アポリアの林

千年砂漠

文字の大きさ
3 / 64

3  家出少年  その3

しおりを挟む
 次に目が覚めた時には部屋の中に陽が差していた。
「気分はどう?」
 彼は相変わらずそこにいた。言った通りずっと傍にいてくれたらしい。
「……大丈夫です」
 少し掠れたが、まともな声を出せるようになっていた。
「うん、顔色も随分良くなった。さすが若いと快復が早いね」
 明るい所で初めて見る彼は、晴彦の予想より若かった。二十代後半から三十代前半ぐらいだろうか。柔らかそうな癖毛の長めの髪と優しげな顔は穏やかな人柄をそのまま表しているようだった。
 彼の手を借りて上半身を起してみると、寝起き特有の気だるさだけで不調感はなかった。
「体調が良さそうなら、風呂に入ってくるといいよ。その間に食事の用意をしておくから」
 遠慮しようと思ったが、さすがに自分でも何日も入浴もせず同じ服を着たままの身体が不愉快だった。それに薄汚い姿で、親切にしてくれた彼に不快感を与えるのも申し訳なく思い、素直に厚意に甘えることにした。
 浴室へ案内され、着替えとタオルを渡された。
「僕の物だけど、その汚れた服よりましだろう。ゆっくり温まっておいで」

 久しぶりの風呂は気持ちが良かった。垢と埃に塗れた全身を洗って湯船に浸かると、血行が良くなったせいかどこか鈍かった身体の感覚も戻った。
 きれいな花模様が描かれているタイルの壁を眺めながら、ぼんやりとこれからの事を考えそうになり慌てて思考を止めた。
 何も考えたくなくて、意識を逸らすようにすぐ横にある窓に目を向ける。湯船に沿ってほぼ等しい幅の窓には淡いグリーンのブラインドがかかっていた。
 開ければ外を見える作りにしてあるのだろうか。
 単純な好奇心で、ブラインドの紐を引いた。
 サッと外の光が差し込み、
「――うわっ!」
 晴彦は思わず声を上げ、身を引いた。

 人の首。
 子供の――少女の頭が窓のすぐ前にあった。

 身を翻して逃げようとした時、少女の頭がゆっくり窓から離れた。
 生首ではない。
 生きている。
 首が窓枠に乗っている、と見えたのは誤りで、風呂場より低いらしい庭に少女が立っているだけだった。
 馬鹿馬鹿しい勘違いを笑おうとしたが、笑えなかった。
 湯船の縁を掴んだ手が震える。
 今もこちらを見ている少女は無表情で瞬きもしない故に生気を感じず、人形という単語が頭に浮かんで、林の中にいたあの子だと気付いた。

 嵌め殺しになっている窓を挟んで、少女と見つめ合う。
 いや、見ているのは晴彦の方だけなのかもしれない。少女とは視線が合わなかった。
 光沢のない、真っ黒な瞳は晴彦の方を向いてはいるものの、晴彦を映しているようには見えなかった。

 だったら、この子は一体何を見ているのだろう。

 少女は林の中で見た時と同様に、また不意に去って行った。
 窓の外には芝生の庭と風に揺れる林の木々。
 少女など最初からいなかったように。

 晴彦はずるずると浴槽の中に身を鎮める。熱い湯に浸りながら、鳥肌が立つのを感じた。
 
 気味が悪い。あの子は何なのだ。
 
 あの人の娘なのだろうか。多分あの子が知らせてくれたからあの人が助けてくれたのだろうが、他に家族は、奥さんはいないのだろうか。
 彼が晴彦の事を何も知らない様に、晴彦もまた彼の事を知らない。

 窓の外の風にざわめく林を眺めながら、何故かふと夢の中の荒れた海に似ていると思った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

それなりに怖い話。

只野誠
ホラー
これは創作です。 実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。 本当に、実際に起きた話ではございません。 なので、安心して読むことができます。 オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。 不定期に章を追加していきます。 2025/12/25:『がんじつのおおあめ』の章を追加。2026/1/1の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/24:『おおみそか』の章を追加。2025/12/31の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/23:『みこし』の章を追加。2025/12/30の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/22:『かれんだー』の章を追加。2025/12/29の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/21:『おつきさまがみている』の章を追加。2025/12/28の朝8時頃より公開開始予定。 2025/12/20:『にんぎょう』の章を追加。2025/12/27の朝8時頃より公開開始予定。 2025/12/19:『ひるさがり』の章を追加。2025/12/26の朝4時頃より公開開始予定。 ※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。

意味が分かると怖い話【短編集】

本田 壱好
ホラー
意味が分かると怖い話。 つまり、意味がわからなければ怖くない。 解釈は読者に委ねられる。 あなたはこの短編集をどのように読みますか?

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

処理中です...