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第二部 四季姫進化の巻

第十七章 悪鬼復活 5

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 五
 榎は、綴の言葉に何と返事をしていいのか分からず、黙り込んだ。
 綴はそれ以上、言葉を交わす気はないらしく、目を伏せて榎から逸らした。
「綴くんの言う通り、早くこの地を去ったほうがいい」
 間に、響が割って入ってきた。
「どうしてですか?」
「もうじき、悪鬼たちがやってくる。深淵の悪鬼たちが、地脈の合流するこの地を嗅ぎつけたのですよ。地脈の力は正しく使えば、悪鬼にとっても有益な力をもたらす。伝師の支配が弱まる、長の代替わりのタイミングを狙って、襲撃するつもりなのです」
 響がこの場所にやって来た理由が、単純に萩を追いかけてきただけではないと気付き、榎の体に緊張感が戻ってきた。
「じゃあ、響さんも悪鬼に加勢して、あたしたちと戦うために、ここまで来たんですか?」
 尋ねると、核心を突いていたらしく、響は申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。
「すみませんねぇ。地脈の力ならば、萩の中に送り込めば、命を持ち直すきっかけになるかも、と思いまして」
 響なりに、色々と考えて悩んだ末の決定だったのだろう。榎たちに悪鬼の動向を教えてくれただけでも、響に敵意がないのだと、伝わってくる。
「悪鬼たちからは、萩を助ける手段を与える代わりに、四季姫を倒す手助けをしろ、と言われたんですがね。小父さんとの約束もあるし、あなたたちとは、できるなら戦いたくない。だからお願いします。今すぐ、逃げてください」
 響には、榎たちと戦う意志はない。その事実がはっきりと分かり、榎は周囲に目配せした。
 万が一を考えて身構えていた椿たちに指示を送る。三人は武器を下ろし、戦闘態勢を解除した。
 続いて、陣の隅で小さくなっていた月麿を見つけて、声を掛けた。
「麿、聞いたとおりだ。悪鬼に地脈の力を勝手に使わせないように、何か防御策はないのか?」
「現在、地脈の制御は、伝師の施した陣によってなされておる。陣が壊されぬかぎりは、悪鬼であろうとも地脈を好きに扱いはできぬ」
「つまり、陣が壊せば、悪鬼でも地脈の力を扱えるわけやな」
「今逃げ出せば、奪われるんは時間の問題どす」
 みんなの見解を聞き、榎の決意は固まった。
「綴さん、響さん。逃げろといってくれて、お気遣い嬉しいですが、みすみす地脈の力を悪鬼に奪われるわけにはいきません。あたしたちが、悪鬼から地脈を死守します」
 礼を述べて、笑いかける。長の交代の儀は、中途半端な状態で止まっている。悪鬼にとっては恰好の状況が整っていた。榎たちが止めなければ、悪鬼たちのなすがままだ。
 綴や響は、まだ何か反論しようとしていたが、口が開く前に妨害が入った。
「馬鹿め、邪魔などさせるものか!」
 九体の、人の形をした黒い塊が、榎たちの前に飛来した。
「深淵の悪鬼!」
「早速、ぞろぞろと、集まってきよったで!」
 榎たちは武器を悪鬼に向かって構えた。悪鬼たちも体列を整えて、榎たちに敵意を飛ばしてきた。
「貴様らの力も、全て地脈の糧として吸収し、我らが有効に活用してやろう」
 悪鬼たちは一斉に、四方八方に飛び出し、辺りを飛び交いはじめた。ものすごい勢いで榎たちの周囲を回転して、翻弄して来る。
 手当たり次第に武器を振り回すが、反射神経が悪鬼の動きについていかず、全て空振りに終わった。
「こいつら、ちょこまかと鬱陶しいな!」
「数では、圧倒的に悪鬼のほうが有利どす。何とか動きを封じんと……」
 策を講じようとするが、その時間さえないままに、悪鬼たちは動きに変化を持たせてきた。
