金槐の君へ

つづれ しういち

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第二章

5 山しげみ

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「やあ、いらっしゃい」
「こんにちは。友森さんだけなんですか」
「今日は用事がある人が多いみたいなんだ。それ以外の人は、まあ待ってれば三々五々集まるかもしれないけどね」
「そうなんですか」

 そんなわけで、今日の和歌愛好会の部屋には友森しかいなかった。
 こういうことは別に珍しくない。基本的に、友森がこの部屋のぬしのようなものなのだ。
 メッセージアプリのグループで、日々自分が作った和歌を発表したり話し合ったりしているぶん、実はこうしてリアルでみんなが集まる機会は多くない。

 飲み物を買ってきます、と言って海斗が出ていくと、律は図らずも友森とふたりきりになってしまった。
 この人とふたりきりになったのは、恐らくこれが初めてだ。そう気づいてしまったら急に、律は自分が緊張してくるのを覚えた。
 対する友森はまったくいつも通りである。律が入口のところでもじもじしていたら、普段のままの温和な笑みを向けてきた。

「どうぞ、座っててね」
「は、はい……」

 言われた通り、彼から二人分の席を空けて末席を選ぶ。隣には海斗の置いて行ったバックパックが置いてある。
 自分も荷物をおろして筆記用具などを出すような仕草で鞄のなかをいじっていたら、再びなんでもない口調で言われた。

「清水くんがいないのをいいことに……って言うと語弊があるけど。ちょっと訊いてもいいかな、青柳くん」
「えっ。は、はい」

 なんだろう。
 緊張がさらに上乗せされていく。

「そんなに緊張しないで。大したことじゃないんだ」
「はあ」

 友森は自分の手元に置いているペットボトルから緑茶をひとくち飲んだ。

「青柳くんは、ここでもチャットグループの方でも、あまり歌を発表していないみたいなんだけど」
「あ……はい。すみません」
 慌てて頭を下げかけたら、友森は苦笑して両手でとどめた。
「謝らくていいよ。責めてるつもりじゃないから」
「……はい」

 友森は両手を組むと、それで顎を支える恰好になった。

「ただ、理由が知りたくてね。見たところ、じつは歌、作ってるでしょう? それも結構な数」
「えっ」
「歌を詠むことそのものは、ものすごく好きそうだし。ずいぶん溜め込んでるんじゃないかと思って」

 律は声を失った。
 どうしてわかったんだ。
 確かにあれ以来、自分は歌をいくつも詠んでいる。半紙に筆がきで、思いつくままただ自由に。心の風景や見たままの風景を、少しでもあの三十一文字みそひともじに閉じ込めておけないかと願って。

 ただそのどれも、ほかのだれかの目に触れさせることはなかった。
 理由は簡単だ。ほとんどすべてが、ある実在の相手を想定した恋の歌だからにほかならない。
 そんなもの、本人まで参加しているグループ内でおいそれと発表できるわけがない。
 恥ずかしいとかなんとかいうレベルを軽く凌駕してしまう。きっと羞恥心のあまりに池にでも飛び込んでしまいたくなるだろう。そうしてそのまま、一生浮かんできたくなくなるかもしれない。
 べつに暑い季節でもないのに、服の下、背中のまんなかあたりにじっとりと汗が噴き出ているのがわかった。

「えっと……すみません。なんだか、恥ずかしくて」
「恥ずかしい?」
「はい」

 友森は「ふむ」と言いつつ静かに眼鏡のブリッジを押しあげた。

「もしかして、本当は詠みたい歌がたくさんあるけれど、それを人に見せるのは気が引けるってことかな」
「まあ……はい。そうです」
「なるほどね」

 友森はいやに意味深に見える瞳をそっと細めた。

「気がついてると思うけど、ここではあまり恋の歌を公表する人がいないでしょ? ほかの人たちだってそうだよね?」
「……あ、ああ。そうですね」
「想像で恋を歌う人もいるけれど、リアルの自分の恋心を詠む人もいる。もし後者であったなら、読む人が読めば、相手が誰だかまで、わりとすんなりわかってしまうよね。観察眼のある人なら特に」
「…………」

 律は困って目を伏せた。
 何が言いたいのだろう。友森の真意が読めなくて、余計に体を固くしてしまう。

「ああ、ごめん。本当に緊張させるつもりじゃなかったんだ。それは無理もないことだし、気にしなくていいんだよ。……そう言いたかっただけでね」
「……はあ」
「でも」

 と、友森は急にすっと居住まいを正した。

「もし、他人に読ませてもいいと思える時がきたら。その歌を、ぜひ僕にも読ませてほしいんだ。……お相手のかたの次、二番目で構わないから」
「え、ええっ……?」

 目を白黒させているところへ、ようやく海斗が戻ってきた。

「ん? なんのお話ですか」
「なに、先日の試験のことやなんかをね。を張るアドバイスをした身としては色々と気になったものだから」

 友森が息をするように嘘をついて、この話は終わってしまった。まるで本当に、何事もなかったかのようだった。
 海斗は「そうなんですね」と微笑んだが、その目は一瞬きらりと光った。さりげないけれど、それは明らかに律の表情を探り、読み解こうとする目だと思った。



 山しげみ 下隠したがくれ ゆく水の おと聞きしより われや忘るる
                      『金槐和歌集』432
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