さよならイミテーション

坂元語

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第十四話 親友

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「くそっ、ここにもいないか」
 私と明は鶴頭公園の敷地内をくまなく探したが、銘人君も世音も見つからなかった。この状況下で、こんな所にいるはずがない事は二人とも薄々分かっていた。ただ、ここ以外に思い当たる場所が無かったのだ。
「もう……ダメなんじゃないのかな」
 私は半ば諦めかけていた。世音が行方不明になったと聞いた時、「魔女狩り」というワードが真っ先に思い浮かんだ。そんなはずない、いくらそう信じたくても、可能性としてはそれが最も高い。
「そんなワケない。二人とも、きっとどこかにいるはずだ」
 明は力強く言った。何の根拠も無い言葉だが、彼の目を見れば、それが気休めなどでは無いことが分かる。彼は、本当にそう信じているのだ。
「うん……そうだね」
 二人は絶対に見つかる。明の目を見ていると、本当にそんな気がしてきた。
 
 その時だった。
 警備員のような服装をした男二人がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。二人とも大きなサングラスとマスクを着用しており、その姿は明らかに異様だった。彼らの胸元のワッペンに刺繍されたロゴには見覚えがあった。私はそれが最近ニュースやネットで騒がれている「感染者排斥隊」のものだとすぐに気づいた。
 私たちは彼らと目を合わせないようにそそくさとその横を通り過ぎようとした。しかし、男のうちの一人がすれ違い樣に私の二の腕を掴んだ。
「きゃッ」
「失礼……君、ちょっと御同行願おうか」
 男の力は非常に強く、いくら抵抗しても手を振りほどくことはできなかった。男の指が二の腕に強く食い込み、私は痛みのあまり顔をしかめた。
「やめろッ」
 明が男に掴みかかり、私と男を引き離そうとする。次の瞬間、もう一人の男の肘が明の右頬を打った。
「がはッ」
「……明ッ」
 男は頰を抑えて悶える明の胸ぐらを掴んで強引に地面に叩きつけた。私は明に駆け寄ろうとしたが、もう一人の男に羽交い締めにされていて身動きが取れなかった。
「こいつもどうせ感染者だ、この場で殺しましょうか」
 明に馬乗りになった男が、おもむろにナイフを取り出した。男の狂気を帯びた表情に、背筋が凍りつく。
「やめてッ! やめてよッ」
「いいだろう。女の方はゆっくり楽しんでからだ。ふひひっ……」
 私の耳元で男が下卑た笑い声を上げた。恐怖のあまり声が出せない。完全に狂っている。この人たちは、もはや人間じゃない。
「おーおー震えちゃって。可愛いねえ」
 男が私の首に腕を回し、空いた手で私の太ももを撫で回し始めた時だった。

「この野郎ッ」
 明がナイフを構えた男の腕を掴み、鼻っ面に頭突きを食らわせた。男の身体が大きく仰け反る。鼻血が白いマスクに赤いシミを作った。明はそのまま立ち上がり、私を取り押さえていた男の顎を殴打した。打ち所が悪かったらしく、男は卒倒した。私を拘束していた太い腕がほどける。
「こいつ……ッ」
 先程頭突きを食らったもう一人の男が鼻を抑えながら、おぼつかない足取りでナイフを振りかざして襲いかかってくる。明は、ナイフが振り下ろされるよりも早く男の鳩尾に掌底を打ち込んだ。
「げふッ」
 男は鳩尾を抑えながらガクンと膝をつき、手からナイフを落とした。明はそれを思い切り遠くに蹴飛ばすと、私の手を引いて走り出した。
「逃げるぞ、唯」
「う、うん」
 いきなり手を引かれた私は一瞬よろける。危うく転びそうになり、慌てて体勢を立て直して走り出したその時。
 ふと、左脚に激痛が走った。痛みは痺れとなって全身を駆け巡る。恐る恐る左脚を見ると、ひかがみに小型のナイフが浅く刺さっていた。流れ出る鮮血がふくらはぎを伝う。それを見た途端、恐怖で痛みが急激に加速した。
「もう一本あるんだよバァーカ! 感染者は皆んな死ね! この国から消えろ! ははッ……!」
 男は明に敵わないと判断したのか、散々捨て台詞を吐いた後、屁っ放り腰でその場から立ち去った。
 痛みのあまり、私は左脚を抑えてその場でのたうち回る。

「痛い……痛いッ」
「おい、唯……しっかりしろ、唯!」
 明は私の身体を抱きかかえるようにして、ひかがみに垂直に突き刺さったナイフに手を添え、ゆっくりと柄を握った。
「……いいか、抜くぞ」
「……ッ!」
 ナイフが一気に引き抜かれ、一瞬さらなる激痛が走った。明は患部に私のソックスを巻いて手当をしてくれた。
「こんなんで悪いな」
「ううん……ありがとう」
 私は片足だけで何とか立ち上がったが、左脚に少しでも重心がかかった途端、痛みのあまり身体が崩れ落ちて尻餅をついてしまった。どうやらまともに歩ける状態ではなさそうだ。

