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3 家出少年 その3
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次に目が覚めた時には部屋の中に陽が差していた。
「気分はどう?」
彼は相変わらずそこにいた。言った通りずっと傍にいてくれたらしい。
「……大丈夫です」
少し掠れたが、まともな声を出せるようになっていた。
「うん、顔色も随分良くなった。さすが若いと快復が早いね」
明るい所で初めて見る彼は、晴彦の予想より若かった。二十代後半から三十代前半ぐらいだろうか。柔らかそうな癖毛の長めの髪と優しげな顔は穏やかな人柄をそのまま表しているようだった。
彼の手を借りて上半身を起してみると、寝起き特有の気だるさだけで不調感はなかった。
「体調が良さそうなら、風呂に入ってくるといいよ。その間に食事の用意をしておくから」
遠慮しようと思ったが、さすがに自分でも何日も入浴もせず同じ服を着たままの身体が不愉快だった。それに薄汚い姿で、親切にしてくれた彼に不快感を与えるのも申し訳なく思い、素直に厚意に甘えることにした。
浴室へ案内され、着替えとタオルを渡された。
「僕の物だけど、その汚れた服よりましだろう。ゆっくり温まっておいで」
久しぶりの風呂は気持ちが良かった。垢と埃に塗れた全身を洗って湯船に浸かると、血行が良くなったせいかどこか鈍かった身体の感覚も戻った。
きれいな花模様が描かれているタイルの壁を眺めながら、ぼんやりとこれからの事を考えそうになり慌てて思考を止めた。
何も考えたくなくて、意識を逸らすようにすぐ横にある窓に目を向ける。湯船に沿ってほぼ等しい幅の窓には淡いグリーンのブラインドがかかっていた。
開ければ外を見える作りにしてあるのだろうか。
単純な好奇心で、ブラインドの紐を引いた。
サッと外の光が差し込み、
「――うわっ!」
晴彦は思わず声を上げ、身を引いた。
人の首。
子供の――少女の頭が窓のすぐ前にあった。
身を翻して逃げようとした時、少女の頭がゆっくり窓から離れた。
生首ではない。
生きている。
首が窓枠に乗っている、と見えたのは誤りで、風呂場より低いらしい庭に少女が立っているだけだった。
馬鹿馬鹿しい勘違いを笑おうとしたが、笑えなかった。
湯船の縁を掴んだ手が震える。
今もこちらを見ている少女は無表情で瞬きもしない故に生気を感じず、人形という単語が頭に浮かんで、林の中にいたあの子だと気付いた。
嵌め殺しになっている窓を挟んで、少女と見つめ合う。
いや、見ているのは晴彦の方だけなのかもしれない。少女とは視線が合わなかった。
光沢のない、真っ黒な瞳は晴彦の方を向いてはいるものの、晴彦を映しているようには見えなかった。
だったら、この子は一体何を見ているのだろう。
少女は林の中で見た時と同様に、また不意に去って行った。
窓の外には芝生の庭と風に揺れる林の木々。
少女など最初からいなかったように。
晴彦はずるずると浴槽の中に身を鎮める。熱い湯に浸りながら、鳥肌が立つのを感じた。
気味が悪い。あの子は何なのだ。
あの人の娘なのだろうか。多分あの子が知らせてくれたからあの人が助けてくれたのだろうが、他に家族は、奥さんはいないのだろうか。
彼が晴彦の事を何も知らない様に、晴彦もまた彼の事を知らない。
窓の外の風にざわめく林を眺めながら、何故かふと夢の中の荒れた海に似ていると思った。
「気分はどう?」
彼は相変わらずそこにいた。言った通りずっと傍にいてくれたらしい。
「……大丈夫です」
少し掠れたが、まともな声を出せるようになっていた。
「うん、顔色も随分良くなった。さすが若いと快復が早いね」
明るい所で初めて見る彼は、晴彦の予想より若かった。二十代後半から三十代前半ぐらいだろうか。柔らかそうな癖毛の長めの髪と優しげな顔は穏やかな人柄をそのまま表しているようだった。
彼の手を借りて上半身を起してみると、寝起き特有の気だるさだけで不調感はなかった。
「体調が良さそうなら、風呂に入ってくるといいよ。その間に食事の用意をしておくから」
遠慮しようと思ったが、さすがに自分でも何日も入浴もせず同じ服を着たままの身体が不愉快だった。それに薄汚い姿で、親切にしてくれた彼に不快感を与えるのも申し訳なく思い、素直に厚意に甘えることにした。
浴室へ案内され、着替えとタオルを渡された。
「僕の物だけど、その汚れた服よりましだろう。ゆっくり温まっておいで」
久しぶりの風呂は気持ちが良かった。垢と埃に塗れた全身を洗って湯船に浸かると、血行が良くなったせいかどこか鈍かった身体の感覚も戻った。
きれいな花模様が描かれているタイルの壁を眺めながら、ぼんやりとこれからの事を考えそうになり慌てて思考を止めた。
何も考えたくなくて、意識を逸らすようにすぐ横にある窓に目を向ける。湯船に沿ってほぼ等しい幅の窓には淡いグリーンのブラインドがかかっていた。
開ければ外を見える作りにしてあるのだろうか。
単純な好奇心で、ブラインドの紐を引いた。
サッと外の光が差し込み、
「――うわっ!」
晴彦は思わず声を上げ、身を引いた。
人の首。
子供の――少女の頭が窓のすぐ前にあった。
身を翻して逃げようとした時、少女の頭がゆっくり窓から離れた。
生首ではない。
生きている。
首が窓枠に乗っている、と見えたのは誤りで、風呂場より低いらしい庭に少女が立っているだけだった。
馬鹿馬鹿しい勘違いを笑おうとしたが、笑えなかった。
湯船の縁を掴んだ手が震える。
今もこちらを見ている少女は無表情で瞬きもしない故に生気を感じず、人形という単語が頭に浮かんで、林の中にいたあの子だと気付いた。
嵌め殺しになっている窓を挟んで、少女と見つめ合う。
いや、見ているのは晴彦の方だけなのかもしれない。少女とは視線が合わなかった。
光沢のない、真っ黒な瞳は晴彦の方を向いてはいるものの、晴彦を映しているようには見えなかった。
だったら、この子は一体何を見ているのだろう。
少女は林の中で見た時と同様に、また不意に去って行った。
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晴彦はずるずると浴槽の中に身を鎮める。熱い湯に浸りながら、鳥肌が立つのを感じた。
気味が悪い。あの子は何なのだ。
あの人の娘なのだろうか。多分あの子が知らせてくれたからあの人が助けてくれたのだろうが、他に家族は、奥さんはいないのだろうか。
彼が晴彦の事を何も知らない様に、晴彦もまた彼の事を知らない。
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