アポリアの林

千年砂漠

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61  羽崎と千代子  その2

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「まあ、僕は千代子さんの世話係だと思ってくれればいい」
 千代子という名も先々代の世話係がつけた名前だそうで、本当の名前は不明。千代子自身どうも忘れているようで、呼ばれる名前に特にこだわりはないらしい。
「千代子さんは自分については語らないし、僕も詳しく訊こうとは思わないんだ。正体を知ったところで今更意味はないしね。ただ、人外の者であるのは確かだ。僕が千代子さんと初めて会ったときから外見が全く変わらないから。僕の勝手な推論だけれど、千代子さんは座敷童のようなものなんじゃないかと思ってる」
「座敷童というと、住む家に幸福をもたらすっていう妖怪ですよね? じゃあ、この家に千代子さんがいたというわけですか」
「そうじゃない。千代子さんは家じゃなくて人に付くんだ。千代子さんは自分の存在が見えて、声が聞こえて、会話が出来る者のみ、その者の魂と交換で願いを叶えてくれるんだが、自分の世話人となった者に対しては願いを叶えた状況を維持してくれる」
「そんな妖怪いるんですか?」
「色々調べたけど、そんな妖怪がいると書かれた文献は僕には見つけられなかった」
 しかし、文献に載っている妖怪はそれなりの数の人に姿を見られて語られたからこそ書き残されたわけで、何らかの理由で誰にも語られる事のなかったあやかしは当然伝承されない。
 だから、文献がないから存在しないとは限らないと羽崎は言う。
「座敷童は妖怪ではなく神だとの説もあるんだよ。だから、千代子さんは昔は小さな祠に祀られていた土着神であった可能性もあるんだ」
 千代子は殆ど自分の事を語らないが、時折断片的な思い出のようなことを語るときがある。それをつなぎ合わせて、おそらく千代子が一番初めにいた土地ではないかと思える場所を調べてみると、大昔には小さな集落があったが、地滑りでその一帯が消えてしまったらしい所だった。
「何かの事情でその土地から人が去り、忘れ去られてしまった神があやかしに変化した話もある。千代子さんもそんな歴史の隙間にこぼれ落ちてしまった名もなき神なのかもしれない」
 千代子があやかしでなく神ではないかと羽崎が推察する理由のひとつに『石積み』がある。
 千代子に願いを言う時は、白い石をひとつ積んで言うのが決まりなのだそうだ。
 石を積んで神に願いをかけるという作法は全国でも結構あって、宮崎県の高千穂峡近くにある天安河原などは有名だ。
「積み石は普通ある程度の高さまで積む。これは僕の考察に過ぎないが、神が治める領域が広く、願いをかける人間の数も多い所で自分の願いを叶えてもらいたいなら、自分の存在を神相手に目立たせる必要があった。そのアピール方法が石を高く積むことだったんじゃないかと思う」
「でも、千代子さんの場合はひとつだけ、ですよね」
「そう。千代子さんが神だとするならば、治めるべき土地――領域を持たない神だ。その代わり自分の姿が見え、声が聞こえる者の願いは必ず聞き届けてくれる。人と対峙する距離はどの神よりも近い。だから『石積み』は形骸化、もしくは簡略化したんじゃないかな」
 力を広く薄く及ばせるのではなく、狭く濃く、言うなればピンポイントで力を作用させる。それはかなり強力だろう。
「どうして千代子さんは私や井川さんには見えないんでしょうか。見える人には何か共通する条件のようなものがあるんですか?」
 原田が次々と質問を投げかける。若い分、精神が柔軟で常識や固定観念に大人ほどは囚われない。理屈より好奇心を優先するタイプなのだろう。
「さあ、それも僕には分からない。千代子さんに気まぐれで選ばれたのか、何かの波長が合ったのか。でも大抵の人には見えないのは確かだ。霊感があるなしも多分関係しない。この家に引っ越した時、よく得体の知れないものを見ると言っていた編集者が引っ越し祝いを持って来てくれたけど、彼には千代子さんが見えなかった」
