早春の向日葵

千年砂漠

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早春の向日葵

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 三月末の日曜日、母と久しぶりに面会できる事になった。二月の上旬に塞ぎこんでしまってから面会許可が下りなかったが、ここ最近安定してきたようだった。
 日曜日の病院の面会は午前中から許可されていた。
 その日、午後から伯母にどうしても外せない用ができたので、午前中の内に病院に連れて行ってもらうことにした。
 伯母より先に玄関を出ると、先の道に人影があった。
 あの帽子をかぶった太陽が笑って立っていた。
「――太陽!」
 息が止まりそうな思いで駆け寄った私に、太陽はセロファンに包んだ一本の花を差し出した。
「お母さんのお見舞いに行くんでしょ。これ、持って行ってあげて」
 小さめのひまわりの花だった。
「大丈夫。お母さんはきっと元気になるよ」
 どうして太陽がここにいるのか。何故今から母の見舞いに行くと知っているのか。それより病気は――聞きたい事が一度に頭の中を目まぐるしく回って声が出ない。
「……私……高校合格したよ」
 ようやく絞り出した声に、太陽は一層目を細めた。
「ありがとう。太陽のおかげで……私……」
 伝えたい事がたくさんあるのに、言葉にならない。言葉の代わりに涙がこぼれた。
 そして、途方もなく怖くなった。
 もしかしたら太陽に会えるのはこれが最後なのではないかと。
 しかし太陽は、花に負けない笑顔で言った。
「もう一度、絶対、会いに来るよ」
 会いに来る、と太陽は力強く繰り返した。
「だから、待ってて」
 私が頷くと、彼も頷いた。
「美咲ちゃん、お待たせ。さ、行こうか」
 伯母の声が背中で聞こえた。
「何してるの、そんな所で」
 反射的に振り返った私に伯母が怪訝そうに問う。
 再び太陽の方を向くと、そこには誰もいなかった。
「どうしたの? その花」
 私の手には花が握られていた。太陽がくれた花だ。
「……友達がくれたの。お母さんのお見舞いに持って行ってあげてって」
 私は頬を拭って笑い、赤いリボンが巻かれた花を伯母に掲げて見せた。
「行こう、伯母さん。花が萎れないうちに」
 季節外れのひまわりを見て目を丸くしている伯母の腕を取り、歩き出す。
 今会った太陽が幻覚でも、別次元の太陽でも、どちらでも良かった。彼がくれた花は確かに手の中にあるし、彼はもう一度会いに来ると言った。
 彼は約束を破らない。だから、待っていればいい。
 太陽、私は元気でここにいる。
 笑って待っているから。
 笑って会いに来てください。


 母の病室を訪ねると、母はベッドの上に起きて座っていた。
「来てくれたの。ありがとう」
 母は穏やかで目にも力があり、最近になく表情もしっかりしていた。
「これ見て。美咲ちゃんの友達がお見舞いにくれたんだって」
 私が花を差し出して見せると、母は大きく目を見開いた。
「春の花じゃないけど、きれいでしょう? 活けてきてあげるわね」
 伯母は花と一輪差しを持って病室を出て行った。
 四人部屋の他の同室患者は談話室にでもいっているのか誰もおらず、私たちは部屋に二人きりだった。
「卒業と高校合格、おめでとう」
 パイプ椅子に座った私に、母の方から話しかけて来た。入院して以来初めてだった。
 私を見る母の視線は揺れておらず、口調も本来の母のものだった。ひと月半前は誰にも会いたくないと面会を拒んだほど不安定だった事を思うと、想像以上の回復ぶりだった。
 私の近況をいくつか聞いた後、
「今朝ね、夢を見たの」
 母は唐突に話題を変えた。
「美咲と同じくらいの年頃の男の子がね、いつの間にかその椅子に座ってて」
――麻生町の河原に、毎年役場と老人クラブと小学校が協力して作るひまわり畑があるんです。早く元気になって、美咲さんと見に来てください
 少年はそう言って笑ったのだと言う。
「とってもとってもきれいなんです、って熱心に言うの。いつまでも窓の内側から外を眺めていないで、外に出て、土に根を張って風に吹かれながら咲く花をその目で見てくださいって」
 母の夢に出て来た少年が誰なのか、考えるまでもなく私には分かっていた。
 太陽だ。太陽が母を励ましてくれたのだ。
「……本当にあの子の言う通りね。内に籠ってたら、きれいな花を見逃してしまう。風が冷たくても、日差しが熱くても、そこに行かなければ見られない花もあるんだから」
 美咲、と母は芯の通った声で私に呼びかけた。
「お母さんと二人暮らしになってもいい?」
 言った途端、母はくしゃりと顔を歪め、涙をこぼした。
「お父さんとは……もう……一緒に暮らすのは無理みたい。だから……お母さんと二人きりになるけど……それでも」
「うん……うん、いいよ」
 私は椅子から立ち上がり、母の手を握った。
 記憶にある母の手はもっと大きかった。私の両手を包み込める大きさだった。
 けれどもう私の手も大きくなった。少しは母を支えられるくらいに。
 誰かに守ってもらうだけの子供の時間は終わったのだ。
「大丈夫。私がお母さんを助けるから」
 母は私の手を強く握り返すと、しゃくり上げて泣き出した。
 ふと人の気配を感じて振り返ると、部屋の入り口で伯母が立ち止まったまま泣いていた。
 伯母が胸に抱えた一輪差しに、太陽のくれたひまわりが凛と咲き誇っていた。
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