不労の家

千年砂漠

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1 亡き父の実家へ

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 雨はもう五日も降り続いていた。
 三月の今の時期の長雨は菜種梅雨と呼ばれる。冬に乾いた大地を潤し、植物の生育を促し助ける、農家にとっては待望の天気だ。
 しかし農業従事者ではない者には、太陽を隠す灰色の空がこうも長く続くと、恵みの雨を歓迎するより天候の悪さを疎む気持ちが先に立つ。
 隆志は乗っているバスの車窓から雨を通して、道路に沿って植えられている三分咲きの桜の木々をぼんやりと眺めた。
 町境のトンネルを抜けた所から等間隔に植樹されている桜は、まだ若木と言えるほどの大きさでしかない。父の和也が資金を提供したボランティアグループが数年前に植えたもののひとつと聞いた。
 父は生前『町中に花を』と、町内の小中学校や施設、公園の花壇、休耕田や河原にまで至る所に、桜の木のみならずひまわりやコスモスなど様々な花を植え、今ではこの街の名物になっていた。
 町内美化への尽力を町から表彰もされたという父。しかし、隆志には父を誇りに思う気持ちは湧かない。十歳で別れて以来八年間、亡くなるまで一度も会わなかった父は心情的に他人以上に遠かった。
 雨に煙る桜の道をバスはひたすら目的地へと進む。車内は空調が効いていて快適なはずなのに、隆志は薄寒さを感じていた。それはこれから行く父の生家での新しい生活の予兆のように思われた。

 九年前、父は祖父の死去で家を継ぐために呼び戻された。
 そして今度はその父の死によって、隆志があの家を継ぐことになり、呼ばれた。

 死で、人を招く家。
 死でしか人を招かない家。

 あの無駄に大きくて古い日本家屋は真夏の光が降り注ごうとどこか陰湿で暗く、いつも湿り気を帯びた家だった。築山を抱える美しい庭も、新緑や紅葉より、鯨幕が張られた様子が一番似合っているように思えた。
 不幸事が家を生き生きとさせるなど、ありえるだろうか。しかし、葬儀の後のあの家の中は、通夜よりも静かで陰鬱としていた。

 不意に、膝に置いたバッグが重くなった気がした。
 母が行くなと言っているようだ。
 隆志はバッグのふくらみをそっと撫で、ため息をついた。


 バスは町の中心地にあるターミナルに着いた。
 急行バスの終点なので、乗客はみんなここで降りる。隆志も荷物を抱えて昇降口へ向かう通路の客の列に並びながら、ジャケットのポケットの中の切符を出そうとした。
 が、切符がない。
 バスに乗り込んだ時、確かにここへ入れたのに。
 無意識にバッグに入れたのかと捜したが、バッグの中にもない。自分が座っていた座席まで戻り、椅子の下まで捜したが、見つからなかった。
 ないなら切符を買い直さなければならない。手持ちの金で足りるだろうかと、隆志がため息をついてバッグから財布を出そうとした時、同年代の男が声をかけてきた。
 痩せて背が高く、髪はだらしない長髪で、着古したシャツにジーンズというラフな格好をしている大学生風の男だった。
「その中にある箱、見て」
 彼は迷いもなく隆志のバッグを指す。
 何か探しているのかと言う問いかけもなく、見透かしたようにバッグの中にある物を言う彼に隆志は不信感を抱いたが、見返した彼の目には真摯さがあり、隆志は素直にバッグを開けた。
 紫の風呂敷をほどくと、彼は真新しい桐の箱を指差した。
「その、骨壷の中」
 彼の言う通り切符はあった。
「……どうして」
 こんなところに入り込んでいるんだ。それより、何故彼にはそれが分かったんだ。しかも、骨壷と正確に言い当てるなんて。
 唖然とする隆志に、
「どこか知らないけど、これからあんたが行こうとする所へ、その人は行かせたくないみたいだ」
 彼はため息と共にもらした。
「俺もそこに長居するのは薦めない」
 何故と問う隆志に、彼は紫の総がついた数珠を押し付けた。
「胡散臭く思うなら、その辺のゴミ箱に捨ててくれ。でも、何か不穏なものを感じてて不安なら持ってる方がいいかもしれない」
 隆志の返答を待たず、彼は身を翻してさっさとバスを降りていった。


