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第十一話 崩壊
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社会は過渡期を迎えていた。
一か月前に銘人たちが目撃した「狂気のカマイタチ」はさらに激化しており、人々に恐怖を与えている。
焦死病の蔓延による混乱も、七渡家襲撃事件が起こった二年前の「ピーク期」以上に激化している。恐怖や不安を紛らわすための新種の麻薬があちこちで出回っており、「魔女狩り」と呼ばれる、暴徒による一般人の虐殺も度々行われるようになった。警察すらも十分に機能しておらず、社会秩序は既に崩壊していた。
そんな中、ある日の夜、新宿アルタの大画面に「後藤賢治」を名乗る少年の顔が突如として映し出された。
「皆さん、こんにちは。一時的に電波ジャックをさせていただきました。ご迷惑をおかけします。さて、突然ですが、今日は皆さんに一つお伝えしたい事があります」
世界中のマスメディアが震撼した。なぜなら、後藤賢治は二ヶ月前に自宅で首を吊って自殺しているからだ。生前に撮影したものを何者かが流しているという可能性は、彼が提示したいくつかの証拠によって打ち消された。
情報はすぐに広まった。ネット上では既に「ゾンビ男」などという名前まで付けられている。
通行人は皆立ち止まって画面を見上げる。噂を聞いて駆けつけた人間もそこに加わり、アルタの前には大きな人だかりができていた。それは終いには道路にまではみ出し、交通に大きな乱れを生じさせた。
皆、固唾を飲んで少年の次の言葉を待っている。
一つ咳払いをした後、少年が口を開いた。
「生き残りたい人は、よく聞いてください」
2
「あれ……」
俺は病室のベッドで目を覚ました。窓から差し込む陽光が眩しい。目を擦ってぼやけた視界を矯正すると、殺風景な室内が鮮明になった。
ふと右腕に違和感を覚え、それまでぼんやりとしていた意識が明瞭になる。
「点滴……?」
「気がついたようだな」
扉を開けて入って来たのは、世音……いや、「マスターピース」だった。
「……てめえッ!」
立ち上がろうとすると、胸元に激しい痛みが走った。俺はベッドの上でのたうち回る。
「まだ動くな。あくまで応急処置だ。完全に治癒するのにはまだ時間がかかる」
「うるせえよッ」
近付いてきた「マスターピース」の顔面を思い切り殴る。世音の姿をしたものを殴るのには抵抗があったが、それでもシズミを殺されたことへの怒りの方が勝った。シズミだけじゃない。こいつは世音も殺したんだ。「マスターピース」は痛がるそぶりこそ一切見せなかったが、代わりに僅かに悲しそうな表情を浮かべた。
「よくもシズミを……絶対に許さないッ!」
俺はもう一度彼女の顔面を殴った。その行為が何の意味も為さないということを頭では理解していたが、それでもこみ上げてくる怒りを抑えることはできなかった。それが殺意に及ばなかったのは、彼女があくまで世音の姿をしているからだろう。
「動くなと言っているだろう」
彼女の小さな手に腕を掴まれる。振りほどこうとしたが、俺の腕はびくとも動かない。一体、この華奢な身体のどこにこんな力が……?
「……ケンジはどこだ」
俺は「マスターピース」を睨みつけながら言った。
ケンジがなぜ俺を刺したのか、そしてなぜあんなことを言ったのか。考えれば考えるほど、分からないことだらけだ。信頼していたケンジに裏切られたショックが大きすぎて、まだ状況を受け入れられない。
「奴は既にこの研究所から姿を消した。お前……自分がどれくらい眠っていたと思う?」
「……は?」
「今まで、どれくらい眠っていたと思う」
まだ外が明るいのを見る限り、先程ケンジに刺されて気を失ってからさほど時間は経っていないはずだ。
「せいぜい、二、三時間じゃないのか」
「いや、三ヶ月だ」
「……は?」
予想だにしなかった単位に絶句する。……三ヶ月だって?