 小宮は、もしかしたら無自覚な深い孤独を抱えた人間にしか見えないのではないかと思ったが、確証がないので黙っていた。
「僕が千代子さんに夢を叶えてもらって十年ほどになるけど、その間に千代子さんの姿が見えたのは晴彦君と小宮さんの他は二人だけ。その二人も『赤いワンピースの女の子らしきもの』が視界の隅を掠めた程度で、千代子さんの姿をはっきり見て会話して、望みを叶えてもらえたのは晴彦君と小宮さんだけだね。まあ、僕は元々人付き合いが悪いから、一緒にいる千代子さんが人に会う機会そのものが少ないんだけど」
「その望みを叶えるって結果が親殺しか。ふざけるな」
 井川がテーブルを叩いて吠えた。
「被害は親とイジメ犯だけじゃない。晴彦の起こした事件で、どれだけの人間が傷ついたと思ってるんだ。まだ十五歳の子供らに一生もののトラウマ植え付けやがって」
「そうですね。晴彦君が一人で黙って首を括ってくれていたら、精神的に追い詰めた御両親は今も生きていて、イジメを行なった同級生達は晴彦君の苦しみなんて欠片も知らずに笑って過して、山口さんも自分の言動は全て正しいと思い込んで教師を続けて、みんな幸せだったでしょうね」
「……棘のある言い方だな」
「そうですか? でも井川さんがさっき言ったことを裏側から言えば、こうなります。結局人間が言う正義なんて、立ち位置で変わる程度のものだということですよ」
「さすが作家先生だ。ものの見方の視野が広い」
 精一杯の井川の嫌味に、原田は目を見開いた。
「え、羽崎さんって小説家なんですか?」
「――あ」
 井川は自分の失言に片手で顔を覆い舌打ちした。
「羽崎さんは個人情報を世間に晒さない契約を出版社と交わしているので、内緒にしてくれるかな。家族にも友達にも絶対話さないで欲しい」
 小宮が原田に頼むと彼女は頷き、羽崎に頭を下げた。
「ごめんなさい。私ノンフィクションが好みで、小説の方はあまり読まないから、羽崎さんの作品多分読んだことないと思います」
「ああ、そんなこと気にしないでいいよ。晴彦君もここにいる間、僕の本は一冊も読まなかったから」
 そういえば、と羽崎は表情を曇らせた。
「晴彦君は海洋生物の写真集ばかり見ていたよ。晴彦君が鯨に生まれ変わりたいと願ったのは本を見た影響なのか、元々鯨が好きだったからだったのか。本の影響なら、書斎に案内するんじゃなかったと考えてしまうね」
「鯨? 久住君は鯨に生まれ変わりたかったんですか? それが久住君の望みで、千代子さんに願ったことなんですか?」
「そう。僕も晴彦君が亡くなったと知って、もしかしたらと千代子さんに尋ねて分かった」
 原田は小宮の方を見た。
 小宮は昏睡状態の間、晴彦が家出してから自殺するまでをトレースした夢を見たと言った。
 でも、あれは精神だけではあるが、小宮は本当に晴彦の体験を追体験したのだ。そうでなければここで同じ鯨に転生する話が出てくるわけがない。
 原田は再び羽崎へ視線を戻す。
「本当に久住君は鯨に生まれ変わったと思いますか?」
「勿論。この世界で人間に生まれて生きていた晴彦君は死んで、鯨に生まれた世界に行った。SFでいうパラレルワールドへの移行を千代子さんは行えるんだよ。今はどこかの世界の海で悠々と泳いでいるはずだ」
 無数にある平行世界の中から、願った者を願いが叶えられる世界へ送り込む。それが千代子の力なのだという。
「願いを叶えると千代子さんは相当消耗する。それを回復させるのが、捧げられた魂なんだ。千代子さんが言う魂とは、人が思考したり活動したりする時に生じる様々な感情が作り出す熱なんだそうだ。それが千代子さんの力の基で、世話係の僕の場合は僕が死ぬまで魂から生じる熱を使って、僕が望んだ世界を維持し続けてくれるんだよ」
「羽崎さんも何か願ったんですよね?」
 原田は身を乗り出して羽崎に尋ねた。
「羽崎さんは魂を差し出してまで、何を願ったんですか?」
「大した夢ではないよ。小説を書くことだけで暮らしていけるほどの小説家にして欲しい、と願った」
 僕の望みは本当にそれだけ、と羽崎はひっそり笑った。
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