 バスを降りてしばらくターミナルの待合室で待っていると、
「隆志さん、すみません。遅くなって」
 ここで落ち合う約束をしていた相手、弁護士の太田洋介がスーツの肩を雨にぬらして現れた。
「いいえ、こちらこそわざわざ迎えに来てもらってすみません」
 太田は隆志よりひと回り以上も年上の三十二歳だ。年上の男性に『さん』付けで呼ばれるとどうも落ち着かない。だからせめて『隆志君』にして欲しいと前に頼んだはずなのだが、きれいに忘れられていた。
「いいえ、これも私の仕事のうちですから。さて、早速ですが行きましょうか。車をそこに停めてあります」
 車は土足で乗り込むのが躊躇われるような高級車だった。
「弁護士って儲かる仕事なんですね」
 羨望混じりに隆志が問うと、彼は謙遜して笑った。
「世間が思うほどではないですよ」
 この車も妻の父親である建設会社の社長から譲ってもらった中古車だと言う。
「人に信頼してもらうために、見かけだけでも余裕があるようにしてるだけですよ」
 はったりだと言うにしては一流品が身についている。彼の左腕でさりげなく光っている腕時計も雑誌で見たブランド物だった。
「金持ちと言うなら、隆志さんの方でしょう。私の雇い主なんですから」
 彼の父も弁護士で隆志の祖父の代からずっと世久家に雇われている。太田も父親の弁護士事務所で働いていて、現在は未成年である隆志の代わりに相続手続きやら財産管理などをやってくれていた。
「金持ちって言われても実感ないですよ」
「今に実感しますよ。嫌でもね」
 太田は軽く笑った。 
「それにしても、ずいぶん変わりましたよね、この辺も」
 隆志の記憶の中では垢抜けない田舎町だった所が、今や住宅や店がひしめくように建ち並ぶ一端の街の様相になっている。
「ええ、町境のあのトンネルができて隣の蓮池市まで通勤圏内になってから、見る間に住宅が増えましたよ。去年大型スーパーができてからは尚更賑やかになりました。まあそうでなくても、八年も経てば街も変わるでしょう」
 しかし町の南側を流れる本田川の橋を渡るとぱたりと住宅はなくなり、田畑ばかりになった。
「この辺は変わらない……」
 隆志の呟きに、太田が誇らしげに答えた。
「ええ、この辺り一帯は一番古くから続く世久《よひさ》の土地ですから」
 田の中の農業道路から山裾へ続く道へ入る。
 変わらない。道の生えている草まで、あの頃と同じだ。
 道の突き当たりに古い大棟門が見えた。高く白い土壁も昔と変わらない。
 門の前まで来ると、太田は内ポケットからリモコンを取り出して門に向け、ボタンを押す。木製の門が自動的に開くと、車は庭木というより森のような木々の間をゆっくりと進んだ。
 相変わらず無駄に広い家だ。
 庭木の森を抜けると屋敷が姿を現した。けれど、ここから見えるのは屋敷のほんの一部で、母屋の他に別棟がいくつもあるこの家の敷地の総面積は、その辺の学校のグラウンドより広いというのだから呆れる。
 車は玄関前に止まった。
 太田は素早い動作で車を降りて、隆志の座った助手席のドアを開け、恭しく頭を下げた。
「お疲れ様でした。どうぞ――世久家第三十二代当主、世久隆志様」

 膝の上のバッグの中で、母の遺骨の入った箱が揺れた――気がした。
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