早春の向日葵

千年砂漠

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意外な事実

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 週が明けて、月曜日、火曜日は県内の高校の入試日程の最後、県立高校の入試日だった。
 入試はどこの高校でも受験生は各自各高校に現地集合現地解散なので、太陽も弥生もそれぞれの受験高校に直接行っているため、学校では会えなかった。
 水曜日に二人が登校してきたら何を置いても礼を言おうと思っていた。ほとんどの生徒が公立校を受験するため、私は幾人かしか残っていない教室で課題のプリントを埋めながら、水曜日を心待ちにしていた。
 水曜日の朝、私はいつもより早く家を出て学校に行った。
 私が教室について暫くして、弥生が登校してきた。私は真っ先に手紙とお守りの礼を言うと、彼女は例のごとく素っ気ない表情で軽く頷いた。
「何か、明るくなったね」
 相変わらず彼女は鋭かった。
「変な陰が取れてる。日当たりが良くなった感じ」
「受験が終わってストレスから解放されたから、かな」
 私が笑うと、彼女は真面目な顔のまま首を振った。
「いや、魂の陰影を言ってるの。ものの考え方を変えたみたいだね」
 彼女は医者より、占い師に向いている気がする。
 それから始業時間まで弥生と話をしていたが、太陽は登校してこなかった。ホームルームの時間を知らせるチャイムが鳴っても彼の席は空いたままで、今日に限って遅刻かと少し残念に思っていた。
 担任の先生が教室に来て、普段通りの学校生活が始まるはずだったが、
「今日は皆さんに大事な話があります」
 朝の挨拶の後「今日の連絡事項は」とは続かなかった。

「入院している篠原太陽君のことです」

 聞き違いだと思った。もう位置を覚えている目が、意思より先にそちらに向く。
 しかし、そこに太陽はいなかった。違う男子が座っていた。
 教室中の席は生徒で埋まっていて、太陽の席はどこにもなかった。
「篠原君は四月二日に手術を受ける事になりました」
 教室内がざわめく。私の心はもっと激しく波打っていた。
「みんなも知っての通り、篠原君は尿毒症という病気で去年の秋から入院していましたが、実は尿毒症ではなく、腎不全だったんです。それが年末ごろから急にひどく悪くなりました。冬休み前みんなには、ご家族から『お見舞いに来てもらって病院で風邪をもらって帰っては大変だから、お見舞いは遠慮してください』と伝言されたと言いましたが、本当は篠原君の身体が酷く悪くなっていて、誰にも会えない状態だったからでした。親しい友達がそんなに悪くなっていると知れば、受験も近いのにきっとみんな動揺するだろうとご家族が気配りして、みんなには知らせないよう頼まれていたのです」
 先生が何を言っているのか、私には理解できなかった。
 だって、太陽は――
「篠原君の病状はここ最近一層悪くなって、腎臓移植をする事になりました。篠原君のお母さんが提供者になり、手術が決まりました。篠原君は昨日大学病院の方に移って、手術の日を待っています。私たちは面会できませんが、みなさん、篠原君の手術の成功を祈ってください」
