さよならイミテーション

坂元語

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番外編

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 学校からの帰り道。私は足を引きずりながら、一人ぼっちで歩いていた。
 後ろから歩いてくる生徒に次々と追い越されてゆく。こちらをチラチラと振り返る者もいたが、皆気まずそうに目をそらす。
「そりゃそうだよね……」
 心配の声をかけてくるお人好しなんて、いるはずがない。いるとしたら、あの時江の島で出会ったアイツぐらいだ。
「元気してるかな……」
 恐らく、二度と会うことはないだろうけど。でも、もし何かの奇跡で再び会うことがあれば、もう一度ちゃんとお礼を言いたい。

「お、あれ、静海だ」
 後ろから、元チームメイトの声が聞こえた。
 最悪だ。脚を怪我していなければ、今すぐ走って逃げだしたい。
「マジじゃん」
「あれってエースの子?」
「そーそー、あいつのせいでウチら負けたんだよねー」
「でも、あの子のおかげで結構いいとこまで勝ち進んだんでしょ? 上げて、下げて、何がしたいのあの子」
「ちょ、やめてよ笑う」
 彼女たちはケラケラと笑った。足音はどんどん近づいてくる。
 やめて、来ないで……

「おっ先」
「ぷっ」
「クスクス」
 彼女は私の肩をポンと叩いた。彼女たちを睨みつけたい衝動に駆られたが、目を合わせないように努めた。
「チッ」
 わざとらしく舌打ちをしたあと、彼女は私を追い越して歩いて行った。
 悔しさが込み上げてくる。しかし、それはやがて寂しさに変わった。
「……今日は何して暇つぶそっかな」

 お気に入りの公園に立ち寄り、本来なら三十分で歩ける道のりを小一時間かけて歩いてようやく家に辿り着いた。
「ただいま」
 返事はない。代わりに大きないびきの音が聞こえてきた。
 リビングルームに入ると、母が机に突っ伏して寝ていた。鼻をつくような酒の臭いが辺りに充満している。
「もう……呑みすぎだよ、お母さん」
 ぶくぶくと不健康に太った母の丸い背中に、そっと毛布をかける。
 机の上には、薬の粒が散らばっている。私はそれを一か所にかき集めた。
「お薬とお酒、組み合わせ最悪だって何回言ったら……」
 途端に寂しさが込み上げてくる。優しく面倒見のよかった母は、どこに行ってしまったのだろう。
 
 部屋に入ると、一個下の弟が勉強机で宿題をやっていた。
「先帰ってたんだね。返事ぐらいしてよ、もう」
「……聞こえなかったんだよ」
 弟はむすっとした表情で答えた。
 宿題は全く捗っていないようだった。ノートには、途中で諦めた数式が二、三個書き殴られているだけだ。恐らく、宿題をやっているところを私に見せるためだけに用意したのだろう。それがなんとも微笑ましかった。
「洗濯と掃除、やってくれたんだね。ありがとう」
「……別に」
 弟は再び問題を解くフリをした。しかし、シャーペンは彼の手の上でくるくると回るだけで、いつまでたってもノートの上を滑ることはなかった。
「宿題、見てあげよっか」
 私はからかうようにそう言った。弟の顔が赤くなる。
「い……いらねえよ! 姉ちゃんだって馬鹿なんだから!」
「馬鹿にしないで! 小学生のガキの勉強ぐらい、できるわよ」
 どれどれ、と私は弟の隣に腰掛け、教科書を覗き込んだ。弟は、私より先に問題を解こうと必死に頭を捻っているようだった。

 が、結局二人とも、十分経っても答えを出すことはできなかった。
 弟が吹き出す。
「あはは、馬鹿な姉を持つと苦労するなあ」
「……うるさい、昔の勉強忘れただけ」
「はいはい、もう一人でやるから」
「分かりましたよーだ。あと百時間ぐらい頑張っててくださーい」
「……くそっ」 
 私は二段ベッドのはしごをよじ登り、仰向けになって本を開いた。しかし、頭の中では全く別の考え事をしていた。
 思い出すのは、アイツのことだ。

「そっか……君も色々あったんだな。君の気持ち、分かるよとは言えないけど……」
 彼はしばらく言葉を探すそぶりを見せた後、口を開いた。
「その、お互い、頑張ろう」
 私は思わず吹き出した。
「考えた末に出てきた言葉が、それかよ!」
「う、うるさいな、口下手なんだよ僕は」
「……ありがとう」
 ため込んでいた悩みが、すこしだけ解消されたような気がした。
 照れ隠しか、彼は星空を指さして言った。
「なあ、あれ……〇〇座って言うんだぜ。そんなこと言い出したら、なんでもありだよな」
「あはは、本当だよね」
 彼の表情を確認する。その横顔は笑っていなかった。
「静海、実は僕さ……」
「ん?」
 
 彼は一呼吸おいてから、自分の過去を打ち明けた。

「……姉ちゃん」
「はッ」
 弟の声で、私は目を覚ました。
「馬鹿が本なんて読めるわけねーじゃん」
「……うるさい。ずっと寝てなかったんだから、しょうがないでしょ」
「……」 
 弟は机の上の一点を見つめてしばらく黙り込んだあと、口を開いた。
「あんま無理すんなよ、姉ちゃん」
「え?」
 弟の口から出た予想外の言葉に、私は思わず頓狂な声を上げてしまった。見ると、後ろを向いた弟の耳は真っ赤になっている。

「姉ちゃんってさ……いっつも一人で突っ走るんだよ。脚を怪我しても全然俺を頼ってくれねえし、俺たちを養うために変な実験に参加するし……」
 弟の肩は震えていた。泣いているのだろうか。彼は後ろを向いたまま、叫ぶように言った。
「もっと……頼れよ! 姉弟じゃねぇか……!」
 弟は目元を服の袖でごしごしと拭った。やはり泣いていたのだ。
 私はベッドから降り、弟の頭を撫でた。
「ありがとう。頼りにしてるよ、最初っから」
「……!」
 弟の顔が、さらに赤くなるのが分かった。
「……俺、飯作ってくるから! それまで寝てろ!」
 弟はそう言って、逃げるように部屋を後にした。
 静まり返った部屋。
 あまりに不器用な弟の優しさに、涙が込み上げてきた。
「ふふ……料理なんて……できないくせに……」

 銘人、元気にしていますか。
 私には、絶対に守りたい、大切なものがあります。

 私はこんなにも幸せ者でした。

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