ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活

天三津空らげ

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一章 ナイナイづくしの異世界転生

1. お金がナイ

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 (生きている――――?)

 まじで? ――絶対もうダメだと思ったのに。でも、ここはどこなの。

 今の自分の頭と同じ、ぼんやりとした視界は薄暗い室内を映している。
 わたしの家ではない。
 身体がだるい。
 汗と埃っぽいにおいがする。多分、病院とも違う。
 背中に当たる感触は、マットレスのような弾力はなく、小さい頃に祖母の布団に潜り込んだ時の、何年も使用した敷布団に似ている。身体に掛けられているのは、軽く、タオルケットよりも薄い、くたくたの布地を数枚重ねて縫い付けたようなものみたいだ。
 ズキズキと頭が痛む。打つけた後頭部ではなく、発熱時の痛みのような……。

 コンコン。
 軽いノックの音が聞こえた。

  「リーナお嬢様、意識が戻られたのですね!」

 それは安堵と喜びの声だった。
 そっと扉を開いて中を確認しながら、老齢の女性がこの薄暗い部屋に入ってくる。
 彼女が手にしているのは、現代の日本では一般的とはいえない平織りのタオルと、蝋燭一本灯した燭台。
 そして看護師とは思えぬ、洋服と前掛けを着用している。
 襟のない紺のブラウスにスカート。洗っても取れないシミが残る亜麻色の前掛け。
 老女の髪は随分と白髪が混ざっているが、それ以外はアッサムミルクティーのような色だ。肌は黄みががり、目元の彫りは深い。
 日本人なのか外国人なのかよくわからない顔立ちだ。

 (どういうこと?)

 ――それに、お嬢様と呼ばれたような?
 いやいやこれは聞き違いの可能性もある。まずはここが何処かを聞いてみた方がいいよね。

 「マハラ…」

 わたしの意識とうらはらに、自然と目の前のお婆さんの名前が、唇からこぼれた。
 この優しげなお婆さんは知らない人なのに、確かに知っている人だという感覚がある。とても不思議な感覚……。

 「よろしゅうございました。お身体を拭かせていただきますね」

 汗を拭ってくれる老女の、優しい手の感触に、うっかり安堵した。まるで子供の頃に戻ったかのよう。
 首の後ろも拭われて、肩から緑がかった水色が、流れておちる。
 それは不思議な薄荷色。
 ミント……色……?

 (これなに? え? 髪?! わたしの髪????!)

 不思議な薄荷色を認識した途端に、別の人生の記憶が頭に流れ込んで来た。
 それから今まで生きてきた記憶。
 それらが、珈琲にミルクを注いでカフェオレになるように、ぐるぐる混ざり合ってゆく。

 ぐるぐる ぐるぐる。

 松田理奈。日本の地方で平凡な事務職員をしていた三十二歳。女性。独身。家賃も払わず、職場でのお昼以外は母の用意するご飯を食べて実家チートを満喫する。それがわたしのはずだった。
 その日は歩いていける距離にあるスーパーで買い物をし、両手に重い買い物袋を持って歩いていた。
 途中から雨が降り出し、慌てて横断歩道橋を渡る。
 濡れた階段は、無慈悲に靴裏を拒絶し、ずるりと足が滑べった。
 「これはやばい」と思ったが一瞬。買い物袋の中の卵を、他のものも、全部ぶちまけながら、何度も階段の角に頭を打つけながら落下したのだ。
 頭の奥がじぃんと痛む。
 頭から首と、何かが垂れてむず痒い。
 目の前に無数の銀の星がしゅわしゅわ走って、それから――

 それから――

 今こうして目覚めれば、この状態だった。
 つまり、あのままわたしは死んだのだ。
 これは多分、漫画や小説でよく読んだ、異世界転生というやつなのかも。
 いやひょっとすると、転移とか憑依とかなのかもしれない。
 どう違うのか正直わからない。
 転生と違って、転移や憑依は元の身体の持ち主の魂が死んで、代わりにその身体に入った状態であるパターンが多かった気がする。
 申し訳なさが半端ないので、何卒転生であってほしい。

 そして不思議な薄荷色の髪をした、この身体の少女の名前は、マグダリーナ・ショウネシー。
 落ち葉が舞い散るこの秋に、十歳になったばかり。
 この世界唯一の大陸、ディメル大陸にある国家の一つ、リーン王国の貴族……ショウネシー子爵家の……なるほど、長女らしい。

 父はダーモット・ショウネシー。
 二歳下の弟がいて、名前はアンソニー。
 母はクレメンティーン。故人だ。マグダリーナの髪の色は母親譲りだった。このお母さん、すんごい美女……いや美女の前に「絶世の」と付けていいレベルだわ。
 どうせなら顔も似て欲しかったけど、マグダリーナも弟のアンソニーも父親似のよう。残念。

 待って、待って、そういえば貴族の家なのここ?
 貴族令嬢なの? 私。
 本当に?
 マハラさんに介抱されながら、わたしはさっきから気になっている所をじっと見た。

 (あれ……蜘蛛の巣よね?)

 この部屋の隅……燭台の灯にゆられる薄暗い天井の隅には、蜘蛛の巣からホコリを吸いつけた糸が垂れていてた。
 見なかったことにしよう。
 ええとそれから、違いはあれど、ここの環境は古いヨーロッパ辺りに似た文化じゃないのかな? 多分。
 着物じゃなく洋服だからそうだろうと、ガバガバな判定をする。
 どうせそう……、そう、ここは異世界らしいので、前世の文化知識や常識に当て嵌めても意味はないのだ。
 だって魔獣という魔力を持ったモンスターや魔法、エルフやドワーフという他種族が存在するらしいし。
 だけど今、そこを楽しむ余裕などナイ。
 とんでもナイ問題に直面しているのだ。 
 マグダリーナの記憶では、この子爵家、お金が無い。
 貴族の家なのに。
 マグダリーナの母、クレメンティーンは三年前に流行病に罹り、辛うじて医者に診てもらうことはできたものの、薬に手が出ず亡くなった。
 マグダリーナも四日前から高熱を出し苦しんでいたが、医者も薬も用意されなかったのだ。

 (せめて毛布があれば、いいのに――)

 もう一度寝かされると、くたくたの布地を二、三枚重ねて縫い付けてあるだけの薄い掛け布団の中で、きゅうっと身を縮こませた。
 マグダリーナが体調を崩した日は急に気温が下がり、空気が肌を刺すような冷え込みを感じた。今年は冬がはやく訪れそうだと、父のダーモットが話していたのを思い出す。
 いったいなんの罪があって、なんでこんな劣悪な環境の少女に、転生してしまったというのか……。
 この身体に自分以外の意識……というものは感じられない。何することもできないこの状態では、どちらにせよこの身体で生きていくしかないのだ。
 わたしは実家チートしていた以外は、地道に真面目に働いて生活していたというのに、あんまりではないか。
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