早春の向日葵

千年砂漠

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卒業

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 翌日の午前中、先生から高校の合格通知を渡された。
 太陽の事がショックで高校の合否などすっかり失念していたが、幼い頃から望んでいた高校に行けると決まれば素直に嬉しかった。伯母たちは私の合格を喜んでくれ、お祝いに豪華な夕食を用意してくれた。病院にいる母には、看護師を通じて知らせてもらった。
 父にメールで合格を知らせると、祝いの言葉と共に高校の入学金や準備金を私の郵便貯金の口座に振り込むと返信が来た。そして来週にも県外に出ると。
 詳しい日時が書かれていなかったのは、遠回しな見送りの拒否なのかもしれない。多分あの女と一緒に行くつもりだからだろう。
 悲しみより諦めの方が強かった。それとも私は肉親への情が薄いのだろうか。もう親の服の裾を握って泣くほどの子供ではないにしても、思った以上に冷静でいる自分に呆れてしまう。
 正直に言えば、父より太陽の方が気になっていた。移植手術に危険はないのか、移植でどの程度健康を取り戻せるのか、心配でネットや図書館で調べてみたがケースバイケースで諸説あり、太陽がどのケースに当てはまるのかさえ分からなかった。
 クラスでも太陽の事は度々話題になった。弥生の理論で言えば情報が解禁になったのだろう。あちこちで太陽の話を聞いた。
 クラスのみんなから聞く太陽は、私の知る太陽と少しも違わなかった。小柄で、陽気で幼い所もあって、喋り方があまり男っぽくなく、怒ると早口になる。そして、優しい。
 バスケ部に勧誘に来た先輩に「バスケをやれば背が伸びる」と乗せられて入部したものの期待したほど背は伸びず、受験のため県総体を最後に部を引退する時になって初めて「もしかして僕、騙された?」と言ったとか、口調が柔らかいのは三歳上のお姉さんの影響であるとか、それまで知らなかった事も知ることができた。
 クラス内に太陽を嫌う子はいなかったが、特別想いを寄せているように思える子もいなかった。お人好しで言動がかわいいと同年ながら弟のように見られていて、恋愛相手としては対象外らしい。
 でも、本気の恋心ほど隠したくなるものだ。私のように密かに太陽を思っている子がいて、その子こそが太陽の片思いの相手だったらと思うと恐くて、クラスメートが雑談で語る以上の話は私からは誰にも問えなかった。
 それにしても、何故突然情報が解禁になったのか。
 入試が終わるのを待っていたかのようにも思えるし、太陽の容体が悪くなったのが関係しているのかとも思う。それとも神様の気まぐれなのだろうか。
 あと少し、卒業してしまうまで知らなければ、私はきっと一生本物の太陽がクラスにはいなかったと知らないままだった。 この先クラス会には多分行かないだろうし、どこかでクラスメートに偶然出会ったとしても太陽の事は聞かなかっただろうから。
 屋上で一度会っただけの彼が何を思って私を色々助けてくれたのかは、散々考えたが分からなかった。
 想いにふける私を置いて、時は卒業へと流れていた。
 たった三カ月しかいなかった私にもサイン帳に記入を求めて来た子が何人もいた。密かにデジカメを持って来て親しい子たちと写真を撮りまくっている子もいた。
 みんな貪欲に中学時代の思い出をかき集めていたが、私はそんな気になれなかった。
 無理に集めなくても、思い出なら必要なものは必要なだけ残る。何もかも覚えていなくてもいい。大事なものだけが、遠い灯火のように記憶にあればいい。いつか私が何かで迷い悩んだ時はその灯りが心を慰め、道を示してくれるだろう。
 県立高校の合格発表でクラス全員の合格が決まり、クラスのスローガン通り春と共に卒業の日を迎えた。
 卒業式は太陽と初めて会った日のような快晴だった。あの日は柔らかな冬の日差しだったがいつの間にか光は強まり、校庭の桜の芽も大きく膨らみ始めている。私たちが学び舎から飛び立つ今日も、太陽はこの世界に留まるための命がけの戦いをしているのだと思うと切なかった。
 式は厳かに、且つ華やかに始まった。ブラスバンド部の生演奏に合わせて、体育館中央の花道を歩く。在校生の軽やかな手拍子が耳に心地よかった。
 たった三カ月しか通わなかった学校でも、それなりに感慨はあった。少し緊張を感じながら、式次第通り自分の名が読み上げられるのを待った。式では、各クラスごとに担任の先生が卒業生の名を読み上げ、名を呼ばれた者は返事をして起立する。その後一組から順に一人ずつ壇上で校長先生から卒業証書を渡されることになっていた。
 一組の卒業生の名前の読み上げが終わり、私のクラスの番になった。男女の区別なく、アルファベット順に名前が読み上げられていく。
「篠原太陽」
 先生が太陽の名を読み上げると、
「はい!」
 私を含めた、私のクラスの全員が返事した。
 打ち合わせした事ではなかった。
 式の前のホームルームで簡単な連絡事項とこれからの予定を伝えた後、先生がみんなに頼んだことではあったけれど。
――残念ですが篠原太陽君は今日の卒業式に出席できません。ですから、誰でもいいです。卒業式で篠原太陽君の名前が呼ばれたら、代わりに返事をしてください
 その時は誰も何も言わなかった。返事をするのが誰でもいいなら、私が代返しようと思い、実行した。が、思ったのは私だけではなかったのだ。
 涙がこぼれた。私の横に座る子も泣いていた。私の前にいる子の肩も震えていた。後ろからも鼻をすすりあげる音が聞こえた。
 きっとクラスのみんな、同じ思いで泣いている。
 身体はここにいないけれど、太陽は確かにここにいた。
 クラス全員の心の中に。
 だから今日、太陽は私たちと一緒に卒業したのだ。
 静かな温かい思いにあふれた式は終わり、卒業生退場の声がかかる。
 再びブラスバンド部が曲を奏でた。パッヘルベルのカノンが流れる中を拍手に送られて私たちは花道を行く。
 花道の先に開け放たれた扉の向こうには、春の光があふれる未来があるように思えた。
 そこで太陽が待っている幻を私は見た気がした。


