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58 羽崎邸にて その2
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その後は気遣いの上手い羽崎と話し好きの井川が当たり障りのない話題で食事中の空気を和やかなものに変えていき、皆が概ねリラックスできたタイミングを見計らって、羽崎が晴彦の話題を切り出した。
「そういえば晴彦君は肉より魚介類の方が好きだと言ってましたね。特に鯛が好きで、四国の宇和島市に鯛の刺身を卵とタレにからめてご飯の上に乗せて食べる鯛飯という郷土料理があるんですが、それを真似た物を作ったらとても気に入ったようなので、家に帰っても自分で作れるように、一度お頭つきの鯛を買って捌き方を教えたことがあります」
会得したその技術が父親の最期の晩餐に使われたのは、残酷な事実だ。
「晴彦君は料理をするのが楽しくて好きだったようです。家でお母さんからも料理を教えてもらったらどうかと勧めたんですが、どうもお父さんが晴彦君が料理を覚えようとするのにいい顔をしなかったみたいです」
「まさか今時『男子厨房に入るべからず』ですか?」
井川が顔をしかめると、羽崎は苦笑した。
「料理する暇があるなら勉強やスポーツに力を注げ、と言いたかったのかもしれません。まあ、確かに久住さんは家事は女性の仕事と今の時代にはちょっと合わない考えを持っていて、久住さん自身がそんな考えの家庭で疑問も持たず育ったんだと思います。実際久住さんは高校時代から大学卒業までラグビー一筋で、結婚して独立するまで日常のことは全部専業主婦だった母親に世話をしてもらい、アルバイトもしたことがなかったそうですから」
そんな父親と晴彦は性格的に相性が悪かった。
お笑い番組が好きだったが「くだらない番組を見るな」と叱られて見せてもらえず、全く興味のないラグビー観戦に度々強制的に連れ出され、クロスワードパズルをやっていたら時間の無駄遣いと言われ、テレビゲームは休日に一時間だけと決められていた。
「ここでぼんやり木や空を見ているのが好きだと言ってました。実際海が見える場所へよく行ってましたよ。家ではボーとしてるとお父さんに怒られるから、本を読んでるふりをしていたらしいです」
羽崎が語る晴彦は、父親にことごとく自分の好みを否定されて疲れ果て、ここでようやく自分を取り戻しつつあったように思えた。
「久住君は、何から何までお父さんの望みとは違うものを好む人だったんですね。それが不幸の原因だったんでしょうか」
悲しげな顔をした原田に、羽崎は柔らかく笑いかけた。
「そうとは言い切れないよ。それにお父さんと共通の趣味もあったんだ。晴彦君はお父さんと同じく写真を撮るのが好きだった。もうご遺族の方に渡してしまって手元にはないけど、晴彦君はここにいる間に沢山写真を撮っていた。全部見せてもらったけど、どれもとても綺麗で良い写真だったよ」
「え、ここで写真を撮ってたんですか? 私にはさっき写真は駄目だって言ったのに」
退屈そうな顔で話を聞いていた山口が、目を光らせて声を上げた。
「いえ、あの、それは」
「久住君が良いなら、私も良いでしょう? 私、写真撮るの大好きなんですよ。そうだ、後でみんなで一緒に」
いそいそとバッグからスマホを取り出した山口を見て、
「先生、何でそんなに無理にはしゃいでるんですか? 本当はもの凄く不機嫌ですよね、この家に来た時からずっと」
原田が不愉快そうに目を細めた。
「それに何故むやみに写真を撮りたがるんですか? 写真を撮って何か良いことがあるんですか?」
「私は写真を撮るのが好きなの。SNSにもよく撮った写真を挙げてるのよ。Xでも『いいね』の数多いんだから」
それを聞いて、原田が「あ、そうか」と声を上げた。
「先生、羽崎さんの個人情報をネットに書き込むつもりなんですね」
「何だと!」
井川は目を見開いた。
「この家に入ってきたときから先生が羽崎さんに対してずっと怒ってるから、どうして怒ってるのか分からなかったけど、やっと分かりました。久住君の事件で自分は学校を辞めさせられたのに、羽崎さんはマスコミに悪口の一つも書かれずに、平穏に過しているのが憎かったんじゃないですか。だから今更だけど羽崎さんの事を事件関係者としてネットに書き込むつもりで」
「辞めさせられたんじゃないわ。私の方から辞めたのよ」
室内にパッパッとフラッシュが何度も光った。
山口が羽崎にスマホを向けて連続してシャッターを押したのだ。
「顔写真撮ったからもう良いわ。住所も分かった。あんたが久住君に親を殺すよう唆したってネットでばらまいてやるから。久住君に関わっておいて一人だけ無傷なんて不公平じゃない。あんたもネットでバッシング受けるといいわ!」
山口はそう叫んでバッグとコートを掴むと部屋を走り出た。
「おい、待て!」
機敏に立ち上がり追いかけようとした井川を、羽崎が止めた。
