名探偵はワトソン君に飢えている

花衣 恋緒

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7.喧嘩した日は悲しみの塩にぎり【前】

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鵬鵡 壮太28歳。目の前の皿を見て、がっくりと肩を落としている最中だ。
楕円型の木皿の上に置かれたのは特大のおにぎりが二つ。その横にはこれまた味気ない海苔のパッケージ。
用意してあるだけ、有難いと思え――と言わんばかりの食卓に、もう何度目かの溜息をついた。
そうして、チラリとキッチンにいる愛しい恋人の姿を視界に入れてみるが、どんなに視線を送っても頑なな背中は此方を向いてくれる気配はなかった。

「……いただきます」

自分でも分かる。情けないほど悲壮感タップリな声だ。うっ、うっといい歳して泣き出してしまいそうなのを堪え、ただ置かれた海苔の袋を開き、真っ白なおにぎりに巻く。磯の香が、ふわっとして美味しそう……なのに、全然ワクワクもしないし、かなしい気持ちでいっぱいで、食欲なんて無かった。
それでも、かぷりと一口食べれば、いい塩梅の塩味が口の中に広がっていく。

「うぅっ」

思わず呻く。なんにも具がない。いつもならこの中に焼き鮭やたらこ、昆布に、ツナマヨ、エビ天にからあげ。
色々なバリエーションがあるのに、なんにもはいっていない。ただの塩にぎり。
それなのに。

「……うぅっ、おい、しぃよぉ」

ぐずぐずと泣けてしまう。なにもない塩だけのおにぎりなのに、最高に自分好みの塩分量で握られていることに感動してしまう。豪華な具材は一つもないが、こんなにもシンプルなものですら、愛しい恋人の愛情が滲んでいた。

「和戸くん、和戸くんっ、ごめん、ごめんよ」

キッチンにいる背中に握り飯をもったまま泣きながら呼びかける28歳成人男性の図のおそろしいことよ。
自分でもどうしようもないと思う。こんなんだから、彼に「28歳児」と言われてしまうのだ。
でも、今回ばかりは形振り構っていられない。なにせ、僕が圧倒的に悪いのだから。


***
数日前。

喫茶店アーサーにて、個人で事務所を持たない僕はいつも通り、仕事の依頼面談をするため、客の到着を待っていた。
相変わらずレトロな喫茶店は地元の常連客がまばらにいるぐらいで、BGMのジャズがよく聞こえる程度に閑散としている。経営状態は大丈夫だろうか。そう考えてしまうけど、和戸くんに給料が出せるぐらいには儲かっているのだから、きっと自分の知らない時間帯の客入りがいいのかもしれない。
肝心の和戸くんは、手伝ってくるとカウンターに入り料理を作っている。
僕はエプロンをつけて忙しなく動く和戸くんの姿を見ながら、マスターの刑部さんが置いていった珈琲に口をつけた。

(可愛い。エプロン姿、本当に可愛い)

元々マスターの刑部さんとは知り合いで、この店をオープンした時からよく訪れていた。
いつのまにか彼が和戸くんを雇い、散々と彼の料理のすばらしさを語られ、いつか食べたいと思っていた。
そうして念願叶ったあの雨の日、店にいる姿に一目惚れした。
彼がストーカー被害に遭っていると聞き居ても立っても居られなくて、保護目的に少しの欲を混ぜ込んで同居を提案した。中々懐かない野良猫のようだった彼は、家事全般の能力が素晴らしく、すっかりと胃袋も掴まれてしまって、猛アタックの末にようやっと自分のパートナーになってくれた。
嬉しくて、嬉しくて、つい可愛がり過ぎて怒られることもしばしばだったが、怒ってる姿すら可愛くて――どうしようもない。

「……だらしない顔しないでくださいよ」

さっきまでカウンターにいた筈の和戸くんがいつのまにか呆れた顔をして僕が座っていた席の横に立っている。
その手には喫茶店アーサーの人気メニューの一つでもある分厚い玉子焼きが挟まれたサンドウィッチのお皿があった。

