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つばくらめ
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私の勤める店が従業員駐車場に借りている所のすぐ隣の民家に、今年燕が巣を作り、子育てをしていた。
巣から四羽、可愛い顔を覗かせていたが、昨日どうやら全羽無事に飛び立ったらしい。
空っぽになってしまった巣を、嬉しさと寂しさが入り交じった気分で見ていて、ふと思い出した話がある。
私は郊外にあるカフェレストランに勤めている。
以前勤めていた全国チェーンのレストランの同僚で、料理長をしていた男性が独立して自分の店を開店する際に、オープニングスタッフとしてスカウトされたのだ。
開店から二十年近く経つが、季節ごとに変わる料理と穏やかな田園風景やきれいに手入れされた庭を眺めながら食事ができる店として好評を得て、現在も安定した経営が続いている。
私は長く務めている分、何度も来店されて顔見知りになったお客様が多数いて、特にご年配のお客様には個人的に親しくお声をかけられることがあった。
私が還暦を過ぎた歳のためか、親近感みたいな気持ちもあり声をかけやすいのだろう。
店の常連であるタクシー会社の元社長さんもそんな気易いお客様の中のおひとりだった。
会社は二代目に譲られて、今はもう引退されてお仕事はされておられない。悠々自適の身でいらっしゃる。
天気の良い日はお気に入りのテラス席でゆっくりお食事をされ、早番出で仕事が終わり帰宅する私と顔を合わせると、
「時間があるなら、ちょっと食後のコーヒーにつきあっていかないか?」
と、笑顔で席に呼んでコーヒーをごちそうしてくださることが度々あった。
お人柄が良く話好きな方で、「年寄りの話は退屈だろうが」と謙遜されるが、博識で豊富な話題を持っておられ、私は社長さんの話を聞くのがとても好きだった。
元々私は人の話を聞くのが好きな質だ。
他人は私が知らないことを知っている。
他人は私が生きられない人生を生きている。
話を聞けば聞くほど、私の知らなかった世界を知ることができる。
私にとって他人が語る話を聞くのは読書と等しいものだった。
子燕が巣立った巣を見て思い出したのは、その社長さんから伺った話だ。
社長さんの名前は仮に「松井さん」とする。
話の内容がタクシーに関することで、社長さんがあまんきみこ先生の名作『車の色は空の色』の主人公のタクシー運転手「松井さん」のようなイメージの方だからだ。
松井さんは若い頃、自宅を拠点に個人タクシーの仕事をしていた。
ある年、車庫に燕が巣を作った。困ったことに車の真上辺りである。糞で車を汚されては敵わないので、燕が卵を産む前に巣を撤去しようかと考えた。
が、燕が折角頑張って作った巣を壊してしまうのは可哀想で、たかが数ヶ月なのだからこちらが被害に気をつけて避けてやればいいじゃないかと思い直した。
巣の下に糞受けの箱を設置し、燕の子育てを黙認することにした。
やがて巣から雛が顔を覗かせるようになった。作った糞受けはサイズが少し小さく、車や床を汚されたが、松井さんは雛鳥が可愛くて、怒ることもなく掃除をしながら見守った。
見守るだけでなく、家人から「カラスが雛鳥を狙っているようだ」と聞かされると、カラスよけまで作って家族皆で雛を守った。
そんな優しい松井さんの家だからだろう。毎年燕がやって来るようになった。
そのため毎年糞受けを改良しながら作り、雛が巣立つのを見守った。
ある年、雛が巣立って行った数日後のこと。
松井さんが仕事に出ようと車に乗りエンジンをかけると、燕が一羽ボンネットにとまった。
燕はじっと運転席にいる松井さんを見ていた。
――野生の鳥が、ガラスを挟んでいるとはいえこんなに人の近くに来てとまるなんて。しかもエンジンがかかってうるさい車の上に
不思議に思ったが、燕を脅かさないよう、ボンネット上にいる間は車を動かすのはやめにした。
松井さんを見つめていた燕は、何か気が済んだようにふいに飛び去って行った。
松井さんは車を車庫から出しながら考えた。
もしかしたら家の巣にいた燕なのだろうか。
それならこの車も自分も見慣れているから、近くに寄ってきてくれたのかも。
