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60 羽崎と千代子 その1
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井川と原田は小宮が指さしたイスを呆然と見つめた。
「そこにいた? 俺達が来た時から?」
「誰も……いませんでしたよ?」
「いや、いたんだよ。俺達がこの部屋に通された時、俺はあの子と目が合ってしまって」
千代子は右手の人差し指を立てて自分の唇に軽く押し当てた。
「内緒」もしくは「言うな」か。
どちらにせよ、小宮はそれで千代子がこの部屋を出て行くまで声を出せない状態になってしまった。
「すまん。お前が喋れなくなっていたとは全然気づかなかった」
山口の言動に注視していたせいもあるが、元々小宮が口数の少ない人間だったのと、二人で事件の聞き込みなどする時はいつも井川が質問役で小宮は相手の様子を見て探る役だったので、小宮が喋らない事に違和感がなかったのだ。
原田にしても山口と羽崎を見ることに集中していて、隣に座る小宮には注意を向けなかった。
小宮の方も井川達に何とか気づいてもらおうとしたが、二人にまるで無視されたので、千代子が何かしらの妨害していたのかもしれない。
「羽崎さん、千代子は実在してるんですよね」
小宮の問いに、羽崎は少し困った顔を見せた。
「実在してると言えるのは、ここでは小宮さんと僕だけですね。井川さんたちは存在してないと言うしかないでしょう。井川さんたちには千代子さんは見えないので」
困惑している井川と原田に、小宮が声をかける。
「井川さん、とりあえず座ってください。羽崎さんに敵意はなさそうだし、本当の話を聞きたいですから」
「いや、でも、山口を本当にほっといて良いのか?」
「ええ、僕への害意があるとはっきり分かったので、千代子さんがどこかで足止めしているでしょう」
「山口に危険はないんだろうな。正直気に入らない人間だが、命に関わるような事態になるなら話は別だ」
「怪我などはさせないと思います。要は僕のことを忘れてくれれば良いので、ここでの記憶を失わせるつもりなのだと思います。心配なら探しに行かれますか?」
「……いや、いい。怪我もなく命の危険がないというなら、俺達が来た本来の目的の方を優先する」
井川は座っていた席にもう一度座った。
「それで、井川さん、小宮さん、僕に何が聞きたいんですか?」
「随分素直だが、どういう心境の変化なんだ?」
「心境の変化も何も、千代子さんの存在を知られたなら、もう今更何も隠すものはありませんから」
それにここでどんな話を聞こうと、井川達は絶対に公にできないと羽崎は承知しているからだ。
「私も訊いていいですか、羽崎さん」
一つ息を大きく吸って、原田が羽崎に問いかけた。
「羽崎さんは本当に生きてる人ですか?」
「どういうことだ?」
井川が怪訝そうに羽崎と原田を見比べる。
「羽崎さんには感情も意識の流れも見えません」
学校で飛び降り自殺する前の久住やコンビニで会った時の小宮と同じだった。前例を二つも見ていたおかげで動揺を抑えられた。初見ならきっと羽崎に会った途端、驚きで声を上げていただろう。
「そう言うからには、君は他人の感情や意識の向く方向が見えるんだね?」
羽崎は特に驚いた様子もなく原田に問う。
「はい。共感覚というもののようです」
「そうか。千代子さんが君を少し警戒していたので、何かあるとは思っていたけど。それで君は山口さんや僕の話す言葉の真偽の見極めのために連れて来られたんだね」
「違います。私が羽崎さんに興味があったから来たんです」
「じゃあ、実際見てみて、僕はどんな風に見える?」
「私の目から見れば、マネキンが動いて喋っている感じです」
へえ、と羽崎は瞠目した。
「そんなふうに見えるのか。僕は自分では普通に生きてるつもりだけどね」
羽崎が微笑んだが、原田の目には何の感情も映らなかった。
さっぱり分からん、と井川は頭を振った。