「依頼人、まだいらっしゃらないようなので」
「わぁ、うれしいな。僕、これも大好きなメニューだから」

つい外だという事も忘れて、自宅のような返答をしてしまう。気が緩んでいると言われてしまえばそうだが、しかたがない。愛しい人が作ってくれたものを目の前にして、取り繕ってなどいられないのだ。
そんな僕を見て、和戸くんはくすくすと可愛い顔で笑う。ここが自宅だったらキスしてた。外だから我慢しているけど、仕事が終わったら絶対にしよう。
そう心に決めて、代わりに彼特製のサンドウィッチを唇に押し込んだ。

「しかし遅いですね」
「そう、だねぇ。迷ってる……のかな?」
「ここ、そこまで分かりずらい場所ではないと思うんですけど。連絡は?」
「ないんだよねぇ」

あっと言う間に皿の上を綺麗にしながら携帯を確認する。
仕事用の連絡ツールにしているメッセージアプリには何の通知もない。
だがしかし、予定の時刻よりまもなく20分は過ぎそうだった。
空になった皿を手にとって和戸くんがまたカウンターに戻っていく。こんなに連絡もなく遅れるということは、依頼主になにか問題があったか、はたまたそもそも冷やかしだったか。十中八九後半の可能性が高い。

メディアにも露出をしたせいで、時折冷やかしの依頼があったりもする。
残念なことに今回もそうかもしれない。まぁ、そうだったのなら探偵をからかうなんて馬鹿な真似をして恋人との時間を邪魔したことをあとでたっぷり後悔してもらおう。

そんな事を考えていると、ものすごい勢いでドアが開き、転げるように一人の女性が駆け込んできた。

「すみません、あの、遅くなりました」

息を切らし、髪もボサボサ、メイクもぐちゃぐちゃになった小柄な女性は店に響く声でそう告げた。
まばらに居る客の視線が彼女へ集中し、途端に入口に立ち尽くしたまま彼女は真っ赤になっていった。

「レディ、こちらです」

そのままUターンして店から出てしまいそうで、僕は慌ててその女性に声を掛けた。こちらを目視した彼女はパァッと花が咲いたように微笑み、小走りに僕が座る席へとやってきた。

(小動物みたいな人だな)

不躾にも僕は依頼人の女性にそのような印象を抱いた。
走って来たから乱れたのであろう髪を慌てたように整えて、小さく咳払いをした彼女はぺこりと可愛らしく会釈をし、自己紹介を始めた。


「遅くなって申し訳ありません。私、依頼メールを送らせて頂いた立華かなえと申します」

朗らかな声色につられるように僕も彼女に改めて名刺を差し出し挨拶をする。彼女は小さな手で名刺を受け取ると
ニッコリと微笑んで僕の名前を小さく繰り返した。

「それで、さっそくで申し訳ありませんがご依頼の詳しい内容をお話いただけますか?」
「あ、はい」

彼女の声に僅かに緊張が走る。彼女からの依頼相談のメールには自分の身辺の調査をしてほしいとのことだった。
朗らかな様子から一転、少しばかり影の差した様子で彼女はポツリ、ポツリと言葉を紡ぎ出す。

「最近、誰かにつけられている気がするんです。警察には相談に行ったんですが、実害がないとどうにもできないと言われてしまって……」

何か、大きな被害が今のところ出ているわけではない。
でも四六時中視線を感じ、どことなく自宅に違和感を覚える。思い切って相談した警察でも対応するには及ばず、
何となくずっと、もやもやと気持ち悪いものがあるのだと彼女はだんだんと笑顔だった顔を俯かせていった。
小さくなっていく姿に、ふっと和戸君の事件が頭を過った。
スッカリと言葉が止まってしまった彼女に声を掛けようとしたとき、ことりと彼女の前に温かい紅茶が差し出された。ほんのりと花の香りがする紅茶に俯いていた彼女がそっと顔をあげた。