 こんな状態では、私は明の足手まといだ。先程「排斥隊」に襲われたことで、外の世界の危険さを改めて思い知った。こんないつ殺されてもおかしくないような場所で、彼の足を引っ張って危ない目に遭わせるわけにはいかない。

「おい、大丈夫か」
「明……私はいいから、先行って」
「……は? 何言ってんだよ」
 明は困惑した表情を浮かべる。私は作り笑顔をなんとか保ちながら、差し伸べられた彼の手を押しやった。
「私、もう歩けないから。私、このままじゃ明のお荷物になっちゃう。もしまたさっきみたいな目に遭ったら……」
 彼の顔つきが豹変した。
「ふざけんなッ」
「きゃッ」
 明は私の身体を強引に抱きかかえ、背中に担いだ。突然のことに私は動揺する。
「言っただろ。俺は何があってもお前を守る。次同じ事言ったら、怒るぞ」
「……ごめん」
 すっかり忘れていた。彼はこういう性格だった。いくら頼んだところで、いくら説得したところで、断固として私を置いて行ってはくれないだろう。本当に明は、人のことしか考えない大馬鹿だ。

「……昔も、こんなことあったね」
「ああ、あんときゃ大変だったぜ。お前があんまり泣くもんだから……」
「……うるさい」
「あの頃のお前、泣き虫だったなあ。よくもまあ、こんな女番長様に育ったぜ」
「だから、うるさいってば」
 明の後頭部に軽く頭突きをする。そのまま額を離さなかった。
「好きだぜ、唯」
「はあっ!?」
 私は頓狂な声を上げる。突然何を言い出すんだ、こいつは。困惑する私をよそに、明は続けた。
「だから、絶対に俺が守る。絶対にお前を死なせないから。四人で生きて帰るぞ」
「……バカじゃないの」
「ああ、俺はバカだ。だから、しっかり者のお前がそばにいてくれなきゃ困る」
「……ばーか」

 なぜだろう。さっきは命を諦めかけたというのに、今は生きたくてしょうがない。明と、銘人君と、世音と、またあの幸せな日常を過ごしたい。
――きっと四人で帰って、そしたら私も明に、ちゃんと……
 
「感染者は死ねええええッ」

 突如、背後から聞こえてきた怒号。振り返ると、脇道からいつの間にか現れた「排斥隊」の服を着た男が小さなコンクリートブロックを投げつけてきた。明は私を庇うように身を翻した。両手が塞がっている明にそれを防ぐ術は無く、コンクリートブロックは彼の額に直撃した。彼は私を背負ったまま、膝をついて前のめりに倒れた。額の痛々しい割れ目から絶え間なく流れ出る血が、アスファルトの上に水たまりを作る。
「……明ッ! 明ッ」
 私は明の大きな身体を覆し、肩を揺さぶる。目は薄っすらと開いているが、いくら呼びかけても返事が無い。
「アヒャヒャヒャヒャウヒャ」
 男は狂気じみた笑い声と共にこちらに近づいてくる。しかし私は明のことで頭がいっぱいで、男の方には見向きもしなかった。
「起きてッ! 目を覚ましてよ明ッ」
「に……げろ……ゆ……い」
「……!」
 明が目を覚ましたことに安堵したのも束の間、気付けば男は私の数歩前で足を止め、どこからか取り出した短刀を振りかざしていた。大柄な男だ。身の丈百八十五センチはあるだろう。歪んだ笑みを浮かべながら、恐怖に怯える私の表情を見て興奮した様子で舌なめずりをしている。
 本当にこの人たちは狂っている。殺すならせめて私だけにして、などという説得が通じるはずがない。

 私はこんな形で死ぬのだろうか?
 しかも、大切な幼馴染まで巻き込んで……

――嫌だッ!!

 心が叫び声を上げたその時。先程男が現れた脇道から、何か黒いものが疾風のごとき速さで飛び出してきた。やがて、それが人の形をしていることに気がついた。黒いパーカーに黒いズボン、それと黒いキャップを着用した黒ずくめの青年だ。目元はキャップのつばに隠れていて見えないが、その鼻や口元には見覚えがある気がした。彼が男の手を蹴り上げると、短刀は回転しながら放物線を描いて落下し、アスファルトの上を転がった。
「ああッ⁉」

 次の瞬間、男の大きな身体が空中で半回転し、垂直に地面に叩きつけられた。大の字になり泡を吹いて気絶する男。その腹を踏みつけて立っている黒ずくめの青年。彼が顔を上げると、キャップの下から覗いたのは、私のよく知る顔だった。
「銘人……君?」
「遅れてごめんよ。二人とも無事?」
「はは……無事に……見えるかよ……来るのが……遅ぇんだよ……」
 銘人君と明は固い握手を交わした。

 遅れて、いかにも好々爺といった風貌のスーツ姿の男が現れた。銘人君と何やら揉めているところを見ると、彼の知り合いのようだ。
「安斎さん、悪いけど、この二人を家まで送ってやってくれないか」
「……分かりました。銘人様のご学友の安全は保障致します。世音様のことは、あなたにお任せしましょう。……あなたを野放しにするなんて、私は執事失格ですね」
 男はそう言ってニッコリと笑った。
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