不労の家

千年砂漠

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2 祖母との再会

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 玄関の引き戸を開いて中に入る。昔ながらの広い土間は掃き清められていて、塵一つない。上がり口の正面には季節の生け花が飾られて、廊下は磨き込まれていた。
 太田が奥に向かって声をかける。
「こんにちは。太田です。隆志さんをお連れしました」
 廊下を軽い足音が駆けてくる。
「――お待ちしておりました。太田さん、お世話になりました」
 声と共に姿を現したのは、家政婦の木下明子だった。彼女は祖父が当主だった頃からずっと住み込みでこの家に勤めてくれている。
「お帰りなさいませ、隆志様」
 明子は上がり口に正座すると、深々とお辞儀した。
 彼女にも散々『様』はやめて欲しいと頼んだのだが、「世久家の御当主をお呼びするのに『様』以外はございません」と聞き入れてもらえなかった。
 太田が車から降ろした隆志の荷物を明子に渡そうとするのを見て、慌てて止める。
「そのバッグ、重いですから、僕が自分で」
 しかし明子は目を細めて首を振った。
「大丈夫です。お任せください。それより」
 離れに通じる廊下へ目を向ける。
「お疲れでございましょうけれど、まず大奥様にご挨拶を」
「……お祖母さんに、ですね」
「無作法を嫌う方ですから、お戻りいただいた今すぐの方が」
「そう……ですね」
 隆志がため息をつくと、
「私も一緒に行きますから」
 太田が励ますように肩を叩いた。


 黒光りする廊下を太田と並んで歩く。
「大奥様が苦手なんですか? さっきから何度もため息ついていらっしゃいますよ」
 彼に軽く笑われ、隆志はハッとして顔を上げた。
「苦手……なんでしょうね。別に、厳しく叱られたとかいう記憶はないんですけど」
 代わりに優しい言葉をかけてもらった覚えもない。
「まあ、気易い方とは言い難い方ではありますが」
「ていうか、あまり会った記憶がないので……正直親しみが湧かないんです」
 以前この家で暮らした一年の間でも数えるほどしか姿を見かけず、会話らしい会話をした思い出もなかった。
 母屋と離れの間にも一つ別棟があり、ちょっとした内庭がある。廊下の庭に面したガラス戸から見る松の木や石灯籠や庭石は昔のままだった。
 
 この家には変化がない。敷地ごと止まった時の中にあるようだ。

 離れの廊下への入り口の扉を開けた途端、女性の怒鳴り声が聞こえてきた。
「話が違うじゃない!」
 一声で分かった。父の姉である伯母の真紀子だった。
「それに何? あの子は今日戻って来て、すぐお披露目ですって? そんな話、聞いてないわ」
 自分のことだ、と思わず隆志は顔をしかめ、太田を見た。彼も渋い顔をしていた。
「対外的なお披露目会なのですから、身内に招待状など出しません」
 祖母の登和子の声だった。離れの一番手前にある部屋で話しているようだ。
「でも、あの子はまだ未成年でしょ。私がこの家を継いだほうが」
「今の法律では隆志は成人ですよ。それに、お前は他家へ嫁いだのだから、もう世久の家の者ではありません。世久の跡継ぎは直系の男子が原則です」
「だから、所詮『原則』でしょう。例外があってもいいはずよ。お母様だって賛成してくださったでしょう」
「『原則』の者が生きている限り、例外はありません。お前に継がせると言った時には、隆志の行方が分からなかったからで、今は事情が違います」
 祖母の声は凛として、有無を言わせない強さがあった。
「お前も世久の財産を当てにする前に、その悪趣味な洋服やバッグを買うお金を会社の運営資金の方に回したらどうです」
「――お母様!」
「龍彦さんにも伝えなさい。嫁の実家に頼ろうなどという甘い考えは捨てて、経営能力をもう少し磨くように、とね」
 祖母は静かに、伯母の顔色が想像できる辛辣な言葉をさらりと吐いた。
「私たちばかりが世久の財産を狙っているように言わないでよ!」
 真紀子がヒステリックに叫ぶ。
「お母様は、和也が亡くなるのを見越したようなタイミングで隆志が現れたのを、おかしいと思わないの? 隆志の方こそ」
 財産目当てじゃないのよ、と言い捨てながら真紀子が廊下に出てきた。そこに隆志と太田が立っていることに目を丸くし、次いでまなじりを吊り上げた。
「立ち聞きするなんて行儀が悪いわね」
「廊下にまで聞こえる声で、いい争いするほどではありませんよ」
 皮肉で返した太田を無視して、真紀子の憎しみに燃えるまなざしは隆志に注がれる。その様子を今度は太田が無視して、部屋の中へ声をかけた。 
「失礼いたします。大奥様、太田です。隆志様をお連れしました」
「お入りなさい」
 威厳のある、硬い声がした。
 真紀子は隆志を無言で睨み付けると、怒りの意思表示のようにわざと隆志に肩をぶつけて帰って行った。
 強い香水の香りが後に残る。
 大きな薔薇の模様のワンピースといい、これ見よがしのブランド物のバッグといい、伯母の趣味は八年経っても変わりはないようだ。
 金持ちの令嬢にありがちな勝ち気でわがままな性格も以前と変わっていないだろうから、これから何かにつけて嫌がらせしてきそうな気がする。
 財産を巡っての親類の確執はドラマの中だけの話ではないと思い知り、深くため息をついた隆志に、太田は笑って目線で部屋に入るよう示した。
 