「あ、ありがとうございます」
「いえ」

和戸君は短くそう言ってから、ミルクはお好みでどうぞ。落ち着きますから。そういって微笑んでまたカウンターに戻っていく。
紅茶の優しい香りに少しだけホッと力が抜けたのか、彼女は両手でカップを包んだ。
血の気が失せ、冷え切った指先を温めるかのような仕草を見つつ、僕は相談の内容に最適だと思う提案をした。

「最近交際相手と別れた、あるいは好意を告白されたがお断りした……等の経験はありますか?」
「いえ、最近はありません」
「そう、ですか。お仕事は接客業ですか?」
「あ、はい。駅前の雑貨店に勤めています」

交際相手はいないし、告白等の問題があったわけではない。勤務地は駅前で、接客業となれば不特定多数の目に触れる機会が多い。女性の憑きまといは交際相手との別れ際のいざこざが一番多いが、不埒な行為のターゲットとして監視されていることもある。恐らく今回のケースはそういう可能性が高い。
そう考え、僕は彼女の行動スケジュールに合わせてしばらく彼女の周辺に張り込むことにした。

「とりあえず、1週間。身辺調査をさせていただきたいと思います。万が一何かありましたらすぐ駆けつけますので、先ほど渡した名刺にある連絡先にご連絡いただければと思います」
「はい、よろしくお願い致します」

彼女は紅茶から手を離し、ぎゅっと僕の手を握った。温かく小さな手で僕の手をぎゅっと掴む姿は何とも不安気で、早く彼女が不安に思っている原因が解消すればいいーーそう思った。
そうして僕は依頼主・立華かなえさんの身辺警護と調査を兼ねて1週間の張り込みをすることになった。


最初の1日、2日は特に問題なく僕は仕事をすることが出来た。
メディアに出ることが不本意にも多くなってしまった僕が張り込みをするのはあまりに目立つので、彼女の身辺の張り込みは専ら和戸くんの仕事だった。時々僕と二人で依頼人の近隣を当たることはあったが、そう多くはなかった。
つまり、必然的に二人でいる時間は減る一方だった。

「和戸君のごはんが恋しい。うぅ……もう探偵やめようかな」


和戸君のいない、喫茶店【アーサー】のカウンターに突っ伏しながらグチグチと文句を垂れ流す。
デカいし、目立つ自分より圧倒的に和戸くんの方が張り込みに向いているとはいえ、自分にとってはあまりにつらい現実だった。

「和戸くん、僕の仕事なんてしなくていいからお嫁さんとしてずっと家にいないかな」
「そりゃこまるな。うちの名物カステラがなくってしまうからね」
「刑部さん」

頭上から呆れを含んだ声がして、僕は顔をあげる。カウンター越しに老紳士が腹を読めない顔で微笑んでいた。
突っ伏していた身体を起こすと、空いたカウンターにコーヒーが置かれる。ふわふわのホイップがたっぷり乗った、
ウインナーコーヒーだった。

「僕、これ頼みましたっけ?」
「いいや?和戸君が壮太さんがキノコ生やしてたらコレ出してくださいって言ってたから」
「う゛……」
「名探偵も形無しだなぁ。ごはん食べられないから無職になるなんていったら振られちゃうぞ」

クスクスと笑うオーナーに僕はごもっともでと肩を竦め、出されたコーヒーカップを手に取った。
携帯を見ると、和戸くんから随時連絡が入ってきている。今のところ、依頼人へのストーカーの気配は無いようだった。

「気配なし、かぁ」

和戸くんの報告を見ながら、何となく違和感を覚えた。
不安気な様子をしていた依頼人を思えば、決して嘘ではないように思えたが1週間の半ばになっても依頼人の身辺におかしい気配はちっともなかった。
依頼人に気のせい……ということも少なくはない。それだったらいいのだが。

「なぁんだか、嫌な感じがする」

ホイップの山が溶けてコーヒーに白い渦を作っていくように、僕の中で何とも言えない不安がぐるぐると渦を巻いた。




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