そう思うと嬉しく、心が温かくなったが、大通りへ出る道に入った瞬間、息が止まり背筋が冷えた。
松井さんの家は住宅地の中にある。そこから大きな通りに出るのに、いつも信号のある小さな交差点を利用していた。その信号交差点で事故が起こっていたのだ。
車の状況から見て、住宅地から出ようとした車の側面に、大通りを直進してきた車が突っ込んだようだった。
車の周りに人が集まり、当てられた車に乗ったまま意識を失っている運転手に声をかけたり、大通りの後続車を安全に先に行かせるよう誘導したりしている。
まだパトカーも救急車も来ていない、ついさっき起こった事故のようだった。
当然松井さんも車を降りて、交通整理を手伝った。事故車両が交差点を塞いでいるので、住宅地からこの交差点に入ろうとする車を別の道へ誘導しながら、さっきの車庫でのことを思い返した。
あの燕が車にとまってくれなかったら、時間的に事故にあったのは自分だったかも知れない。
そう思うと鳥肌が立った。
燕が助けてくれたのだ。きっと家に巣を作っていたあの燕が恩返ししてくれたのだ。
松井さんはそう思い、翌年からもさらに燕を大事にした。
それから数年が経ち、独身だった松井さんは良縁あって結婚した。
それを期に、タクシー会社を興そうと決心した。奥さんも協力的で、二人で少しずつ計画を進めていったが、融資がうまく運ばなかった。中々銀行が話を聞いてくれないのだ。
そんなある日、まだ個人タクシーで仕事をしていた松井さんは昼食を取るため食堂を捜していた。そのあたりはあまり走ったことのない場所で、客を乗せてきた帰りだった。ようやく見つけた小さな食堂に車を駐めると、車を降りた松井さんのすぐ横を燕が通り、食堂脇の路地へ入った。
――もしかして、そこに巣があるのかな
すっかり燕好きになっていた松井さんは燕を追って路地に入った。と、そこに。
年配の女性がうずくまっていた。しかも具合が悪そうだった。松井さんは慌てて声をかけたが、女性は顔色が悪く朦朧とした状態だった。素人目で見た所、貧血を起こしたようだった。
傍にはスーバーで買い物したらしいレジ袋があったので、歩いて買い物に行って、帰る途中で体調が悪くなったのだろう。
松井さんは食堂に駆け込んで訳を話し、救急車を呼んでもらった。
食堂の人も良い人で、女性を店の座敷に寝かせて救急車が来るまでに体が冷えないよう毛布を掛けてくれたりした。
この善行が松井さんの人生に幸運をもたらした。
松井さんは女性が救急車で運ばれるのを見送ってから、食堂を後にした。何となくそのままその食堂で食事するには気恥ずかしかったからだ。
その二日後の夜、自宅に訪問者があった。
あの女性のご子息が松井さんに御礼をしに来たのだった。松井さんは誰にも名乗らず食堂を離れたが、食堂の人がタクシーの車体に入っていた名前を覚えていて、御礼に来たご子息に教えたのだった。
女性を助けたのは当然のことで、介抱したのは自分でなく食堂の人たちなので御礼ならあちらに、と松井さんが言うとその人は松井さんの謙虚な性格にますます感じ入ったようだった。
それから数ヶ月後、また事業計画書を持って融資の相談に行った銀行で、松井さんは驚く事になる。
助けた女性のご子息は、その銀行の支店長をされていたのだ。
その時代、支店長の裁量で融資することは暗黙のうちに許されていた。
松井さんはその支店長のおかげで無事タクシー会社を興すことが出来たのだった。
松井さんはタクシー会社の名前を「つばめタクシー」にしたかったそうだが、残念ながらそのタクシー名はすでに既存していてつけられなかった。
もしつけられたとしても、最終的に思い止まっただろうと言う。
「女房がね、『そこまでツバメさんを頼りにしちゃダメよ』って言ったんですよ。『自分で作ったものは自分の名前をつけて全部自分で責任を持たなきゃね』って」
とても素敵な奥様である。
なんと旧姓は鳥がつく御名字だそうだ。
松井さんは鳥にご縁がある方らしい。
松井さんのタクシー会社は小さいものだったが、それなりに順調だった。
バブル景気にこの国が沸いていた時期には「怖いくらい儲かった」そうだ。おかげで会社を立ち上げたときの借金は、その時期に全部返すことが出来たばかりか、自宅用のマンションを買うことまでできた。
好景気に銀行の方から何度も融資話を持ちかけられ、会社を大きくしようかと考えていた時、実家で暮らしている母親から電話で愚痴を聞かされた。