「お前が眠っている間に、ケンジは独裁者としての地位を固めていった。麻薬の流出、扇動、洗脳……見事な手腕だったよ。混乱した国内を短期間で一気に支配した。今やこの国は、奴の思い通りに動く傀儡だ」
「マスターピース」は淡々と話した。十六歳の少年が三ヶ月で国を支配するなど荒唐無稽な話に聞こえるかもしれないが、確かにケンジの頭脳があれば可能かもしれない。
俺にはその話がまるで他人事のように聞こえた。シズミを目の前で殺され、しかも殺したのは愛していた妹で、その上ケンジにも裏切られ……俺の心は、もう限界だった。
――もう、どうでもいい。
「メイト……お前は、どうしたい?」
「慣れ慣れしく話かけてくるな。お前は俺の親友を殺したんだ。お前なんか妹じゃない。ただの人殺しだ」
「……そうだな」
「マスターピース」は悲しげな表情で俯いた。なぜ、そんな顔をするんだ? お前には人間の心が無いんじゃないのかよ?
――胸糞悪い。
「出ていけ。二度と俺の前に姿を現すな」
俺はそっぽを向き、枕に顔半分を埋めた。「マスターピース」が椅子から立ち上がる音が聞こえる。少し間が空いてから、彼女の去っていく足音が聞こえた。ちらりと彼女の方を見ると、その後ろ姿はどことなく寂しげだった。とても「最強のイミテーション」の風格があるとは言いがたい。
「……すまない」
扉を閉める前、彼女はこちらを振り返ってそう言い残した。それが何に対しての謝罪なのかは分からなかった。
目を閉じるが、眠れるはずなんてなかった。何度取り払っても、瞼の裏にあの時の光景が鮮明に浮かび上がってくるのだ。
親友だったシズミ。大好きだったシズミ。
シズミは殺された。ケンジには裏切られた。俺は今、一人ぼっちだった。寂しい。シズミに会いたい。
ふいに涙が溢れ出してきた。先ほどのような凄惨な光景は消え、代わりにシズミとの楽しかった思い出で頭の中が一杯になる。
「うう……シズミ……」
「なーに泣いてんの? みっともない」
そんな声が聞こえてくることは、もうないのだ。シズミには、もう会えない。
もう会えない……?
俺はふと、シズミの手紙の最後の一文を思い出した。
「夜霧静海と、友達になってあげてください。彼女はきっと、寂しい思いをしているはずです」
そうだ。俺には、果たすべき約束が残っているではないか。
俺は点滴の針を強引に腕から引っこ抜くと、ベッドから立ち上がった。
社会は過渡期を迎えていた。
一か月前に銘人たちが目撃した「狂気のカマイタチ」はさらに激化しており、人々に恐怖を与えている。
焦死病の蔓延による混乱も、七渡家襲撃事件が起こった二年前の「ピーク期」以上に激化している。恐怖や不安を紛らわすための新種の麻薬があちこちで出回っており、「魔女狩り」と呼ばれる、暴徒による一般人の虐殺も度々行われるようになった。警察すらも十分に機能しておらず、社会秩序は既に崩壊していた。
そんな中、ある日の夜、新宿アルタの大画面に「後藤賢治」を名乗る少年の顔が突如として映し出された。
「皆さん、こんにちは。一時的に電波ジャックをさせていただきました。ご迷惑をおかけします。さて、突然ですが、今日は皆さんに一つお伝えしたい事があります」
世界中のマスメディアが震撼した。なぜなら、後藤賢治は二ヶ月前に自宅で首を吊って自殺しているからだ。生前に撮影したものを何者かが流しているという可能性は、彼が提示したいくつかの証拠によって打ち消された。
情報はすぐに広まった。ネット上では既に「ゾンビ男」などという名前まで付けられている。
通行人は皆立ち止まって画面を見上げる。噂を聞いて駆けつけた人間もそこに加わり、アルタの前には大きな人だかりができていた。それは終いには道路にまではみ出し、交通に大きな乱れを生じさせた。
皆、固唾を飲んで少年の次の言葉を待っている。
一つ咳払いをした後、少年が口を開いた。
「生き残りたい人は、よく聞いてください」
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「あれ……」
俺は病室のベッドで目を覚ました。窓から差し込む陽光が眩しい。目を擦ってぼやけた視界を矯正すると、殺風景な室内が鮮明になった。
ふと右腕に違和感を覚え、それまでぼんやりとしていた意識が明瞭になる。
「点滴……?」
「気がついたようだな」
扉を開けて入って来たのは、世音……いや、「マスターピース」だった。
「……てめえッ!」
立ち上がろうとすると、胸元に激しい痛みが走った。俺はベッドの上でのたうち回る。
「まだ動くな。あくまで応急処置だ。完全に治癒するのにはまだ時間がかかる」
「うるせえよッ」
近付いてきた「マスターピース」の顔面を思い切り殴る。世音の姿をしたものを殴るのには抵抗があったが、それでもシズミを殺されたことへの怒りの方が勝った。シズミだけじゃない。こいつは世音も殺したんだ。「マスターピース」は痛がるそぶりこそ一切見せなかったが、代わりに僅かに悲しそうな表情を浮かべた。
「よくもシズミを……絶対に許さないッ!」
俺はもう一度彼女の顔面を殴った。その行為が何の意味も為さないということを頭では理解していたが、それでもこみ上げてくる怒りを抑えることはできなかった。それが殺意に及ばなかったのは、彼女があくまで世音の姿をしているからだろう。
「動くなと言っているだろう」
彼女の小さな手に腕を掴まれる。振りほどこうとしたが、俺の腕はびくとも動かない。一体、この華奢な身体のどこにこんな力が……?
