も見せない。だが、響の言葉は萩の表情を大きく歪めさせた。
「君もそろそろ、分かっているはずだ。如何に似た姿を維持できようとも、君は人間とはかけ離れた、全く異なる存在なのだと」
耳元で真実を口にされるたびに、萩の顔が絶望に染まっていく。
もしかすると、ちゃんと自身の正体を理解しているのかもしれない。
だが、まだ完全に現実をけ入れられず、心の中で葛藤を続けている感じだ。
「君が生き続けるために、まずはその事実を受け入れなければならない。受け入れた時初めて、君の命は未来に繋がる」
萩は、低いうなり声をあげて苦しみだした。どうすればいいか分からず、頭が錯乱しているのだろう。暴れたいが、響に動きを完全に封じられ、ろくにもがけもしなかった。
「くだらない戯言に騙されるな! 君は人間にはなれない、悪鬼なのだから!」
止めに、響が大声を萩にぶつける。
萩は動きを止め、がっくりと膝を折った。
響は萩を受け止め、支える。萩は考え疲れた表情で、顔中に汗の粒を浮かべていた。
「どうした、そいつの話を信じるのか? もう、僕の言葉には耳を傾けないわけか」
身も心も衰弱した萩に、綴が更に追い打ちをかける。萩は怯えた様子で、体を震わせた。
「恩知らずだな。誰のお陰で、この世界に存在できていると思っているんだ」
「アタシは、アタシは……」
萩は頭を抱えて、震え出す。
綴によって生み出された萩は、綴の言葉に逆らえないように仕向けられているのかもしれない。
それでも、萩は必死で抗っていた。どうすればいいのか、何が正しいのか、萩自身の頭で、必死で答を出そうとしていた。
やがて、複雑な嗜好の変化に体がついていけなくなったのだろう。急に脱力し、がっくりと響の腕の中に倒れ込み、気を失った。
「本当に役立たずだ、お前は。失望したよ。消えろ、僕の目の前から」
そんな萩の姿を、ゴミでも見る目で睨む綴の姿がいたたまれなくなり、榎は叫んだ。
「もう、やめろ! これ以上、萩を苦しめるな!」
「神無月萩は、僕が作り出した虚構(フィクション)だ。どう始末をつけようが、僕の自由だ」
綴は静かに語った。萩に向けていたと気と同じ、冷たい視線で。
「それに君が、この化け物に同情する必要なんて、ないだろう? 最初から、僕の中の不要な存在だったんだから」
よけいなお世話だといいたげに、榎の介入を拒む反応を見せた。
「違う! あたしは、萩に同情しているんじゃないんだ。あなたに対して、しているんだ!」
綴の意志なんて、関係ない。榎の勢いは、止まらなかった。
榎の言葉に、綴の肩がビクリと震えた。
「やっと、分かったんです。萩にどんなに酷い目に遭わされても、分かり合えなくても、どうしても放っておけなかった理由が」
乱れた呼吸を整えながら、榎はようやく纏まった考えを、一気に吐き出す。
「萩と綴さんが、そっくりだったからだ」
ずっと、心の片隅でしこりになっていた、奇妙な違和感の原因がようやく分かった気がした。
「萩が綴さんの中から生み出された存在だというのなら、萩の凶暴で残酷な性格は、綴さんの一部じゃないのか? 綴さん自身が、その感情を拒んで外に追い出したから、悪鬼となって外に吐き出されたんだ。だとしたら、綴さんが萩に向かって放つ 酷い言葉は、本当は綴さん自身に向けているものじゃないのか? 結局、綴さんは自分で自分を傷つけているんだ、拒んでいるんだ」
綴の表情が、一気に青褪めていく。呆然として、榎のほうを見つめているが、焦点が合っていない。
「別物にして外に追い出さないといけないほど、その感情は綴さんにとって苦しくて、邪魔なものだったんだと思う。その苦しいと感じる気持ちは、萩の中からも感じ取れた。だからあたしは、どんなに拒まれても痛め付けられても、萩を見捨てておけなかったんだ。萩の中に、綴さんの面影を感じたから!」
萩が綴の中から生み出された存在だとはじめて知った時も、思ったほど驚かなかった。本能的に、納得していた。
きっと、心の奥では、「やっぱりそうだったのか」と納得していたからかもしれない。そう感じられるだけ、思い当たる節が随所にあったのかもしれない。