「今年、燕が来てくれないのよ。寂しいわ」
松井さんは結婚を機に実家から独立し、その後は仕事の忙しさからあまり実家に顔出ししなくなったいた。それでも子供が小さい頃はよく帰っていたが、子供が中学生くらいになると部活や塾で子供も忙しくなり、盆と正月の二回帰る以外は時々電話をして声を聞く程度になっていた。
松井さんは燕が来ないというのが気になって実家を訪れた。母の言うとおり、巣は空っぽだった。
「どうしたのかしら。毎年来てくれてたのに」
母は酷く寂しそうだった。
「燕が来てくれなくて寂しいせいか、何だか最近身体の調子が悪くて」
その言葉に、松井さんはハッとした。嫌な予感がして、すぐ翌日に母を病院へ連れて行くと、予感は大当たりだった。
母に病気が見つかったのだ。そのまま入院となったが、幸いなことに発見が早かったため、投薬のみの治療で済んだ。
母の病気のケアや母の入院で家に一人でいる父の世話をしているうちにバブル期が終わってしまい、松井さんは会社を大きくは出来なかった。が、結果的にはそれが良かった。
他のタクシー会社は本来の業務以外の分野にも手を広げ、不景気になった時にそれらが足を引っ張って相当大変だったらしい。
松井さんに会社は地道にやっていた分、負債を背負うことはなかった。それどころか個人病院に「お宅はずっと運転者さんの顔ぶれが変わらないし、親切な人ばかりだから」と信頼を得て、松井さんの会社のタクシーを呼ぶ専門電話を置いてもらった所もあった。
時は流れ、松井さんが会社を設立した時に借りた土地と建物の借用期限が切れるときが来た。
持ち主は松井さんが契約した人の息子に変わっていて、主要道路に面したそこを有効活用したいらしく、続けての借用契約を遠回しに断られた。
仕方なく松井さんは方々の不動産屋を周り、車庫と事務所に出来る物件を捜した。今度は貸し主の都合で契約を切られないよう、購入するつもりだった。
そして何件目かの不動産屋で紹介された物件を一目で気に入り、そこに決めた。
そこは元運送会社の車庫と事務所だった所で、バブルが弾けた後、不景気になって数あった営業所を畳まなければなくなり、廃止された営業所のひとつだった。
郊外にあるため車庫は広めだったが、建物は古かった。リフォームは必要だったが、それでも松井さんが選んだわけは、車庫の上部の鉄骨のあちこちに、沢山の燕の巣があったからだった。
ここを営業所にするためには事務所部分をリフォームして、事務室の他に電話での受付室と配車を手配する無線室、運転手が仮眠できる仮眠室を作らなければならない。それに車庫の床のコンクリートにひびが入っているので、床をやり直すことが必要だった。
それを全てやると計画したリフォーム資金を使い果たす計算になり、全ての燕の巣の下に掃除し易い糞受けの箱を設置する予算が取れなかった。
しかし今の車庫と事務所がある所は、期限が切れる十二月末までに出なければならない。
新しい車庫を買い取ったのは九月。
燕が来る半年先までに何とか準備をするつもりで、松井さんはとりあえずリフォームに着手した。
何とか年内に会社は引っ越しを完了し、新年から新しい営業所で仕事を始められたが、燕の巣の対策はこれからだった。
どうやってこれだけの数の巣のひとつひとつに糞受けを作るか。
工務店に見積もりも兼ねて相談に行ってみようかと思っているところへ、古株の運転手が良いアイデアをくれた。
――自宅まで送ったお客さんの家のアイデアなんですが、うちでも暫くこれで凌いだらどうでしょう
それはいらなくなった傘をさして内側に新聞紙を置き、燕の巣の下にぶら下げるというものだった。
燕が子育てし終わったら新聞紙を取って捨て、傘も畳んで捨てる。 (当時は傘の骨とナイロン部分は分けずに捨てても良かった)
松井さんは、簡単で良いアイデアだと思った。
それで早速知り合いに声をかけて回ると、結構な本数の傘を獲得できた。
まだ空っぽの燕の巣の下に、傘をさして受け皿のように取り付けて行った。車庫の天井は元はトラックが出入りする車庫だったため前の営業所の車庫より高く、傘を取り付けても車の邪魔になることはなかった。
色とりどりの傘が花が咲いたようにきれいで、古びた車庫が明るく見えた。
