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ある雪の降る夜に。
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妻が亡くなった。
その年、初めて雪が降った日の夜に。
享年四十六歳。長い長い闘病生活の末の死だった。
辛くて苦しかったはずなのに、妻は片時も笑顔を絶やさなかった。
医師や看護師に冗談を言いながら朗らかに笑う姿を見ていると、最期のときが迫っているだなんて何かの冗談のようだった。
――冗談だと思いたかった。
俺は彼女よりニ歳年上だったが、家が近かったため、幼い頃から一緒にいることが多かった。
彼女の周りには常に誰かがいて、いつも笑い声がしていた。とても明るい女性だった。
そんな彼女が、最期に涙を見せた。
痩せこけた頬につたう涙。元気な頃とはまるで別人のようだ。
しかし、泣いてしまうことを堪えているのか、きゅっと結ばれた口元が微笑んでいるように見えて、綺麗だと思った。
こんな時なのに、昔から彼女は美人だと有名だったことを思い出す。
交際を始めた時も、結婚が決まった時も、「お前にはもったいない」とずいぶん言われたものだ。
ずっと両手で強く握っていた妻の手に弱々しく握り返され、ふと我に返った。
自分の左手と、彼女の左手にはめられた結婚指輪が重なり、小さく金属音が鳴る。
そして、妻は真っ直ぐに俺の目を見て、こう言った。
「秀志さん、あのね……」
これが妻、春香の最後の言葉だ。
静かに眠るように閉じられた瞳から、雪解け水のように一筋の涙だけが流れた。
『あのね……』
(何だよ、その次は。せめて、こんな時くらい最後まで言ってくれよ……)
その年、初めて雪が降った日の夜に。
享年四十六歳。長い長い闘病生活の末の死だった。
辛くて苦しかったはずなのに、妻は片時も笑顔を絶やさなかった。
医師や看護師に冗談を言いながら朗らかに笑う姿を見ていると、最期のときが迫っているだなんて何かの冗談のようだった。
――冗談だと思いたかった。
俺は彼女よりニ歳年上だったが、家が近かったため、幼い頃から一緒にいることが多かった。
彼女の周りには常に誰かがいて、いつも笑い声がしていた。とても明るい女性だった。
そんな彼女が、最期に涙を見せた。
痩せこけた頬につたう涙。元気な頃とはまるで別人のようだ。
しかし、泣いてしまうことを堪えているのか、きゅっと結ばれた口元が微笑んでいるように見えて、綺麗だと思った。
こんな時なのに、昔から彼女は美人だと有名だったことを思い出す。
交際を始めた時も、結婚が決まった時も、「お前にはもったいない」とずいぶん言われたものだ。
ずっと両手で強く握っていた妻の手に弱々しく握り返され、ふと我に返った。
自分の左手と、彼女の左手にはめられた結婚指輪が重なり、小さく金属音が鳴る。
そして、妻は真っ直ぐに俺の目を見て、こう言った。
「秀志さん、あのね……」
これが妻、春香の最後の言葉だ。
静かに眠るように閉じられた瞳から、雪解け水のように一筋の涙だけが流れた。
『あのね……』
(何だよ、その次は。せめて、こんな時くらい最後まで言ってくれよ……)
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