 部屋の中は畳の上にソファーを置いた和洋折衷の部屋だった。
 ソファーに地味だが品のある着物を着た老女が座っていた。見覚えがあるようなないような、彼女の顔。
 しかし、この緊張する雰囲気は確かに覚えがあった。
 太田と共に隆志は部屋に入り老女の正面に座った。射抜くような鋭い眼光を向けられて身が縮む思いだったが、辛うじて顔色に出るのを押さえた。
「隆志です。お久しぶりです」
 隆志は努めて笑顔で祖母に挨拶したが、
「おかえりなさいませ。良くお戻りくださいました。最近は歩くのも難儀なため、お出迎えにも出ずに失礼いたしました」
 表情も崩さない、他人行儀な返事を返された。
「あ、いいえ。……あの、大丈夫ですか? 脚は痛みませんか?」
「はい。おかげさまで」
 祖母は二年前家の敷地内で転んで怪我をして以来、少し脚が不自由になっていた。部屋の奥には室内用の車椅子が置いてあり、ソファーの脇には使い馴染んだ杖があった。
「和也の葬儀の際には、私の代わりに喪主を務めていただきまして、ありがとうございました」
 父が亡くなった時、祖母は精神的ショックからか体調を悪くして入院し、葬儀には参列できなかった。
「その上、私にまでお見舞いのお気遣いをいただきまして、遅くなりましたがお礼申し上げます」
 祖母の入院先を太田に聞いて見舞いに行ったが、タイミング悪く祖母は眠っていたので花と見舞いのカードを置いて帰った。もう一度改めて見舞いに行こうと思っていたのだがどうしても時間が取れなくて行けず、こうして対面して話をするのは世久の家を出て以来初めてだった。
「佐恵子さんのことは太田さんに聞きました」
 佐恵子とは三週間前に急逝した隆志の母だ。
「脳溢血だったそうですね」
「……はい」
「まだお若いのにお気の毒なことで、お悔やみ申し上げます」
 祖母はどこまでも他人行儀だった。
 これが血縁の、八年ぶりに再会した祖母と孫の会話だろうか、と内心寂しくなる。まるで初対面の他人と話をしているように堅苦しい。
 しかし、彼女は昔からこんなふうに誰に対しても距離を置いた人だった。
「遠路お戻りいただいて、さぞお疲れでしょう。どうぞ母屋でお休みください」
 祖母の言葉は労いというより、厄介払いのように聞こえた。
「本日の晩に、世久家と親しい方々をお招きしての会食を予定しております。お戻りいただいたその日に慌ただしいことですが、代替わりのご挨拶は早々に済ませるべきことですので、ご了解くださいませ」
 祖母が深々と頭を下げる。
 返礼した隆志たちが部屋を出るまで、祖母は凛とした姿勢を崩さなかった。
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