松井さんは毎年この方法で行こうと決めた。傘は不定期で行なわれる『鉄道の忘れ物市』で仕入れることにした。
その内、営業所の近くの住人が、いらなくなった傘を寄付してくれるようになった。そこで松井さんは営業所の前に看板を出した。
『お宅にいらなくなった傘がありましたらお持ちください。開くことが出来るなら骨が壊れたものでも結構です。傘一本につき、我が社のタクシーの五十円割引券一枚と交換いたします』
今や松井さんのタクシー営業所の近くに住む人は、車庫に傘の花が咲くのを見て燕の到来を知るという。
松井さんの御両親は大病を患った母親より父親の方が先に亡くなった。父親の死から約一年後に母親も他界した。
もう誰も住まない実家を最低限片づけるために行くと、車庫にある燕の巣が目についた。
――来年も燕が来ると良いねえ
病院で見舞いに行った時、母はそう呟いた。それが母との最後の会話になった。
父も母もいなくなったこの家に、燕は来てくれるだろうか。
子育てを始めるとしょっちゅう覗きに来ていた老夫婦を忘れずにいてくれるだろうか。
松井さんは気がつくと燕の巣を見ながら泣いていた。
空っぽの燕の巣と誰もいない実家が同じように思え、燕にも両親にも置いて行かれたような気分になり、切なかった。
そんな松井さんに奥さんが「この実家に住もう」と言ってくれた。
今住んでいるマンションは子供に譲り、実家をかたづけて二人で住もう、と。
「私も歳を取ったから、コンクリートで固めた住まいより土の庭がある家に住みたくなったの」
奥さんの言葉に感謝し、松井さん夫婦は両親の家を片付け、住んでいたマンションは娘夫婦に譲り、実家に移り住んだ。
松井さんはタクシー会社の社長業を引退した後、バードウォッチングを趣味にして、よく山歩きに行っている。
奥さんは実家の庭で家庭菜園を楽しんでいるそうだ。
松井さんが住む家に、今も燕はやって来るのか。
私はそれをあえて松井さんに尋ねなかった。
ただ、松井さんが店においでになるときに乗ってくる車のフロントガラスの上の方に、時々白い汚れがついている。
駐車場の隣の家の子燕たちも無事に巣立った。
タクシーの営業所もそろそろ傘を畳む時期だろう。
巣から四羽、可愛い顔を覗かせていたが、昨日どうやら全羽無事に飛び立ったらしい。
空っぽになってしまった巣を、嬉しさと寂しさが入り交じった気分で見ていて、ふと思い出した話がある。
私は郊外にあるカフェレストランに勤めている。
以前勤めていた全国チェーンのレストランの同僚で、料理長をしていた男性が独立して自分の店を開店する際に、オープニングスタッフとしてスカウトされたのだ。
開店から二十年近く経つが、季節ごとに変わる料理と穏やかな田園風景やきれいに手入れされた庭を眺めながら食事ができる店として好評を得て、現在も安定した経営が続いている。
私は長く務めている分、何度も来店されて顔見知りになったお客様が多数いて、特にご年配のお客様には個人的に親しくお声をかけられることがあった。
私が還暦を過ぎた歳のためか、親近感みたいな気持ちもあり声をかけやすいのだろう。
店の常連であるタクシー会社の元社長さんもそんな気易いお客様の中のおひとりだった。
会社は二代目に譲られて、今はもう引退されてお仕事はされておられない。悠々自適の身でいらっしゃる。
天気の良い日はお気に入りのテラス席でゆっくりお食事をされ、早番出で仕事が終わり帰宅する私と顔を合わせると、
「時間があるなら、ちょっと食後のコーヒーにつきあっていかないか?」
と、笑顔で席に呼んでコーヒーをごちそうしてくださることが度々あった。
お人柄が良く話好きな方で、「年寄りの話は退屈だろうが」と謙遜されるが、博識で豊富な話題を持っておられ、私は社長さんの話を聞くのがとても好きだった。
元々私は人の話を聞くのが好きな質だ。
他人は私が知らないことを知っている。
他人は私が生きられない人生を生きている。
話を聞けば聞くほど、私の知らなかった世界を知ることができる。
私にとって他人が語る話を聞くのは読書と等しいものだった。
子燕が巣立った巣を見て思い出したのは、その社長さんから伺った話だ。
社長さんの名前は仮に「松井さん」とする。
話の内容がタクシーに関することで、社長さんがあまんきみこ先生の名作『車の色は空の色』の主人公のタクシー運転手「松井さん」のようなイメージの方だからだ。
