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第二部 四季姫進化の巻
第十九章 語部反逆 3
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三
屋敷を抜け出した榎は、足の動くまま、儀式の行われた広場にやってきた。
結界の張られた陣の中で、地脈が噴水みたいに地面から飛び出して、黄色い光を放っている。
この中で、綴は今も生きている。力を制御して、暴走を食い止めるために、命を削っている。
伝師の繁栄を守るために一生を捧げようなんて気持ちは、きっと綴にはなかっただろう。
全ては、四季姫が暴走に巻き込まれないために。榎が、伝師の陰謀の犠牲にならないために。
この世のあらゆる存在からの干渉を拒み、孤独に戦い続ける道を選んだ。
綴は、榎の幸せを望むがために、全てを賭けて戦ってくれた。
だが、こんな結末を、多大な犠牲を目の当たりにして、榎の中には明るい未来なんて見えるはずもなかった。
綴をこの場所に残したまま、すべてを吹っ切って前に進むなんて、できない。
止まったはずの涙が、再び溢れてきた。
「本当に、変えられなかったのか? 綴さんは、こんな場所で人柱になるためだけに、生かされてきたのか……?」
どうすれば良かったのだろう。榎は、綴のために何ができたのだろう。
以前も、何も答が分からず、絶望に苦しんでいた時があったなと、思い出す。
萩が秋姫として現れ、好き勝手に暴れ回っていたとき。
あの出来事だって、結局は、綴が榎達を鬼閻の復活から守ろうと画策したものだった。
萩の時は、綴が榎を励ましてくれた。進むべき道を、切り拓いてくれた。
だが今は、その綴さえ、どこにもいない。
綴が与えてくる試練は、榎には難しすぎる。苦しすぎる。
いくら探しても、答が見えてこない。
榎は、いつも無力だ。一人では、何もできない。
小さな子供みたいに、途方にくれて泣きじゃくるだけ。
なんて、情けない姿だろう。
ひとしきり泣きつづけ、涙も枯れかけた頃。
榎の周囲を、暖かい光が包み込んだ。
昼も近くなり、太陽が竹林の上から照らし込んできたのだろうかと思った。
顔をあげた瞬間、榎の体は硬直した。
「綴……さん?」
目の前に、綴がいた。反射的に、榎は綴に飛びついた。
だが、綴の体には触れられず、榎は綴をすり抜けて、地面に倒れた。
わけが分からず、榎は飛び起きて、綴を睨みつけた。
妖怪や悪鬼の引き起こした、幻かもしれない。警戒心を露に、殺気を飛ばした。
だが、綴は振り返り、寂しそうな表情を向けてきた。
『また、泣いているんだね。どうすれば、君は笑顔でいてくれるのかな……』
以前にも、榎が泣いていたときに見せた、複雑な顔。
直感的に、目の前の綴が偽物ではないと感じた。
「本当に、綴さんなんですね?」
綴は寂しげに、ゆっくりと目を伏せた。
『ごめん。結局、君を苦しめ続ける結果になった。だけど、今回の件は、誰のせいでもないんだ。僕が選んだ道なんだから、後悔はない。どうか、自分自身を責めないで』
綴の優しい言葉に、榎の神経は逆撫でされた。
わざわざ目の前に現れておきながら、まだそんな建前で誤魔化そうとするのか。
「本当ですか、本当に、後悔していないって、言えるんですか!?」
榎は怒鳴り付けた。この期に及んで、本音を見せようとしない綴に、憤りを隠せない。
「いつまで、嘘を聞き続けなくちゃいけないんですか。あたしは一生、あなたの本心を、教えてもらえないんですか?」
もう、流れきったと思っていた涙が、再三、流れ出してくる。嗚咽が溢れて、言葉にならない。
『ごめん、少し、嘘を吐いた』
榎の様子を見ていた綴が、静かに口を開いた。
『君を助けられたことには満足しているし、後悔はない。でも、この先、君の姿を見られなくなると思うと、辛い』
綴の表情は、本当に辛そうだった。
『だから最後は、君の笑顔が見たかった。その笑顔を奪った僕に、言う権利なんて、ないけれど』
寂しげに微笑んだ綴の頬にも、ひと滴の涙が伝った。
榎は、何と返していいのか分からず、呆然と立ち尽くした。
