アポリアの林

千年砂漠

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63  それぞれの結末  その1

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 羽崎が玄関のドアを開けると、フェンスまでの道沿いに設置されたガーデンソーラーライトが十分な明るさで道を照らしていた。
 小宮と羽崎に先導されて一行が道なりに進むと、フェンスの出入り口のすぐ傍に、誰かがうずくまっていた。
「山口先生だ」
 原田の声に小宮が走って行く。
「嬢ちゃんは絶対走るなよ。羽崎さんと歩いて来るんだ」
 羽崎に「この子を頼みます」と軽く頭を下げて、井川も走って行った。
 先に行った小宮が膝を抱えてうずくまる山口に話しかけていたが、彼女は顔すら上げない。やってきた井川に小宮は首を振った。
「怪我はないようなんですが、何かにすごく怯えてるようです」
 山口の傍には石にでも叩きつけたのか酷く壊れたスマホが転がっていた。右手に怪我をしているところをみると、彼女本人が壊したのだろう。
「様子がおかしいなら救急車を呼んだ方が良い」
 井川が電話しようとコートのポケットからスマホを出そうとすると、山口が顔を上げて金切り声で叫んだ。

「ダメ! ダメ! ダメ! 電話はダメ! あの子が来る! あの子が包丁を持って来るの! 電話はダメよおおおおおおお!」

 叫んでいきなり立ち上がり、フェンスの扉が開いているのを見ると外へ走り出た。
 小宮と井川が追いかけて捕まえ、意味不明なことを叫んで暴れる山口を抑えて落ち着かせようとする。
「山口先生、どうしたんですか!」
 やっと追いついてきた原田に、
「嬢ちゃん、すまんが羽崎さんに救急車を呼んでもら――」
 井川の声が不自然に途切れ、驚愕の表情に変った。
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 いつの間にかフェンスの扉は閉まっていて、フェンスの向こう側から羽崎が井川達の方を見ながら微笑んで立っていた。
「羽崎さん、家が! 消防車を呼んで! 危ないから早くこっちへ!」
 原田がフェンスの扉を開けようとしたが、開かなかった。
「皆さんとはこれでお別れです」
 羽崎は深々と頭を下げた。
「僕が正体を知られずに作家活動を続けるのは、この世界では無理になってきたので、千代子さんが別の世界を用意してくれるそうです。なので『この世界の羽崎薫』はここで終わりです」
 何かを悟った原田が必死にフェンスを開けようとしたが、鍵もかかっていないのに扉は開かなかった。
 何とか開けようとする原田の背後で、小宮が消防に電話していた。
「それでは皆さん、どうぞお元気で」
 笑って家の方へ戻ろうとする羽崎を、原田が必死に呼び止めた。
「待って、羽崎さん! お願い! 待って!」
 振り返った羽崎に、原田はフェンスにしがみつきながら問うた。
「千代子さんの姿が見えなければ、絶対願いを叶えてはもらえないんですか?」
「そう。千代子さんの姿が見えない人は、千代子さんの声も聞こえない。千代子さんの方もその人の声を聞くことができない」
「羽崎さんから私が魂を差し出すと伝えてもらってもダメですか?」
 羽崎は原田を哀れむように見ながら、はっきり頷いた。
「今、僕の隣に千代子さんがいる。でも、君には見えない。千代子さんの方も君が見えない。意思疎通は不可能なんだよ」
 それでも原田は食い下がった。
「私……私、生まれつき心臓が悪いんです……もう何回も手術をして……今年の夏にもまた手術が」
 お願いです、と原田はフェンスを掴んで叫ぶ。
「私を健康な体にしてください! 魂を捧げますから!」
 諦めなさい、と羽崎は首を振った。
「千代子さんには聞こえない。君の願いは千代子さんに届いていない」
「そんな……」
「無理なものは無理なんだよ。僕たちのことは忘れてもう家に帰りなさい」
 冷ややかな羽崎の声に、原田はぽろぽろと涙をこぼしながらフェンスにもたれかかった。
「羽崎さん……久住君には優しかったのに……どうして」
 僕は優しくはないよ、と羽崎は笑った。
「君は僕の感情が見えないと言ったね。その通り。僕の感情が発する熱は千代子さんが消費しているから、僕自身が感情の熱を感じることはほぼない。晴彦君とご家族に対してかけた言葉は全て波風立てないように選んだ言葉で、僕の本来の性格から出た言葉ではない。今の僕の本心は、千代子さんと小説を書くための資料になるもの以外はどうでも良い」
「どうでも良い……って」
「言葉の通り、どうでも良いんだよ。興味がないから、相手がどうなろうと関係ないから、無責任に好きな事が言える。でも相手と敵対したいとも思わないから、相手が言って欲しい言葉を推理して言えば大抵が『優しい』と誤解して、摩擦を起こさずに済む。それだけの話だよ。晴彦君の世話を引き受けたのも、小説のネタになりそうだったからだ。晴彦君は期待した以上に僕にアイデアをくれたよ。警察に晴彦君の世話をしていた者だと名乗り出たのも、警察の目から見て彼がどんな少年だったか聞きたかったから――言わば取材のつもりだったんだ」
 おかげで次回作は青春ミステリーが書けそうだ、と笑う羽崎を見て、原田は全身の力が抜けたようにその場にズルズルと座り込んだ。
 その横に井川が立ち、羽崎に一番訊きたかったことを訊いた。
「ひとつだけ答えてくれ! あんたは、晴彦が何らかの事件を起こすと本当は気づいてたんじゃないのか!」
「今更それを訊いても、何の意味ないでしょう」
「ある。俺の気がすむ」
「原田さんとの話を聞いていたでしょう。僕はあなたの期待する答えを言うために嘘をつくかもしれませんよ?」
「この期に及んでそんなことはしないと信じる」
 井川の言葉に羽崎は破顔し、すぐに表情を引き締めた。