 太陽が病気? 秋から入院? そんなの嘘だ。何かの、誰かの間違いだ。
 そうでなければ、この三カ月、私は誰を想っていたのだ。
 あの橋の上で会ったのは、一緒にカレーパンを食べたのは、私を乗せた自転車で橋を渡り切ったのは、星空の下でエールをくれたのは――誰だったのだ?
 それから後、一日の記憶がない。
 気がつけば私は、三年生の通用口のシューズボックスの前にぼんやり立っていた。
 何も考えられない頭で一日の学校生活を惰性で過ごし、帰るところだったのだろう。
 太陽とは、転校初日ここで初めて会話した。彼から声をかけてきてくれた。私が名前も顔も覚えていないと知ると、気恥しそうに踵を返した。
 ふと、私はあの時太陽が言った事を思い出した。
 ――木でできてるように見えて実はコンクリートでできている所が
 卒業までに捜せと笑った彼。
 出題した本人も忘れているのだろうが、私も答えるのを忘れていた。
 私はとっくに正解を見つけていた。図書館通いをしている時偶然、あの中学校の建設に関わった元町長の自伝本を見つけて読んだ。その中に書いてあったのだ。
 私は校舎を出て、その答えの場所に向かった。
 正解は校門。周囲の塀は紛れもなく木製だが、鉄製の格子戸を支える門柱を含む校門だけは強度の点からコンクリートにしたと書いてあった。
 すべすべとして手触りは良くても、冷たい温度は木ではない。上手くペイントされた校門は見た目ではコンクリートとは分からないが、触れば明らかだった。
「何してるの?」
 聞き覚えのある声に振り向くと、弥生が立っていた。
「……ここだけ、木じゃないんだなあと思って」
 私は特に何も考えず目の前の事実を口にしただけだったが、
「悩み事があるなら聞くよ?」
 彼女の話の唐突さは今更驚くことではない。が、時々読心術でも使えるのではないかと疑いたくなる。
「あの……篠原太陽君って、どんな子」
「明るい」
 彼女らしい返答だったが、今はそれだけでは困る。
「背丈はあんまり高くない?」
「私より低い」
「顔は……ええと、有名人で言うと誰に似てるかな」
 弥生は眉根を寄せ、カバンを探り始めた。
「私、写真持ってるよ。太陽も私もバスケ部で、夏に後輩の合宿に陣中見舞いに行った時の写真、今さっきもらって来たから」
 暢気なチームメートで、最近まで撮っていたことすら忘れていたそうだ。
 渡された写真の中の一枚を見た途端、写真を持つ手が震えた。震えて、震えて、どうようもなく震えた。
 手にした写真に、弥生の隣で笑う少年が大きく写っていた。
 紛れもなく太陽だった。
「――どうしたの?」
「私、頭がおかしいのかな」
 弥生に問いかける声まで震えた。
「私、この太陽とずっと同じ教室にいた」
「は?」
「転校した日からずっと、太陽はクラスにいたの。私と何度も話をしてくれたの」
 弥生は目を細めて私を見つめた。
「信じられないかもしれないけど、私の話聞いてくれる?」
 私を見据えたまま動かない両目の奥でどんな思考を起して処理したのかは分からないが、
「信じるかどうかは別として、話は聞くよ」
 彼女はやはり無表情のまま頷いた。


