四季姫Biography~陰陽師少女転生譚~

幹谷セイ

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第二部 四季姫進化の巻

第十八章 夏姫進化 4

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 四
 黒い風が止んだ。
 視界がはっきりしてくると同時に現れた萩は、ついさっきまでとは、まるで異なる姿に変わっていた。
 ボロボロだった十二単は、一枚地の美しい模様が入った着物になっていた。鮮明な黄色に染め上げられた生地は絹で織られているらしく、光を反射して神々しく輝いていた。肩には白い、羽衣を纏っている。腕や首元、耳には、翡翠や大理石で作られた、曲玉型の装飾品を身につけていた。
 袖は手を完全に隠してしまうほど長く垂れ下がっていた。その生地の上から、二本の太い三日月型の剣を、両手に握りしめていた。
「萩の姿が、変わった……」
「古い衣装どすな。古代中国の服? いえ、奈良時代でしょうか……」
 榎たちが茫然とする中、楸は真剣な表情で萩の姿を凝視していた。
 前に歴史の資料集で、奈良にある壁画などの写真を見た覚えがある。その壁に描かれた女性の恰好によくにていると思った。古代中国から伝わってきた、かつての貴族が身につけていた正装だ。
「あの姿は……悪鬼が舞闘の儀式で身につける正装じゃ」
 了海の声が聞こえた。深淵の悪鬼たちの動きを注視しながら、変わりゆく萩の姿を観察していた。
「悪鬼は古来より、長であり生みの親である鬼閻を敬い、この世の頂点を極めし者として崇め奉る儀式を執り行ってきた。代々、女悪鬼たちは宴の席で鬼閻に支配と戦いを象徴する踊りを捧げ、種族の未来永劫の繁栄を願ったといわれておる」
「悪鬼の正装。萩の、戦いの衣装か……」
 萩はしばらく、大きく変貌した姿に戸惑っていた。だが、手に握った双剣や、衣装の感覚が見に馴染むらしく、軽やかに足を踏み出した。
 十二単を纏い、巨大な鎌を振り回していた、かつての威圧的で重厚な動きは見られない。今の萩は、俊敏な動きで鬼閻の周囲を駆け回り、動きの鈍い鬼閻を翻弄した。
 鬼閻はちょこまかと動く萩についていけず、苛立ちの声を上げた。腕を振り回して捕えようとするが、萩はさらりとかわす。わずかな隙をついて、鬼閻に切り付ける。力は以前に比べれば劣り、強烈な一撃は与えられない。だが、狙う場所は急所を突いていて、的確にダメージを蓄積させていた。
 鬼閻は反撃する暇も与えられず、間髪入れず連続で繰り出される攻撃を受け続けている。
「鬼閻を圧している。秋姫のふりをしていた時より、ずっと強いな」
 相変わらず、武器を振り回している時の表情は開放的で楽しそうだが、以前みたいに邪悪で陰湿な雰囲気は感じられない。今まで以上に、萩が萩らしく、生き生きして見えた。
 萩の攻撃の合間を縫って、榎達も背後から加勢しようとしたが、うまくタイミングが掴めない。萩の攻撃スピードが早すぎて、割って入る隙がどこにも見当たらなかった。
 必死で鬼閻の動きを制しながら、悍ましい悪鬼の中で抗い続けている響の姿を、探しているのだろう。萩は響の魂と、対話を試みているに違いない。
 萩にしかできない芸当だ。榎達が無理に割り込んでも、足手まといになる。遠巻きに決着の行方を見届けることにした。
 このままの勢いで鬼閻の力を削いでいけば、きっと、柊や楸の禁術を用いて消滅させなくても、響を救えるはずだ。
 榎の中に、微かな希望が蘇った。
 悪鬼としての自覚を取り戻し、本来の姿に目覚めたといっても、萩を支え、助けられる者は、響しかいない。
 だが、わずかに希望の光が見えた矢先。巨大な風船が弾けたみたいな、激しい破裂音が辺りに響き渡った。
