早春の向日葵

千年砂漠

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転校

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 ありふれたコンクリートの四角い校舎に通い慣れた私には、これから約三か月の間通うことになった学校の校舎は新鮮に映った。
 二年前に新築されたという校舎は、地元の間伐材を利用した木造の、ログハウスを思わせるデザインで、校門も敷地を取り囲む塀もすべて丸木を組んで造られていた。塀にはきれいな模様の陶板が規則正しく埋め込まれている。|麻生町は『麻生焼』として全国に名高い陶芸の里で、町内に工房を持つ陶芸家たちの寄付なのだそうだ。校門に組み込まれた麻生焼の陶板には独特の文字で『麻生中学校』と書かれてある。この中学の出身で町内在住の著名な詩人の手によるものだと聞いた。
 校舎に入ると木の香りがした。中は天窓から入る自然光で明るく、廊下も広くて解放感さえ感じる造りだ。
 転校手続きに来た時に言われた通り、職員室へ向かい、担任になる先生の所へ行く。母よりも年上の、温厚そうな女性だったが、私はそのおっとりした感じが鈍感に思えて好きになれそうもなかった。
「じゃ、教室に行きましょうか」
 壁にかかっている時計を見て立ち上がった先生の後に付いて廊下へ出る。
「その制服、どうしたの。わざわざ買ったのではなさそうだけど」
「伯母が知り合いから譲ってもらったそうです」
 在籍は短い期間だから前の中学の制服のままでいいとは言われていたが、違う制服を理由にいじめられないかと気を回した伯母が、数多い知人に問い合わせ去年の卒業生の物を手に入れてきた。体格の良い子だったのか制服は私には少し大きかったが、伯母が直してくれた。それでも身体に馴染んだ気がしない。
 馴染まない制服を着て、馴染む気のない学校に通うこれからを思うとうんざりしたが、口数の少ない私を緊張している、もしくは置かれている現状に気鬱になっていると誤解した先生が親切めいた口調であれこれ話しかけて来るのにも辟易した。
「心配しなくても、すぐ友達もできるからね」
 私は頷いたが、実のところ心配も期待もしていなかった。三月にはもう卒業してしまう身で、三年生の三学期だけのクラスメートとそれほど親しくなれるわけもない。口を利くどころか、名前も顔も覚えないまま別れてしまう人間がほとんどだろう。向こうだって、自分の受験のことで手一杯で、私に構っている場合でもないはずだ。
「とにかく、何かあったらすぐ相談してね。一人で悩んだりしないで」
 はいと返事はしたものの、相談するつもりなどなかった。相談で問題や悩みが解決するなら、この世に戦争も貧困もないはずだ。悪気のない無自覚に無責任な常套句はもはや聞き飽きていた。
 3―2とプレートのかかったドアの前に来て先生は立ち止まり、「リラックスよ、リラックス」と私に笑いかけた。確かに多少緊張して表情が硬い自覚はあったが、たった三カ月だけのクラスメートに愛想笑いで媚を売り仲良くしてもらう気はない。例え無視されようといじめられようと卒業すれば終わるのだから。
 先生に続いて教室に入ると遠慮のない視線が向けられた。居心地の悪さを感じながら右側に立つ先生が私を紹介する声を聞く。
「今日からこのクラスに入る高野たかの美咲みさきさんです」
 先生は黒板に大きく私の名前を書き、挨拶するよう目配せした。
「高野美咲です。よろしくお願いします」
 決まり切った挨拶をして頭を下げる。その先は先生が引き継いだ。
「高野さんはお母さんが病気で長期入院することになってしまい、お父さんが単身赴任中で家に一人になってしまったので、伯母さんの家で暮らす事になって転校してきたんです」
 予め伯母が学校と打ち合わせておいた話だった。私が周りから不用意に事情を問われ傷つかないようにという配慮らしいが、本当は身内の恥を晒したくないだけだ。
「変わった時期の転校生だと不思議に思ったでしょうが、そういう事情ですから変に騒いで高野さんを困らせないように」
 学校側も入試が差し迫った中三の三学期に、ただでさえ不安定な年頃の生徒を動揺させたくなくて、当たり障りのない身の上話を作る協力をしたのだ。
 無駄な事を、と私は思う。かえって真実を話した方が変な憶測をさせずに済む。他人のデリケートな家庭の問題に首を突っ込むほど今の中学生は無神経ではないし、暇でもない。面倒事なら尚更避けて通る。
 本当の事が知れても私は平気だった。が、できれば他人に触れられずに放っておいてもらいたかったので、大人たちが作り上げる話に口をはさまなかった。
 まるっきり嘘ではないけれど本当でもない私の家庭の事情を信じたのかどうかは分からないが、先生の説明を受けた後の私を見るクラスメートの目は、大げさな同情も過分な興味もなく、ただ見慣れない物を見ているふうだった。
 それで良かった。それが良かった。見慣れない物なら見慣れてしまえば意識されない。
 私は誰の記憶にも残らずここを卒業したかった。
 もう友人という名の単なる知り合いを増やすつもりはなかった。