「追わなくても良いです。大丈夫です」
「いや、しかし」
「多分、山口さんの思惑通りにはなりませんから」
落ち着いた笑みを見せる羽崎に、
「それは、あの赤いワンピースの女の子が山口さんを追って行ったからですか?」
それまでずっと無言だった小宮が口を開いた。
「千代子という名前ですよね、あの子は」
小宮の問いかけに、すうっと羽崎の顔から笑みが引いた。
「山口を追いかけていった? 女の子が?」
井川も原田もそんな子供は見ていない。お互い顔を見合わせて首を振り合った。
「小宮、この部屋に女の子なんて」
「いましたよ。俺達が来た時から、この部屋にずっと」
そのイスに座っていた、と小宮は自分の向かい側のイスを指さした。
「そういえば晴彦君は肉より魚介類の方が好きだと言ってましたね。特に鯛が好きで、四国の宇和島市に鯛の刺身を卵とタレにからめてご飯の上に乗せて食べる鯛飯という郷土料理があるんですが、それを真似た物を作ったらとても気に入ったようなので、家に帰っても自分で作れるように、一度お頭つきの鯛を買って捌き方を教えたことがあります」
会得したその技術が父親の最期の晩餐に使われたのは、残酷な事実だ。
「晴彦君は料理をするのが楽しくて好きだったようです。家でお母さんからも料理を教えてもらったらどうかと勧めたんですが、どうもお父さんが晴彦君が料理を覚えようとするのにいい顔をしなかったみたいです」
「まさか今時『男子厨房に入るべからず』ですか?」
井川が顔をしかめると、羽崎は苦笑した。
「料理する暇があるなら勉強やスポーツに力を注げ、と言いたかったのかもしれません。まあ、確かに久住さんは家事は女性の仕事と今の時代にはちょっと合わない考えを持っていて、久住さん自身がそんな考えの家庭で疑問も持たず育ったんだと思います。実際久住さんは高校時代から大学卒業までラグビー一筋で、結婚して独立するまで日常のことは全部専業主婦だった母親に世話をしてもらい、アルバイトもしたことがなかったそうですから」
そんな父親と晴彦は性格的に相性が悪かった。
お笑い番組が好きだったが「くだらない番組を見るな」と叱られて見せてもらえず、全く興味のないラグビー観戦に度々強制的に連れ出され、クロスワードパズルをやっていたら時間の無駄遣いと言われ、テレビゲームは休日に一時間だけと決められていた。
「ここでぼんやり木や空を見ているのが好きだと言ってました。実際海が見える場所へよく行ってましたよ。家ではボーとしてるとお父さんに怒られるから、本を読んでるふりをしていたらしいです」
羽崎が語る晴彦は、父親にことごとく自分の好みを否定されて疲れ果て、ここでようやく自分を取り戻しつつあったように思えた。
「久住君は、何から何までお父さんの望みとは違うものを好む人だったんですね。それが不幸の原因だったんでしょうか」
悲しげな顔をした原田に、羽崎は柔らかく笑いかけた。
「そうとは言い切れないよ。それにお父さんと共通の趣味もあったんだ。晴彦君はお父さんと同じく写真を撮るのが好きだった。もうご遺族の方に渡してしまって手元にはないけど、晴彦君はここにいる間に沢山写真を撮っていた。全部見せてもらったけど、どれもとても綺麗で良い写真だったよ」
「え、ここで写真を撮ってたんですか? 私にはさっき写真は駄目だって言ったのに」
退屈そうな顔で話を聞いていた山口が、目を光らせて声を上げた。
「いえ、あの、それは」
「久住君が良いなら、私も良いでしょう? 私、写真撮るの大好きなんですよ。そうだ、後でみんなで一緒に」
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「私は写真を撮るのが好きなの。SNSにもよく撮った写真を挙げてるのよ。Xでも『いいね』の数多いんだから」
それを聞いて、原田が「あ、そうか」と声を上げた。
「先生、羽崎さんの個人情報をネットに書き込むつもりなんですね」
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「この家に入ってきたときから先生が羽崎さんに対してずっと怒ってるから、どうして怒ってるのか分からなかったけど、やっと分かりました。久住君の事件で自分は学校を辞めさせられたのに、羽崎さんはマスコミに悪口の一つも書かれずに、平穏に過しているのが憎かったんじゃないですか。だから今更だけど羽崎さんの事を事件関係者としてネットに書き込むつもりで」
「辞めさせられたんじゃないわ。私の方から辞めたのよ」
室内にパッパッとフラッシュが何度も光った。
山口が羽崎にスマホを向けて連続してシャッターを押したのだ。
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「いや、しかし」
「多分、山口さんの思惑通りにはなりませんから」
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