「感情の一部を切り離して、騙して痛め付けて、何の解決になるんだ! 綴さんは苦しい現実から逃げているだけじゃないのか!? もっと他に、誰も辛い思いをせずにすむ方法だって、あったんじゃないのか!?」
全てを一人で終わらせようとして、歪んだ道に足を踏み入れた。その結果、周囲まで巻き込んで大変な問題を引き起こした。
綴はもっと聡明な人だと思っていたが。思っていた以上に、不器用で無軌道な人だ。
いままで思い描いてた綴のイメージが、どんどん崩れていく。考えれば考えるほど、榎の内側から、怒りが沸き起こって止まらない。
「あたしは協力できる方法を、一緒に考えたかった。なのに、萩も綴さんも、どうしてあたしを拒むんだ。どうして、何も教えてくれないんだ。助けさせてくれないんだ……!」
いままで溜め込んで、どうすればいいのか分からなかった感情が、一気に吐き出された。
榎の意志では、どうにもならなかった。綴ももしかしたら、今の榎と同じ状況だったのだろうか。
人に偉そうに言える立場でもない。情けなさすぎて、榎は自己嫌悪に陥りそうだった。
「――榎ちゃん」
優しく、榎の名前を呼ぶ声。
もう、二度と聞けないと思っていた言葉に、榎の思考が停止する。
「君のいう通りだ。でも、他にどんな方法があったとしても、僕はこの方法しか選べなかった。これが、伝師の闇に染まった化け物の末路なんだと思う。本当に、僕を思ってくれるなら、この地から去ってくれ。この穢れた地に、これ以上君をいさせたくない」
諦めた綴の表情の一番奥に、榎を見つめる優しい笑顔が見え隠れしていた。
その複雑な笑顔に、榎は何も返せなかった。
「「神無月 萩……!」」
突然現れた萩を目にして、榎たちは声を揃えてその名を呼んだ。
榎は、萩の今の姿を知っている。だからすぐに平常を取り戻したが、他の三人は身を竦ませて、萩を凝視していた。
「何でこいつが、出てくるんや?」
「それより、あの姿は……?」
状況が読み込めずに、みんなが唖然としていると、空から何者かが飛び降りてきた。
榎の側に突如として降り立った者は、一人の男―?傘崎響だった。
肩上まで伸びた長髪を振り乱し、汗の滴をこぼしている。かなり全速力で突っ走ってきたのか、息もかなり荒い。
「やっと、追いついた。あの弱りきった体のどこに、あんな体力が残っているんだ……」
呼吸を整えながら、焦った様子で萩の姿を見ていた。
「響さん、どうしてこんな場所に?」
「突然、萩が何かに反応して飛び出していったのですよ。私は、追いかけるだけで精一杯だった」
榎の問いに素早く応えながらも、響は萩から目を離さない。
「だが、事情は何となく分かりました。今の萩にとって、綴くんは命を繋ぐための唯一の拠り所だ。綴くんが死ねば、萩は永久に、人間になる道が閉ざされると思ったのでしょう。だから、命懸けで助けに来たんだ」
綴の中に潜む悪鬼の血が作り出した存在だから、萩には綴と何らかの繋がりが―?綴の現状を感じ取る術があったのだろう。
とっても弱っていたのに。
限界まで力を振り絞って駆け付けてきたのだと分かる。とても辛そうな表情だ。かなり無理をしている気がした。
「健気なのか、追い詰められた結果なのか……。哀れでならない」
やりきれない表情で、響は力なく肩を落とした。
綴を助けたところで、萩に救いなどない。
それでも萩は、希望を捨てきれずに、縋り付いている。
「何にしても、チャンスどす。今のうちに、陣から離れるどす!」
状況はまだ呑み込めていないが、護の動きが止まっている今なら、体勢を整え直せる。
楸の掛け声で、榎たちは陣の外に駆け出した。
「せやけど、この状況、どないしたらええんや? いったい、誰が敵やねん?」
「誰と戦って、何を守ればいいのか、分からないわ……」
命懸けの儀式の継続は免れたが、あらゆる人や悪鬼が入り混じったこの場で、どこに武器を向ければいいのか、誰にも分からない。
立ち位置も定まらず、みんな混乱を極めていた。
困惑しながらも、榎の目線はずっと、萩と綴の元に向かっていた。
綴は、地面に叩きつけられた護の姿を睨み付けていた。
武器を破壊され、丸腰になった護は形勢を完全に崩していた。焦った表情で起き上がろうと、必死で足掻いている。