何か言わないと。必死で考えたが、気持ちが纏まるまで、時間は待ってくれなかった。
綴の体が徐々に透け、背後の景色に溶け込んでいく。
「綴さん、姿が……」
『限界だな。あまり長くは、この姿を維持できないんだ。……もう、この地を去るんだ。君がこれ以上、何かを背負う必要はないんだよ』
早口に告げると、綴の姿は消えてしまった。
呼び止めも、引き止めもする余裕はなかった。
「綴が、いたのか」
呆然と立ち尽くしていると、背後から紬姫がやって来た。
「地脈の力を押さえるだけでも大変だというのに、無茶をする」
榎の隣に立ち、呆れた顔で地脈を見つめていた。
「今の綴さんは、いったい?」
榎は尋ねた。紬姫は、何か知っていそうな口ぶりだった。
「其方(そなた)は以前、秋姫を名乗る〝神無月 萩〟という悪鬼と戦ったな? その結果、敗北しそうになった。その時、お前に力を与えた存在がいたはず」
指摘され、榎の中に記憶が蘇ってきた。
萩に髪飾りを壊され、夏姫の変身が解けそうになったとき。目の前に現れて励ましてくれた。
間違いなく、綴だった。
「綴は、眠っている時に、別の場所の光景を見る力を持っていた。未来を見る妾の力よりも弱いが、予知以上に特殊な性質も持ち合わせていた」
「特殊な性質……?」
「詳しくは知らぬが、夢に見た場所へ自身の霊体を飛ばし、何らかの干渉を行えたらしいのだ」
「幽体離脱、みたいなものですか?」
「そう呼ぶ類のものかもしれぬ」
あの姿は、実体を離れた綴の魂だったのか。だから、触れられなかった。
そんな姿になってまで、綴は榎に会いにきてくれた。それも、二度も。
榎は、胸が締め付けられそうになった。
「だが、魂を自在に操作する力を持っていたとしても、実践する行為は禁忌に値する。依代であり、魂を守る存在である肉体から、生命を司る霊体を引き離せばどうなるか、想像がつくか?」
今度は何となく、イメージが頭に浮かんだ。
「魂が、外部からの危険に晒される?」
予想は正しかったらしい。紬姫は満足そうに頷いた。
「そう、命を削る行為だ。間違いなく寿命が縮むし、健康も損なう。実際、今までに綴が霊体を飛ばした後は喀血し、体調を崩していた」
じゃあ、萩のと戦いの後に体調を崩していた原因は――。
何も知らずにいたなんて。榎は悔やんだ。
「綴が自覚して行動できるようになってからは、厳しく言い聞かせて禁じていたので、行っていなかったはずだが。其方の危機を夢に見て、じっとしていられなくなったのであろうな。そして、今も――」
紬姫は再び息を吐き、地脈を見つめた。
「綴にとって、其方の存在は、一つの救いだったのだ。決して交わらぬ運命だと分かっていても、其方と過ごした時間は、今まで伝師の家の中で守られて過ごしてきたどんな時よりも、尊くかけがえのないものだったのであろう。だから、命を懸けてでも助けようと、禁じられた力を行使した。手前勝手な行動だと憤る気持ちもわかるが、理解してやってほしい。綴は命をかけて愛するものを救うことこそが男の使命であると、根っから思い込んでおるのだ」
「そんな勝手な考え、理解できません」
相手の苦しみも理解せずに、大切な人を助けた気になっているなんて、ただの自己満足だ。
榎だって同じだ。綴の気持ちを何も理解できていなかった。だからこそ、もっと知りたいと、強く望んできた。
なのに、綴は一人で全てを終わらせ、榎の前から消えてしまった。綴について理解しようにも、話さえできなくなってしまった。
榎の中には、後悔と怒りしか残っていない。
「妾も、同感だ。ろくでもない性格ばかり、父親に似て。困ったものだ」
紬姫は、榎の不満に同調して、理解してくれた。不意に口を付いた話に、榎の興味が引っ張られる。
「綴さんの父親は、平安時代の人なんですよね?」
「ああ。妾が生涯、唯一愛した男だ。人外の力を用いてまで、虚栄心や自尊心などといった下らぬものを守り続ける無意味さ、愚かさを気付かせてくれた、たった一人の男だ。妾が時を渡る前に、妾を守って死んでしまった。誰も、頼んでなどおらぬのにな。たとえ無理だったとしても、共に生きていてくれたらと、何度思ったか知れない」
話す紬姫の瞳には、懐かしさと悲しさが混同していた。