松井さんは若い頃、自宅を拠点に個人タクシーの仕事をしていた。
ある年、車庫に燕が巣を作った。困ったことに車の真上辺りである。糞で車を汚されては敵わないので、燕が卵を産む前に巣を撤去しようかと考えた。
が、燕が折角頑張って作った巣を壊してしまうのは可哀想で、たかが数ヶ月なのだからこちらが被害に気をつけて避けてやればいいじゃないかと思い直した。
巣の下に糞受けの箱を設置し、燕の子育てを黙認することにした。
やがて巣から雛が顔を覗かせるようになった。作った糞受けはサイズが少し小さく、車や床を汚されたが、松井さんは雛鳥が可愛くて、怒ることもなく掃除をしながら見守った。
見守るだけでなく、家人から「カラスが雛鳥を狙っているようだ」と聞かされると、カラスよけまで作って家族皆で雛を守った。
そんな優しい松井さんの家だからだろう。毎年燕がやって来るようになった。
そのため毎年糞受けを改良しながら作り、雛が巣立つのを見守った。
ある年、雛が巣立って行った数日後のこと。
松井さんが仕事に出ようと車に乗りエンジンをかけると、燕が一羽ボンネットにとまった。
燕はじっと運転席にいる松井さんを見ていた。
――野生の鳥が、ガラスを挟んでいるとはいえこんなに人の近くに来てとまるなんて。しかもエンジンがかかってうるさい車の上に
不思議に思ったが、燕を脅かさないよう、ボンネット上にいる間は車を動かすのはやめにした。
松井さんを見つめていた燕は、何か気が済んだようにふいに飛び去って行った。
松井さんは車を車庫から出しながら考えた。
もしかしたら家の巣にいた燕なのだろうか。
それならこの車も自分も見慣れているから、近くに寄ってきてくれたのかも。
そう思うと嬉しく、心が温かくなったが、大通りへ出る道に入った瞬間、息が止まり背筋が冷えた。
松井さんの家は住宅地の中にある。そこから大きな通りに出るのに、いつも信号のある小さな交差点を利用していた。その信号交差点で事故が起こっていたのだ。
車の状況から見て、住宅地から出ようとした車の側面に、大通りを直進してきた車が突っ込んだようだった。
車の周りに人が集まり、当てられた車に乗ったまま意識を失っている運転手に声をかけたり、大通りの後続車を安全に先に行かせるよう誘導したりしている。
まだパトカーも救急車も来ていない、ついさっき起こった事故のようだった。
当然松井さんも車を降りて、交通整理を手伝った。事故車両が交差点を塞いでいるので、住宅地からこの交差点に入ろうとする車を別の道へ誘導しながら、さっきの車庫でのことを思い返した。
あの燕が車にとまってくれなかったら、時間的に事故にあったのは自分だったかも知れない。
そう思うと鳥肌が立った。
燕が助けてくれたのだ。きっと家に巣を作っていたあの燕が恩返ししてくれたのだ。
松井さんはそう思い、翌年からもさらに燕を大事にした。
それから数年が経ち、独身だった松井さんは良縁あって結婚した。
それを期に、タクシー会社を興そうと決心した。奥さんも協力的で、二人で少しずつ計画を進めていったが、融資がうまく運ばなかった。中々銀行が話を聞いてくれないのだ。
そんなある日、まだ個人タクシーで仕事をしていた松井さんは昼食を取るため食堂を捜していた。そのあたりはあまり走ったことのない場所で、客を乗せてきた帰りだった。ようやく見つけた小さな食堂に車を駐めると、車を降りた松井さんのすぐ横を燕が通り、食堂脇の路地へ入った。
――もしかして、そこに巣があるのかな
すっかり燕好きになっていた松井さんは燕を追って路地に入った。と、そこに。
年配の女性がうずくまっていた。しかも具合が悪そうだった。松井さんは慌てて声をかけたが、女性は顔色が悪く朦朧とした状態だった。素人目で見た所、貧血を起こしたようだった。
傍にはスーバーで買い物したらしいレジ袋があったので、歩いて買い物に行って、帰る途中で体調が悪くなったのだろう。
松井さんは食堂に駆け込んで訳を話し、救急車を呼んでもらった。
食堂の人も良い人で、女性を店の座敷に寝かせて救急車が来るまでに体が冷えないよう毛布を掛けてくれたりした。
この善行が松井さんの人生に幸運をもたらした。
松井さんは女性が救急車で運ばれるのを見送ってから、食堂を後にした。何となくそのままその食堂で食事するには気恥ずかしかったからだ。