 振り返ると、朝と宵が力を使い果たして、地面に落ちて倒れた。 悪鬼たちの動きを封じるために行使していた術が解けたために生じた、破裂音だ。
 深淵の悪鬼たちは自由を取り戻し、陣に向かって突っ込もうと、身を翻した。
 陣の修正を妨害されれば、せっかく弱りかけている鬼閻が再び、力を付けてしまう。
 止めなければ。榎は素早く地面を蹴り、悪鬼たちと陣の間に割って入ろうとしたが、間に合いそうにない。
 万事休すのところで、了海と了生の二人が悪鬼のゆく手を阻んだ。
 朝と宵の術が早々に破られると判断して、悪鬼たちにずっと狙いを定めてくれていたのだろう。誰よりも素早く、的確な行動だった。
 了生が錫杖を振りかざして印を結ぶと、光の球がいくつも出現して、ものすごい早さで悪鬼たちに跳んでいく。ぶつかると同時に球は細かく弾け、一体の悪鬼が断末魔とともに消滅した。
 悪鬼たちの悲鳴が木魂する。
 陣を取り戻そうと奮闘する月麿たちの妨害もできず、陣に近づけず押されっぱなしの鬼閻を助けにもいけない。
 悪鬼たちの怒りと苛立ちは、かなり貯まっている様子だ。
「おのれ、小癪な! 次から次から邪魔をしよって……」
「生臭坊主ごときに、なぜ、かように苦戦せねばならんのだ、腹立たしい!」
 悪鬼たちの怒りの矛先は、嚥下親子に向けられていたが、二人はどこ吹く風でさらりと受け流している。
「世の理が変わり、陰陽師の神通力で悪鬼を倒せるようになったなら、俺らの法力も、それなりに通用するはずや。いつまでも嘗めとったら、痛い目見るぞ」
 了生が睨みを利かせると、悪鬼たちは悔しそうに奇声を上げながらも、それ以上攻撃を仕掛けようとはしなかった。
「これ以上、我等の数を減らす行いは、得策ではない」
「この状況で粘っていても、事態は好転せぬ」
「長がおられるかぎり、いずれ必ずや好機はやってくる。今は余計な力を消費するべきではない、いったん引くぞ」
 悪鬼たちは状況が不利だと判断したのか、素早く姿を消した。
「なんや、呆気ないな。親玉を捨てて逃げ出すなんて」
「まだ、何か仕掛けてくるかもしれまへん。油断は禁物どす」
 悪鬼が去った後も、しばらく神経を研ぎ澄まして周囲の気配を探ったが、完全に気配を消したらしく、何も感じ取れなかった。
 いったん気持ちを落ち着け、態勢を整え直していると、月麿の達成感にあふれた声が響いてきた。
「終わった、陣が修正できたでおじゃる!」
「陣の制御を、こちら側に取り戻せましたわ!」
 奏の歓声を聞いた榎は、率先して陣の側に駆け寄った。
 見た目はどう変わったのか、よく分からなかったが、月麿が陣に向かって手を翳し、印を結ぶと、鬼閻に向かって流れようとしていた地脈の流れが正常に戻り始めた。鬼閻の体に注がれていた膨大な力の川は陣の中に収まり、安定を取り戻した。
 力の供給源を絶たれた鬼閻にも、すぐに変化が現れた。明らかに動きが鈍くなり、萩によって食らった攻撃のダメージも、目に見えてきた。
 だが、その状態も長くは続かない。月麿が陣を抑え切れず、弾き飛ばされてしまった。
「ぐふぅ、いかん、麿の力だけでは、地脈の力が強すぎて……」
 不完全な陣の隙間を縫って、地脈の力は再び、鬼閻に向かって流れ込もうとする。
 なんとかしなければ。榎が動き出すより先に、先陣を切って地脈に飛びついたものがいた。
 奏の側で、ずっと様子を伺っていた、綴だ。
「どいていろ、僕が、抑えに入る」
 綴は、歩伏前進で素早く陣の上に移動し、地脈に手を触れた。綴の的確な制御によって、地脈は再び、安定を取り戻す。
 だが、綴に襲い掛かる負担も、半端ないはずだ。早くも、綴の額に大粒の汗が浮かびはじめる。
 伸ばした腕にも血管が浮かび上がり、今にも膨張して破裂しそうだった。