その護の様子を眺めて、綴は口の端を吊り上げた。
「丁度いい。神無月萩、お前に、最後の使命を与える」
その言葉に反応した、萩の瞳に光が宿る。
綴はまっすぐ腕を伸ばし、護を指さした。
「この男を殺せ。その折れた鎌で八つ裂きにして、原形もとどめない肉塊にしろ。こいつをこの世から消滅させられたら、お前を人間にしてやる」
残酷な命令に、護の顔から血の気が引いた。
反して、萩の表情には、みるみる生気が戻っていった。榎が初めて萩に出会い、妖怪に対して攻撃を繰り広げて虐殺を繰り返していた頃の、活き活きとした表情に近かった。
生きる目的を、再び見出した顔だ。進むべき道に迷いがなくなり、自信に満ち溢れていた。
きっと、あの邪悪な笑顔が、萩の本来の姿なのだろうと確信した。
「やっと、やっと人間になれる……!」
萩はまっすぐに、護に向き直った。折れた鎌を構え、側に歩み寄る。
「来るな、化け物!」
「化け物がお前の言葉に耳を傾けるわけがない。自惚れるな」
怯えて萩に怒鳴りつける護に、綴が冷酷に吐き捨てる。
萩は両手で鎌の柄を握り、頭上に振りかざした。
「止めろ、萩!」
榎は声を上げて、萩を制止させようとした。
だがもちろん、榎の声なんかで萩が止まるわけもない。
それでも、止めなければいけなかった。
榎は、体力を振り絞って萩に駆け寄った。魂を抜かれかかった衝動で、まっすぐ走れない。
よたよたと近付く榎に向かい、萩は鎌を振って弧を描いた。
折れた武器でも、まだ充分な破壊力を生み出せる。鎌の切っ先の先端に沿って風が巻き起こり、鋭い刃物みたいな形状に代わって、榎めがけて飛んできた。
辛うじて避けるとともに、榎は足をもつれさせて地面に倒れる。
「邪魔をするな。どんな手を使ってでも、何に縋りついてでも、アタシは人間になる!」
榎に怒鳴りつけると、萩は再び、護に向かって鎌を向けた。さっきと同じ攻撃を、食らわせるつもりか。
あんな殺傷能力の高い攻撃、戦いの経験もない、身動きの取れない人間が躱せるわけがない。食らえば確実に、護は死ぬ。
萩を何の意思もなく、人殺しになんてしたくない。護に何の償いもせずに、死んでほしくない。
榎は制止の声を張り上げた。
悲鳴にも近いその声は、萩には届かなかったが、萩の体は動きを止めた。
響が萩の腕を掴み、止めさせた。
「これ以上、私利私欲のために、この娘を利用するのは、やめてもらおうか。この娘を人間にする方法なんて、本当は知らないんだろう?」
響は萩を抑えつけながら、綴に鋭い眼光を飛ばした。
綴は相変わらず、何の反応も見せない。だが、響の言葉は萩の表情を大きく歪めさせた。
「君もそろそろ、分かっているはずだ。如何に似た姿を維持できようとも、君は人間とはかけ離れた、全く異なる存在なのだと」
耳元で真実を口にされるたびに、萩の顔が絶望に染まっていく。
もしかすると、ちゃんと自身の正体を理解しているのかもしれない。
だが、まだ完全に現実をけ入れられず、心の中で葛藤を続けている感じだ。
「君が生き続けるために、まずはその事実を受け入れなければならない。受け入れた時初めて、君の命は未来に繋がる」
萩は、低いうなり声をあげて苦しみだした。どうすればいいか分からず、頭が錯乱しているのだろう。暴れたいが、響に動きを完全に封じられ、ろくにもがけもしなかった。
「くだらない戯言に騙されるな! 君は人間にはなれない、悪鬼なのだから!」
止めに、響が大声を萩にぶつける。
萩は動きを止め、がっくりと膝を折った。
響は萩を受け止め、支える。萩は考え疲れた表情で、顔中に汗の粒を浮かべていた。
「どうした、そいつの話を信じるのか? もう、僕の言葉には耳を傾けないわけか」
身も心も衰弱した萩に、綴が更に追い打ちをかける。萩は怯えた様子で、体を震わせた。
「恩知らずだな。誰のお陰で、この世界に存在できていると思っているんだ」
「アタシは、アタシは……」
萩は頭を抱えて、震え出す。
綴によって生み出された萩は、綴の言葉に逆らえないように仕向けられているのかもしれない。
それでも、萩は必死で抗っていた。どうすればいいのか、何が正しいのか、萩自身の頭で、必死で答を出そうとしていた。
