アポリアの林

千年砂漠

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59  山口智香  その2

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 山口は真っ暗な道を小走りに進みながらイライラしていた。
 狙っていた羽崎の顔写真は撮れたので、後はネットに書き込んで拡散するだけ――のはずが、それどころではない。
 明かりが全くない道に苦労するとは思わなかった。
 まさか玄関を出た所から、外に全く明かりがないとは。
 どこを歩いても明かりのある街に生まれ育ったので、家から駐車場まで明かりがない道があるとは予想もしなかった。
 スマホの明かりで何とか足元だけは見えるが、周りは闇だ。
 何度か後ろを振り返ったが、追ってくる光はない。追うのを諦めたなら良いが、ハンドライトを用意して追ってこようとしているなら、一刻も早く車まで辿り着かなくては。


 家に行くときにはそんなに歩いた覚えはないのに、帰り道はいくら歩いてもフェンスに辿り着けない。
 どこかで道を間違えたのだろうか。
 いや、フェンスの出入り口から家まで、真っ直ぐではないが一本道だったはずだった。
 急に不安になり立ち止まったが、前も後ろも暗闇が続くだけで、安堵できる要素は何一つ見えなかった。

 不意に、前方にポッとぼんやりした明かりが一つ灯った。
 それを合図にしたかのように、横並びに次々と鈍い明かりが灯った。
 六つほど灯った光を目をこらしてよく見ると、それはフェンスの中程の高さに等間隔で取り付けられたランタンの明かりだった。
 ――人がある程度の距離まで近づけば、自動的に明かりが点く仕組みなのかしら
 来た時にフェンスにあんなランタンが取り付けてあったか見た記憶はないが、何にせよ暗闇の林の中での明かりはありがたい。あの明かりを左右どちらかに辿っていけば出入り口に辿り着けるはずだ。
 明かりの方に歩いて行くと、フェンスに添うように左右に伸びる細い道に行き着いた。
 どちらに行こうか少し迷った後、左へ進んだ。山口が歩く速度に合わせるかのように、十メートルくらい先までのランタンが次々と灯っていき、逆に通り過ぎた所のランタンは余韻もなく消えていく。
 明かりがあるのは歩きやすいが、自分がここにいる目印になる。羽崎達が追ってこないうちに、フェンスを越えて車で逃げたい。
 出入り口に行き着けなければ、最終手段としてフェンスに上って越えようかと考えたが、フェンスの上部には有刺鉄線が張られていて乗り越えるのは無理だった。
 歩いても歩いても出入り口は見えてこない。
 方向を間違えたのかと引き返そうとした時、前方の明かりがぎりぎり届かない辺りに人影らしきものが見え、思わず立ち止まった。
 ――誰? あのごついおじさん? じゃない、羽崎さんかしら。それとも、全然喋らなかったあの変な人?
 用心しながらじわりと一歩進むと、また一つ先の明かりが灯った。
 そこには。

「……せんせい」

 両目に包帯を巻いた宗田がいた。
 グレーの制服のブレザーが盛大に血で汚れている。

「オレ、目、見えなくなった。これから何十年も人生が残ってるのに、もう、なーんも見えないよ」
 
  山口は唖然として声も出せないまま固まってしまった。

 ぬるり、と。

 宗田の後ろから大石と品川が出てきた。

 宗田と同じように二人も制服は血だらけだった。大石は袖がちぎれた右腕に包帯、品川は顔に包帯を巻き松葉杖をついている。
「手が動かないんだ。先生、痛くて動かせない。絵が描けない」
 大石が松葉杖に縋るように立つ品川の方に顔を向けた。
「品川はしゃべれなくなったって。痛いとも言えないって。それに口から飯食えないんだって。……先生は、今日ごちそう食べたよね」
 大石と品川が山口を恨みがましい目で睨んだ。