「お兄さま、いけませんわ! 陣の中に入っては、お体に触ります」
「陣が完成しただけでは、地脈の流れを受け止めるには不十分だ。地脈と一体化となって、コントロールするための柱が、どうしても必要なんだ」
 奏の制止の言葉も聞かず、綴は頑なに陣ら離れようとしなかった。
「僕が、やらなくてはいけないんだ。僕が一人で――」
 綴の必死な様子が、嫌というほど伝わってくる。
 その姿を見て、奏は言葉を失っていたが、榎の中には怒りが沸き上がった。
「せっかく居場所を手に入れたって、死んじゃったら意味がないでしょう!?」
 気付けば、綴に怒鳴り付けていた。
「あたしが代わりに柱になります。あたしの力を全部、綴さんにあげます。だから、地脈から離れて!」
 必死で声を荒げながら、無理矢理にでも綴の肩を掴んで引き戻そうとした。でも、綴は動かない。やせ細った華奢な体のどこに、それほど抵抗する力が残っているのか、不思議にさえ思えた。
 綴は榎の手を掴み、引き離そうとしてきた。首を回し、苛立った表情で榎に怒鳴り返してくる。
「四季姫が力を手放すことが何を意味するか、もう分かったはずだ! 死んでは意味がない、と言うのなら、君も同じだろう!」
 綴の剣幕に、榎は思わず怯んだ。綴の怒りの理由が、単なる私利私欲から来るものではないと気付き、一気に熱が冷めた。
 綴は、榎の無謀さを叱ってくれている。拒絶するためではなく、身を案じての怒りだった。
「一族の呪いに縛られ続ける者は、僕だけで充分だ。君には絶対に、こちら側に来てほしくない。来ては駄目なんだ」
 榎の手を握る力が、強くなる。なのに、弱々しく、震えていた。綴はゆっくり体を翻し、榎と真正面から向かい合った。
 榎はようやく、まともに綴の顔を凝視できた。今にも泣きそうな顔で、綴は悲痛さを堪えた言葉を放った。
「どうか、これ以上、傷付かないで。君の身を危険に、晒さないでくれ」
 消え入りそうな震える声が、願いが、榎に突き刺さった。
 気付くと、榎の頬を涙が伝っていた。
 やっぱり、違う。
 四季姫を憎み、陥れようと画策して、今まで榎を騙し続けてきたと断言した綴は、偽者だ。
 目の前にいる人こそ、榎がよく知る、本当の綴だ。
 榎は綴の胴に腕を回し、強く抱きしめた。
「やっぱり、綴さんは優しいんだ。だから、あたしは、綴さんが大好きなんだ」
 もう、惑わされはしない。どんな酷い言葉をぶつけられても、どれだけ拒まれても、傷つかない。悲しんだりしない。
 本物の綴の姿を、しっかりと脳裏に刻み込んだ。今後二度と、見間違えたりしない。見失わない。
「……本当に君は、僕の思い通りに動いてくれないな」
 綴の肩から、力が抜けた。呆れた笑い声が、すぐ耳元で響く。
「だから、惹かれるんだ。かけがえのない、愛おしい存在になってしまったんだ」
 榎の体を、綴の腕が優しく包み込んだ。分厚い十二単を纏っているにも関わらず、綴の手の感触が、温もりが、はっきりと伝わってきた。
「君が夏姫でなかったら、こんなに一生懸命にはなれなかったよ。君の悪い癖が、感染ったんだね」
 綴の優しい囁きが、耳の中に入って溶けていく。まるで、心地好い調べを聞いているみたいに、穏やかな気持ちに包まれた。
 額に、綴の吐息がかかる。直後、肌に触れたものが綴の唇だと分かった。榎は目を閉じ、綴に身も心も委ねた。
 だが、その穏やかな時間は、長くは続かなかった。
 体を強く押し飛ばされ、榎が我に帰ったときには、既に手遅れだった。
「さようなら。僕の、夏姫」
 綴は陣の中へ――地脈の中へと身を投じ、吸い込まれていった。
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