「嬢ちゃんはあんたが生きてるように見えないと言う。あんたは自分には魂がないと言う。小宮は小宮で幽霊みたいな五、六歳の女の子がここにいて、その上その女の子は俺や嬢ちゃんには見えないって、そんな漫画みたいな話が実際にあるのか? 俺には理解できん。理解できない俺の方がおかしいのか?」
「理解することに何の意味があるんですか?」
羽崎は冷ややかな声で言った。
「あなたが理解しようとするまいと世界は回る。この世の全てを理解している人間などいませんよ。皆自分の周りのごく狭い範囲について、信じられるものを信じて生きてるだけです。だから、あなたも自分が信じたいものを信じて生きれば良い。仮に僕が幽霊だとして、あなたがそれを信じないことで何の不利益がありますか? 逆に信じればどんな良い事があると言うんです? ここで起こったことは、あなたがこの家を去ってあなたの日常に戻れば爪の先程の影響もなく忘れ去られていく程度のものです。気にする必要はありません」
「そうはいくか。あんたは無害かも知れんが、その俺には見えない女の子は明らかに有害だろう。うちの小宮はその子に関わって危うく死にかけた。晴彦もその子に両親の殺害を唆されたんじゃないのか」
羽崎は困ったようにため息をついた。
「千代子さんはそんな恐ろしいことは言いません。でも、晴彦君が千代子さんの言葉を誤解して受け取った可能性はあります」
「――そんな言い訳が通るとでも」
「井川さん、羽崎さんに話を聞きに来たのであって、喧嘩を売りに来たんじゃないでしょう? 大人なんだから冷静に話し合ってください」
少女は井川を諭して、自ら問うた。
「まず、その千代子という子は誰なんですか? 羽崎さんとどういう関係なんですか?」
「千代子さんが何者であろうと、僕とどんな関係であろうと、それこそ君には関係ないんじゃないかな」
羽崎は静かに笑った。
「そ、それはそうですけど……推理小説を読み始めたら、犯人や結末を知りたくなるのは当然じゃないですか」
原田の言い分に、
「ああ、確かにそうだね」
羽崎は目を細めて軽く頷き、実は自分も千代子が何者かは知らないのだと答えた。
「そこにいた? 俺達が来た時から?」
「誰も……いませんでしたよ?」
「いや、いたんだよ。俺達がこの部屋に通された時、俺はあの子と目が合ってしまって」
千代子は右手の人差し指を立てて自分の唇に軽く押し当てた。
「内緒」もしくは「言うな」か。
どちらにせよ、小宮はそれで千代子がこの部屋を出て行くまで声を出せない状態になってしまった。
「すまん。お前が喋れなくなっていたとは全然気づかなかった」
山口の言動に注視していたせいもあるが、元々小宮が口数の少ない人間だったのと、二人で事件の聞き込みなどする時はいつも井川が質問役で小宮は相手の様子を見て探る役だったので、小宮が喋らない事に違和感がなかったのだ。
原田にしても山口と羽崎を見ることに集中していて、隣に座る小宮には注意を向けなかった。
小宮の方も井川達に何とか気づいてもらおうとしたが、二人にまるで無視されたので、千代子が何かしらの妨害していたのかもしれない。
「羽崎さん、千代子は実在してるんですよね」
小宮の問いに、羽崎は少し困った顔を見せた。
「実在してると言えるのは、ここでは小宮さんと僕だけですね。井川さんたちは存在してないと言うしかないでしょう。井川さんたちには千代子さんは見えないので」
困惑している井川と原田に、小宮が声をかける。
「井川さん、とりあえず座ってください。羽崎さんに敵意はなさそうだし、本当の話を聞きたいですから」
「いや、でも、山口を本当にほっといて良いのか?」
「ええ、僕への害意があるとはっきり分かったので、千代子さんがどこかで足止めしているでしょう」
「山口に危険はないんだろうな。正直気に入らない人間だが、命に関わるような事態になるなら話は別だ」
「怪我などはさせないと思います。要は僕のことを忘れてくれれば良いので、ここでの記憶を失わせるつもりなのだと思います。心配なら探しに行かれますか?」