「あの者の血を、絶やしたくなかった。どこででもいい、幸せになってほしかった。だから、あの子を腹の中で庇いながら、時を渡った。たとえ未来の結果が分かっていても、諦めたくなかった。少しでも、綴を救える方法があるのならと、あらゆる方法を用いてきた」
改めて、落ち着いて見ると、紬姫の美しい顔には、疲労の影が濃かった。
ただ単純に、決まっている未来に従い、余裕をもってのうのうと生きてきたわけではない。決して幸せとは呼べない未来を知りながらも、必死で抗おうとしては失敗を繰り返し、挫折してきた葛藤が、紬姫には深く刻まれていた。
「あなたも、苦しんできたんですね。見たくもない未来と、必死で戦い続けてきた」
ようやく、わかった気がする。今、榎が綴を失って辛いと思う気持ちは、紬姫にとっても同様のものであるのだと。
こんな苦しみの中に身を置きながら、榎達の敵意を受ながらも、泣き言一ついわずに全てを受け入れて、冷静を保ってきた。
とても強い人なのだと、改めて思った。
「……夏姫、綴を救いたいか」
静かに、紬姫が語りかけてきた。
「妾は、強く願う。綴を、この呪われた伝師の運命から解放できるなら、何でもしよう。たとえ、未来の運命が、この行いを拒もうとも」
紬姫の強い言葉に、榎の胸は打たれた。
「夏姫。妾には、この先の未来がどうなるのか、何も分らぬ。綴が地脈から解放されるのかも。其方たち四季姫の未来が、明るく幸せなものなのかも。――だが、そなたたち四季姫の使命は、まだ終わっていない。それだけは、断言できる」
「なぜ、未来が見えないのに、断言できるのですか?」
「なぜなら――、妾が今、この時代におるからだ」
紬姫の言葉がよく分からず、榎は戸惑った。
「未来は分からぬが、今まで見てきた時の流れから想像するに、この時代に再び蘇った其方たちの使命が、こんな形で潰えるとは思えぬ。まだこの先に繋がる、何らかの役割があるはずなのだ」
核心はなくても、紬姫の言葉には妙な説得力があった。
「その役割を果たした末に、何がもたらされるかは分からぬも、全てを其方たちの行いに賭けるしかない」
紬姫は、おもむろに榎の手を取り、握りしめた。白く柔らかな、細い手。
榎の心臓が、緊張で激しく高鳴った。
でも、頭の中はすっきりしていて、冷静に紬姫を見つめていられた。
「どうか、綴を助けてほしい。伝師の呪縛から解き放ち、自由にしてやってほしい」
「あたしも、綴さんを助け出したい。そのために、まだ、夏姫の力が使えるのなら、何だってするよ……」
気持ちは、固まっていた。紬姫が頼まずとも、きっと、じっとはしていなかっただろう。
だが、何を成せばいいかは、榎には分からない。この状況で、何か手掛かりを持っている紬姫が、同じ目的のために力を貸してくれるのなら、とても心強い。
「あたしの、四季姫にまだ行える役割とは、何なのでしょうか。少しでも知っている情報があるなら、教えてください」
紬姫の手を握り返し、榎は問い質す。
紬姫は決意をかため、口を開こうとした。
その瞬間。
「教えてあげようか、お兄さまを助ける方法」
突然、側で声がした。下を見ると、笑顔を浮かべた少年――語が、ちょこんと立っていた。
気配も足音もなく現れた語に、榎は驚く。
「語。妾と通じる目を閉じ、今までどこで何をしておった?」
紬姫が目を細めると、語は少し泣きそうな顔をしたが、すぐに余裕に満ちた顔を浮かべた。
「ごめんなさい、お母様。少し、お目めの調子が悪かったみたい。僕はいつも通り、いい子でお勉強をしていたんだよ。そして見つけたんだ。お兄様を助け出す方法をね。話してもいい?」
母親に、許可を求めて来る。紬姫は少し何かを考え込んでいたが、静かに許諾した。
「構わぬ。続けなさい」
「お兄さまを自由にしてあげるためには、四季姫のお姉ちゃんたちの力が、どうしても必要なんだ」
語の言葉に、榎の鼓動が高鳴る。
「あたしたちの力で、綴さんを助けられる……?語くんは、本当にそんな方法を見つけたのか?」
「もちろんだよ。僕の言った通りにすれば、お兄さまは必ず、救われるんだ」
榎は横目で、紬姫を見た。紬姫は息子である語の話を信用しているらしく、強く肯定の頷きを見せた。