 私たちは学校の中庭に移動し、そこにあるベンチに座って話をした。
 さすがに母の自殺未遂と私が前の学校で起こした騒動は避けたが、それ以外の私の家の事情は全て話した上で、太陽が私にしてくれた事を話した。
「不思議な話だね。普通なら信じられないところなんだけど」
 私の話を聞き終えた弥生は視線を遠くして呟いた。
「高野さんの話を完全否定出来ない理由もある。今朝、先生の話を聞いてから、少し妙に感じてた事があるんだよ」
「どんなこと?」
「この三カ月、誰も太陽の話をしなかった」
 彼女の言う意味が分からず、私は更に説明を求めた。
「太陽は結構人気者なんだよ。部活で仲が良かった男子たちなんか、毎週のように見舞いに行ってた。それなのに、今年に入って誰からも太陽の話を聞いてない。名前さえ話の中に出ない。私も太陽のことを思い出しもしなかった。それを疑問に感じてさえなかった。みんなもたぶんそうだと思う。みんなして、今日まで太陽の存在を忘れてしまってたみたいだった」
 いくら自分の受験で頭が一杯だったとしても、一度も、一言も話題に出ないのはおかしいと弥生は首を傾げた。
 言われてみればそうだ。太陽自身はクラスの男子とふざけ合ってたり、女子とも話してたりしてたが、クラスメート同士が太陽の話をしているのは一度も聞いた事がない。
 私が誰にも太陽について問わなかったのは恋心を知られたくなかったからだが、太陽が普段からクラスのみんなに無視されていたというならともかく、仲のいいクラスメートがいるのにもかかわらず彼らの口から一度も名前すら出ないのは確かに変だ。
 「自分でも馬鹿馬鹿しいと思うんだけど」と弥生は前置きして、
「病気にならなかった次元の太陽が、高野さんにだけ見えていたのかも」
 私が見て喋っていた太陽は元気でいる別次元の太陽で、その太陽と話したりふざけたりしていたクラスの子もまた、元気な太陽と同じ次元にいる子たちだったのではないかと言う。
「こっちの太陽は入院して学校にはいないんだから、普通にクラスにいると思っている高野さんに本当の情報が入ってしまうと辻褄が合わなくなる。だから高野さんが真実に気付かないよう、こっちの世界では誰も太陽の話をしないように、高野さんが誰にも太陽について聞かないように人外の力が働いていた――なんてね」
「人外の力って?」
「超常的な力。まあ、こんな場合一番簡単で納得し易いのは、神様がしたことにすることかな。だってこんなこと、この世の法則じゃ説明できない」
 弥生の言う通りあり得ないことが起こったのだから、私の気が狂っていて幻覚を見ていたのでないなら、神様のしたことと思うしかない。確かに自分の身に起こった出来事のはずなのに、今はファンタジー映画を見た後のような気分だった。
「太陽は学校も友達も好きだったから、病気で学校に行けないのが相当悲しくて、別次元でもいいから学校に行きたいって願ったのが、こんな形で叶ったんじゃないかな」
「……だとしたら、今入院してる太陽は私を知らないんだ」
「そうだね。この世界の太陽には高野さんは会ってないから」
 弥生にあっさり頷かれ、私はひどく落胆した。
 友達だと言ってくれた太陽はこの世界にはいない。本来この世界にいる太陽にしてみれば私は見ず知らずの他人なのだ。もしも彼の見舞いに行けたとしても、何一つ共有できる思い出はない。
 残る問題は、と弥生は首を傾げた。
「何故、高野さんだけが太陽と関われたんだろう?」
 そうだ、何故私なんだろう。偶然か。私だけが太陽の入院を知らなかったからか。
 何気なく弥生の手元にある写真に目をやり、その中の一枚に鼓動が跳ねた。
「……その写真、よく見せて」
 弥生が後輩にシュートの指導をしている写真だった。その弥生の後ろに、見覚えのある帽子をかぶった少年が写り込んでいた。後ろ姿だが、帽子を前後ろ逆にかぶっているので、帽子の前に刺繍されたマークははっきり写っている。
「これ、太陽?」
 指した人物を見て、弥生はあっさり頷いた。
「うん、そう。この帽子、太陽のだから」
 帽子は太陽が大ファンのアメリカのプロバスケットチームのオフィシャルグッズで、チームの花形選手の引退記念に作られ日本では限定で百個しか売られなかった太陽の宝物だそうだ。
 その帽子は屋上の彼が被っていたものだった。
 日本にたった百個しかない帽子を太陽と同じ病院に同時期に入院している同年代の少年が持っている確率は相当低い。
「やっぱり彼が太陽だったんだ……」
 訝しげに私を見ていた弥生に、母が入院している病院の屋上で会った少年の話をした。
「そうか……それなら多分これは全て太陽の願いだったんだと思う」
 弥生は一人頷き、珍しく笑い顔を見せた。
「不思議現象は神様の力かもしれないけど、そこにある意思は太陽のものだったんだよ」
「太陽の意思って、何?」
「大方の予想はつくけど、私は言わないよ」
 聡明な弥生には全ての式が解されているらしかったが、模範解答は示されなかった。
「本人に聞けばいい」
 この不思議な三カ月の出来事の核になるのがこの世界の太陽の意思なら、私が会っていた別次元の太陽の言動は全部こちらの太陽と繋がっているはずだと言う。
「多分、太陽も自分で言いたいだろうと思う」
 暮れかけた空を見上げながら、弥生は目を細めた。
「……私、また太陽に会えるかな」
「会えるよ」
 彼女の答えは明快だった。
「生きてる相手に会いたい意思があって会えない道理はないよ」
 弥生は空を見上げたまま、1+1は2だと答えるに等しく言い切った。
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