やがて、複雑な嗜好の変化に体がついていけなくなったのだろう。急に脱力し、がっくりと響の腕の中に倒れ込み、気を失った。
「本当に役立たずだ、お前は。失望したよ。消えろ、僕の目の前から」
そんな萩の姿を、ゴミでも見る目で睨む綴の姿がいたたまれなくなり、榎は叫んだ。
「もう、やめろ! これ以上、萩を苦しめるな!」
「神無月萩は、僕が作り出した虚構(フィクション)だ。どう始末をつけようが、僕の自由だ」
綴は静かに語った。萩に向けていたと気と同じ、冷たい視線で。
「それに君が、この化け物に同情する必要なんて、ないだろう? 最初から、僕の中の不要な存在だったんだから」
よけいなお世話だといいたげに、榎の介入を拒む反応を見せた。
「違う! あたしは、萩に同情しているんじゃないんだ。あなたに対して、しているんだ!」
綴の意志なんて、関係ない。榎の勢いは、止まらなかった。
榎の言葉に、綴の肩がビクリと震えた。
「やっと、分かったんです。萩にどんなに酷い目に遭わされても、分かり合えなくても、どうしても放っておけなかった理由が」
乱れた呼吸を整えながら、榎はようやく纏まった考えを、一気に吐き出す。
「萩と綴さんが、そっくりだったからだ」
ずっと、心の片隅でしこりになっていた、奇妙な違和感の原因がようやく分かった気がした。
「萩が綴さんの中から生み出された存在だというのなら、萩の凶暴で残酷な性格は、綴さんの一部じゃないのか? 綴さん自身が、その感情を拒んで外に追い出したから、悪鬼となって外に吐き出されたんだ。だとしたら、綴さんが萩に向かって放つ 酷い言葉は、本当は綴さん自身に向けているものじゃないのか? 結局、綴さんは自分で自分を傷つけているんだ、拒んでいるんだ」
綴の表情が、一気に青褪めていく。呆然として、榎のほうを見つめているが、焦点が合っていない。
「別物にして外に追い出さないといけないほど、その感情は綴さんにとって苦しくて、邪魔なものだったんだと思う。その苦しいと感じる気持ちは、萩の中からも感じ取れた。だからあたしは、どんなに拒まれても痛め付けられても、萩を見捨てておけなかったんだ。萩の中に、綴さんの面影を感じたから!」
萩が綴の中から生み出された存在だとはじめて知った時も、思ったほど驚かなかった。本能的に、納得していた。
きっと、心の奥では、「やっぱりそうだったのか」と納得していたからかもしれない。そう感じられるだけ、思い当たる節が随所にあったのかもしれない。
「感情の一部を切り離して、騙して痛め付けて、何の解決になるんだ! 綴さんは苦しい現実から逃げているだけじゃないのか!? もっと他に、誰も辛い思いをせずにすむ方法だって、あったんじゃないのか!?」
全てを一人で終わらせようとして、歪んだ道に足を踏み入れた。その結果、周囲まで巻き込んで大変な問題を引き起こした。
綴はもっと聡明な人だと思っていたが。思っていた以上に、不器用で無軌道な人だ。
いままで思い描いてた綴のイメージが、どんどん崩れていく。考えれば考えるほど、榎の内側から、怒りが沸き起こって止まらない。
「あたしは協力できる方法を、一緒に考えたかった。なのに、萩も綴さんも、どうしてあたしを拒むんだ。どうして、何も教えてくれないんだ。助けさせてくれないんだ……!」
いままで溜め込んで、どうすればいいのか分からなかった感情が、一気に吐き出された。
榎の意志では、どうにもならなかった。綴ももしかしたら、今の榎と同じ状況だったのだろうか。
人に偉そうに言える立場でもない。情けなさすぎて、榎は自己嫌悪に陥りそうだった。
「――榎ちゃん」
優しく、榎の名前を呼ぶ声。
もう、二度と聞けないと思っていた言葉に、榎の思考が停止する。
「君のいう通りだ。でも、他にどんな方法があったとしても、僕はこの方法しか選べなかった。これが、伝師の闇に染まった化け物の末路なんだと思う。本当に、僕を思ってくれるなら、この地から去ってくれ。この穢れた地に、これ以上君をいさせたくない」
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