「本当に気がつきませんでした」
 さっきも言ったように、と羽崎は座り込んでしまった原田の方を見、また井川へ視線を戻した。
「僕は終始作家として晴彦君を見ていました。彼の行動と選択結果まで見届けてから、彼の心理を自分なりに考察して作品に落とし込むつもりだったんです。彼の心理状態を観察して行動を予見しようという考えは最初からなかったので、全く気がつきませんでした」
 羽崎と正面から向き合った井川は、暫く彼を見つめると頷いた。
「そうか……疑って悪かった」
 もうひとつ、と井川は続けて尋ねた。
「もし、あんたの作家としての観察スタイルが逆で、晴彦の心理の変化を注視して異常を感じ取っていたとしたら、あんたはあの子が家に帰るのを止めたか」
「……多分、止めませんでしたね」
 羽崎は苦笑しながらゆるゆると首を横に振った。
「何か変だと感じたところで、晴彦君のその後の行動まで完全に見通すことは不可能です。彼を問い質したところで正直に話すとは限りませんしね」
「――それは、そうかもしれないが」
「晴彦君が大きな犯罪を犯してしまった後だからこそ、あなたはそう問うのでしょう? 事件前の晴彦君の傍にいた僕に何の責任もないのかと言いたくなる気持ちは分かります。でも、起ってしまった事に対しての『たられば話』なんて無意味ですよ。仮にあの時僕が帰るのを止めたとしても、別の形で彼の人生は破綻していたかもしれない。僕が引き止めても時間が先延ばしになっただけ、あるいは、そのせいでもっと多くの犠牲者が出る事件を引き起こした可能性もあるとは思いませんか?」
 誰も他人の人生に責任なんて取れない、と羽崎は言う。
「自分の人生は自分で選んで、自分で責任をとる。それが人としての精一杯で限界だと思います」
「……そうだな」
 そう、いつか自分自身が原田に言ったではないか。
 人が人を救うなんて出来はしない。せいぜい手助けくらいが関の山だ、と。
 やるせなくため息をついた井川に羽崎は深く一礼すると背を向け、誰かと手を繋ぐような格好で林の奥の家へ歩いて去った。


「井川さん、どうして止めないんですか。今、家の方に戻ったら危険じゃないですか」
 消防への通報を終えた小宮が走ってきて、フェンスの扉に手を掛け、開けようとした。
 その小宮の腕を掴んで、井川は首を振る。
「追わなくて良い。あいつはこの世界を去ると言うんだ。行かせてやれば良い」
「いや、でも」
「羽崎は神の世話人で、俺達とは違う異界で生きる奴なんだろう? だったら、ここが俺達の住む世界との境界線だ。前にも言ったように、警察は超常現象に対応する組織じゃない。この先へ俺達が行く必要はない」

 遠くから救急車と消防車のサイレンが聞こえてきた。少しずつ近づいてくる音に促され、井川は足元に座り込んで泣く原田を背中に背負いあげた。
「嬢ちゃん、もう泣くな」
 井川は片手でコートのポケットを探り、ハンカチを探し当てると背中の少女へ押しつけた。
「俺達の住む世界に神はいない。努力が必ず報われるとは限らないが、それでも頑張れば頑張っただけの価値はある。嬢ちゃんが今日まで生きてきたのはその証拠じゃないか」
 サイレンが極近くなった。
 その音に紛れて、井川が笑うように言った。
「大丈夫だ。次の手術もきっと無事に乗り越えられる。乗り越えて、この世にいない神にあっかんべーでもしてやれ」
 か細い声で「はい」と返事した原田に、
「二十歳になったら振り袖姿を見せに来てくれよ」
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