「語は、頭の良い子だ。明確な方法があるというのなら、従ってみるといい」
語の話は信じていいのだと確信し、榎も頷いた。
「分かった。みんなで話を聞くよ」
屋敷を抜け出した榎は、足の動くまま、儀式の行われた広場にやってきた。
結界の張られた陣の中で、地脈が噴水みたいに地面から飛び出して、黄色い光を放っている。
この中で、綴は今も生きている。力を制御して、暴走を食い止めるために、命を削っている。
伝師の繁栄を守るために一生を捧げようなんて気持ちは、きっと綴にはなかっただろう。
全ては、四季姫が暴走に巻き込まれないために。榎が、伝師の陰謀の犠牲にならないために。
この世のあらゆる存在からの干渉を拒み、孤独に戦い続ける道を選んだ。
綴は、榎の幸せを望むがために、全てを賭けて戦ってくれた。
だが、こんな結末を、多大な犠牲を目の当たりにして、榎の中には明るい未来なんて見えるはずもなかった。
綴をこの場所に残したまま、すべてを吹っ切って前に進むなんて、できない。
止まったはずの涙が、再び溢れてきた。
「本当に、変えられなかったのか? 綴さんは、こんな場所で人柱になるためだけに、生かされてきたのか……?」
どうすれば良かったのだろう。榎は、綴のために何ができたのだろう。
以前も、何も答が分からず、絶望に苦しんでいた時があったなと、思い出す。
萩が秋姫として現れ、好き勝手に暴れ回っていたとき。
あの出来事だって、結局は、綴が榎達を鬼閻の復活から守ろうと画策したものだった。
萩の時は、綴が榎を励ましてくれた。進むべき道を、切り拓いてくれた。
だが今は、その綴さえ、どこにもいない。
綴が与えてくる試練は、榎には難しすぎる。苦しすぎる。
いくら探しても、答が見えてこない。
榎は、いつも無力だ。一人では、何もできない。
小さな子供みたいに、途方にくれて泣きじゃくるだけ。
なんて、情けない姿だろう。
ひとしきり泣きつづけ、涙も枯れかけた頃。
榎の周囲を、暖かい光が包み込んだ。
昼も近くなり、太陽が竹林の上から照らし込んできたのだろうかと思った。
顔をあげた瞬間、榎の体は硬直した。
「綴……さん?」
目の前に、綴がいた。反射的に、榎は綴に飛びついた。
だが、綴の体には触れられず、榎は綴をすり抜けて、地面に倒れた。
わけが分からず、榎は飛び起きて、綴を睨みつけた。
妖怪や悪鬼の引き起こした、幻かもしれない。警戒心を露に、殺気を飛ばした。
だが、綴は振り返り、寂しそうな表情を向けてきた。
『また、泣いているんだね。どうすれば、君は笑顔でいてくれるのかな……』
以前にも、榎が泣いていたときに見せた、複雑な顔。
直感的に、目の前の綴が偽物ではないと感じた。
「本当に、綴さんなんですね?」
綴は寂しげに、ゆっくりと目を伏せた。
『ごめん。結局、君を苦しめ続ける結果になった。だけど、今回の件は、誰のせいでもないんだ。僕が選んだ道なんだから、後悔はない。どうか、自分自身を責めないで』
綴の優しい言葉に、榎の神経は逆撫でされた。
わざわざ目の前に現れておきながら、まだそんな建前で誤魔化そうとするのか。
「本当ですか、本当に、後悔していないって、言えるんですか!?」
榎は怒鳴り付けた。この期に及んで、本音を見せようとしない綴に、憤りを隠せない。
「いつまで、嘘を聞き続けなくちゃいけないんですか。あたしは一生、あなたの本心を、教えてもらえないんですか?」
もう、流れきったと思っていた涙が、再三、流れ出してくる。嗚咽が溢れて、言葉にならない。
『ごめん、少し、嘘を吐いた』
榎の様子を見ていた綴が、静かに口を開いた。
『君を助けられたことには満足しているし、後悔はない。でも、この先、君の姿を見られなくなると思うと、辛い』
綴の表情は、本当に辛そうだった。
『だから最後は、君の笑顔が見たかった。その笑顔を奪った僕に、言う権利なんて、ないけれど』
寂しげに微笑んだ綴の頬にも、ひと滴の涙が伝った。
榎は、何と返していいのか分からず、呆然と立ち尽くした。
何か言わないと。必死で考えたが、気持ちが纏まるまで、時間は待ってくれなかった。
綴の体が徐々に透け、背後の景色に溶け込んでいく。
「綴さん、姿が……」