その二日後の夜、自宅に訪問者があった。
あの女性のご子息が松井さんに御礼をしに来たのだった。松井さんは誰にも名乗らず食堂を離れたが、食堂の人がタクシーの車体に入っていた名前を覚えていて、御礼に来たご子息に教えたのだった。
女性を助けたのは当然のことで、介抱したのは自分でなく食堂の人たちなので御礼ならあちらに、と松井さんが言うとその人は松井さんの謙虚な性格にますます感じ入ったようだった。
それから数ヶ月後、また事業計画書を持って融資の相談に行った銀行で、松井さんは驚く事になる。
助けた女性のご子息は、その銀行の支店長をされていたのだ。
その時代、支店長の裁量で融資することは暗黙のうちに許されていた。
松井さんはその支店長のおかげで無事タクシー会社を興すことが出来たのだった。
松井さんはタクシー会社の名前を「つばめタクシー」にしたかったそうだが、残念ながらそのタクシー名はすでに既存していてつけられなかった。
もしつけられたとしても、最終的に思い止まっただろうと言う。
「女房がね、『そこまでツバメさんを頼りにしちゃダメよ』って言ったんですよ。『自分で作ったものは自分の名前をつけて全部自分で責任を持たなきゃね』って」
とても素敵な奥様である。
なんと旧姓は鳥がつく御名字だそうだ。
松井さんは鳥にご縁がある方らしい。
松井さんのタクシー会社は小さいものだったが、それなりに順調だった。
バブル景気にこの国が沸いていた時期には「怖いくらい儲かった」そうだ。おかげで会社を立ち上げたときの借金は、その時期に全部返すことが出来たばかりか、自宅用のマンションを買うことまでできた。
好景気に銀行の方から何度も融資話を持ちかけられ、会社を大きくしようかと考えていた時、実家で暮らしている母親から電話で愚痴を聞かされた。
「今年、燕が来てくれないのよ。寂しいわ」
松井さんは結婚を機に実家から独立し、その後は仕事の忙しさからあまり実家に顔出ししなくなったいた。それでも子供が小さい頃はよく帰っていたが、子供が中学生くらいになると部活や塾で子供も忙しくなり、盆と正月の二回帰る以外は時々電話をして声を聞く程度になっていた。
松井さんは燕が来ないというのが気になって実家を訪れた。母の言うとおり、巣は空っぽだった。
「どうしたのかしら。毎年来てくれてたのに」
母は酷く寂しそうだった。
「燕が来てくれなくて寂しいせいか、何だか最近身体の調子が悪くて」
その言葉に、松井さんはハッとした。嫌な予感がして、すぐ翌日に母を病院へ連れて行くと、予感は大当たりだった。
母に病気が見つかったのだ。そのまま入院となったが、幸いなことに発見が早かったため、投薬のみの治療で済んだ。
母の病気のケアや母の入院で家に一人でいる父の世話をしているうちにバブル期が終わってしまい、松井さんは会社を大きくは出来なかった。が、結果的にはそれが良かった。
他のタクシー会社は本来の業務以外の分野にも手を広げ、不景気になった時にそれらが足を引っ張って相当大変だったらしい。
松井さんに会社は地道にやっていた分、負債を背負うことはなかった。それどころか個人病院に「お宅はずっと運転者さんの顔ぶれが変わらないし、親切な人ばかりだから」と信頼を得て、松井さんの会社のタクシーを呼ぶ専門電話を置いてもらった所もあった。
時は流れ、松井さんが会社を設立した時に借りた土地と建物の借用期限が切れるときが来た。
持ち主は松井さんが契約した人の息子に変わっていて、主要道路に面したそこを有効活用したいらしく、続けての借用契約を遠回しに断られた。
仕方なく松井さんは方々の不動産屋を周り、車庫と事務所に出来る物件を捜した。今度は貸し主の都合で契約を切られないよう、購入するつもりだった。
そして何件目かの不動産屋で紹介された物件を一目で気に入り、そこに決めた。
そこは元運送会社の車庫と事務所だった所で、バブルが弾けた後、不景気になって数あった営業所を畳まなければなくなり、廃止された営業所のひとつだった。
郊外にあるため車庫は広めだったが、建物は古かった。リフォームは必要だったが、それでも松井さんが選んだわけは、車庫の上部の鉄骨のあちこちに、沢山の燕の巣があったからだった。