「……いや、いい。怪我もなく命の危険がないというなら、俺達が来た本来の目的の方を優先する」
井川は座っていた席にもう一度座った。
「それで、井川さん、小宮さん、僕に何が聞きたいんですか?」
「随分素直だが、どういう心境の変化なんだ?」
「心境の変化も何も、千代子さんの存在を知られたなら、もう今更何も隠すものはありませんから」
それにここでどんな話を聞こうと、井川達は絶対に公にできないと羽崎は承知しているからだ。
「私も訊いていいですか、羽崎さん」
一つ息を大きく吸って、原田が羽崎に問いかけた。
「羽崎さんは本当に生きてる人ですか?」
「どういうことだ?」
井川が怪訝そうに羽崎と原田を見比べる。
「羽崎さんには感情も意識の流れも見えません」
学校で飛び降り自殺する前の久住やコンビニで会った時の小宮と同じだった。前例を二つも見ていたおかげで動揺を抑えられた。初見ならきっと羽崎に会った途端、驚きで声を上げていただろう。
「そう言うからには、君は他人の感情や意識の向く方向が見えるんだね?」
羽崎は特に驚いた様子もなく原田に問う。
「はい。共感覚というもののようです」
「そうか。千代子さんが君を少し警戒していたので、何かあるとは思っていたけど。それで君は山口さんや僕の話す言葉の真偽の見極めのために連れて来られたんだね」
「違います。私が羽崎さんに興味があったから来たんです」
「じゃあ、実際見てみて、僕はどんな風に見える?」
「私の目から見れば、マネキンが動いて喋っている感じです」
へえ、と羽崎は瞠目した。
「そんなふうに見えるのか。僕は自分では普通に生きてるつもりだけどね」
羽崎が微笑んだが、原田の目には何の感情も映らなかった。
さっぱり分からん、と井川は頭を振った。
「嬢ちゃんはあんたが生きてるように見えないと言う。あんたは自分には魂がないと言う。小宮は小宮で幽霊みたいな五、六歳の女の子がここにいて、その上その女の子は俺や嬢ちゃんには見えないって、そんな漫画みたいな話が実際にあるのか? 俺には理解できん。理解できない俺の方がおかしいのか?」
「理解することに何の意味があるんですか?」
羽崎は冷ややかな声で言った。
「あなたが理解しようとするまいと世界は回る。この世の全てを理解している人間などいませんよ。皆自分の周りのごく狭い範囲について、信じられるものを信じて生きてるだけです。だから、あなたも自分が信じたいものを信じて生きれば良い。仮に僕が幽霊だとして、あなたがそれを信じないことで何の不利益がありますか? 逆に信じればどんな良い事があると言うんです? ここで起こったことは、あなたがこの家を去ってあなたの日常に戻れば爪の先程の影響もなく忘れ去られていく程度のものです。気にする必要はありません」
「そうはいくか。あんたは無害かも知れんが、その俺には見えない女の子は明らかに有害だろう。うちの小宮はその子に関わって危うく死にかけた。晴彦もその子に両親の殺害を唆されたんじゃないのか」
羽崎は困ったようにため息をついた。
「千代子さんはそんな恐ろしいことは言いません。でも、晴彦君が千代子さんの言葉を誤解して受け取った可能性はあります」
「――そんな言い訳が通るとでも」
「井川さん、羽崎さんに話を聞きに来たのであって、喧嘩を売りに来たんじゃないでしょう? 大人なんだから冷静に話し合ってください」
少女は井川を諭して、自ら問うた。
「まず、その千代子という子は誰なんですか? 羽崎さんとどういう関係なんですか?」
「千代子さんが何者であろうと、僕とどんな関係であろうと、それこそ君には関係ないんじゃないかな」
羽崎は静かに笑った。
「そ、それはそうですけど……推理小説を読み始めたら、犯人や結末を知りたくなるのは当然じゃないですか」
原田の言い分に、
「ああ、確かにそうだね」
羽崎は目を細めて軽く頷き、実は自分も千代子が何者かは知らないのだと答えた。
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