『限界だな。あまり長くは、この姿を維持できないんだ。……もう、この地を去るんだ。君がこれ以上、何かを背負う必要はないんだよ』
早口に告げると、綴の姿は消えてしまった。
呼び止めも、引き止めもする余裕はなかった。
「綴が、いたのか」
呆然と立ち尽くしていると、背後から紬姫がやって来た。
「地脈の力を押さえるだけでも大変だというのに、無茶をする」
榎の隣に立ち、呆れた顔で地脈を見つめていた。
「今の綴さんは、いったい?」
榎は尋ねた。紬姫は、何か知っていそうな口ぶりだった。
「其方(そなた)は以前、秋姫を名乗る〝神無月 萩〟という悪鬼と戦ったな? その結果、敗北しそうになった。その時、お前に力を与えた存在がいたはず」
指摘され、榎の中に記憶が蘇ってきた。
萩に髪飾りを壊され、夏姫の変身が解けそうになったとき。目の前に現れて励ましてくれた。
間違いなく、綴だった。
「綴は、眠っている時に、別の場所の光景を見る力を持っていた。未来を見る妾の力よりも弱いが、予知以上に特殊な性質も持ち合わせていた」
「特殊な性質……?」
「詳しくは知らぬが、夢に見た場所へ自身の霊体を飛ばし、何らかの干渉を行えたらしいのだ」
「幽体離脱、みたいなものですか?」
「そう呼ぶ類のものかもしれぬ」
あの姿は、実体を離れた綴の魂だったのか。だから、触れられなかった。
そんな姿になってまで、綴は榎に会いにきてくれた。それも、二度も。
榎は、胸が締め付けられそうになった。
「だが、魂を自在に操作する力を持っていたとしても、実践する行為は禁忌に値する。依代であり、魂を守る存在である肉体から、生命を司る霊体を引き離せばどうなるか、想像がつくか?」
今度は何となく、イメージが頭に浮かんだ。
「魂が、外部からの危険に晒される?」
予想は正しかったらしい。紬姫は満足そうに頷いた。
「そう、命を削る行為だ。間違いなく寿命が縮むし、健康も損なう。実際、今までに綴が霊体を飛ばした後は喀血し、体調を崩していた」
じゃあ、萩のと戦いの後に体調を崩していた原因は――。
何も知らずにいたなんて。榎は悔やんだ。
「綴が自覚して行動できるようになってからは、厳しく言い聞かせて禁じていたので、行っていなかったはずだが。其方の危機を夢に見て、じっとしていられなくなったのであろうな。そして、今も――」
紬姫は再び息を吐き、地脈を見つめた。
「綴にとって、其方の存在は、一つの救いだったのだ。決して交わらぬ運命だと分かっていても、其方と過ごした時間は、今まで伝師の家の中で守られて過ごしてきたどんな時よりも、尊くかけがえのないものだったのであろう。だから、命を懸けてでも助けようと、禁じられた力を行使した。手前勝手な行動だと憤る気持ちもわかるが、理解してやってほしい。綴は命をかけて愛するものを救うことこそが男の使命であると、根っから思い込んでおるのだ」
「そんな勝手な考え、理解できません」
相手の苦しみも理解せずに、大切な人を助けた気になっているなんて、ただの自己満足だ。
榎だって同じだ。綴の気持ちを何も理解できていなかった。だからこそ、もっと知りたいと、強く望んできた。
なのに、綴は一人で全てを終わらせ、榎の前から消えてしまった。綴について理解しようにも、話さえできなくなってしまった。
榎の中には、後悔と怒りしか残っていない。
「妾も、同感だ。ろくでもない性格ばかり、父親に似て。困ったものだ」
紬姫は、榎の不満に同調して、理解してくれた。不意に口を付いた話に、榎の興味が引っ張られる。
「綴さんの父親は、平安時代の人なんですよね?」
「ああ。妾が生涯、唯一愛した男だ。人外の力を用いてまで、虚栄心や自尊心などといった下らぬものを守り続ける無意味さ、愚かさを気付かせてくれた、たった一人の男だ。妾が時を渡る前に、妾を守って死んでしまった。誰も、頼んでなどおらぬのにな。たとえ無理だったとしても、共に生きていてくれたらと、何度思ったか知れない」
話す紬姫の瞳には、懐かしさと悲しさが混同していた。
「あの者の血を、絶やしたくなかった。どこででもいい、幸せになってほしかった。だから、あの子を腹の中で庇いながら、時を渡った。たとえ未来の結果が分かっていても、諦めたくなかった。少しでも、綴を救える方法があるのならと、あらゆる方法を用いてきた」