 最後のホームルームで担任の先生は、この先何があっても自分は勿論他人の命も大切にする人になって欲しいと語り、別れを告げた。
 ホームルームの後は最後のセレモニーが待っていた。校舎から校門まで在校生が並んで卒業生を見送るのだ。通用口から外へ出ると、生徒会の子たちが、卒業生一人一人に花をプレゼントしていた。
 花は一輪だが種類は色々で、私は桜草の花をもらった。整列して歩かなければならないような堅苦しい決まりはなく、下級生が並んで作った校門までの道をそれぞれが仲のいい子と一緒に歩いていた。私も見送られる緊張と照れ臭さを感じながら、日頃よく話をしたクラスの子と並んで歩いた。
 校門を出た所で、一緒に歩いていた子の中の一人が「じゃあ、またね」と手を振った。また明日にでも会うような気負いのない自然さで、彼女は笑って繰り返した。
「また会おうね」
――生きている相手に会いたい意思があって会えない道理はないよ
 弥生の言葉が甦る。
 私が会いたいと思うなら、そして相手も会いたいと思ってくれるなら、また必ず会えるだろう。
「……うん、またね」
 私も笑い返して頷いた。
 再会は運に任せた約束をして私たちは別れた。
 自転車通学だった男子たちが友達と笑い合いながら私の横を通り抜けて行く。その姿に、私を荷台に乗せて自転車を走らせた太陽の背中を思い出し、立ち止まった。
 会いたい。太陽にもう一度会いたい。
 例えこちらの世界の太陽が私を覚えていなくてもいい。また言葉を交わしたい。笑顔が見たい。
 俯いて立ち尽くす私の視界に、突然マーガレットの花が飛び込んできた。
「これ、あげる」
 驚いて顔を上げると、弥生が立っていた。
「マーガレットの花言葉は『予言』なんだ。だから高野さんにあげるよ」
 意味を問う前に、彼女は呪文のように厳かに告げた。
「物語の結末はハッピーエンドになる」
 呆然とする私に弥生は花を押しつけて、私がもらった桜草を指さした。
「桜草の花言葉は『希望』だよ」
 じゃあね、と弥生は軽やかに踵を返して去って行った。
「……ありがとう。ありがとう、弥生!」
 無意識に私は彼女の姓ではなく名前の方を呼んでいた。
 そして気付いた。彼女は名前の通り、クールさと温かさが混じり合った、早春のような人だと。
 思えば太陽も空に輝く太陽のようだった。
 そんなふうに名が態を表すならば、きっと私もいつか美しく咲けるだろうと思えた。
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