 奇妙な時期の転校生にわざわざ関わらなくても良さそうなものを、どこにも好奇心旺盛な人懐こい子はいるもので、何人かの子が話しかけて来た。前はどこに住んでいてどこの中学だったのか聞かれ、無愛想にならない程度には表情を作り、答えを返した。
「三田浜に住んでたの。中学は三田浜みたはま西中」
 私が両親と住んでいた三田浜町は森松市を挟んで麻生町と真反対に位置するためか、麻生の子にはあまり馴染みがないようだった。
 これでは話題を探せないと判断したのか、彼女たちは別の話に切り替えて来た。
「こんな中途半端な時期に転校なんて、大変だったね」
「そうでもないよ。元々志望の高校に受かったら伯母さんの所に下宿する予定だったの。それが三カ月早まったようなものだから」
 勿論嘘だ。家に一人きりになったとしても、十五歳にもなって一人暮らしができない訳がない。転校してまで親戚の家に住む理由として用意した不自然でない言い訳だった。
「高校、どこ受けるの?」
「聖エリス女子高校」
 これは本当だった。三田浜の家から通学するより伯母の家からの方が近いというのも本当だ。だから言い訳に使った。
「エリ女? すごい。高野さんて頭いいんだ」
 と、彼女たちに言わせるほどには学力レベルの高い高校だった。私は中学に入る前からもうエリ女に照準を合わせてそれなりの努力をして来ていた。
「そんなことないよ。先生にはギリギリだって言われてるし、これからもっと頑張らないといけないの」
 謙遜してみせたが、年末まで通っていた塾の先生には今のままでいけば大丈夫と太鼓判を押されていた。
「何か困った事があったらいつでも言ってね」
 ご親切な事を言い、彼女たちは私の傍から離れた。クラスメートとして過ごすための洗礼代わりのつまらない雑談もそれで終わりかとほっとしたところへ、
「お母さんの病気、心配だね」
 背の高いショートカットの子が話しかけて来た。
「私、川辺かわべ弥生やよい。お母さんどこが悪いの?」
 まっすぐ私の目を見て問う彼女から、私は目を逸らせて俯いた。
「はっきりとは分からないの。まだ検査中だから。でも、お医者さんはすぐに退院できるとは言わなかったから、あまり良い状態じゃないみたい」
 そう、と彼女は頷いた。
「気に触ったらごめん。私、将来医者希望だから、気になって」
 謝りながらも悪びれた様子は全くなかった。
「お母さん早く良くなるといいね」
 明日の天気の希望を言うような素っ気ない物言いだったが、変に感情的に構われるよりずっと良かった。


 提出書類に記入漏れがあったと先生に言われ、放課後職員室に寄り再記入した後、三年の生徒用の通用口に向かった。
 部活を引退した受験生に放課後いつまでも校内に残っている理由はないのでみんなもう帰ってしまったらしく、人影はなく閑散としていた。
 出入り口には各クラスに一つ大きなシューズボックスが据えられている。校舎のデザインに合わせて作られたらしい木製のシューズボックスは仕切りも蓋もないオープンタイプで、上履きが置いてあるのを見なければ本棚のようだった。
 今まで通った小学校も中学校も体育館以外は土足でいい校舎だったが、この学校は上履きに履き替えなければならず少し煩わしかったが、新鮮だった。つややかな廊下などを見ているといっそ裸足で歩きたくなる。
「高野さん」
 後ろから声をかけられ振り返ると、男子生徒が立っていた。
 親しげに声をかけられる覚えがなく戸惑う私に、彼も少し困惑した表情を見せたが、
「僕、篠原しのはら太陽たいよう
 名にふさわしい笑顔で名乗った。
 私と同じクラスだと言う。が、転校初日でクラス全員の顔と名前を覚えられる訳もなく、同年の男子にしては小柄で、目立ちたがり屋の性格でもなさそうな彼は教室内で見かけた記憶さえなかった。
「僕の事は太陽って呼んで。うちのクラス、篠原姓四人もいるから」
 紛らわしいのでみんな下の名前で呼んでいるのだと言う。
「それに僕、太陽って名前自分でもすごく気に入ってるんだよね」
 笑う彼は穏やかな自然体で、少し幼い感じもした。
「あの、何か私に用だった?」
「……別に、特に用があった訳じゃないんだ」
 彼は照れ臭そうに目を細めた。転校生が珍しくて、好奇心からつい声をかけただけなのだろう。会話を続けようにも話の種が思いつかなかったのか「じゃあね」とあっさり踵を返そうとした彼は、ふと思いついたように向き直った。
「あのね、この学校、大体木でできてるんだけど、一か所だけ、見た目は木のようで実はコンクリートでできてる所があるんだよ」
「え、本当? どこ?」
 教えない、と彼は楽しげに首を振った。
「探してみて。誰かに聞くのは、なしね」
 頑張って探してね、と彼は笑って、今度こそ校舎の方へ引き返して行った。
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