改めて、落ち着いて見ると、紬姫の美しい顔には、疲労の影が濃かった。
ただ単純に、決まっている未来に従い、余裕をもってのうのうと生きてきたわけではない。決して幸せとは呼べない未来を知りながらも、必死で抗おうとしては失敗を繰り返し、挫折してきた葛藤が、紬姫には深く刻まれていた。
「あなたも、苦しんできたんですね。見たくもない未来と、必死で戦い続けてきた」
ようやく、わかった気がする。今、榎が綴を失って辛いと思う気持ちは、紬姫にとっても同様のものであるのだと。
こんな苦しみの中に身を置きながら、榎達の敵意を受ながらも、泣き言一ついわずに全てを受け入れて、冷静を保ってきた。
とても強い人なのだと、改めて思った。
「……夏姫、綴を救いたいか」
静かに、紬姫が語りかけてきた。
「妾は、強く願う。綴を、この呪われた伝師の運命から解放できるなら、何でもしよう。たとえ、未来の運命が、この行いを拒もうとも」
紬姫の強い言葉に、榎の胸は打たれた。
「夏姫。妾には、この先の未来がどうなるのか、何も分らぬ。綴が地脈から解放されるのかも。其方たち四季姫の未来が、明るく幸せなものなのかも。――だが、そなたたち四季姫の使命は、まだ終わっていない。それだけは、断言できる」
「なぜ、未来が見えないのに、断言できるのですか?」
「なぜなら――、妾が今、この時代におるからだ」
紬姫の言葉がよく分からず、榎は戸惑った。
「未来は分からぬが、今まで見てきた時の流れから想像するに、この時代に再び蘇った其方たちの使命が、こんな形で潰えるとは思えぬ。まだこの先に繋がる、何らかの役割があるはずなのだ」
核心はなくても、紬姫の言葉には妙な説得力があった。
「その役割を果たした末に、何がもたらされるかは分からぬも、全てを其方たちの行いに賭けるしかない」
紬姫は、おもむろに榎の手を取り、握りしめた。白く柔らかな、細い手。
榎の心臓が、緊張で激しく高鳴った。
でも、頭の中はすっきりしていて、冷静に紬姫を見つめていられた。
「どうか、綴を助けてほしい。伝師の呪縛から解き放ち、自由にしてやってほしい」
「あたしも、綴さんを助け出したい。そのために、まだ、夏姫の力が使えるのなら、何だってするよ……」
気持ちは、固まっていた。紬姫が頼まずとも、きっと、じっとはしていなかっただろう。
だが、何を成せばいいかは、榎には分からない。この状況で、何か手掛かりを持っている紬姫が、同じ目的のために力を貸してくれるのなら、とても心強い。
「あたしの、四季姫にまだ行える役割とは、何なのでしょうか。少しでも知っている情報があるなら、教えてください」
紬姫の手を握り返し、榎は問い質す。
紬姫は決意をかため、口を開こうとした。
その瞬間。
「教えてあげようか、お兄さまを助ける方法」
突然、側で声がした。下を見ると、笑顔を浮かべた少年――語が、ちょこんと立っていた。
気配も足音もなく現れた語に、榎は驚く。
「語。妾と通じる目を閉じ、今までどこで何をしておった?」
紬姫が目を細めると、語は少し泣きそうな顔をしたが、すぐに余裕に満ちた顔を浮かべた。
「ごめんなさい、お母様。少し、お目めの調子が悪かったみたい。僕はいつも通り、いい子でお勉強をしていたんだよ。そして見つけたんだ。お兄様を助け出す方法をね。話してもいい?」
母親に、許可を求めて来る。紬姫は少し何かを考え込んでいたが、静かに許諾した。
「構わぬ。続けなさい」
「お兄さまを自由にしてあげるためには、四季姫のお姉ちゃんたちの力が、どうしても必要なんだ」
語の言葉に、榎の鼓動が高鳴る。
「あたしたちの力で、綴さんを助けられる……?語くんは、本当にそんな方法を見つけたのか?」
「もちろんだよ。僕の言った通りにすれば、お兄さまは必ず、救われるんだ」
榎は横目で、紬姫を見た。紬姫は息子である語の話を信用しているらしく、強く肯定の頷きを見せた。
「語は、頭の良い子だ。明確な方法があるというのなら、従ってみるといい」
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