ここを営業所にするためには事務所部分をリフォームして、事務室の他に電話での受付室と配車を手配する無線室、運転手が仮眠できる仮眠室を作らなければならない。それに車庫の床のコンクリートにひびが入っているので、床をやり直すことが必要だった。
それを全てやると計画したリフォーム資金を使い果たす計算になり、全ての燕の巣の下に掃除し易い糞受けの箱を設置する予算が取れなかった。
しかし今の車庫と事務所がある所は、期限が切れる十二月末までに出なければならない。
新しい車庫を買い取ったのは九月。
燕が来る半年先までに何とか準備をするつもりで、松井さんはとりあえずリフォームに着手した。
何とか年内に会社は引っ越しを完了し、新年から新しい営業所で仕事を始められたが、燕の巣の対策はこれからだった。
どうやってこれだけの数の巣のひとつひとつに糞受けを作るか。
工務店に見積もりも兼ねて相談に行ってみようかと思っているところへ、古株の運転手が良いアイデアをくれた。
――自宅まで送ったお客さんの家のアイデアなんですが、うちでも暫くこれで凌いだらどうでしょう
それはいらなくなった傘をさして内側に新聞紙を置き、燕の巣の下にぶら下げるというものだった。
燕が子育てし終わったら新聞紙を取って捨て、傘も畳んで捨てる。 (当時は傘の骨とナイロン部分は分けずに捨てても良かった)
松井さんは、簡単で良いアイデアだと思った。
それで早速知り合いに声をかけて回ると、結構な本数の傘を獲得できた。
まだ空っぽの燕の巣の下に、傘をさして受け皿のように取り付けて行った。車庫の天井は元はトラックが出入りする車庫だったため前の営業所の車庫より高く、傘を取り付けても車の邪魔になることはなかった。
色とりどりの傘が花が咲いたようにきれいで、古びた車庫が明るく見えた。
松井さんは毎年この方法で行こうと決めた。傘は不定期で行なわれる『鉄道の忘れ物市』で仕入れることにした。
その内、営業所の近くの住人が、いらなくなった傘を寄付してくれるようになった。そこで松井さんは営業所の前に看板を出した。
『お宅にいらなくなった傘がありましたらお持ちください。開くことが出来るなら骨が壊れたものでも結構です。傘一本につき、我が社のタクシーの五十円割引券一枚と交換いたします』
今や松井さんのタクシー営業所の近くに住む人は、車庫に傘の花が咲くのを見て燕の到来を知るという。
松井さんの御両親は大病を患った母親より父親の方が先に亡くなった。父親の死から約一年後に母親も他界した。
もう誰も住まない実家を最低限片づけるために行くと、車庫にある燕の巣が目についた。
――来年も燕が来ると良いねえ
病院で見舞いに行った時、母はそう呟いた。それが母との最後の会話になった。
父も母もいなくなったこの家に、燕は来てくれるだろうか。
子育てを始めるとしょっちゅう覗きに来ていた老夫婦を忘れずにいてくれるだろうか。
松井さんは気がつくと燕の巣を見ながら泣いていた。
空っぽの燕の巣と誰もいない実家が同じように思え、燕にも両親にも置いて行かれたような気分になり、切なかった。
そんな松井さんに奥さんが「この実家に住もう」と言ってくれた。
今住んでいるマンションは子供に譲り、実家をかたづけて二人で住もう、と。
「私も歳を取ったから、コンクリートで固めた住まいより土の庭がある家に住みたくなったの」
奥さんの言葉に感謝し、松井さん夫婦は両親の家を片付け、住んでいたマンションは娘夫婦に譲り、実家に移り住んだ。
松井さんはタクシー会社の社長業を引退した後、バードウォッチングを趣味にして、よく山歩きに行っている。
奥さんは実家の庭で家庭菜園を楽しんでいるそうだ。
松井さんが住む家に、今も燕はやって来るのか。
私はそれをあえて松井さんに尋ねなかった。
ただ、松井さんが店においでになるときに乗ってくる車のフロントガラスの上の方に、時々白い汚れがついている。
駐車場の隣の家の子燕たちも無事に巣立った。
タクシーの営業所もそろそろ傘を畳む時期だろう。
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幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
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