「……何よ」
 山口は震えながら大きく息を吸い込み、
「何よ! 私が悪いって言うの? 全部私のせいだって言うの?」
 大声で怒鳴り散らした。
「冗談じゃないわ! あんた達が自分で招いた不幸じゃない! 久住君とは仲が良いんだって言ったのは誰? あいつはちょっと思い込みが激しいんだって言ったのは? 被害者意識が強くて冗談も通じないって言ったのはあんた達でしょう! 悪いのはイジメをしてたあんた達よ! 私は悪くない!」
 こっちこそ恨み言を言いたい。宗田達がイジメなんてバカなことをしたせいで、人生が変わるほどのとばっちりを受けた。
「文句を言うなら久住君に言いなさいよ!」
 山口が叫ぶと一番遠くに灯っていたランタンの明かりが消え、それと共に宗田達も姿を消した。
 足から力が抜け、山口はその場にへたり込んだ。
「……何なの、今のは」
 冷静に考えれば、宗田達があんな姿でここに来られる訳がない。
 幻覚だ。今のは、羽崎から久住の話を聞かされて、担任だった故の罪悪感があんな形の幻覚になって現われただけだ。
 あんな幻覚を見てしまうほど、自分の心は病んでしまっているのだろうか。

 いや、もしかしたら、羽崎に何か薬を盛られたのかも。
 
 鍋から具材を器に取り分けてくれたのは彼だから十分あり得る。
 晴彦の世話をしていた分、彼への同情があっただろうから、ネットでの書き込みを鵜呑みにして私に嫌がらせをしようとしたのでは。
 もしそうなら尚のこと一刻も早くここを脱出して、病院に行かなければ。
 いや、もう、いっそのこと警察を呼ぼう。
 警察なら私を見つけて、ここから連れ出してくれる。救急車の手配もしてくれるはず。
 山口は110番に電話した。

「助けてください」
 電話がつながると、開口一番そう叫ぶと、
『落ち着いてください。事件ですか? 事故ですか?』
 緊張感のない男性の声で返答があった。
「食事に招待されて、薬を盛られたかもしれないんです。その家から逃げたいんだけど、駐車場までの道が真っ暗で」
『今どこにいるんですか? 住所が言えますか?』
「招待された家の敷地の中です。ええと、あの、近くに海鳥の丘っていう老人ホームがあって、その先の防風林の中にある家で」
『あなたの名前は?』
「山口智香です。早く来て」
 電話の声の主はイライラするほどゆっくり喋る男性だった。
『あなたが言う家は、別荘じゃないですか?』
「そうです。どこかの社長さんの別荘だって言ってました」
『豊島造船の元社長の別荘ですが、そこには誰も住んでいませんよ? 誰に招待されたんですか?』
「羽崎という男性です。いいから早く助けに来て。フェンスがあってここから出られないんです。周りは真っ暗で、何か変な幻覚まで見えてしまって。絶対食事に何か薬を入れたんだわ」
 幻覚? と電話の男性は怪訝な声で問い返すと、
『ええーと、山口さん。今電話しているのは110番だと分かっていますか?』
「分かってます。だから助けてって言ってるの。早く来て」

『薬を飲まされたって言うなら、何の薬なのか、その羽崎さんに聞けば良いんじゃないの?』

 急に、電話の相手の声が冷たくなった。
「……は? 何を言って」
『まず、本当に薬を飲まされたのか、はっきり分かってから電話してくれないかな』
「悪戯電話だと思ってるんですか? 本当に、さっきも嫌な幻覚が見えたの。だから早く助けに」
 電話の相手は困ったようにため息をついた。
『あのね、警察は忙しいの。薬を盛られたなんてあなたの勘違いじゃないの? あなたが退屈だからって電話してきても相手をしていられないの。分かる?』
「そんなんじゃありません! ちゃんと私の話を聞いてよ!」

「嫌です」

 怒りに荒げた声を、今さっきまで対応してくれていた男性の声とは違う声が冷たく切り捨てた。
「先生だって、僕の話聞いてくれなかったじゃないですか」
 背後からの声。
 ランタンのどんよりした光の中に。

 久住晴彦が立っていた。

 頭の左側が潰れたように変形していて、制服は頭から血を被ったようにように汚れている。
 左足がおかしな方向に曲がっているせいか、カクンカクン奇妙に体を揺らしながらも、晴彦はゆっくり山口に歩み寄ってくる。

 山口は硬直してその場から動けない。
 息をすることすら忘れて、無残な姿の晴彦を見つめる。

「人の言うことを聞けない耳なんて、役に立たないからいらないですよね?」

 晴彦が右手に持った刺身包丁を振り上げた。

 瞬間。

 ランタンの明かりが全て消え、山口の悲鳴が暗闇の中に響いた。
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