 一斉に腕から黒い邪気の塊を放ち、榎たち目掛けて飛ばしてくる。榎たちが慌てて交わすと、爆発音とともに地面に大きな穴が開いた。
 榎たちが攻撃を避けたために、陣から距離が離れてしまった。それが悪鬼たちの思惑だったのだろう。
 榎たちのいた場所を占拠した悪鬼たちは、素早く響を包囲して、捕らえた。
 不意を突かれた響は動きを封じられ、儀式の陣の中心に引っ張り込まれた。
「何の真似だ、貴様ら!」
 突然の出来事に、響は這い蹲りながらも、声を荒げて悪鬼たちを牽制する。
 だが、悪鬼たちは歯牙にも掛けず、赤い三日月型の口を開いて不気味に笑った。
「さて、長の息子、鬼蛇どの。お前には随分と計画を邪魔され、迷惑を被ってきた。罪滅ぼしとして、大いに働いてもらおう」
 悪鬼たちは響を中心として、陣の外周を取り囲んだ。黒い手を合わせて、ブツブツと小さな声で何かを唱えだす。
「何をするつもりだ!」
 態勢を整え治した榎が、悪鬼の背後に剣を突き付けた。悪鬼は身じろぎもしない。
「これより我らは、地脈の力を以て、悪鬼の長――鬼閻の復活の儀式を執り行う。肉体を失ったものを復活させるには、新たなる肉体が必要だ。血縁である鬼蛇は、うってつけの器なのだよ」
 悪鬼たちは、鬼閻の復活をまだ諦めていなかったのか。
 だが、復活なんて無理な話ではないのだろうか。
「鬼閻は、あたしたちが倒したんだ! 今更、復活なんてできるわけがないだろう!」
「愚かな四季姫よ、感謝しているぞ。おまえたちが未熟で阿呆であったお陰で、我等の長は無事に生き延びて、魂を繋いでくれたのだから!」
「どういう意味だ!?」
 返答は、こなかった。代わりに、苦しみ、うめきく響の声が辺りにこだました。
 祭壇の中央に目を向けると、響が脇腹を抑えて、のたうち回っていた。
 手で押さえている場所からは、黒い煙が立ち昇っている。
「体が、熱い! 何かが、中で暴れている。この感じは、まさか……」
 響の抑えている場所。榎はおぼろげに、覚えがある。
 先日、榎が鬼化して暴走した際に、傷を負わせた場所だ。
「夏姫にやられた傷口が、沸き立っておる。なぜか分かるか、夏姫? お前の剣に宿っておった鬼閻どのの魂が、より居心地の良い鬼蛇の体内に移動したのだ」
「まさか、あの剣の錆が……」
 了海は、鬼閻が最期に残した呪いだと言っていた。だが、あの錆の呪いが、鬼閻の魂の断片だったとしたら――。
 榎は慌てて、響を見た。響と戦った後、剣の錆が綺麗さっぱり消えた原因が、悪鬼の言う通り響の体内に移っているとすれば。
 現在、祭壇の中心、地脈の流れの中心に、魂と肉体。
 鬼閻を蘇らせる全ての要素が揃っている。
「実の父のために体を差し出せるのだ。光栄ではないか」
 悪鬼たちの笑い声が響き渡る。陣の下から地脈の力が漏れ出し、響の体を包み込み始めた。
「地脈の力が、鬼蛇の中に吸い込まれていく……」
「素晴らしい吸収力! この調子なら、一気に魂が活性化しますぞ!」
 歓喜に打ちひしがれる悪鬼を尻目に、榎たちは歯を食いしばった。
「ありゃあ、止めんと、ヤバいんとちゃうか?」
「早く、鬼蛇を陣の外に出さなくちゃ!」
 皆の目配せを受けて、榎は頷いた。剣を構えて、悪鬼の脇をすり抜けて響の側に走った。
「邪魔はさせぬ! 小娘ども、陣には一歩たりとも近付けぬぞ!」
 だが、悪鬼もこの最大の好機を守り抜こうと必死だ。榎たちの足を払い、倒そうとしてくる。辛うじて転倒は免れたが、矢継ぎ早に飛んでくる攻撃を躱してはじき返すだけで精一杯で、身動きが取れない。
 早くしないと、鬼閻が復活してしまう。時間のない戦いに苛立ちを覚えていると、悪鬼たちが体を痺れさせて、動きを止めた。
 悪鬼たちは力を奪い取られ、地面にへたり込む。
 その悪鬼たちの背後に、錫杖を手にした僧侶――了生が立っていた。
「遅れてすみません。加勢に参りました」
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