「……ケンジはどこだ」
俺は「マスターピース」を睨みつけながら言った。
ケンジがなぜ俺を刺したのか、そしてなぜあんなことを言ったのか。考えれば考えるほど、分からないことだらけだ。信頼していたケンジに裏切られたショックが大きすぎて、まだ状況を受け入れられない。
「奴は既にこの研究所から姿を消した。お前……自分がどれくらい眠っていたと思う?」
「……は?」
「今まで、どれくらい眠っていたと思う」
まだ外が明るいのを見る限り、先程ケンジに刺されて気を失ってからさほど時間は経っていないはずだ。
「せいぜい、二、三時間じゃないのか」
「いや、三ヶ月だ」
「……は?」
予想だにしなかった単位に絶句する。……三ヶ月だって?
「お前が眠っている間に、ケンジは独裁者としての地位を固めていった。麻薬の流出、扇動、洗脳……見事な手腕だったよ。混乱した国内を短期間で一気に支配した。今やこの国は、奴の思い通りに動く傀儡だ」
「マスターピース」は淡々と話した。十六歳の少年が三ヶ月で国を支配するなど荒唐無稽な話に聞こえるかもしれないが、確かにケンジの頭脳があれば可能かもしれない。
俺にはその話がまるで他人事のように聞こえた。シズミを目の前で殺され、しかも殺したのは愛していた妹で、その上ケンジにも裏切られ……俺の心は、もう限界だった。
――もう、どうでもいい。
「メイト……お前は、どうしたい?」
「慣れ慣れしく話かけてくるな。お前は俺の親友を殺したんだ。お前なんか妹じゃない。ただの人殺しだ」
「……そうだな」
「マスターピース」は悲しげな表情で俯いた。なぜ、そんな顔をするんだ? お前には人間の心が無いんじゃないのかよ?
――胸糞悪い。
「出ていけ。二度と俺の前に姿を現すな」
俺はそっぽを向き、枕に顔半分を埋めた。「マスターピース」が椅子から立ち上がる音が聞こえる。少し間が空いてから、彼女の去っていく足音が聞こえた。ちらりと彼女の方を見ると、その後ろ姿はどことなく寂しげだった。とても「最強のイミテーション」の風格があるとは言いがたい。
「……すまない」
扉を閉める前、彼女はこちらを振り返ってそう言い残した。それが何に対しての謝罪なのかは分からなかった。
目を閉じるが、眠れるはずなんてなかった。何度取り払っても、瞼の裏にあの時の光景が鮮明に浮かび上がってくるのだ。
親友だったシズミ。大好きだったシズミ。
シズミは殺された。ケンジには裏切られた。俺は今、一人ぼっちだった。寂しい。シズミに会いたい。
ふいに涙が溢れ出してきた。先ほどのような凄惨な光景は消え、代わりにシズミとの楽しかった思い出で頭の中が一杯になる。
「うう……シズミ……」
「なーに泣いてんの? みっともない」
そんな声が聞こえてくることは、もうないのだ。シズミには、もう会えない。
もう会えない……?
俺はふと、シズミの手紙の最後の一文を思い出した。
「夜霧静海と、友達になってあげてください。彼女はきっと、寂しい思いをしているはずです」
そうだ。俺には、果たすべき約束が残っているではないか。
俺は点滴の針を強引に腕から引っこ抜くと、ベッドから立ち上がった。
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